のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

花を撮る練習 (まだまだやなあ!)

2015-08-29 15:17:38 | 日記

 新しいカメラを買う時に重視したことの一つに、花などを周囲をぼかして綺麗に撮りたいということがあった。

 そこで今朝公園に行って、花の撮影を試みてみた。

 今は夏の終わりで花が少なく、おまけに今朝は曇り空だった。

 花の写真を撮るには恵まれない条件だったが、一応撮ってみた。

 が、結局うまくいかなかった。

 なぜかピントが合わず、ピンボケの写真が多かった。

 これじゃ前のカメラとほとんど変わらないばかりか、慣れている分、前のカメラの方が撮りやすい気がする。

 それに今度のカメラで撮った写真の、縦と横の比率が前とは違い、横長になっているような気もしてきた。

 なかなか上手くいかないなあと思いつつ、一応、今朝の花を載せてみます。

            

 

 

                 

 

 

                  

 

 

          

 

 

           

 

 

                  


≪あべのハルカス≫へ ② (見物の人々と、展望台からの夜景)

2015-08-29 13:28:22 | 日記

 展望台の窓際では、たくさんの人たちが、300Mからの眺望を楽しんだり、写真を撮ったりされていた。

                    

 

 

                      

 

 

                     

 

 

                  

 

 

 

 

 下の階のカフェで、しばし休憩をとっている人たちもおられる。

                    

 

 

 

 

 次第に日暮れてきて、通天閣や大通りに灯りがつき始めた。

         

 

 

                   

 

 

 

 

 夕暮れが深まり、明かりが鮮やかさを増していく。

 それでも空にはまだ明るさが残っていた。

                

 

                

                

                 

                 

 

 

 

 

 空は次第に暗闇へと変わり、漆黒の闇の中で、街の明かりが輝く。(と書いたが、写真ではなかなかうまく撮れなかった…)

                

 

                

 

 

 

                 

              

                  

 

                

 

 

 

 

 ハルカス展望台の中では、柱や壁面に、時折り、光のオブジェが現われた。

                  

 

                

 

 

 

 

 最後に、再び街の夜景と、あべのハルカスの向かいの“MIO”の壁に映し出されていた映像を載せて、ブログを閉じます。

 (まだまだ夜景の撮り方には工夫が要るなあ、と反省しつつ…)

                

 

                   

            

                            

                

           


≪あべのハルカス≫へ ① (ハルカス美術館~ハルカス展望台)

2015-08-29 11:21:29 | 日記

 一昨日(27日)の午後は、≪あべのハルカス≫へ行った。

 目的の第一は、今「あべのハルカス美術館」で行われている『トーベ・ヤンソン展』を観ること。

                     

 

 

 トーベ・ヤンソンの代表作≪ムーミン≫の連作を、残念ながら私は見ていない。

 でも以前テレビで見た「トーベ・ヤンソンの特集」で、“ムーミン谷”には、彼女の平和への想いが托されていることを知った。

 そして彼女には、ムーミン・シリーズだけでなく、画家としての優れた作品があること、また、彼女のイラストは、戦争に批判的な当時

雑誌の表紙や挿絵に、数多く採用されていることなども、知ることができた。

 それ以来、トーベ・ヤンソンに興味を抱いていた私は、今回ハルカス美術館で彼女の展覧会が行われるのを知って、ぜひ行きたいと

思っていたのだ。

 

 展覧会を観て私がまず素敵だと感じたのは、ムーミン・シリーズやその他のイラストでの、想像力に満ち溢れた造形の素晴らしさと、

彼女の描く線の美しさだった。

 油絵その他では、彼女の創造に対する強い意志のようなものが感じられて、好感が持てた。

 ムーミン・シリーズを始め、油絵にも、風刺の効いたイラストにも、素敵なものが幾つかあって、私はその絵葉書をぜひ買い求めた

かったが、残念ながら、今回は絵葉書の販売はなかった。

 なので私は、素敵な作品の数々を、しっかり頭の中に収めておくことにした。 (でもすぐに忘れてしまいそうで不安だけれど‥)

 

 

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 一昨日あべのハルカスに行った目的の第二は、展覧会後ハルカス展望台に上って、展望台からの夕景・夜景を見ることだった。

 地上300Mの展望台からの昼間の眺めは、以前一度見たことがある。 

 その時、次はぜひ夕景と夜景を見たい!と思った。

 一昨日は幸いにもお天気が良く、展覧会後夕食を挟んで展望台に上れば、夕景と夜景を見るにはグッドタイミングだと思ったのだ。

 

 予定どおり、夕食をハルカスダイニングのお店でとって(その食事がそんなに安くないにもかかわらず、メッチャまずかったのはちょっ

と腹立たしかった‥(怒))、その後高速エレベーターに乗って、地上60階の展望台に上った。

 

 展望台到着は、6時過ぎくらいだった。

 空はまだ明るさを残し、東の空の高みには、満月に近いお月さまが昇っていた。

 眼下には、やや色彩を失った街並みが広がっている。

                   

  

 

                  

 

 

 

 それでも、ピントを合わせて撮ると、通天閣も四天王寺も、まだハッキリ見えた。

       

