のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

「こんな絶景があったなんて!」 (2) ≪台湾・十分のランタン祭り≫

2015-03-30 21:53:21 | 日記

 先週のNHK・BS「世界で一番美しい瞬間(とき)」では、≪台湾・十分のランタン祭り≫が紹介された。

 台湾というお隣の国で、こんなお祭りが行われているなんて! 知らなかったなあ!

 

 ≪十分≫は、台湾の田舎の、自然豊かな小さな町。

                   

 

                    

 

 

 その小さな町で、旧正月に行われる≪ランタン祭り≫。

 人々の願いが書かれた無数のランタンが、夜空に舞い上がる。

                  

 

                  

 

 

 ≪十分≫は、元は炭鉱の町だった。

 しかし炭鉱が閉山され、町はさびれてしまった。

   

 

 

 町の元気を復活させようと、ランタン祭りを計画された、ランタン職人の“胡民樹”さん。

                      

 

 彼の努力が実って、今では世界中から10万もの人が、この祭りにやって来るのだそうだ。

 そして、それぞれの願いを書いたランタンを、旧正月の夜空に放つのだ。

 下は、胡民樹さんが、今年のランタンに描かれた文字。

                   

 

 

 最後に、みんなの願いをのせて、夜空高く舞い上がっていくランタンの写真を、再度。

                 

 

                   

 

                

 


「こんな絶景があったなんて!」 (1) ≪ボリビア・ウユニ塩原≫

2015-03-30 20:50:32 | 日記

 それは、NHKテレビ「地球イチバン」で見た、≪ボリビア・ウユニ塩原≫の情景だった。

                    

                 

 

                  

 ボリビア・ウユニ塩原は、“世界一平らな大地”なのだそうだ。

 東西・120キロ、南北100キロのこの塩原は、四国の面積の半分の広さだと言う。

 この塩原の写真に魅せられて旅をされたのは、俳優の≪須田邦弘≫さん。

                     

 

 

 地球の反対側に位置するウユニ塩原。

 須田さんは、長い時間を費やして、やっとウユニ塩原に到着される。

                 

 

 

 地平線のかなたまで続く塩原では、下のような面白い写真が撮れるのだそうだ。

   

 

 

 そしてこの塩原には、年に一度、≪天空の鏡≫なる『絶景』が現れる。

 もちろんそれは、いろんな条件が整った時にのみに現れる絶景なのだそうだが‥。

 須田さんは現地のスタッフの援助を受けて、≪天空の鏡≫を探される。

 塩原の上を車でかなりの時間走った後、遂に彼の前に、その絶景が現れた。

 そして須田さんは、憬れの≪天空の鏡≫の上に、自らの足を踏み入れられる。

                  

 

                  

 

                  

 

 

 天空の鏡に無事たどり着けた喜びから、スタッフたちは、≪塩上の宴≫を催される。

                 

 

                   

                  

 

 

 最後に、ウユニ塩原の、昼と夕焼けの写真を、2枚。

                

 

                 

                  

 

 

 

                

                


27日の公園の花 (サクラ・チューリップ・ユキヤナギ)

2015-03-29 17:26:35 | 日記

 27日、近所の眼科のお医者さんに行った帰り、中津公園まで足を伸ばした。

 

 公園のケヤキ並木は、新芽が出始めて、緑が復活しつつある。

           

 

 

 桜は、この3日間で、ずいぶん花数が増した。

              

 

                  

 

              

 

 

 

 この間までは蕾だったチューリップが、仲良く並んで花を開いていた。

 チューリップの花の先で、春の光が輝いている。

      

 

               

 

 

 

 ユキヤナギが、淀川の土手や青空をバックに、勢いよく花茎を伸ばしている。

 生命力の塊りのような、ユキヤナギの白い花茎!

               

 

        

 

 


 

 

 ≪付記≫ 

  中津駅のすぐ傍に建てられた超高層マンションは、完成が近づき、もうすぐ入居が始まるようだ。

  そのマンションの庭にも、桜が植えられている。(写真・左下)

  右下は、最近送られてきた、Nさんからのクリスマスローズの素敵な絵てがみ。

           

                

                 


Oさんの居城“レジデンス芦屋”を、Mさんと訪ねる。

2015-03-29 14:49:23 | 日記

 学生時代の友人4人組は、ここ数年、年に2回くらいのペースで、集まっている。

 今回は、Oさんの新居“レジデンス芦屋”を訪問させていただき、近くのレストランで食事することになった。

 (レジデンス芦屋には、私は以前一度行かせてもらっていたが、Kさん・Mさんのお二人はまだで、訪問を熱望され

ていた。)

 ところが当日(26日)、Kさんが体調不良で行けなくなり、Mさんと私の2人だけの訪問になった。

 

 レジデンス芦屋には、阪神芦屋駅からシャトルバスで行く。

 バス乗り場近くに、美しいカトリック教会がある。

 教会前の桜は、まだ蕾を開き始めたばかりだった。

      

 

 

 

 レジデンス芦屋に到着後、Oさんの案内で、建物の中を見学させていただく。

 玄関フロアは(前にも書いたが)明るく穏やかな色調で、居住者(&来訪者)を優しく迎え入れてくれる。

 白いテーブルと、赤と黒の椅子のコントラストが、なかなか面白い。

                

 

                 

 

 

 ピアノが置かれた別の広間の様子。天井から吊るされたシャンデリアも、なかなか美しい。

          

 

 

 

 建物内に設けられた、広いレストラン。 バーカウンターやプールもある。

              

 

      

 

 

 

 建物のアチコチには、上品な調度品が、さりげなく置かれている。

 Mさんは、「ホテルより立派や!」と、しきりに感嘆しておられた。

                 

                

 

 

 

 私たちは、屋上に上がって、そこからの眺めを楽しませてもらった。

              

              

   

 

 

 

 その後私たちはOさんのお部屋を訪問して、部屋のアチコチを案内してもらった。

 そして、96歳になられるお母様にもお会いした。

 お母様は、以前と変わらずとてもお元気そうで、嬉しかった。

 

 

 訪問を終えた私たちは、海の見えるレストランに連れていってもらった。

                 

 

 私たちはそこで、美味しい食事とお喋りを、思いっきり楽しんだ。

 3人のお喋りは、話題が豊富で尽きることがない。 とっても楽しかった!

