今朝はなかなか目が覚めず、遅刻して公園に行き、帰らずに待っていてくださった友だちと太極拳をした後、久しぶりに淀川端まで足を延ばしました。
久しぶりに行った淀川端は、当然のことながら、すでに秋深い風情。
公園に戻って花を楽しんでから、普段よりずいぶん遅くなって、家に帰ってきました。
今朝はなかなか目が覚めず、遅刻して公園に行き、帰らずに待っていてくださった友だちと太極拳をした後、久しぶりに淀川端まで足を延ばしました。
久しぶりに行った淀川端は、当然のことながら、すでに秋深い風情。
公園に戻って花を楽しんでから、普段よりずいぶん遅くなって、家に帰ってきました。
今年の三月、あさひ友の会の一日バスツアー(名古屋で行われたゴッホ展と三岸節子美術館見学を主な目的としたツアー)に参加しました。
その時、たまたま近くの座席に座った、私を含む三人が、なぜか妙に話が合い、帰り際にお互いの電話番号を交換しあって、再会を約束したのでした。
そして、約束どおり、今までに二回三人で集まりました。
一回目は東洋陶磁美術館に、二回目は、京都市立美術館の「フェルメールのラブレター展」と京都文化博物館の「帰ってきた江戸絵画」展に、一緒に行ったのですが、三人が集まると…美術の鑑賞もさることながら、食事時やコーヒータイムでの(はたまた道を歩いている時の)お喋りが、なんとも楽しいのです!そしてそれは、いつ果てるともわからないくらい続きます…。
その三人(日どりを相談する電話で、この集まりを≪三人娘の会≫と呼ぶことに決まりました!)が、今回(27日)は、神戸の二つの美術展に行くことになりました。
一つ目は、兵庫県立美術館で行われている「榎忠展」。
榎忠さんは、私がテレビで以前、彼の作品をちょっと見たことがあったのと、彼が私と同年だということで、興味を持ったので、お二人を誘ったのですが‥。
この展覧会は、「美術館を野生化する」という副題が付けられているとおり、普通の展覧会とは違って、ある意味、異様な感じのするものでした。
展覧会場を入るとすぐに目に飛び込んできた、ずらりと並べられた機関銃には、戦争のにおいが感じられて、彼がどういう意図でこの陳列をされたのか、私には理解できかねました。
でも、榎忠さんが、1970年以降、さまざまな場所で、さまざまな方法(ある時は自分の体)を使って、現状に対して問題提起をされている事には興味を持ったし、彼が今後どのような挑戦をしていかれるのかを、興味を持って見ていきたいとも思いました。
榎忠さんの展覧会場を出て三宮に向かい、神戸市役所の24階のレストランで食事をとりました。
次の写真は、展覧会場を出たところで見た、ちょっと面白い映像と、レストランから見下ろした神戸港です。
次に行ったのは神戸文化博物館。
ここでは「和ガラスの神髄」という展示が行われていて、これも、ガラス好きな私が、お二人を誘ったのでした。
感動という程ではなかったけれど、ガラスの美しさは、私の心を和ませてくれました。
この日の夕食は、(おいしいパンと、教会の建物をそのまま活かしたお店として)知る人ぞ知る≪フロインド リーブ≫で。
友だち二人はサンドウィッチと飲み物を、私はサラダと飲み物を注文しました。
当然のことながら、とっても美味しかったです!
