もう寒くもなくかと言ってまだ暑くなってもいない。4月末から5月はよい季節。もう少しすると梅雨、そして梅雨が明ければ猛暑が始まることを考えるとますます、この爽やかさが有難く思える。
GWのある一日、「歩く地図」とカメラを携えて京都に向かった。
京都巡りは私の趣味のひとつ。大阪に住んで今年で17年になるが、関西に住むことになって一番楽しみだったのが、京都や奈良が近く、ちょっと足を伸ばせば古都巡りが出来るという事。源氏物語好き、歴史好き、の私には憧れの場所だった。でも北海道の人間ならそういう所は少なからずあるのではないだろうか。
この17年間この本と一緒にどれだけの場所を訪れたか。行った場所を黄色の蛍光ペンで塗りつぶしていくのだが、有名どころ…例えば清水寺とか、平安神宮とか、嵐山、などはすぐに回ってしまったが、いくらでも行きたい場所が出てくるものだ。
その中で、割に白く残ってしまったのは西側と東側。やはりアクセスの良しあしがあるので…今年はこういった場所を巡ってみようと思い立ち、少し暖かくなった頃から歩き回り始めた。
今回は詩仙堂がメイン。名前の優雅さには興味があったのだが、私の好きな歴史部分にはマッチしなかったため行っていなかった。また、このあたりで「花」を愛でる、というとよく言われているのが「ツツジ」。私はそれ程ツツジの花が好きではない。なんとなく、「個性のない美人」というような花に思えるからだ。垣根に使われ、きれいに刈り込まれ、というのであまり魅力を感じないのだろうか。
京阪電鉄終点、出町柳まで行って叡山電鉄に乗り換える。これで大原方面や比叡山、貴船などに行けるのだが、今回は一乗寺という駅ですぐ降りて山側へ向かう。のんびりとした住宅地を歩くとまもなく詩仙堂。だらだらと坂道を歩くので気づかないのだがこのあたりは意外に高いところにある。
入り口から覗くと素晴らしいツツジの木が見える。植え込みや垣根のと違ってのびのびとしていて、これはよい。
詩仙堂はそこまで有名どころではないので、人もGWの割にはずいぶん少ないのもよいが、風情のある庭だ。縁側から眺めて、そのままサンダルをはいて庭に降り、散策する、という形になっている。
ちょうど私の大好きな藤が真っ盛りで、藤棚が白藤で豪華に飾られている。素晴らしい眺めだが、下に据えられたベンチでのんびりと…は実は難しい。蜂だらけで落ち着いて座っていられないのだ。昔読んだ平安時代の物語で、美しい女人が白藤の棚で作られた東屋で休む絵のような情景が描かれていたのだが、実情は違った。
詩仙堂からゆっくりとまた坂道を歩き、門跡寺である、曼殊院を回り、人気のない鷺森神社へ。隠れた紅葉の名所だそうだが、びっくりするほど人気のない、森の中の神社だ。というか人は私しかいなかったのだから。
GWにこんなに静かな場所があるのだと驚くばかりだ。
まだ時間が早かったので、ここからは京阪に再び戻り南下することに。同じ東側だが、今度は人の多い場所を巡る。
京阪七条で降り、豊国神社から隣の方広寺へと足を伸ばす。ここには巨大な鐘がある。徳川家康がケチをつけた、「国家安泰」の文字が刻まれた、豊臣家滅亡の原因ともなった鐘だが、文字の方は白くわかりやすくなにか塗ってあり、今でもちゃんと字が読める。
観光タクシーの運転手さんらしき方が、若い女の子3人になにやら説明している。
「え~やだ~もうそういう風にしか見えない~~」と恐ろしげに騒いでいるので、私もつられて鐘の下に入ってみる。
「何かあるんですか?」
「ほら、あそこの所(鐘の中、上部を指さして)女の人の横顔に見えるって…」
「ああ~~そう言われて見れば!」
ガイドさん「淀君の顔って言われてますねん。この鐘の中で亡くならはったから」
…ん?大阪城の山里丸で自刃したのじゃあなかったの?
