のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

父の命日

2011-10-22 08:51:16 | 身辺雑記

 今日は父の命日です。

 明治31年生まれの父が、1994年の今日、満96歳で天寿を全うしてから早や17年が過ぎました。

 若い頃は、(若さの常として)父に対しても、いろいろ不満を感じたこともありましたが、私が歳を重ね父が老いていくにつれ、父の優しさ・忍耐強さ・偉大さを強く感じるようになりました。

 父は戦前・戦中・戦後の貧しい生活の中で、7人の子供(私はその末っ子)の成長を願い、それぞれの子どもに好きなことをやらせる(学問を含めて)ために、(私の記憶では)少なくとも75歳までは働き続けました。

 もちろん子供の犠牲になっているなんて気持ちは微塵もなく、ごく当たり前のように、1日も休むことなく勤めを続けました。

 仕事に疲れ55歳で早々と退職してしまった私からみれば、まさに驚異的なことです。

 それと、あの時代の人にしては珍しく、子供たちに自分の考えを強制することが全くなく、子供を信頼して、人生の選択を私たちに完全に任せてくれました。

 本当に、感謝しても感謝し足りません。

                          

 その父も仕事を辞め、当然のことながら老いていきました。

 下の写真は、父が91歳の誕生日に作った俳句(まがい)を、半紙に書いたものです。

                            

 これは、80代後半にかなりの大病を患い(それでも父は入院を嫌って、お医者さんに往診してもらうだけで、病を治しました)一時は食事もとれず、毎日必ずつけていた日記も書けなくなっていた父が、何とか普通の生活を送れるようになって、書いたものでした。

 かなり字が曲がっているのも、病気の後遺症(プラス老いのなせる業)です

 この半紙は、たまたま帰省していた私が、書類の山の中から見つけて、父の了解をもらって大阪に持ち帰り、部屋の壁に押しピンで挿して、時々眺めては父を思い出していたのでした。 

 父が亡くなってからは、父の思い出の品として、それなりの額縁に入れて、長く保存できるようにしたかったのですが、そこはズボラ者の私のこと…未だに果たせずにいます。 

 

 90を過ぎてからも(もちろん、それより前からもですが)、みんなに迷惑を掛けたくないという思いから、早朝4時から近所を歩き、身体を鍛え、最後まで自分に厳しかった父。

 結局、1週間家で臥せっただけで(トイレには最後まで自分で行った)、天寿を全うして…逝きました。

 「お父ちゃん、ほんとにほんとに、ありがとう!」 

 とても父のようには生きられないけど、私も、父の10分の1でも我慢強くなって、残りの人生を生きていきたいと思っています。