 

 Oさん、今回はいろいろお心遣いいただいて、本当にありがとうございました♪

 

                 

 

 

  

 


中津近辺のソメイヨシノ、24日には開花!

2015-03-27 20:26:11 | 日記

 ソメイヨシノの大阪の開花宣言は、昨日(26日)になって、やっと出された。

 でも、中津近辺のソメイヨシノは、24日にはもう開花していた。

 

 24日は、西宮のお医者さんに行った。

 阪急中津駅への道の途中にある幼稚園、その庭から伸びた枝に、文旦みたいな大きな実が1個、空をバックにして

ぶら下がっていた。

 なかなかの存在感だ。

                      

 

 

 阪急西宮駅を降りると、街路樹の枝の向こうに、青空が広がっている。

                

 

 

 道路脇に置かれた植木鉢や花壇では、春の花が鮮やかだ。

         

 

 

 阪急電車の神戸線沿線には、桜並木が続いている。

 西宮の手前の「武庫之荘駅」で、ホーム沿いの桜の蕾が開いていているのが、電車の中からも見えた。

 私は電車から降りて、わずかに花を開いた桜を、カメラにおさめた。

                

 

 「武庫之荘」は、50歳の若さで逝かれたTさんのお家があった所。

 武庫之荘駅の桜は、Tさんにとって、自慢の種だった。

 「私なんか、わざわざお花見に行く必要はないのよ。朝夕、駅の桜並木を楽しめるんだから。」

 桜の季節になると、彼女はよくそう言われていた。

 その彼女が亡くなってしまい、その2年後、まるで彼女の後を追うように、お父様が同じ病気で亡くなられた。

 一人がんばっておられたお母様も、去年のお正月早々に、突然亡くなられてしまった。

 Tさんの生前はもちろん、彼女の死後も、私は彼女の家を訪ねるべく、よく武庫之荘駅に降り立った。

 TさんとTさんのご両親が亡くなられてしまい、私にとって武庫之荘駅は、何だか主を失った駅のように思える。

 なんだか、淋しい。

 桜の写真を撮りながら、私は心の中でつぶやいた。

 「Tさん、今年も桜が咲いたよ‥。」と。

 

 


 

 

 中津に戻った私は、中津の桜は果たしてどのくらい開いているのだろうと、駅から直接中津公園へ向かった。

 公園に向かう途中の富島神社で、桜の幹から直接出ている枝に付いた蕾が、割とたくさん開いていた。

     

 

 

 中津公園でも、花をかなり咲かせている木もあった。

                

                 

 

 

 これだけ咲けば、桜の開花宣言が出されてもよさそうだけど、大阪の標準木は、大阪城の桜。

 標準木の桜が5~6輪咲かなければ、開花宣言は出されない。

 テレビによると、標準木の桜はまだ1~2輪咲いているだけとのこと。

 したがって、大阪の桜の開花宣言は、この日はお預けとなったのでした。    


大相撲観戦! (ひょっとして、私って雨女!?)

2015-03-20 14:46:01 | 日記

 昨日は、姉夫婦と一緒に、≪大相撲三月(大阪)場所)≫を観戦した。

 

 観戦チケットは、姉の旦那さんに頼んでとってもらってあった。

                    

 

 

 昨日は、姉と私が先に、(梅田で食事をしたあと)三月場所が行われる「大阪府立体育館」(難波)に行くことになっていた。

 旦那さんは、仕事を終えてから直接府立体育館に来られる予定だった。

 

 12時に姉と梅田で会って、食事をした。

 梅田に向かう時も、食事中も、食事後も、昨夕からの雨がかなり強く降り続いていた。

 食事をとった阪急32番街・28階から外を見ると、梅田は雨で煙っていた。

                   

 

 その情景を眺めながら、「私って、ひょっとしたら雨女!?」と、心の中でつぶやく。

 今までは“晴れ女”を自負していた私だが、この間のバスツアーと言い昨日と言い、雨にタタラれているからだ。

 

 でも難波に着いたときには、強かった雨もほとんど上がっていて、ホッとした。

 

 大阪府立体育館に着く。

 体育館前には、色とりどりの力士幟が立てられ、多くの人でごった返していた。

                    

 

            

 

 

 チケットの番号を頼りに、自分たちの座席を捜す。

 私たちの席は、“東”の3階席だった。

 私は以前一度だけ“桝席”で相撲を見たことがある。

 もちろん桝席が高価でいい席であることに間違いないが、私は今回の席の方が、却って全体を見渡せてイイなあと思った。

 (“東”でなく、“正面”か“向う正面”であれば、なお良かったけれど‥)

                   

 

 

 私たちが席に着いたときには、すでに十両の取り組みが、始まっていた。 (梅田でちょっと喋り過ぎた‥。)

                    

 

 

 この日も、『満員御礼』の垂れ幕が下がり、向う正面後方には、テレビでお馴染みの電光掲示板が掲げられている。

       

 

 

 十両の取り組みが終わり、土俵上では、東西の幕内力士の土俵入りに続いて、横綱の土俵入りが行われた。

 

                            ~西の力士の土俵入り風景~

                  

 

                    

 

 

                           ~東の力士の土俵入り風景~

                   

 

                 

 

 

                          ~横綱・日馬富士の土俵入り~

                   

 

                  

 

 

 土俵入りの後は「中入り」。 しばらくして、幕内力士の取り組みが始まった。

                   

 

 

 私には今特に取り立てて好きな力士がいるわけではない。

 でも今場所は、ハンサムで将来性を感じさせる『遠藤』や、ベテランで満身創痍ながら素晴らしい技を繰り出す『安美錦』を、応援し

ていた。

 それなのに、遠藤に続いて安美錦までもが、怪我のため休場してしまった。

 とっても、残念! (どちらかだけでも見たかったなあ!)

