
胃液を出しきるまで続いた嘔吐は、急性胃腸炎だろうか。こんな経験はこの間、ほとんどなかった。大晦日にソバ出汁とイナムルチを料理した。糸満そばの麺が良くて、出汁も鶏ガラで美味しかったので、二食を大晦日から正月にかけて美味しく食べたのは良かったが~。おせち料理はスーパーから買ってきた既製のセットでイオンとサンエーで別個に買った。品揃えはサンエーの方が種類も品数も多かった。セット祝宴もソバと一緒に2日まで食した。
そして2日はムーチーの日で、庭の月桃の葉で直にムーチーを蒸して作るつもりで材料を買っていた。しかし、作る時間は見いだせず、病院へ行かねばならず、蓬生ムーチーを四個ほど買って一個を口にした。
そしてなぜかわからない内に、深夜から嘔吐である。ワインは少し飲んだだけで、ただ久しぶりに作ったイナムルチが美味しいと、良く食べたと思う。また久しぶりのそばも与那原ソバ、首里ソバ、そしてやんばるソバをさらに買ってきた。糸満ソバはすでに売り切れて手に入らなかった。沖縄ソバの麺が不味かった。
思うにご飯は食べずにソバとイナムルチを何食も食べて過ごしていた。
足が浮腫んでベッドから出られない病人は、干し柿を欲しがり、3種類を買って持って行ったがどれも食べられないと、文句を言うばかり~。
ついに自分でスーパーに行きたいという事で車椅子に乗って自家用車に乗る段階で、無理だと分かった。結局介護タクシーを頼んだが、2時間後にリオンが来てくれた。赤十字からツカシティまで片道900円、帰りも1時間後に来てくれて料金は同じだが、往復で3300円のチャージで、病人本人が高いと、ビックリしていた。1時間貸しきりで3500円だから、そのような相場なのだろう。
介護車を購入した親戚から車を借りたいと思ったのは事実だが~。
行き慣れたスーパーでしかし食べたい食料はあまりなかった。車椅子がキツそうで気の毒に思ったが、癌の症状は自ら手に負えない身体の変化をもたらしている。
早く横になりたい様子で5階の病棟に戻ったら、二人の看護師は直ぐオムツを交換し、普段着のシャツとジーンズから寝間着に替えた。
疲れてぐっすり寝入った姿を見届けて家に戻ったが、夜6時頃にはまた病室に行った。
買った柔らかい豆類も結局食べれず、プッチンプリンを口に運んであげた。
詩人の以倉さんと携帯で話した時の声にはまだ元気が残っていた。その翌日3日の朝(深夜1時半)から身体の不調に襲われ現在に至っている。
(花は二階のベランダで咲いているが、名前がハッキリしない。ギボシ~?)