そしてこの日は、友だち二人からのお土産付きでした。
そのお土産を手に、私は、とっても幸せな気持ちで帰途につきました。
今日は父の命日です。
明治31年生まれの父が、1994年の今日、満96歳で天寿を全うしてから早や17年が過ぎました。
若い頃は、(若さの常として)父に対しても、いろいろ不満を感じたこともありましたが、私が歳を重ね父が老いていくにつれ、父の優しさ・忍耐強さ・偉大さを強く感じるようになりました。
父は戦前・戦中・戦後の貧しい生活の中で、7人の子供(私はその末っ子)の成長を願い、それぞれの子どもに好きなことをやらせる(学問を含めて)ために、(私の記憶では)少なくとも75歳までは働き続けました。
もちろん子供の犠牲になっているなんて気持ちは微塵もなく、ごく当たり前のように、1日も休むことなく勤めを続けました。
仕事に疲れ55歳で早々と退職してしまった私からみれば、まさに驚異的なことです。
それと、あの時代の人にしては珍しく、子供たちに自分の考えを強制することが全くなく、子供を信頼して、人生の選択を私たちに完全に任せてくれました。
本当に、感謝しても感謝し足りません。
その父も仕事を辞め、当然のことながら老いていきました。
下の写真は、父が91歳の誕生日に作った俳句(まがい)を、半紙に書いたものです。
これは、80代後半にかなりの大病を患い(それでも父は入院を嫌って、お医者さんに往診してもらうだけで、病を治しました)一時は食事もとれず、毎日必ずつけていた日記も書けなくなっていた父が、何とか普通の生活を送れるようになって、書いたものでした。
かなり字が曲がっているのも、病気の後遺症(プラス老いのなせる業)です。
この半紙は、たまたま帰省していた私が、書類の山の中から見つけて、父の了解をもらって大阪に持ち帰り、部屋の壁に押しピンで挿して、時々眺めては父を思い出していたのでした。
父が亡くなってからは、父の思い出の品として、それなりの額縁に入れて、長く保存できるようにしたかったのですが、そこはズボラ者の私のこと…未だに果たせずにいます。
90を過ぎてからも(もちろん、それより前からもですが)、みんなに迷惑を掛けたくないという思いから、早朝4時から近所を歩き、身体を鍛え、最後まで自分に厳しかった父。
結局、1週間家で臥せっただけで(トイレには最後まで自分で行った)、天寿を全うして…逝きました。
「お父ちゃん、ほんとにほんとに、ありがとう!」
とても父のようには生きられないけど、私も、父の10分の1でも我慢強くなって、残りの人生を生きていきたいと思っています。
BSプレミアムで毎週水曜日の午後8時から「Amazing Voice 驚異の歌声」という番組をやっている。
←番組のタイトル画面。どなたが書かれたのか確かめてないけど、こ
の画面もステキだと思っています。
藤井フミヤさんと元ちとせさんの司会で、毎週、世界の知られざる「驚異の歌声」を紹介しています。
今週は「女たちの地平線 カザフスタン」と題して、カザフを代表する、二人の女性の歌声が紹介されました。
一人目は、カザフスタンの歌姫と呼ばれる≪マクパル≫。 もう一人は、カザフ歌謡界の女王…≪ローザ≫
(ちなみに、カザフスタンとは遊牧の民の国という意味だそうで、1991年に旧ソ連から独立、新しい国造りに邁進している途上だとか。)
マクパルは、ドンブラというカザフの民族楽器(2弦の弦楽器)を奏でながら、その豊かな声量で、民謡から現代の歌謡曲まで歌い上げる。まさに、歌姫と呼ばれるにふさわしい人だ。
彼女の歌はどれも素晴らしかったが、特に私の心を打ったのは、(彼女が愛する夫を凶弾で失い、9ヶ月全く歌が歌えない時期を乗り越えて復帰した)“夫ザマンベック追悼コンサート”での彼女の、(それまでとは一味違う)悲しみを湛えつつも力強さに満ちた歌声だった。
一方ローザは…故郷セミパラチンスク(旧ソ連時代に、20年にわたって核実験場にされた)の哀しみを歌った≪時代よ≫という歌が圧巻だった。
≪時代よ≫の歌詞の一部…
水のように澄んだ故郷は 泥で濁ってしまった
哀れな故郷よ 痛めつけられた人々よ
なぜ 泉から毒を飲まされるのか なぜ 愛しい子供を奪われるのか
核の閃光にさらされた 故郷カザフの地よ
←セミパラチンスクで繰り返された核実験
彼女自身の家族も、何人かが被爆されているという。
そして、彼女の≪時代よ≫ は、核実験廃止運動のシンボルとして歌われ、世界的に広まり、1991年に核実験場は閉鎖されたとのこと!