 

 取り組みが進むにつれて、懸賞のかかる相撲も多くなってくる。

                     

                    

 

 

 次は、行司さんについて。

 下の写真の上は、薄紫の衣装がとってもキレイだった『式守伊之助』さん。

 下が、小柄で病弱ながら、“立行司”を見事に務められ、今場所で定年退職される『木村庄之助』さん。

                   

 

                  

 

 

 最後に、『聰ノ富士』の弓取式。    

                  

 

                 

 

 

 私の相撲好きの歴史は古い。

 小学生の頃、私は、(こんなことを書くと、年が分かってしまうけれど)『栃錦』の大ファンだった。

 その頃は、『栃若時代』と言われ、栃錦と若乃花が世間の人気を二分していた。(どちらかと言うと、若乃花の方が人気者だった。)

 当時はもちろんテレビはなく、専らラジオを聞きながら、手に汗して栃錦を応援したものだ。

 そのあまりの熱中ぶりに、一番上の姉が街の喫茶店にを連れて行ってくれ、喫茶店に備えられたテレビで相撲を見せてくれた。

 それも今では懐かしい思い出だ。

 

 その後も、私の相撲好きは続いて、一時は『北乃湖』の熱狂的なファンだったこともある。

 当時北乃湖は、めっぽう強かったが、その凄まじい取り口ゆえに、結構嫌われてもいた。

 でも私は、土俵上の凄まじさと、土俵を降りたときのあどけなさとのギャップが面白く、彼の熱烈なファンだった。

 大阪場所のとき、心斎橋筋の喫茶店で友だちとお茶していたら、「今、北乃湖が表を歩いているよ!」とどなたかが叫ばれた。

 私は脱兎のごとく店から走り出て、北乃湖を追いかけ、彼と握手をしてもらった。

 それも懐かしい思い出だ。

 

 私は根っからのあまのじゃくで、どちらかと言うと、世間から嫌われ気味の人を応援する癖がある。

 いわゆる「巨人・大鵬・卵焼き」の、逆を行く人間だ。 (卵焼きは好きだけれど‥)

 もちろん、世間から嫌われているからと言って、イコール好きだというわけではない。

 その人に何らかの魅力を感じなければ、やっぱりダメだけれど。

 

 私が相撲が好きだと言うと、大半の人が、「あんな男の裸を見て、何が面白いの!?」とのたまう。

 何も私は“裸”を見て、面白がっているわけではない。

 褌以外何も身に付けず、武器も持たず、体の大小にも関係なく、体一つで闘う姿が、私には何とも面白く感じられるのだ。

 

 なぁんて、くだくだ言うのはもうこのくらいで置くことにしましょう!

 このブログを読んでいる方の、眉をひそめた表情が浮かんでくる。(笑)

 では皆さん、今日はこれにて打ち止めと致しまする!(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今朝の中津公園と淀川の風景

2015-03-18 22:27:00 | 日記

 今朝は昨日に続いて、とっても暖かかった。

 そこで私は、久しぶりに朝の公園に行った。

 公園では、この間来たときより、さらに花の数が増していた。

       

 

       

 

                  

 

                 

 

 

 花は未だながら、薔薇や芍薬は、赤い新芽を出している。

 そして、牡丹とチューリップが、もう蕾を付けているのにはビックリした。

         

                バラの新芽                                芍薬の新芽

 

     

                 牡丹                              チューリップ

 

 

 

 淀川の土手に上がってみた。

 土手の法面は、すでに緑で覆われている。でも、淀川の葦は、まだ枯れ色だった。

      

 

 

 淀川の土手を東に向かって歩いた。

 新御堂の高架を越えた辺りで、3台の自転車が、土手の上にうっちゃられていた。

     

 

 

 次から、淀川河畔の風景を何点か。

                 

 

                 

 

      

 

                

 

                

 

 

 

 淀川の土手から再び公園に戻ってきた。

 そして公園のケヤキの並木道を通って、市営住宅の方に向かった。

 ケヤキの並木の一番端っこで、早咲きの桜が満開だった。

     

 

 

 市営住宅1階に造られた保育園の庭でも、いろんな花が咲いていた。

 木陰で、ネコちゃんがジッとしていた。

     

 

                     

 

    

 

 

 マンションまで帰ってきた。マンション前のツバキが、赤い花を付けているのに、今朝初めて気づいた。

                       

 

      

 

 

   

   


JR京都駅へ。≪“えき美術館”~“和久傳”~“大階段ライトアップ”≫

2015-03-18 20:47:22 | 日記

 昨日は気温がぐっと上がり、夜外出しても大丈夫そうなお天気だった。

 そこで、“えき美術館”で行われている展覧会と、“京都駅・大階段のライトアップ”を見に、午後になってから京都駅に向かった。

 

 京都駅に着いて改札を出ると、すぐ正面に京都タワーが見える。

 上を見上げると、新しい(と言っても大分前だが)京都駅の屋根が、幾何学的なラインを描いている。

       

 

 

 新しい京都駅の建物については、賛否両論があったみたいだが、私は結構好きだ。

 一番好きなのは、伊勢丹の建物の外に設けられた、空まで届くかと思われる“大階段”と“エスカレーター”だ。

 (大階段の写真は、逆光のため見づらいですが、一応載せさせていただきます。)

             

 

 

 私は、エスカレーターに乗って一旦一番上まで上がり、そこに設けられた展望広場から、しばらくの間京都の街を眺めた。

 その後、“えき美術館”に行くために再びエスカレーターに乗って、美術館のある7階まで下りた。

 今“えき美術館”では、≪東山魁夷≫の展覧会が行われている。

                  

 

 東山魁夷の展覧会にはこれまでにも何回か行っている。

 なので、氏の絵だけの展覧会だったらそれ程興味は無かったが、今回は≪東山魁夷・わが愛しのコレクション展≫となっている。

 魁夷氏がどんなモノを愛し蒐集されたのかには、少なからず興味があった。

 