骨が見つからなかったから、夏の陣で脱出して生き延びた、という伝説もあるようなので、鐘の中で亡くなったという伝説もあるのかも?
ここからは近くの六波羅蜜寺、そして六道珍皇寺へと回る。ここは「六道の辻」なのだ。「あの世への入り口」とちゃんと書いてある。8月に亡くなった人たちをお迎えする、六道参りをするので有名なお寺だ。
拝観料を払うと、受付の人が「入りはったらガイドさんが説明します」と言われる。別にみて回るだけで良いんだけど、と思いながら入っていくと、有無を言わさず全員座らされるようだ。壁にかかった曼荼羅のようなタペストリを見ながら、輪廻転生について説明をガイドさんがするのを聞き、ここに祭られている小野篁が昼間は人間界で、夜は冥府で仕事をした(ずいぶん働き者だなあ…)という話を聞き、小野篁が冥府に通う(?)のに使ったという井戸を見せてもらう。
普段は窓から遠目に見ることが出来るだけだが、この期間はそばで見られる。
入る側の井戸と出てくる側の井戸は別の場所にあるのだ。出てくる方は最近見つかったそうで、40mもの深さがあるそう。というか、冥府は結構近いのかな?と思わせる位の距離?
特別に、唐の国まで聞こえた、という鐘も撞かせてもらうが、この鐘は建物の中にあり、綱だけが外に出ている。
さて、引っ張って離してみたが、鳴らない。 あれ?さっき前の人はちゃんと鳴らしていたのに。
再度引っ張って離すが、鳴らない。そこで気づいた。
ふつう、鐘は撞木を引っ張って思い切り離す、というやり方で鳴らすだろう。そうなっていると思ったのだが、これは「思いっきり引っ張ると鳴る」という状態になっているらしい。
中が見えないんだからもう…と思いながらも恥ずかしかった。3回目でやっと、いい音が出た。
すっきりしたところでなぜか雨。そろそろあの世からこの世へ戻ろうか。
デジブック 『京都の春日』
GWのある一日、「歩く地図」とカメラを携えて京都に向かった。
京都巡りは私の趣味のひとつ。大阪に住んで今年で17年になるが、関西に住むことになって一番楽しみだったのが、京都や奈良が近く、ちょっと足を伸ばせば古都巡りが出来るという事。源氏物語好き、歴史好き、の私には憧れの場所だった。でも北海道の人間ならそういう所は少なからずあるのではないだろうか。
この17年間この本と一緒にどれだけの場所を訪れたか。行った場所を黄色の蛍光ペンで塗りつぶしていくのだが、有名どころ…例えば清水寺とか、平安神宮とか、嵐山、などはすぐに回ってしまったが、いくらでも行きたい場所が出てくるものだ。
その中で、割に白く残ってしまったのは西側と東側。やはりアクセスの良しあしがあるので…今年はこういった場所を巡ってみようと思い立ち、少し暖かくなった頃から歩き回り始めた。
今回は詩仙堂がメイン。名前の優雅さには興味があったのだが、私の好きな歴史部分にはマッチしなかったため行っていなかった。また、このあたりで「花」を愛でる、というとよく言われているのが「ツツジ」。私はそれ程ツツジの花が好きではない。なんとなく、「個性のない美人」というような花に思えるからだ。垣根に使われ、きれいに刈り込まれ、というのであまり魅力を感じないのだろうか。
京阪電鉄終点、出町柳まで行って叡山電鉄に乗り換える。これで大原方面や比叡山、貴船などに行けるのだが、今回は一乗寺という駅ですぐ降りて山側へ向かう。のんびりとした住宅地を歩くとまもなく詩仙堂。だらだらと坂道を歩くので気づかないのだがこのあたりは意外に高いところにある。
入り口から覗くと素晴らしいツツジの木が見える。植え込みや垣根のと違ってのびのびとしていて、これはよい。
詩仙堂はそこまで有名どころではないので、人もGWの割にはずいぶん少ないのもよいが、風情のある庭だ。縁側から眺めて、そのままサンダルをはいて庭に降り、散策する、という形になっている。