今回の≪時代よ≫は、日本の福島に向けての、彼女からのエールの熱唱だった。
今回の番組でも、歌の持つ、“人を勇気づける力” を、しみじみと感じました。
一昨々日(17日)、前から行こう行こうと思いながらなかなか行けなかった万博公園にやっと行ってきました。
今万博公園では“コスモスフェスタ”をやっていて、コスモスは、私の大好きな花の一つだからです。
モノレールの万博公園駅を出てちょっと歩くと、おなじみの太陽の塔が両腕を広げて出迎えてくれます。
「太陽の塔さん、コンニチハ!」
太陽の塔が見えてくるなり、私はいつもこう呼びかけるのが習わしになっています。
何故って、私には太陽の塔が、単なる塔ではなく、大地に足を踏ん張って生きてき、これからも生き続けるであろう、人間そのもののように思えるからです。
「太陽の塔さん」は、私にとって、信頼のおける友だち、ともに歩む同志みたいな存在で、私は彼に会うたび、彼に励まされています。
太陽の塔さんに挨拶を済ませると、コスモスが群れ咲く“花の丘”に歩を進めます。
花の丘の入り口付近には、今年もオレンジ色のコスモスが多く咲いていました。(写真、下の上)
そしてもちょっと進んだ左手には、今年初めて見る、淡いサーモンピンクのコスモスが、黄色いコスモス(これは去年もあった)と一緒に、はかなげに揺れていました。(写真、下の下)
さらに歩を進めると、花の丘の中心部に到着。
ここでは、芝生で覆われた丸くてかわいい丘をぐるりと取り巻いて、濃淡さまざまのピンク系のコスモスが、今がちょうど見ごろという感じで群れ咲いてました。
ただ残念だったのは、この日はお天気が下り坂で、私が行った午後には青空がすっかり消えてしまったことです。
青空のもとで見たら、もっと綺麗だったでしょうが‥。
2時間くらい花を楽しんだ後、夕方の淡くなった光の中で、ちょっと背中を丸め気味の太陽の塔さんにサヨナラの挨拶をして、公園を後にしました。
「太陽の塔さん、また来る時までお元気で!」
私の好きなテレビ番組の一つに、NHKの日曜美術館がある。
今日は、「風の彫刻家 新たな挑戦」と題して、新宮晋さんを取り上げていた。
←新宮晋さん(1937年大阪生まれ。現在、兵庫県三田市在住)
新宮氏は東京芸術大学を卒業後、初めは油絵を描かれていたが、しだいに屋外彫刻に魅せられて、風を受けて動く彫刻の制作に向かわれていったとのことだ。
私が今まで何気なく目にしていた、大阪万博跡地の千里北公園に置かれた「風の道」(下の写真、上)や、大阪天保山、サントリーミュージアムのそばにおかれた「波の記憶」(下の写真、下)などの作品が、彼のものであることを、今回初めて知った。
三田市にアトリエを構えられてからつくられた作品の数々は、三田の自然の中で、風を受けていきいきと(時に勢いよく、時にゆるやかに優雅に)動いて、自然の美しさをさらに増幅させている。
彼の活動は、もちろん日本にとどまることなく、9.11で破壊された太平洋トレードセンターのそばにあった屋外彫刻も、彼の作品だったとのこと。
また≪ウインドキャラバン≫と銘打って行われたイベントでは、フィンランドやモロッコ、モンゴルなどの広大な自然の中に彼の作品を置いて、それぞれの自然と作品との見事なコラボレーションを実現した。
その彼が、今取り組んでおられるのは、≪ブリージング アース(自然エネルギーの村)≫の創出計画だ。
広い大地(そこには農地もある)に、劇場やコンサートホール、レストランなどの(自然に完全に融合した)施設がつくられ、それらは、風や太陽光による自然エネルギーによって動き、レストランでは、有機農法でつくられた野菜による美味しい料理が供されるとか…。
ほんとうに素晴らしい、夢のような計画!
私は、その計画の、できるだけ早い実現を、願わずにはいられない!
それから最後にもう一つ。
今年、三田の田んぼの中に、(彼が、究極の風のアートと言われる)鯉のぼりが現れた。
それは、東日本大震災で被害を受けられた人々に対して、地元の人たち(子供からお年寄りまで)が送るエールとして作られたものだそうだ。
そして新宮氏はそれを≪元気のぼり≫と呼ばれている。
この≪元気のぼり≫は、今後仙台の美術館に送られ、来年の春には、東北の空を、文字どおり“元気に”泳ぐということだ。
*これから書くのは12日(きのう)のことです。
最近ベランダに出ると、金木犀の芳しい香りに包まれます。時には窓を開けるだけで、香りが部屋の中まで入ってきます。
わがマンションには残念ながら金木犀はないけど、お隣のマンションには大きな金木犀が植わっています。そのお陰で、隣の住人の私たちも、香りの恩恵にあず
かっているという訳なのです。
その香りに誘われて、今日は、久しく行ってない近所の中津公園まで、デジカメを持って行ってみることにしました。
お隣の金木犀だけではなく、公園への道中には、他にも金木犀の大きな木が植わっていて、その馥郁たる香りを惜しげもなく周りに放っていました。
また道中には、すでに葉っぱも実もかなり色づいた南天の木があって、驚きました。私のところの南天は、まだ青いままなのに…。
中津公園は、春にはいろんな花が色とりどりに咲いて、散歩に行く私たちを楽しませてくれるのですが、初秋の今は、あまり花が無く、夏の名残りかと思われる
草花が、まだ意気盛んでした。
そして、公園をぶらついている私の目に突然飛び込んできたのは…
なんと、桜!