 展覧会では、氏の絵と氏のコレクションとが、ゆったりした配置で展示されていて、とても心地よく鑑賞することができた。

 そして何よりも良かったのは、氏のコレクションの品々が(口幅ったい言い方になるけれど)私の好みにもピッタリ合ってたことだ。

 ホントに素敵な品々ばかりだった。私もコレ欲しいなあ!と思うような…。

 もちろん、私などの手に入るはずもない品々だが、それらを氏の絵と共にじっくり観ることができて、私はとても幸せな気分だった。

 

 


 

 

 展覧会の後、私は早めの夕食をとってから、大階段のライトアップを見ようと思った。

 そして、京都駅で食事をするなら、ちょっと贅沢だけど、“和久傳”の料理をぜひ頂きたいと思った。

 和久傳には、今まで3回くらい行ったことがある。

 その度に、私は出される料理の上品な味に、舌鼓を打ってきた。

 なので、食いしん坊で経済観念に欠ける私は、京都駅に行くなら今度も絶対和久傳だ!と決めていたのだ。

                   

 

           

 

                   

 

 

 お店に入ると、京都市街と東山が見晴らせる、カウンター席に案内された。

             

 

 

 料理は一品ずつ順番に運ばれてきた。

 どの料理も新鮮な素材を使って丁寧に作られていて、期待どおりの美味しさだった。

 (次に、出された料理を順番に全部載せさせていただきます。ここしばらくは和久傳に来れないと思うので。)

         

 

 

         

 

 

        

 

 

                     

 

 


 

 

 食事を終えて、デパートの建物の中から外に出た。

 大階段ではちょうどライトアップが始まったところだった。

 そして階段てっぺんでは、鮮やかな黄色が、夜空に浮かび上がっていた。

     

 

                  

 

 

 私はエスカレーターで一番下まで降り、そこから、次々と変わるライトアップを写真に撮った。

 でも、私のカメラ(腕)では、いつものことながら、上手く光を捉えることができない。

 (実際より大分落ちますが、せっかく撮ったので、次にその写真を載せさせていただきます。)

         

 

                

 

          

 

           

 

                 

 

          

   

          

 

       

      

      

 


雨の一日バスツアー ≪賀名生の梅林~谷瀬の吊り橋≫ ②

2015-03-16 22:29:35 | 日記

 梅がもっと咲いていれば、頂上まで登り、山を一周する予定だったが、雨が降っていることもあり、私たちは、中腹のお寺まで行って、そこから引き

返すことにした。

 私たちは、お寺に向かって、坂道を上って行った。

 この辺りは雨が多く湿度がずいぶん高いらしく、道の傍の石垣も、石段も、梅の幹さえも、ずいぶん苔むしていた。

                  

 

                         

 

                    

 

 

 

                    ~道端の梅の花と、お寺の庭で咲いていた“みつまた”の花の、アップ~

                     

 

                     

                    

 

 

 

 お寺からは、もと来た道を下った。

 行きには気付かなかった“蕗の薹”が、たくさん芽を出していた。

 帰りの道でも、苔の緑が綺麗だった。

                    

                      

 

                  

 

 

 下まで降りた私たちは、配られたお弁当を、バスの中で食べた。

 その後バスは、2つ目の目的地・≪谷瀬の吊り橋≫に向かって出発した。

 

 


 

 

 賀名生から十津川への道は、狭いうえに急カーブが続いて、なかなかスリルがあった。

 

 十津川一帯は、2011年秋の台風時に大洪水に見舞われ、多くの被害と犠牲者が出た。

 3年以上経った今でも、沿岸では、まだ復旧工事が続いており、そこここに洪水の傷跡が、生々しく残っていた。

 

 その傷跡や、それにも拘らず、碧色をした十津川の美しい流れを、私は写真に撮りたかったけれど、雨に濡れた車窓からは、それは到底不可能

だった。

 とっても残念!

 

 かなりの時間をかけて、バスはやっと≪谷瀬の吊り橋≫に到着した。

                    

 

 

 谷瀬の吊り橋には、私は若かりし頃、一度行ったことがある。

 私が今回このツアーに参加しようと思ったのは、若かりし頃の懐かしい思い出の場所に、もう一度行ってみたいという思いからだった。

 (もちろん、賀名生の梅林の魅力もあったけれど‥)

 

 日本一を誇る、谷瀬の吊り橋。 長さは300メートルちかくもあり、高さも54メートルある。

 高所恐怖症の私‥。

 でも、若かりし頃の私は、一緒に行った友だちが、しり込みして渡ることができなかったこの吊り橋を、見事に渡った(往復した)のだった。

 今回渡ることができるかどうかはさて置いて、もう一度吊り橋を見てみたい!

 過去のことはほとんど振り返らない私だけど、それはかなり強い願いだった。

 青春時代に対する、それは強い郷愁だったかも知れない‥。(それだけ年取ったってことかな!?)

 

 私たちがバスを降りたとき、傘をさした人たちが、すでに橋を渡っておられた。

 雨はこのとき更に強く降っていた。

 その雨で、吊り橋も、その上を渡る人も、周囲の景色も、かすんで見えた。

                 

                            

 

                  

 

 

 私は渡るかどうか迷ったあげく、せっかくだから挑戦しようと、橋の正面に立った。

 そして、下の写真を撮ったあと、私は橋に足を踏み入れた。

                           

 

 

 けれど、私の挑戦は、橋の4分の1くらいの所で、敢え無く終わってしまった。

 橋の入り口付近ではそうでもなかったけれど、ちょっと進むと、橋がグラリグラリと揺れ、その度に、私の体は左右に振られた。

 私の体を恐怖が貫いた。

 私は、運よく近くにおられた係のおじ様の助けを借りて、恐る恐る体を反転させ、入り口に向かってヨロヨロと歩いて戻った。

 ああ、本当に怖かった!

