今年は5,6,7月と暑かった割に、涼しくなるのは早かった。
今日は処暑。暑さがおさまる日。
20年前に北海道を出て大阪に来たのは8月4日、真夏も真夏、最高に暑い時にやってきた私が、あれ、ドアを開けたら涼しい!と同居人を見送った朝、それが処暑の日だった。
あまりの暑さにショック続きだったため感動も大きかった。
今年は、帰省から戻って翌日には割合、夜は過ごしやすくなっていた。14日だったから、非常に早いと言って間違いない。無論、昼間はまだまだ、日差しも強く暑いけれど、夜にエアコンがいらないのはありがたい。
そんな過ごしやすい夜が明け、5時半起きで京都へ。
お寺の中には夏場は8時に開門するところもある。六波羅蜜寺、三十三間堂、と割に近いこの2つがそうだったので、早めに出かけることにした。
まずは第十七番、三十三間堂。
以前に来たのは12月頃だったか、庭の紅葉がきれいだったが、それより風に吹かれる柳が良かった。この季節でもやはり柳が、長々と続く建物によい風情を与えている。
ここは、洛陽三十三所を定めたという後白河法皇の御座所、蓮華王院なのだから、最後に持ってきてトリにしようかな、とも考えていたのだが、このままいくと同じような季節に行くことになりそうなので夏のうちに…と言う事にした。
夏の朝のお寺はよい。人もそこまでいないし(ここまで有名なお寺だとそれでも、「混雑していない」程度なのだけれど)、冷房のないお寺の中も結構暑いものだから…
8時ならまだ、暑いとは言えない。
初めてここに来たのは、おそらく17,8年ほど前に父、母、叔母夫婦が京都旅行に来た時だ。私もバスに乗って一緒に回ったのだ。
しかしあまり印象には残っていない。その頃はそれ程京都に詳しくはなかったし…今ほど神社仏閣好きでもなかった。
これだけ千手観音が並んでいるのはさすがに壮観、縦に5体、並んでいるのだから、200列あるということか。いやいや、物凄い数に圧倒される。
後ろの方の観音様は顔が良く見えない。前の3列位が顔を確認できる距離。貸し出し中、で空いている所もあったりして。
よく、必ず自分に似た観音様がいる、とか、会いたい人に似た観音様がいる、と聞くが、確かに時代や作者によって結構、特徴があり、また剥落や汚れがついたりして表情が違って見えるため、さもあらんという気がする。
眼がはっきり開いているように見えたり、逆にウインクしているように見えるものも。
一緒に回った人たちのうち、残っているのは、父だけである。
母も、叔母も叔父も、この千体のうちのどの観音様かに、似ているのだろうか。
左右に500体ずつの千手観音を従えた中尊、国宝千手観音坐像の前でご朱印が頂ける。これだけの観音様のご朱印は効き目がありそうだ!
裏側は有名な「通し矢」の会場だ。いちど見てみたいものだ。
第十五番六波羅蜜寺は、平清盛ゆかりの寺なので、3年前、大河ドラマ「平清盛」を見ていた頃訪れた。
宮尾登美子さんの「平家物語」でも「六波羅に戻り…」と言ったくだりがよくある。
この辺り一帯が平家の屋敷だったんだ…と思わせるような立派なお寺では、残念ながら、ないのだれど。敷地も狭いし、お寺自体も小さい。
始めて来た時は結構がっかりしたものだ。かなり整備されて現代風だし色鮮やかだし…いやどのお寺も昔出来立ての頃は色鮮やかだったに違いないが、今、色鮮やかだと有難味がない気がするのは勝手な感覚なんだろう。
しかし由緒あるお寺、ちゃんと西国十七番のお寺でもあるのだ。
9時近くでもうすでにかなりの人がやって来ている。
洛陽三十三所とかぶっているお寺はいくつもあるがここもそう。以前来た時は、有名な空也上人像や平清盛像も見学したが、今回はご朱印のみ。
京阪、清水五条の駅まで歩くと、盛りの百日紅の花が。去年、あちこち歩いて撮ったなあ。
今日は頑張って、すこし北側まで足を伸ばす。
第三十二番、廬山寺。京都御苑に隣接している。
もともと、紫式部の邸宅があったと言われており、それが解明したのは案外にも昭和40年だそう。
そう昔でもないのだ
この「源氏庭」もそれ以降のものだろう。
庭には降りられないが、ここはメジャー所ではないので、いつもゆっくりと盛りの桔梗を眺められる。私はこれで3回目だ。
庭の向こうがかなり大きな幹線道路のため、車の音が常に聞こえるのが残念だが。
杉本苑子さんの小説に「散華」というのがあり、これは紫式部を主人公に据えている。そこでは、「鴨川に降りていく」というくだりがあり、平安時代ならばこの幹線道路、その向こうの建物群もなく、鴨川の河原も近かったのだろうな、と、なんとなく想像がつく。
きっと杉本苑子さんもここを訪れたに違いない。
こちらの観音様は如意輪観音様だが、調べてみると如意輪観音は坐像または半跏像で、立っているものはまずないのだそうだ。
長谷寺の大きな観音様もそうだが、観音様と言うと立っているイメージがあった。 今までお詣りした観音様もみんな立っていたと思うが、三十三間堂の中尊の観音様も座像だったし、今日は座ってる観音様にご縁があったのか?