ちょうど私の大好きな藤が真っ盛りで、藤棚が白藤で豪華に飾られている。素晴らしい眺めだが、下に据えられたベンチでのんびりと…は実は難しい。蜂だらけで落ち着いて座っていられないのだ。昔読んだ平安時代の物語で、美しい女人が白藤の棚で作られた東屋で休む絵のような情景が描かれていたのだが、実情は違った。
詩仙堂からゆっくりとまた坂道を歩き、門跡寺である、曼殊院を回り、人気のない鷺森神社へ。隠れた紅葉の名所だそうだが、びっくりするほど人気のない、森の中の神社だ。というか人は私しかいなかったのだから。
GWにこんなに静かな場所があるのだと驚くばかりだ。
まだ時間が早かったので、ここからは京阪に再び戻り南下することに。同じ東側だが、今度は人の多い場所を巡る。
京阪七条で降り、豊国神社から隣の方広寺へと足を伸ばす。ここには巨大な鐘がある。徳川家康がケチをつけた、「国家安泰」の文字が刻まれた、豊臣家滅亡の原因ともなった鐘だが、文字の方は白くわかりやすくなにか塗ってあり、今でもちゃんと字が読める。
観光タクシーの運転手さんらしき方が、若い女の子3人になにやら説明している。
「え~やだ~もうそういう風にしか見えない~~」と恐ろしげに騒いでいるので、私もつられて鐘の下に入ってみる。
「何かあるんですか?」
「ほら、あそこの所(鐘の中、上部を指さして)女の人の横顔に見えるって…」
「ああ~~そう言われて見れば!」
ガイドさん「淀君の顔って言われてますねん。この鐘の中で亡くならはったから」
…ん?大阪城の山里丸で自刃したのじゃあなかったの?
骨が見つからなかったから、夏の陣で脱出して生き延びた、という伝説もあるようなので、鐘の中で亡くなったという伝説もあるのかも?
ここからは近くの六波羅蜜寺、そして六道珍皇寺へと回る。ここは「六道の辻」なのだ。「あの世への入り口」とちゃんと書いてある。8月に亡くなった人たちをお迎えする、六道参りをするので有名なお寺だ。
拝観料を払うと、受付の人が「入りはったらガイドさんが説明します」と言われる。別にみて回るだけで良いんだけど、と思いながら入っていくと、有無を言わさず全員座らされるようだ。壁にかかった曼荼羅のようなタペストリを見ながら、輪廻転生について説明をガイドさんがするのを聞き、ここに祭られている小野篁が昼間は人間界で、夜は冥府で仕事をした(ずいぶん働き者だなあ…)という話を聞き、小野篁が冥府に通う(?)のに使ったという井戸を見せてもらう。
普段は窓から遠目に見ることが出来るだけだが、この期間はそばで見られる。
入る側の井戸と出てくる側の井戸は別の場所にあるのだ。出てくる方は最近見つかったそうで、40mもの深さがあるそう。というか、冥府は結構近いのかな?と思わせる位の距離?
特別に、唐の国まで聞こえた、という鐘も撞かせてもらうが、この鐘は建物の中にあり、綱だけが外に出ている。
さて、引っ張って離してみたが、鳴らない。 あれ?さっき前の人はちゃんと鳴らしていたのに。
再度引っ張って離すが、鳴らない。そこで気づいた。
ふつう、鐘は撞木を引っ張って思い切り離す、というやり方で鳴らすだろう。そうなっていると思ったのだが、これは「思いっきり引っ張ると鳴る」という状態になっているらしい。
中が見えないんだからもう…と思いながらも恥ずかしかった。3回目でやっと、いい音が出た。
すっきりしたところでなぜか雨。そろそろあの世からこの世へ戻ろうか。
デジブック 『京都の春日』
拘るところが、性格を現しているようで面白く
読ませていただきました。
デジブックも上品にまとめていますね~
鳴らなかったら縁起悪い~と心配だったんですが。
デジブック見て下さってありがとうございました。