 

 同じバスツアーの方の中には、初めから渡られなかった方もあるが、私より10歳は上だと思われる方が、平気で渡ってこられたのには吃驚した。

 それを思うと、ちょっと情けない感じもしないでもなかったけれど、私はやっぱりあの恐怖心には勝てない。

 潔く諦めるほかないナ‥。

 

 再度、橋を渡る人と、雨にけむる山を写して、私の2度目の谷瀬の吊り橋行きは、終わった。

                     

 

                          

 

                  

 

 

 私は、もっと離れた所から吊り橋全体の姿などを撮りたかったけれど、吊り橋での自由時間が短かったので、それは叶わなかった。

 

 お天気は良くないし、梅もあまり咲いていないし、吊り橋で残念な思いもしたけれど、今回のツアーも、とても楽しかった。

 何よりも嬉しかったのは、普段コンクリートジャングルの中で生活している私が、豊かな自然に触れながら、ゆったりと過ごすことができたこと。

 あっ、そうそう! 鶯のさえずりも、私はこのツアーで、今年初めて聞いたのだった。

 それに、相席だったSさんとはとても話が合って、バスの中では、ずっとお喋りしていた。

 通路を隔てて隣の席に坐っておられた添乗員さんが、「お二人、気が合ってヨカッタですね!」と、笑って言われたほどだった。

 

 朝は早かったけれど、途中事故にも遭わず、予定より早く帰れたのも、嬉しかった。

 今度また気に入ったバスツアーがあったら、ぜひ行きたいと思っている。

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

 


雨の一日バスツアー ≪賀名生の梅林~谷瀬の吊り橋≫ ①

2015-03-16 20:05:35 | 日記

 昨日(15日<日>)は、かねてより申し込んでいた、毎日新聞旅行の≪一日バスツアー≫だった。

 行先は、奈良県五條市にある≪賀名生(あのう)の梅林≫と、同じく奈良県十津川村にある≪谷瀬の吊り橋≫だ。

 

 バスの出発は、朝8時に、梅田の毎日新聞ビルの前から。

 バスは、参加者26人を載せて、定刻に出発した。

 昨日の天気は、曇りのち夕方から雨の可能性ありという予報で、出発時にはもちろん、雨の気配はなかった。

 

 バスは順調に走行し、奈良県に入った。

 道は次第に上り坂になり、トイレ休憩をとった“道の駅”からは、里がずいぶん下に見下ろせた。

                    

 

 

 初めの予定では、まず≪賀名生の梅林≫に行くことになっていたが、事情で先に≪賀名生の里・歴史民俗資料館≫に行くことになった。

 そしてこの頃から、雨がポツポツ落ち始めた。

                    

 

                       

 

                   

 

 

 私はこの資料館で、あの“南北朝時代”の≪南朝の皇居≫が、ここ賀名生に置かれていたことを、初めて知った。

                      

 

        

 

 

                                   ~皇居跡の様子~

    

 

                   

                            (庭には、白梅の他に馬酔木の花も咲いていた。)

 

 

                            ~元皇居として使われた建物の厨房の様子~

                     

 

 

                           ~皇居跡の建物を出たところの、梅の花~

                

 

 

 私たちはこの後、弱いながら降り続く雨の中を、≪賀名生の梅林≫に向かって坂道を上って行った。

 

 


 

 

 ≪賀名生の梅林≫のことは、名前だけは知っていたが、行くのはもちろん初めてだ。

 説明には“2万本の梅の里”と書かれていて、1つの山がそのまま梅林になっている。

 満開になればさぞかし美しいだろうと思われたが、私たちはバスの中で添乗員さんから「残念ながら、まだ良くて2分咲き」と言われ、覚悟した。

 その言葉どおり、ほとんどがまだ蕾という木が多かったが、そんな中でもだいぶ花を開いている木もあった。

                    

                     

                    

 

 

 私は、坂道を上りながら、写真を撮っていった。

 (その写真をランダムに載せます。)

                     

 

                   

                    

 

                   

                                     (梅とバックの竹林)

 

                     

 

                   

 

 

 

                   

 

                    

 

                           

 

                   


私たちは一体、何をしたらいいんだろう‥!?

2015-03-09 16:36:54 | 日記

 あの衝撃的な東日本大震災の発生から、もうすぐ4年になる。

 先週土曜日(7日)の≪NHKスペシャル≫も、このことを取り上げていた。

                  

 

 

 今回の番組は、「それでも村で生きる」と題して、避難地域の中で一番早く帰還された≪川内村≫の現状を、取り上げていた。

                                

                      

 

 

 川内村は、元来自然豊かな美しい村だった。

                  

                          川内村の秋の蕎麦畑 (川内村の名物は“蕎麦”だった)

 

                      

 

 

 しかし、全村が原発の30キロ圏内に位置し、避難を余儀なくされたのだ。

 ただ、比較的線量が低かった川内村は、1年後には20キロを超える地域、昨年秋には残りの地域の帰還が、実現する。

                       

 

 

 7日の≪スペシャル≫では、まず、去年の10月に帰還が実現した「毛戸(もうど)」地区のことが、取り上げられていた。

                       

 

 

 毛戸地区の住民は、もとは33世帯。 その中で昨年10月に帰還されたのは10世帯だった。

 10世帯の中でも、特に、復興に前向きな姿勢で取り組まれている、“秋元さんご夫妻”。

                   

 

 ご夫妻は震災以前から、定年後は、(お客さんが自然の中での暮らしを楽しめるような)“民宿”を開くことを計画されていた。

 そのために、家は震災前に、すでに改装済みだった。

                  

                    

 

 お二人は、少しでも早い民宿の開業を夢みて、汗を流される。

 

 

 


 

 

 次に番組が取り上げたのは、すでに2012年に帰還されていた“加藤さんご夫妻”。

 

                     

 

 お二人は、昔から苦労を重ねてこの地を開拓され、立派な蕎麦畑を作り上げてこられた。

 川内村の蕎麦は、近隣で美味しいと評判だった。

 加藤さんご夫妻が村に帰って来られたのも、もう一度蕎麦畑を耕し、美味しい蕎麦を作りたいという願いからだった。

 

