一昨日(7月29日)は、母の21回目の命日だった。
母が亡くなって、もう21年も経つのか‥。
でも何年経っても、母はいつも私の心の中にいる。
去年のブログにも書いたけれど、母は本当に≪子孝行≫の人だった。
70歳で最初の入院をしてから、それまではとりわけシッカリ者だった母が、子どもに帰ったように、とっても“可愛く”なった。
ちっちゃくなった母がオマルにちょこんと坐っている姿なんか、私は愛しくて抱きしめたくなるくらいだった。
入浴のときは、母の両手を引いて後ろ向きに歩いてお風呂場まで行くのだが、私はその時、ちっちゃい我が子の手を引いているような感じさえした。
とは言え、母は、頭のある部分は最後までシッカリしていて、私たち子どもは、母のユーモアあふれる言葉に、いつも笑いをもらっていた。
(これも、去年のブログに書いたかも知れないけれど‥)ある年の母の誕生日に、誰かが「お母ちゃん、何歳になったんだった~?」と尋ねた。
その頃の母は、歳や日付などについては、少し覚束なくなっていた。 (私は今すでに覚束ないが‥)
母はしばらく、考えるともなく考えているふうだったが、やがて毅然と、でも少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、言い放った。
「親の年齢くらい、子どもはしっかり覚えておきなさい!!」
仰せのとおりデス!参りました!
私たちは顔を見合わせて大笑いした。
そんな事が、他にもいろいろあった。
母は、不自由になった体・生活を恨むことも嘆くこともなく、いつも穏やかに病床にいた。
それが、子どもにとって、どれだけ心癒されるものだったか‥。
最後の1週間くらいは喋ることができなくなったが、母は最期まで安らかに病床で過ごし、そして安らかに逝った。
(田舎でもこの時期よく咲いていた公園の花を載せて、母を偲ぶよすがとします。)
母の命日の27日の夜は、かねてよりチケットをとっていた、≪N響コンサート≫だった。
N響(NHK交響楽団)の演奏会には、私はまだ一度も行った事がない。 (テレビでは何度も聴いているけれど)
一度N響の演奏をナマで聴いてみたいと前々から思っていたところに、今回のコンサートのことが耳に入った。
しかも指揮者は、(これも前から一度ナマで見たいと思っていた)尾高忠明さん。
そしてピアノが、新進気鋭のピアニストの萩原麻未さん。
彼女は、2010年のジュネーブ国際コンクール(ピアノ部門)で、みごと優勝されている。
このコンクールは、年によっては1位を出さないことも多い、なかなか厳しいコンクールなのだそうだ。
(事実、萩原さんの優勝は、8年ぶりのことだったとか。)
なので、彼女のナマのピアノも、ぜひ聴いてみたかった。
コンサートは、27日の夜7時から。
夜のコンサートは(老いた身には)ちょっと辛いところもあるが、コンサート会場が、私の家から歩いて行ける、(阪急インターナショナルホテル内の)
≪梅田芸術劇場≫なのはラッキーだった。
梅田芸術劇場のメインホール(大ホール)に行くのは初めてだった。
(と書いてから、芸術劇場を「飛天」と言ってた時代に、1度は行ったような気もしてきたが‥。)
次の写真は、メインホールの中から玄関付近を写したもの(左)と、コンサート会場の天井(右)。
この日のプログラムは、モーツアルトの≪ピアノ協奏曲・第20番≫と、ブラームスの≪交響曲・第1番≫。
どちらも、(多分)ナマでは聴いていない曲だ。
萩原さんのピアノもヨカッタが、私が何より感動したのは、N響の音の素晴らしさだった。
4種(5種かな?)の弦楽器が奏でる絶妙のハーモニー♪
そこに管楽器や打楽器が加わって、音の世界に、ボリュームと深みが加わっていく!
さすが≪N響≫!って感じがした。
それにちょっと下卑た話になるが、普段はテレビでしか見ていない、素敵なコンサートマスターやチェロの第1奏者、フルートやオーボエ奏者の方々を
(もちろん、尾高さんも)、ナマで見ることができたのは、とってもウキウキ幸せな気分だった。
その日のアンコール曲は、次の2曲。
萩原さんは、「詩人は語る」を情感を込めてしっとりと力強く弾いてくださったし、「ディベルティメント」では、N響の管楽器の美しすぎるハーモニーを堪
能することができた。
美しい音に包まれて、とっても幸せな夜だった♪
外に出ると、インターナショナルホテルの周りには、イルミネーションが輝いていた。
私の好みのイルミネーションというわけでもなかったが(それに写真の出来もイマイチ)、1枚載せておきます。