日本人の作曲家が創った交響曲が、今世界中の人から注目を集めているということは、昨年暮れくらいのテレビ報道で、何となく知っていた。
でも、その作曲家のことも、彼が作曲された曲のこともハッキリ知らないまま、最近までうち過ぎていた。
それについてはっきり知ったのは、先日の“NHKスペシャル” 『魂の旋律 音を失った作曲家』を見てのことだった。
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“音を失った作曲家”とは、広島出身の作曲家・佐村河内(さむらごうち)守さん、49歳。
彼は、幼い時からいろんな楽器を練習し、将来は作曲家になるために勉強されていた。
その彼を悲劇が襲ったのは、高校時代の電車の中。
突然目の奥に激しい痛みと衝撃を受けた彼は、その後次第に聴力を失い、激しい耳鳴りと頭痛に悩まされる。
そして35歳のとき、かれの聴力は完全に失われた。
(病の原因は不明だとのこと。)
一時は希望を失い、絶望の淵に追い詰められた彼だが、その彼に再び力を与えたのは、障害を持って生きる人たちとの音楽活動だった。
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その中でもとりわけ彼を勇気づけたのは、小学校6年生の大久保美来(みく)さん。
彼女は、右腕の肘から先がないというハンディを持ちながら、プロのバイオリニストを目指して、明るくがんばっている。
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佐村河内さんは、言われる。
「僕は初め彼女を支えるつもりでいたが、逆に彼女に支えられた。」と。
(下の写真は、美来さんが、4年という歳月を掛け、左手だけで折って、佐村河内さんにプレゼントした‥『千羽鶴』)
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「困難という闇の中に身を置きながら、希望を求め続ける人のために、僕は曲を創る!」
彼は、作曲家として生きる意味を見つけられた。
その彼は、以前から「ヒロシマ」をテーマにした『交響曲』を創りたいと考えられていた。
でもそれは、激しい耳鳴りと体調不良のため、なかなか完成に至らなかった。
常に彼を襲う、激しい耳鳴りと頭痛!
しかし彼は七転八倒しながらも作曲を続けられ、2003年、終に『交響曲第一番 HIROSHIMA』が完成する。
下の写真は、その『交響曲』の演奏風景。 (指揮は大友直人氏、演奏は日本フィルハーモニー管弦楽団)
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そしてこの曲は、日本のみならず世界からも注目され、最近の調査では、歴代の名立たる作曲家に並んで、現代の作曲家ではただ一人、佐村河内氏
がランクインされたのだそうだ。
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彼は、ある人々からは、『現代のベートーヴェン』と呼ばれている。
そして彼の「交響曲」は、東日本大震災の被災地の人々からは、『希望のシンフォニー』として、強い支持を受けているのだそうだ。
彼は、被災地との交流も持たれ、その中で、津波で母親を亡くした一人の少女(梶原真奈美さん、小4)と、メールで交流を深めてこられた。
そんな中で彼は、少女のために、『被災地のためのレクイエム』を作曲する決意をされる。
(下の写真は、母を亡くしながら健気に前を向いて生きる、梶原真奈美さん。)
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そして今回も、壮絶を極めた病との闘いの中から、『レクイエム』は生まれた。
下は、真奈美ちゃんの通う小学校の体育館で演奏された『レクイエム』を、並んで聴く二人。(と言っても佐村河内さんには、何も聞こえないのだが)
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そして『レクイエム』は、多くの被災者の感動の涙を誘った。
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佐村河内氏は言われる。
「闇が深ければ 深いほど 小さな光というのは とても輝いて見えるし
障害があることによって 生まれてくるもの 闇の中から つかんだもの そういったものこそ
僕にとっては 真実のものじゃないかと 思えてくる。」
私はこの番組を見て、すぐに『交響曲第一番』のCDを買いたかったが、1週間前にやっと手に入れることができた。
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そして、早速この曲を聴いてみた。
聴いてみて意外だったのは、、この曲が、(佐村河内氏の抱えておられる苦しみを考えると)不思議なほどの「静けさ」(と言うと、ちょっと語弊があるかも
知れないが)と、「穏やかさ・温かさ」に満たされていることだ。
私は、この曲が、被災地の人々から、『希望のシンフォニー』と呼ばれる意味がよく分かった。
そして私は、佐村河内氏の生き様とその音楽から、困難な中でもなんとか生き抜いていく、“勇気”と“希望”をもらった気がする。
こうして、この番組で知った、佐村河内さんを初め、「闇の中に光を求め」て生きる多くの人々の存在は、私の心の大きな支えの一つとなった。
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(上の中味とは全く関係ないけれど、今日の我が家のベランダで、今を盛りと咲き誇っているマーガレットとペチュニアの写真を、添えておきます。)
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