今日は処暑。暑さがおさまる日。
20年前に北海道を出て大阪に来たのは8月4日、真夏も真夏、最高に暑い時にやってきた私が、あれ、ドアを開けたら涼しい!と同居人を見送った朝、それが処暑の日だった。
あまりの暑さにショック続きだったため感動も大きかった。
今年は、帰省から戻って翌日には割合、夜は過ごしやすくなっていた。14日だったから、非常に早いと言って間違いない。無論、昼間はまだまだ、日差しも強く暑いけれど、夜にエアコンがいらないのはありがたい。
そんな過ごしやすい夜が明け、5時半起きで京都へ。
お寺の中には夏場は8時に開門するところもある。六波羅蜜寺、三十三間堂、と割に近いこの2つがそうだったので、早めに出かけることにした。
まずは第十七番、三十三間堂。
以前に来たのは12月頃だったか、庭の紅葉がきれいだったが、それより風に吹かれる柳が良かった。この季節でもやはり柳が、長々と続く建物によい風情を与えている。
ここは、洛陽三十三所を定めたという後白河法皇の御座所、蓮華王院なのだから、最後に持ってきてトリにしようかな、とも考えていたのだが、このままいくと同じような季節に行くことになりそうなので夏のうちに…と言う事にした。
夏の朝のお寺はよい。人もそこまでいないし(ここまで有名なお寺だとそれでも、「混雑していない」程度なのだけれど)、冷房のないお寺の中も結構暑いものだから…
8時ならまだ、暑いとは言えない。
初めてここに来たのは、おそらく17,8年ほど前に父、母、叔母夫婦が京都旅行に来た時だ。私もバスに乗って一緒に回ったのだ。
しかしあまり印象には残っていない。その頃はそれ程京都に詳しくはなかったし…今ほど神社仏閣好きでもなかった。
これだけ千手観音が並んでいるのはさすがに壮観、縦に5体、並んでいるのだから、200列あるということか。いやいや、物凄い数に圧倒される。
後ろの方の観音様は顔が良く見えない。前の3列位が顔を確認できる距離。貸し出し中、で空いている所もあったりして。
よく、必ず自分に似た観音様がいる、とか、会いたい人に似た観音様がいる、と聞くが、確かに時代や作者によって結構、特徴があり、また剥落や汚れがついたりして表情が違って見えるため、さもあらんという気がする。
眼がはっきり開いているように見えたり、逆にウインクしているように見えるものも。
一緒に回った人たちのうち、残っているのは、父だけである。
母も、叔母も叔父も、この千体のうちのどの観音様かに、似ているのだろうか。
左右に500体ずつの千手観音を従えた中尊、国宝千手観音坐像の前でご朱印が頂ける。これだけの観音様のご朱印は効き目がありそうだ!
裏側は有名な「通し矢」の会場だ。いちど見てみたいものだ。
第十五番六波羅蜜寺は、平清盛ゆかりの寺なので、3年前、大河ドラマ「平清盛」を見ていた頃訪れた。
宮尾登美子さんの「平家物語」でも「六波羅に戻り…」と言ったくだりがよくある。
この辺り一帯が平家の屋敷だったんだ…と思わせるような立派なお寺では、残念ながら、ないのだれど。敷地も狭いし、お寺自体も小さい。
始めて来た時は結構がっかりしたものだ。かなり整備されて現代風だし色鮮やかだし…いやどのお寺も昔出来立ての頃は色鮮やかだったに違いないが、今、色鮮やかだと有難味がない気がするのは勝手な感覚なんだろう。
しかし由緒あるお寺、ちゃんと西国十七番のお寺でもあるのだ。
9時近くでもうすでにかなりの人がやって来ている。
洛陽三十三所とかぶっているお寺はいくつもあるがここもそう。以前来た時は、有名な空也上人像や平清盛像も見学したが、今回はご朱印のみ。
京阪、清水五条の駅まで歩くと、盛りの百日紅の花が。去年、あちこち歩いて撮ったなあ。
今日は頑張って、すこし北側まで足を伸ばす。
第三十二番、廬山寺。京都御苑に隣接している。
もともと、紫式部の邸宅があったと言われており、それが解明したのは案外にも昭和40年だそう。
そう昔でもないのだ
この「源氏庭」もそれ以降のものだろう。
庭には降りられないが、ここはメジャー所ではないので、いつもゆっくりと盛りの桔梗を眺められる。私はこれで3回目だ。
庭の向こうがかなり大きな幹線道路のため、車の音が常に聞こえるのが残念だが。
杉本苑子さんの小説に「散華」というのがあり、これは紫式部を主人公に据えている。そこでは、「鴨川に降りていく」というくだりがあり、平安時代ならばこの幹線道路、その向こうの建物群もなく、鴨川の河原も近かったのだろうな、と、なんとなく想像がつく。
きっと杉本苑子さんもここを訪れたに違いない。
こちらの観音様は如意輪観音様だが、調べてみると如意輪観音は坐像または半跏像で、立っているものはまずないのだそうだ。
長谷寺の大きな観音様もそうだが、観音様と言うと立っているイメージがあった。 今までお詣りした観音様もみんな立っていたと思うが、三十三間堂の中尊の観音様も座像だったし、今日は座ってる観音様にご縁があったのか?
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