こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

悪化

2017年04月03日 10時49分13秒 | Weblog


自分は、産地に元気になってもらいたいと思っている。

産地無くして、米屋は存在出来ない。
米屋無くして、産地は消費地で戦えない。

お互いのために、必要な事はハッキリと言う。
やってもらいたい事は、何度もお願いする。
でも産地は、なかなかそれが判らないようだ。

青米は、圧力炊飯器が大半の消費地では、マイナスにしかならない。
だから、栽培・稲刈りについてお願いをする。
だが毎年、青米が入っている。

まだお願いした方が良いのか。
新しい産地を作り出した方が良いのか。
判断が出来ない。
どうしても、先伸ばしになってしまう。

しかしこれが、産地にとっても、米屋にとっても、事態を悪化させている。
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判らない

2017年04月03日 10時25分53秒 | Weblog


完全に孤立した一匹狼の強い所は、回りに怖いものが無い事。

自分の考えで、どんどん先に進む事が出来る。
誰にも遠慮が要らないから、いくらでも挑戦が出来る。
だから、結果も早く出る。

10年20年前なら、この生き方は正しくもあったろう。
しかし、時代が変わっていき、自分も歳をとっていく中で、この生き方からは、何も産まれない事が解って来た。

見える未来は、衰退と崩壊。

それを食い止めるには、同士を求める必要があった。
そして立ち上がった「超米屋」。

しかし、一匹狼は群れを作った事がない。
だから、何をどうしたら良いか、何をしたら良いかが判らない。

言った通りにやらせるのは簡単であるが、それでは何も産まれない。
自分の知識・技術・経験は、どうしたら次の世代に教える事が出来るのだろうか?
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同士を

2017年04月03日 01時43分31秒 | Weblog


孤立を覚悟した事で、さらに、専門知識・技術・経験を武器にしていた事で、想像よりも簡単に、短時間で作り上げた、他人が直ぐには入って来られない自分だけの居場所。

若い時には、最高の居場所であった。
誰が何を言ってこようが、数倍の反撃で、叩き伏せる事が出来た。
全てに於いて自信があった。
自分の全てを使って分析した現在を言っていた。
そして、確実に来る未来を言っていた。

小さな舟でも、ボロボロの舟でも、沈まずに、漕いで進める時代の後押しもあったし。

結果、閉鎖的な米屋業界に、新風を吹かせる事が出来たと思っている。
流通任せだった沢山の産地に、自分で動く方法も教える事が出来たとも思っている。

しかし、歳を重ねる毎に、確実に自分の考えの限界が見え始めた。
拡大・進歩・発展に「無限」というキーワードが無くなったからだ。

まだ先は見えている。
時代を作り出す力も、まだある。
だが、体力が追い付いて来ない。

見えている未来は、しばらく不安定が続く。
それを、強制的に安定させなければ、次が来ない。
でも、自分の体力では、安定を維持出来ない。

だから、孤立を止めて、同士を求める事にした。

それが「超米屋」である。
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覚悟の上

2017年04月03日 00時38分56秒 | Weblog


昭和の終わりの頃の米屋というと、経営・経済学部の卒業が大半で、そのまま米屋を継いでいた。

理科系・獣医・農業土木の道から、当時は言葉すら無かった環境保全を全面に押し出す自分は、米屋業界の中で、異色中の異色。

コンサルタントを辞めて米屋を継いだわけであるが、まだまだ諦め切れず、機会があれば、北海道に戻りたいと考えていた事もあり、米屋業界とは馬が合わなかった。
そして日々感じるのは、古い・閉鎖的・保守・足の引っ張りあい。

先に進みたい自分にとっては、まさに最悪の業界であった。

元々興味すらなかった業界。
其処に居るためには、自分は、自分の居場所を作るしかなかった。

自分が持っている、専門知識・技術・経験を武器にした、強烈な個性と差別化をした何処にもない米屋。

それが、自分の居場所であった。
当然、孤立は覚悟の上だった。
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