 お二人は、かつての蕎麦畑を、近所の方と一緒に見に行かれる。

 しかし、お二人の目の前に現れたのは、なんとも情けない無惨な光景だった。

 畑一面に、放射能の廃棄物を入れた袋が、敷き詰められていたのだ。

 

                        ~かつての蕎麦畑と、蕎麦畑の今の状態~

                    

                      

 

       (上の写真は袋が雪を被っていて、その無惨さが十分に伝わらないので、雪の無い写真も下に。)

                   

 

 ご夫妻は、その情景を目にして深いため息をつき、「帰るしかないな‥。」とボソッとつぶやかれる。

 

 


 

 

  民宿の開業を夢みて前向きに暮らしてこられた秋元さんご夫妻。

 蕎麦畑の現状にショックを受けられた加藤さんご夫妻‥。

 

 その両者の夢を(さらに)打ち砕く政策転換が、今年の1月16日に望月環境相から発表された。

                    

 

 

 当初の予定では、汚染物質を入れた袋は、この1月に、村から撤去される予定だった。

 それが、事実上無期限に延期されたのだ。

 

 周囲に汚染物質を入れた袋が山積みになっている民宿に、やって来るお客はいないだろう‥。

  秋元さんご夫妻の民宿開業の夢は、さらに遠のいた。

 高齢の加藤さんご夫妻にとって、この知らせは、再び蕎麦畑を耕したいという願いを、絶望的なまでに打ち砕くものだった。

 2組のご夫妻(だけではないが‥)の絶望は、想像に難くない。

 

                   ~この知らせを聞いて、秋元さんがつぶやかれたことば~

                       

 

 

 そして、今年の節句には久しぶりに帰ってくるだろう孫のために、いそいそとお雛様を飾られた秋元さんの奥様も‥‥

                    

 

 やっぱり危険だから帰れないというお孫さんの手紙を読んで、深い悲しみに沈まれる。

 飾られたお雛様まで、なんだか悲しそうだ。

      

 

 

 悲嘆に暮れながらも、ご夫妻は手を取り合って、裏の山に登っていかれる。

 その山の上で、夫妻が掻き分けられた雪の下から、姿を現した“福寿草”の花。

                       

                     

 

 ご夫妻も、私たちも、この福寿草に願いを託すしかないのだろうか?

 

 


 

 

  東日本大震災のもたらした被害に心を痛めつつ、今まで何もしてこなかった自分を振り返る。

 そして考える。 “一体何が私にできるのだろう?”と。 でも、答えは出ない。

 震災のことを忘れたことはないけれど、それだけでは何もしていないのと同じだ。

 

 答えの出ないまま、私は昨日(8日)行われた、『原発反対』の集会に参加した。

 なんか、自己満足のような、自己欺瞞のような気持ちを抱きつつ‥。

                    

 

 それでもその集会で、台湾で若い人たちを中心に行われている『原発反対のひまわり運動』の事を知ることができて、嬉しかった。

 そして、元気な子どもたちが、“ゲンパツ・イラナイ!”と声高らかに叫びながらかつぐ≪神輿≫に、勇気づけられた。

                   

 

 私の鬱屈した気持ちは解消したわけではないけれど、これからも悩みつつ、原発の問題・平和の問題を考え続けていこうとは思っ

ている。

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

 


性懲りも無く、再び、大阪城梅林へ!

2015-03-07 17:57:35 | 日記

 この間大阪城の梅林に行ったのが、2月23日だった。

 あれから10日余り。

 あの時2~3分咲きだった梅林の梅も、そろそろ満開にちかくなっているかも‥。

 そう思うと、白やピンク.紅色で埋まった梅林の全景が見たくなって、昨日の夕方急に思い立って、大阪城に出掛けた。

 

 昨日はこの間とは反対に、地下鉄谷町4丁目駅から大阪城公園に向かった。

 谷4の駅から大阪城公園に向かって歩いていると、道路の傍に“大きなクスノキ”がどっしり立っているのに、初めて気付いた。

 近づいてみると、クスノキの下に銅像が立っている。

 銅像の主はオランダ人で、明治の初めに来日し、この地に学校を開き、日本の物理化学の発展に寄与したのだそうだ。

 

         

 

                

 

 

 

 大阪城公園に向かう途中では、まだ青空が広がっていた。(左下)

 でも大阪城公園に入ると、空は灰色がかった雲に覆われ始めた。(右下)

 

           

 

 

 

 大阪城の石垣を見ながら、梅林に向かって歩く。

      

 

 

 

 内濠が見えてきた。そこから梅林に向かう坂道を下っていく。

         

 

 

 

 坂を下ると、右手に梅林が見えてくる。

 果たして、赤やピンクや白に染まった、梅林の全景が望めるだろうか?

 私は期待しながら、下を見下ろした。

 しかし、私の期待に反して、梅林の梅はまだ満開には程遠かった。

 それでも、場所によっては、だいぶ花が開いていた。

 

            

 

             

 

 

 

 私は梅林の中に入った。

 そして、梅林の中の小道を歩きながら、写真を撮った。

 

       

 

 

              

 

             

                  (1本の枝に、白とピンクの花を付けた梅)

 

      

 

                        

 

 

 大阪城の前景の梅も、この間よりは花の数を大分増しているようだ。

             

 

            

 

 

 梅林の出口近くに、この間は目にしなかった枝垂れ梅が、花を付けた枝を地面近くまで垂らしていた。

        

 

 

 出口のすぐ傍にある、同じ木にピンクと白の花を咲かせた梅。

             

 

 

 

 私は、この梅の写真を最後に梅林を後にし、「青屋門」をくぐって外に出た。

             

 

             

 

 

 外濠に出た。先日見たユリカモメの姿はすでに無く、小さなカモだけが、水面に浮かんでいた。

          

 

 

 

 私は、石垣とその上の木々を眺めながら、JR大阪城公園駅への道を急いだ。

            

 

            

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 


ナレーション(語り)の力!

