以前にも書いただろうか。
外国にいる親友から「早く外(外国)に出て、自分の実力で試してみたらどうだ。日本じゃ小さすぎて、お前が活かし切れない」と、電話の度に言われ続けている。
自分も「外で試してみたい」という思いが、無いわけではない。
でも、日本の中で、自分がやらなければならないことが、まだ山ほどある。
それが終わるまでは、外に行くことは出来ないと思っている。
「日本はメルトダウンしている。もう駄目だ」と親友は言う。
それに対して、「まだ止める事が出来るかもしれない」「まだ方法があるかもしれないというのが、自分の返事。
「日本の将来なんて、お前だって判っているんだろ」とも言う。
「判っている、判ってはいるが・・・」
その先の言葉が出てこない。
頭の中では、色々と反論しているのだが・・・・
でも自分は、各産地で生まれようとしている、新しい芽と、その可能性を知っている。
それはひ弱で、雑に扱えば、直ぐに死んでしまうほどに儚い。
しかし、事実として、そこに芽はあるのだ。
自分が「まだ止める事が出来るかもしれない」と思っているのは、このひ弱な芽があるからだ。
でも、自分だけでは、この芽を育てることは出来るはずがない。
絶対に産地の協力が必要となるのは明らか。
協力が得られないというのであれば、「日本の将来は、判っている」
外国にいる親友から「早く外(外国)に出て、自分の実力で試してみたらどうだ。日本じゃ小さすぎて、お前が活かし切れない」と、電話の度に言われ続けている。
自分も「外で試してみたい」という思いが、無いわけではない。
でも、日本の中で、自分がやらなければならないことが、まだ山ほどある。
それが終わるまでは、外に行くことは出来ないと思っている。
「日本はメルトダウンしている。もう駄目だ」と親友は言う。
それに対して、「まだ止める事が出来るかもしれない」「まだ方法があるかもしれないというのが、自分の返事。
「日本の将来なんて、お前だって判っているんだろ」とも言う。
「判っている、判ってはいるが・・・」
その先の言葉が出てこない。
頭の中では、色々と反論しているのだが・・・・
でも自分は、各産地で生まれようとしている、新しい芽と、その可能性を知っている。
それはひ弱で、雑に扱えば、直ぐに死んでしまうほどに儚い。
しかし、事実として、そこに芽はあるのだ。
自分が「まだ止める事が出来るかもしれない」と思っているのは、このひ弱な芽があるからだ。
でも、自分だけでは、この芽を育てることは出来るはずがない。
絶対に産地の協力が必要となるのは明らか。
協力が得られないというのであれば、「日本の将来は、判っている」