マスメディアから、自分が推奨している研ぎ方ではない、別の研ぎ方を紹介したいといわれたのであ、協力を断った。
お米の研ぎ方が違うと、炊き上がったご飯の美味しさや特徴に違いが出るのは当たり前。
それは解っていても、「美味しけれはこだわらなくても良いのでは」とも言われた。
確かに、口五月蝿く言う事で、お米は面倒臭いものと思われて、お米を食べてもらえないよりは、研ぎ方はバラバラでも、その人が美味しいと感じるのなら、それでも良いのかもしれない。
自分は、研ぎ方を1つにすることで、品種の違いだけでなく、地域の違い等を説明しやすく、体感しやすくしたいと考えていた。
「美味しい」だけは言えるだろう。
しかし、「○○だから美味しい」と、具体的に語ってもらうためには、研ぎ方がバラバラでは、どうしても無理だった。
だから、研ぎ方の統一を言い始めたのだ。
しかしそれは、実現不可能なんだと、このごの痛感させられている。
大学の研究室で、「一番細胞が壊れず、品種の特徴が出る研ぎ方」と確認されていても、伝わらなければ、実行してもらえなければ、何の価値もない。
お米の研ぎ方は、お米にとっては命。
そんな事は、お米に関わっている人なら解っているはず。
でも実際、それを声を大にして言う人はいない。
こんなグダグダのままでは、お米の次の時代は来ないと、自分は思う。
しかし、回りの声を聞いていると、自分が大袈裟に考え過ぎているらしい。
だから、研ぎ方についても、自分はトーンを下げようと思っている。
でも、自分の考えを曲げる気持ちは、サラサラ無い。
だから、これからも、納得出来ない研ぎ方の場合は、マスメディアの協力は断る。