2015-03-06 14:24:29 | 日記

 私は大分前から、NHK総合の月曜日の夜10:55から30分間放映されている、『サラメシ』という番組を、楽しみに見ている。

 『サラメシ』は、サラリーマンに限らず働く人たちのお昼ご飯を、いろんな角度から取材し、働く人々の思いや世相に迫ろうというものだ。

                     

 

 そこには、いろんな形のお昼ご飯(外食あり、社員食堂あり、野原での握り飯あり、愛妻弁当あり‥)が出て来て、それを見ているだけでも面白

い。

 しかし、この番組をさらに面白くしているのは、ナレーションを担当している≪中井貴一≫さんの絶妙なお喋りだ。

                        

 

 中井貴一さんと言えば、どちらかと言うと、渋い役どころがピッタリの役者さん、という感じがある。

 が、このサラメシでは、一転!めちゃめちゃハジケていらっしゃる!!

 働く人たちがお昼の時間を迎えたときの、何とも言えぬホッとした解放感をそのままに、中井さんの声のトーンは高く、何とも張りがあってつやや

かだ。

 見て(聞いて)いる私たちまで幸せな気分になり、ある時にはワハハ!と声高に笑い、ある時にはクスッ、ニタッと密かに笑みを浮かべたりする。

 

 だけど、笑うだけではなく、しんみりしたりちょっと涙ぐみたくなるような場面もある。

 そのときの中井さんのナレーションが、また泣かせるのだ。

 

 そして、毎回ではないが、番組の最後で、亡くなられた有名人が愛したお昼ご飯を、紹介するコーナーがある。

 そのときの中井さんのナレーションは、むしろ悲しみなどの感情を抑えた、静かでしっとりした語り口だ。

 

 サラメシを聞いていると、中井貴一さんこそ、“七色の声の持ち主”だとつくづく感じる。

 そして、番組の中で、ナレーション(語り)の占める役割の大きさを、強く思う。

 

 


 

 中井さん以外で、私が好きなナレーションの方々について、今思い付く何人か書いておきたいと思う。

 

 先ずは、『もてなしの国 もてなしの四季』を担当されている≪松本幸四郎≫さん。

                     

                         

 

 松本幸四郎さんに対しても、私は今まで“カタブツ”というイメージを、勝手に持っていた。

 でも、そのナレーションを聞いていると、彼がどれほど優しい心根の人であるか、全てのものに対して、柔軟で寛容な心を持っておられるかが、伝

わってくる。

 『もてなしの国 もてなしの四季』は、その題名が示すように、年4回しか放送されないが、近く放映されるだろう“春”の部を、私は今から楽しみにし

ている。

 

 


 

 次は、『アメイジングボイス』と『世界ふれあい街歩き』を担当されていた、今は亡き≪林隆三≫さん。

 『アメイジングボイス』は私の大好きな番組の一つだったが、だいぶ前に終わってしまった。

 藤井フミヤくんと元ちとせさんが司会をし、林隆三さんは、案内役ということで、声だけの出演だった。

       

                      

 

                 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

                     

                        

 

 彼の声は、思慮深さに満ちた艶のある低音で、本当にステキだった。

 “ステキだった”と、過去形で書かなければならないのが何とも悲しい。

 でも、彼がナレーションをされた番組は、まだハードディスクに残しているので、時にそのディスクを聞いて、彼の美声に浸りたいと思う。

 

 


 

 

 ≪萩原聖人≫さんのナレーションも、魅力的だ。

 私は以前『アスリートの魂』という番組を見ていて、「この、出しゃばらないけれど人を励ます力を持つナレーションは、一体誰なんだろう?」と思っ

ことがある。

 番組の最後で、ナレーションを担当している人を確かめると、それが、萩原聖人さんだった。

 

 そして、先日の『世界ふれあい街歩き』(ナポリ)を担当していたのが、やっぱり萩原さんだった。

 (世界ふれあい街歩きは、その時々によってナレーションが変わる。)

                    

                         

 

 やっぱり、優しさにあふれた、素敵なナレーションだった。

 

 


 

 

 最後に、毎週木曜日の夜10時から放映されている、比較的新しい番組・『地球イチバン』のナビゲーターをされている、≪役所広司≫さん。

                     

                      

 

 役所さんは俳優なので、今までその演技の方に気が行っていて、彼の声に格段の印象がなかった。

 でも、この番組を見るようになって、役所さんの声そのものも、すごく張りがあって美しく、味わいのあるものだということを、知った。

 それに役者さんだけあって、語りがセリフ的なところもあって、なかなか面白い。

 『地球イチバン』は、内容的にもとても面白いので、これからも役所さんのナレーションとともに、この番組を楽しみに見ようと思っている。

 

 

  


Sさんとの、美味しいランチ&楽しいお喋り

2015-03-03 22:13:46 | 日記

 Sさんは、毎年新年にウィーンで行われる「ウィーンフィル」の≪ニューイヤーコンサート≫を、現地で生で聴くのを、長年の夢とさ

れてきた。

 その夢が実現し、Sさんは、昨年末から今年のお正月にかけてウィーンに滞在され、あこがれの≪ニューイヤーコンサート≫の

華やかな会場に、身を置かれたのだった。

 

 ≪ニューイヤーコンサート≫は、新年を祝って行われる、華やかな音楽会。

 私もほぼ毎年、テレビで、その華やかなコンサートの様子を見、楽しんできた。

 しかし今年は、コンサートを楽しむという目的以外に、もしかしたら、会場におられるSさんが画面に映るんじゃないかという期待を

持って、録画をしながら、コンサートの一部始終をじっくり見た。

 残念ながら広い会場の中でSさんを捜すことはできなかったが、今年のニューイヤーコンサートは、音楽もダンスもとても新鮮で、

素晴らしかったように思う。

 テレビを見ていてさえそうなのだから、生でその音楽を聴かれたSさんの感動・喜びは如何ほどであったか、想像に難くない。

 

