マメ科サイカチ属 落葉広葉高木
昨日、光城山を歩いている時、この樹から落ちている殻を見つけた
この時、不思議と直ぐ思いだした! ”サイカチ!”
木曽では”しゃいかち”って言ってた、あの”しゃぼんの木”だと
最近、人や山の名前が直ぐ出てこないことがあるから・・不思議~
そして写真を撮って、ひとつ拾って下り始めた。
下りながら、昔のことが次々と浮かんできた・・
母がたらいにお湯で兄や私の下着、大人の着物を入れて洗っていた様子。
そのたらいの中には”しゃいかち” が入っていてしゃぼんのような泡が立って。
石鹸の代わりになる様だった
家に帰って,今年手に入れた植物図鑑を開いてみた
このA4判の本、写真も良く、字も大きいので見やすくお気に入りの本になりました
ネットもみてみると
”莢” 鞘・さやはサポニンを含み、水に侵たすことにより、石鹸のように泡立ち
汚れを落とすので、青森では洗髪や食器洗い、漆器類の洗剤として使われて・・略
私が小さいころ、戦時中から小学校に上がった頃までだったか・・
大なべに洗濯物を入れて煮ていたかは・・次の思い出につながる。
戦後、復員兵に着いてきたという「虱・しらみ」が子供たちにも広がっていた
月曜日の朝、体育館に一列に並んだ時のこと
私の前のNちゃんの首すじから虱がはい出してきた・・
その頃、我が家もどの家も貧乏だったが、その家はいっそう貧しかったような・・
お風呂の後、母は私の頭を膝に乗せ「すきぐし・すき櫛」ですいた。
(すき櫛は隣の木祖村で作られていた目が細かい櫛だった)
その櫛に虱の卵が着いてこないか観るためだった・・
兄達のように男の子は丸坊主だったからその必要はなかった。
ある時、担当の先生から女の子は風呂敷を持ってくるようにいわれた。
それは女の子の長い髪の間に「DDT]という殺虫剤を噴霧するためで、
ひと晩はそのままでいて、翌日風呂で洗い流した・・だったかな?
今ではDDTを人の頭にかけるなんて許されないことなんだが・・
そんな時代だったんだね
こんな話は戦中生まれの私の年代の人しか話せないだろうと思って・・
長い話になりました。
<夕方ウオーキング>
昨日は私の都合で、今日はセッチャンの都合でジェシカと歩けなかった。
今日は近くの馬の牧場へ歩いてみようと思って、ここからの道を入っていった
振り返って鉢伏山をみる‥雲は一つもない
普門院のお地蔵さま
だんだんわからなくなってしまった。道に迷っているようだ・・
何処で間違ったか判らない・・? 不安になってしまった
ため池があった 塩倉に来てしまっている
農道の交差点に来た
向こうにふたり連れの方がいたので声をかけてみた
「道に迷ってしまいました・・松岡へ行くのは右へ行けばいいんですよね?」
「私たちも松岡へ行きますから・・」というので、一緒に歩いてもらった
そうしているうちに「ネモさんだよね・・」と言われてしまった。
マスクの下は、塾大仲間のSさん夫婦だった。なあんだ・・ということで
分かれ道までご一緒にということに。
どうも、お世話になりました~また明日ですね~
(明日塾大の月イチのミーティングの日なのです)
夕暮が迫ってきました・・
はあい!無事帰り着きました
今日の歩数;6248歩 速歩15分 消費カロリー169㎉
さて、例の「サイカチ」の巨木は、木曽川を挟んで我が生家の対岸の岸辺に自生しておりましたが、度重なる木曽川の氾濫によって、小生が成人する前までには流失してしまいました。
それはそれとして、隆君・賢二君・孝君達によって継続されてきた三三会は、80才をもって解散となりました。解散の会は、開田にて行われましたが、その会には、小生は参加できませんでした。その後、耀子さん・英子さん・みさえさんが他界されました。
>「サイカチ」の木その後... への返信
達さん、いろいろ情報をありがとう!
コロナ過と私たちの80歳が重なったことで、色んな会やグループがおしまいになりましたね。
車の運転は85歳までにして、病院ボランティアとこのブログはなんとかもうしばらく続けたいと思っています。