 

 

 

 西の方にカメラを向けると、太陽は次第に赤みを増し、海の向こうの山々に近づていった。

 その様子を、新しいカメラでできるだけキレイに撮ろうとしたが、設定がイマイチうまくいかなかったのか、次のような写真しか撮れな

かった。

                   

 

                  

 

                 

 

 

 

 夕陽を受けた周りの情景。

                

                   

 

 

 

 太陽がいよいよ山の上に落ちていく。

                 

 

                  

 

 

 

 夕陽が沈んだあとの、海の情景。 (意外にまだ明るさが残っていた。)

                  

           

                 

              

               

               

               

 

 

     

 

 

 


東大寺を後にして、奈良国立博物館の≪白鳳展≫へ。

2015-08-24 20:51:18 | 日記

 中門を離れ、しばらくは東大寺の境内を歩いて、国立博物館へ向かった。

 土塀に沿って歩く。

                        

 

                          

 

 東大寺の塔頭のお庭。

                      

 

 

 

 駐車場には、バスがズラリと並んでいた。

                   

  

                       

 

 

 

 

 やっと、国立博物館前に到着。

 博物館前の池では、蓮の花が咲き、鯉も泳いでいた。

                      

 

 

                        

 

                          

 

 

                     

 

 

 

 展示会場に入ってすぐ、私は後悔した。

 「やっぱり、鹿寄せから博物館に直行すべきだった!」と。

 心静かにじっくりと仏さまたちと対面したいのに、こんなに疲れていては、それができない。

 かと言って、もう一度出直して来るには、奈良はチト遠い。

 もったいなかったけれど、白鳳の仏さまとの時間をかけた対面は諦めて、これ以上疲れないように、サッサと観てまわった。

 それでも、薬師寺の月光菩薩を初めとする白鳳の仏たちはとても優雅だったし、小さな仏たちはとっても親しみやすく、愛らしくさえ感

じられた。

 

 展覧会場を出た私は、しばらく椅子に座って、外の池を眺めながら身体を休めた。

                    

 

 

 

 そして、帰途についた。

 近鉄奈良駅に向かう途中で、疲れているにもかかわらず撮った写真を、最後に載せます。

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                

                   


鹿寄せの後の散策 (新公会堂前広場~東大寺)

2015-08-24 19:12:26 | 日記

 実は、昨日の奈良行きのもともとの目的は、奈良国立博物館で行われている≪白鳳…花ひらく仏教美術≫を見ることだった。

 鹿寄せ見物は急に後から加わったものだったので、本当は、鹿寄せを見た後すぐに、博物館に直行するつもりだった。

 でも欲張りの私は、やっぱり博物館には直行しないで、その辺りをぶらついた。

 

 飛火野を後にしてまず向かったのは、新公会堂前の広場だ。

 新公会堂前広場からは、若草山が正面に見える。

 若草山の上も、夏の青空だ。

               

 

                

 

 

 

 広場の芝生の上には、日陰を選んで、やっぱり鹿がいた。

 藤棚の下に設置されたミストを浴びて、くつろぐ鹿もいた。

                  

 

                

 

 

 

 

 広場を大きく巡って、東大寺に向かって歩く。

 途中にある池が、多少の涼しさを感じさせてくれた。

                 

 

                

 

 

 

 そこから振り返ると、やっぱり、緑と青の夏の情景。

                 

 

 

 

 東大寺に着いた。

                  

 

 

 

 東大寺の中門。

                  

 

 

                 

 

 

                    

 

                      

                   


奈良公園の夏の“鹿寄せ”を見に ②

2015-08-24 17:55:34 | 日記

 その後も私は、広い飛火野を、アチコチ歩いた。

 昨日のお天気は、比較的カラリとしていたが、陽射しはとても強かった。

 飛火野の上に広がる空も、夏の風情だ。

                       

 

                

 

 

 

 

 暑い陽射しを避けて木陰で憩う鹿もいれば、水辺で水を飲んでる鹿もいる。

                 

 

                  

 

 

 

 

 大きな木の下に集まってる鹿も‥。

                

 

 

 

 

 あっ、赤ちゃん鹿が、お母さんのオッパイを飲んでいる!

                

 

 

                  

 

 

                   

 

     (お母さんのオッパイと書いたが、見ていると、自分のお母さん以外のお母さんからも、お乳を飲ませてもらっていた。)

 

 

 

 

 最後に、並んで草を食む鹿と、鹿の後を追う子どもの写真を、3枚。

                  

 

         

 

             


奈良公園の夏の“鹿寄せ”を見に ①

2015-08-24 17:53:21 | 日記

 奈良公園での夏の鹿寄せが、昨日の朝行われることを、テレビで知った。

 一昨日も食事会で出掛けていたし、鹿寄せが行われるのは朝9時からということだったので、ちょっと体力的に不安があったが、鹿

寄せを一度見たいという思いが勝って、朝7時半に出掛けた。

 

 鹿寄せは、奈良公園の飛火野の一角で行われる。

 近鉄奈良駅から歩いて飛火野に向かったが、私が飛火野に着いたときには、もう鹿寄せは始まっているらしく、大勢の見物人が集

まっておられた。

               