 そこで今日Sさんと会って、食事&お茶しながら、その時の楽しいお話を聞かせてもらうことになった。

 食事の場所は、(Sさんが友だちから美味しいという評判を聞かれていた)堂島にある『桂』というお店。

 Sさんも私も、初めてのお店に期待しながら、梅田から地下道を歩いて、堂島に向かった。

 『桂』は、堂島の「エルセランOSAKA」というホテルの6階にあるそうだ。

 私たちは、地下からエスカレーターでホテル2階のロビーに上がった。

                     

                                   (ロビーの一部)

 

 そしてそこからエレベーターに乗り換えて、6階に向かった。

 『桂』は、入り口も店内も、しっとり落ち着いた、感じのいいお店だった。

                       

 

              

 

 

 6階のお店からは、隣りのビルの玄関前のちょっとした広場に立ち並んだ木々が、見下ろせた。

                      

 

 

 注文した料理が運ばれてきた。

                      

 

 写真の撮り方が悪く、料理の中味がよく分からないけれど、どの料理も薄味ながらしっかりした味で、とても美味しかった。

 (実際には、上の料理の他に、遅れてあと2つの料理が出、最後はデザートもついた。)

 私たちはすぐに、このお店のファンになった。

 「今度、また食べに来ようっと!」

 それにこのお店は広く、個室もあり、会食の時にも利用できそうだ。

 最近、会食の場所捜しに苦労している私は、その意味でも嬉しかった。

 私は食事をとりながら、Sさんの今回の旅の話を、しこたま聞かせてもらった。

 

 でも、食事しながらだけでは、話は終わらない。

 そこで私たちは、ホテル1階にある広い喫茶室に場所を移して、話の続きをすることにした。

                     

 

 喫茶室のテーブルと椅子はまっ白で、白いピアノも置かれている。

 真ん中にたくさん植えられた赤いベゴニアが、それらの白と、美しいコントラストを作っていた。

 

 私は最近クセになっているカプチーノを今日も頼み、ネコちゃんの絵を描いてもらった。

                     

 

 Sさんはコーヒーを、私はカプチーノを飲みながら、私たちは、ニューイヤーコンサートの話の続きで、さらに盛り上がった。

 Sさんが持ってこられた、ウィーンのホテルや街並み・コンサート会場の写真を見ながらのお喋りは、本当に楽しかった。

 

 存分にお喋りを楽しんだ私たちは、喫茶室とホテルを後にした。

 帰りに、ホテルの名前を忘れないように、喫茶室とホテルの玄関を撮っておいた。

 来たときは人が少なかった喫茶室は、帰りには団体さんが入っていて、一杯の人だった。

                 

 

 

 

 

 

 

 

 


≪チャイコフスキー≫も≪コバケン≫も、やっぱり素敵!

2015-03-01 14:05:09 | 日記

 昨日(2月28日)は、≪小林研一郎 炎のチャイコフスキー!≫と銘打ったコンサートに、友人Oさんと行った。

                   

 

 

 コンサート会場は、いつものシンフォニーホール。

 Oさんとは、ホールの入り口で待ち合わせた。

 ホールの玄関ドアのガラスに映る、向かいの公園の木々の緑が、心なしか明るく感じられて、春到来を感じさせる。

                 

 

 

 昨日の演奏曲目は、≪チャイコフスキー≫の作品2つ。

 一つは、かの有名な『ヴァイオリン協奏曲』。 もう一つは『交響曲 第5番』だ。

 指揮は、『炎のコバケン』の異名をとる≪小林研一郎≫氏。

 ヴァイオリン協奏曲のヴァイオリン奏者は、≪佐藤久成(さとう・ひさや)≫さん。

 管弦楽は、≪大阪フィルハーモニー管弦楽団(通称・大フィル)≫だ。

 

 私は、佐藤久成さんは知らなかったが、大好きなチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を、コバケン氏の指揮で聴けるのを、楽し

みにしていた。

 佐藤さんのバイオリンは、なかなか個性的で面白かった。

 そして、このヴァイオリン協奏曲では、何よりも、この曲に込められたチャイコフスキーの切ない熱情、それを見事に表現した美しく

も激しい曲の調べが、私を魅了した。

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ソリストや管弦楽団を変えて、何度でも聴きたい曲だと思った。

 

 交響曲 第5番は、有名な曲なんだろうけど、私は初めて聴いたような気がする。

 聴き終えても、曲そのものがすごく好きという訳ではなかったけれど、この曲の演奏では、『炎のコバケン』と『大フィル』とのコラボ

レーションが素晴らしいと思った。

 この曲での小林研一郎氏の指揮は、『炎のコバケン』の名にふさわしい、力漲る、情熱にあふれたものだった。

 そして、それに応える大フィルの演奏も、ものすごく情熱的だった。

 

 ある時期から、私は小林研一郎氏の指揮ぶりをスバラシイと思うようになってきたが、それは氏が、楽団員を心から尊敬し、共に

素晴らしい音楽を創り上げていくんだ!という姿勢を、強く持たれているように思えるからだ。

 彼はまた、楽団員だけでなく、聴衆に対しても、深い尊敬の気持ちを示される。

 彼は、素晴らしいコンサートというのは、指揮者・楽団・ソリスト・聴衆が一体になって、初めて創り上げられると思っておられるのだ

ろう。

 その彼の思い・姿勢は、今回のコンサートでも、痛いほど感じられた。

 

 なので、小林研一郎氏のファンは、ものすごく多い。

 今回のコンサートも、立錐の余地がないと表現したくなるほど、会場は満席だった。

 本当は、その様子をカメラで撮りたかったけれど、撮影禁止で、それはできない。

 そこで、コンサート終了時のロビーの様子を撮った。(もう人がだいぶ帰った後だったけれど‥)

                    

 

 今回のコンサートも、やっぱりヨカッタなあ!

 ナマの音は、直接心と体に響いてくる。

 そして今回は、久しぶりにOさんと一緒にコンサートに行き、(短い時間だったけど)お喋りできたのも、嬉しかった。