母が札幌厚生病院で治療を受けていた頃、メモ帳につけていた日記もこれで3度目のアップになる。
1月17日、この日に病院で撮影された写真も数枚アルバムにある。
実名なので名前は消しているが、札幌に住む私の親友が母を訪れてくれたときのものである。
随分とおしゃべりをして、楽しい日だったらしい。
親友が話相手をしてくれている間に、偶然叔母、いとこ達がそろって見舞いにやって来たのである。めったに会えない本州に住む叔母もいっしょだったので、まさか、と嬉しい驚きだったらしい。
親友が何枚か、母だけのもの、叔母達と一緒のところ、など写真を撮ってくれた。
うれしそうに笑っていて、このままよいほうに向かうのでは?と思ったくらい元気そうに見える。
結局そうはならなかったけれど。
大阪に住んで仕事を持ち、なかなか帰省できない私に代わって楽しい日を母に過ごさせてくれた親友に感謝の気持ちでいっぱいである。
この日のことは、母自身、父、叔母達、親友、それぞれから話を聞き、写真も残っており、現実味があって、私にとってとても「立体的」な日記である。
1月17日、この日に病院で撮影された写真も数枚アルバムにある。
実名なので名前は消しているが、札幌に住む私の親友が母を訪れてくれたときのものである。
随分とおしゃべりをして、楽しい日だったらしい。
親友が話相手をしてくれている間に、偶然叔母、いとこ達がそろって見舞いにやって来たのである。めったに会えない本州に住む叔母もいっしょだったので、まさか、と嬉しい驚きだったらしい。
親友が何枚か、母だけのもの、叔母達と一緒のところ、など写真を撮ってくれた。
うれしそうに笑っていて、このままよいほうに向かうのでは?と思ったくらい元気そうに見える。
結局そうはならなかったけれど。
大阪に住んで仕事を持ち、なかなか帰省できない私に代わって楽しい日を母に過ごさせてくれた親友に感謝の気持ちでいっぱいである。
この日のことは、母自身、父、叔母達、親友、それぞれから話を聞き、写真も残っており、現実味があって、私にとってとても「立体的」な日記である。
友達って何?って永遠のテーマかも。
何をもって友達と呼ぶのか?
一緒にいれば友達か、というとそうでもないように思うし。
>考えたけれど何にもしなかった人より、考えて行動した人を私は信頼します。
賛成です。それで失敗しても、後悔の度合いは小さいと思うし。
エースさんは幼馴染で、私にはもったいないような友達です。
数年に一回、位しか会えないんですよね。それでもやはり大事な友達。
今では、紫陽花さん始め色々なお友達がネットで増え、やはり、会えなくても気持ちが合えば(会えば)友達なのかな、なんて思っています。
これからもよろしくお願いいたします!
母には、私がよい友人を持っている、ということもとても嬉しいことだったようです。
「わざわざ来てくれてね…びっくりしたよ…」と本当に嬉しそうでした。
いつもエースさんのことはほめていて、お気に入りでしたからね…。
あれからまる4年になるんですよ…早いものですね。
方だったので、私にとっては、最後でしたが、飛行機で貴方のお家に、行ってとても安心した。と言う話は、2回以上は聞きました。同居人の方の話もとても幸せそうに話をしてくれました。そーだよね。あれから何年過ぎたかな・