(秋冬に咲く桜があるのは知っていますが、中津公園の中に、こんな桜があったとは!)
新しい発見もあって、久しぶりに公園に来たかいがありました。
さて夜になって…ですが。
今夜が十五夜なのは、テレビを見て知っていたので、もうちょっとムードのある場所で満月を撮りたかったけど、夜になると出掛ける元気がなくなり、結局ベランダ
からの写真になってしまいました。
お月さま、どうか、みんながすこしでも幸せでありますように! 見守ってくださいね。
私は、テレビ大好き人間!
なかでも、NHKが大好きとあって、大方の人からは、なんで?と、不評をかっている。それでも私は、“NHKの回し者”を自認してはばからない(笑)
でも今日は、朝日放送の≪題名のない音楽会≫から。
この番組は毎日曜の午前9時から放映されているが、その時間には他に見たい番組があるので、私は1週間遅れの土曜日にBS朝日で再放送されるのを録画して見ている。
この番組は、いろいろな角度から音楽に迫っていて(しかも堅苦しくなく)、私のお気に入り番組の一つだが、先週は、“未来の大器2011”と題して、小学6年生のとってもかわいい、でも才能豊かな3人の音楽家を紹介していた。
一人目は、ピアノの牛田智大(ともはる)君、二人目が、口笛奏者の大庭エウ゛ェレット君、三人目が、バイオリンの服部百音(もね)ちゃんだ。
三人とも既にいろんな世界の大会で優勝の実績を持ち、才能豊かなのはもちろんだが、なにしろまだ6年生、あどけなさを残しながら三人ともなんとも個性的でチャーミング!
彼らの、大人顔負けの堂々たる演奏に、舌を巻きつつ、まだ小6のあどけなさの残る彼らの姿に、思わず笑みがこぼれた。
彼らが、これからますます成長し、また再び素晴らしい演奏を聞かせてくれることを、せつに祈って!!!
昨日はシンフォニーホールに、アシュケナージ父子のピアノ・デュオコンサートを聴きに行きました。
アシュケナージ(父)は、今は指揮者として活躍している姿を見ることが多いけれど、もともとはピアノの演奏家として、その素晴らしい音色で世界の人々を魅了してきました。
私も以前、彼が演奏したベートーベンのピアノソナタのCDを姉からもらっていて、その頃は幾度となくそのCDに耳を傾けたものでした。
今回、そのアシュケナージが、息子で同じくピアニストのウ゛ォフカ・アシュケナージと一緒に来日するというので、早速チケットを取って聴きに行くことにしたのでした。
アシュケナージ父子が舞台に登場すると、まず私の心をとらえたのは、アシュケナージ(父)の何とも言えない可愛らしさでした。
実際に背もちっちゃいのですが、もちろんそれが“可愛らしさ”の主な要素ではなく、大ピアニストにして大指揮者でもある彼が、そんな事をみじんも感じさせない、はにかんだ笑顔と、ちょっとひょうきんとも言える足取りで舞台に登場されたのが、私に“可愛らしさ”を感じさせたんだと思います。
息子さんの方は、背も高くスラッとされてて、こちらも、誠実で上品な人柄を感じさせる方でした。
さて実際の演奏の方ですが、言うまでもなく、素晴らしかったです!
私はピアノの演奏を生で聴くと、いつも、音のシャワーを浴びている感じがして、心身ともにとても心地よいのですが、今回はその音のシャワーがいつもの2倍…心地よくないはずがありません!
どの曲も素敵でしたが、なかでも私が一番好きだったのは、ラウ゛ェルの“ラ・ウ゛ァルス”という曲でした。
初めて聴く曲でしたが、この曲は、曲想がとても変化に富んでいて、高音から低音まで音域も広く、低音は圧倒的な音のボリュームに心地よく圧倒され(まるで逆巻く流れに身を浸しているようでした)、高音は美しいトレモロに身をゆだねて、うっとり!でした。
ほんとに幸せな夜でした。
*写真を入れたいんだけど、入れ方がわかりません。アチコチさわってみましたが、せっかく書いた文章が消えてしまうとショックなので、今日も写真なしです(涙)
昨日も一応簡単な文章を書いて投稿したのだが、そのあとブログを開けるも、どこに消えたのか、投稿した文章は、どこにも見当たらず‥。
たぶん、ブログの開設のしかたに問題あり!と思われるが、そのあたりの事情が全く分かっていないので、今日のこの文章も消えてなくなる可能性大!
そこで、お試しメールならぬお試しブログとして、今日はここにて打ち止めとします。