(磯ヒヨドリが小さく見えた駐車場、最近かれらのきれいな鳴き声が聞こえなくなった!)
(つぶやき)
父母両方のルーツ探しにも熱心に取り組んでいる若者は必死にアイデンティティーを求めているのだと思うと、熱心に話しかけてくる彼の日本語も真剣だということがわかる。時に日本語表現について聞いてくる。母国語が英語の彼が沖縄で求めているものー。沖縄の中高校生と触れ合っていると、ハワイではなく沖縄で育ったらどうなったのだろうか、その推測ができて面白いという。流暢なバイリンガルを目指している彼の目標は何だろう。次はそれを聞いてみなければー。ディアスポラのハワイ人の周りにはネイティブハワイ人が多く、ネイティブの血が混ざっていたら、と思ったという。固有性と普遍性、同じ人間、ヒトゲノムの差異はわずか0、2%でほとんどの人種に違いはない、と、DNAについて発表した学生は話した。人間と類人猿のDNAの差異もさほどないという。人が人である所以とは、ことばと知の構築だといえるが、その人間が同胞同士で殺し合いをしてきたのも紛れもない事実で、今の平安がいつ崩れるかだれもわからない。すでに崩れている国々や地域がある。予期はできるのかもしれない。人類がなしとげてきた知性、科学、技術、システムの発展の現在、さらに前へと進もうとしている。同じで同じではない。多様性をわずかな違いを認め合う寛容さ、すべてを受容する大きな風呂敷のようなものー、地球という風呂敷、宇宙という風呂敷、風呂敷が無尽蔵に舞い上がるイメージ。
時は止まることがない、という事実に単純な驚きを覚える。或る一定の時を通過してさっていく宿命の前で、永遠なるもの、という6文字にひきつけられた蝶が花の蜜を求めてさまよっている。蝶は自らの永遠を花の蜜の中に見つけるのだろか?
同じ人物が書いても差異がある書物を前に、どれが本当でどれが嘘か見分けることが簡単ではないことを知る。