 

 

 

 鹿寄せを担当されてる方は、見物人の向こう側におられるようだ。

 私は見物人の外側を廻って、係りの方がおられる方に廻ってみた。

 案の定、ホルンで鹿寄せをされている方(写真ではハッキリ撮れてないが…)の周りには、多くの鹿がすでに集まっていた。

                   

 

 

 

 遅れて駆けてくる鹿もいる。

                   

 

                    

 

                    

 

 それらの鹿も、集団に加わっていく。

                   

 

 

 

 鹿寄せの方に餌をもらって食べながら、しばらくそこに集まっていた鹿たちは、食べ終えると、三々五々元居た場所へ帰って行く。

                   

 

 

                

 

 

                 

 

 

 

 

 その後、飛火野のアチコチに散らばった鹿と、観光客の姿を、ランダムに載せます。

                 

 

 

                   

 

                   

 

                   

            

 

 

                 

 

    

    

 

 

 


新デジカメでスッタモンダ!

2015-08-24 16:37:31 | 日記

 いったんは故障したデジカメが今は復活してくれてはいるものの、いつ又壊れてしまうか分からない。

 そこで、先々週の金曜日、Mさんとのランチ&お喋りの後ヨドバシカメラに寄って、デジカメを求めた。

 カメラに詳しい店員さんに相談して、結局ソニーのカメラに決めた。

 そこまでは事は順調に進んだ。 

 しかし、帰ってからが大変!

 早速新しいデジカメを使うために、私は説明書を読みながらカメラの操作を試みようとしたが、その時の私は、説明書の中味をなか

なか理解することができなかった。

 以前デジカメを買ったときはこんなことはなかったのに、この何年かの間に、理解力も辛抱強さも、ずい分後退してるんやなあ!

 私は情けない思いながら、とりあえずベランダに出てハイビスカスを試しに撮ってみた。

                     

 

 

 一応写真を撮ることができてホッとしたが、その後、カメラ設定・操作についての説明はもう読む気にならず、カメラも説明書もそのま

まウッチャッテ寝てしまった。

 

 それから1週間後の土曜日は、以前の仕事仲間との食事会だった。

 食事会のメンバーの中に、メカに強い男性がいらっしゃることを、思い出した。

 運よくその方が、食事会が始まる少し前に来られたので、私がウッチャッテいたカメラのいろんな設定をお願いした。

 そのお陰で、新しいデジカメに対する私の鬱陶しさ感は半減はしたものの、解決していない問題が多々ある。

 

 昨日は奈良に行って新しいデジカメを使ってみたのだが、使っている間に、訳の分からない表示が突然出てきたりして、面食らった。

 (そして、その表示を未だに消せないでいる。)

 問題の二つ目は、画像のパソコンへの取り込みだ。

 以前のデジカメの場合は、カメラをパソコンにつなぐと自動的に、画像がパソコンに取り込めた。

 それなのに、今日は朝から、新しいデジカメで撮った写真の取り込みを試みたのだけれど、なかなかうまくいかない。

 アレコレ試みて、何とか取り込めるまで、結局今さっきまで掛かってしまった。

 (それに、次に写真を取り込むときに、スムーズにいく保証はない。)

 

 新しいモノを使いこなすのが、かくも難しいとは!

 まあ、あんまり焦らないで、じっくり構えてやることにしようと、今は思い直している。

 

 

 

 

 

                      

 

 

 

 


知らなかった“駅の子”の存在

2015-08-21 07:59:29 | 日記

 7月10日のNHKテレビ・「かんさい熱視線」。                        

                           

 

 その番組を見るまで、≪駅の子≫と呼ばれた数多くの戦災孤児がいたことを、私は迂闊にも知らなかった。

                          

 

 

 終戦直前に生まれ、戦後の食糧難や物資不足の記憶を持つ私だが、田舎で育ったこともあって、あんな過酷な状況に置かれた、私

たちと同世代の子どもたちが数多くいたことは、私の知識と意識の中に皆目無かったのだ。

 

 戦争末期、(主に)大都会を襲った空襲によって、戦争孤児となった子どもたちは、行くあてもなく彷徨い、最後に“駅”に辿りついた。

 そこで、≪駅の子≫としての過酷な生活が始まる。

            

 

 

            

 

 

 

 そんな戦争孤児の過酷な暮らしの実態を掘り起こして、それを戦後史の中にきちんと位置づけようという動きが、数年前から始まっ

た。

 関西でその運動を始められた一人、立命館宇治中学の教師・本庄豊さん。

                            

 

 本庄さんは、当時の京都駅で≪駅の子≫としての暮らしを余儀なくされ、その後施設に収容された戦争孤児たちの足跡を追ってい

かれた。

 その中で出会われた、戦災孤児の奥出廣司さん(宇治市在住)。

                         

 

 生まれてすぐ母親を亡くされていた奥出さんは、父親と二人、空襲で焼け出され、京都駅での生活を余儀なくされた。

 しかし父親は間もなく、感染症に罹って亡くなられてしまう。

 当時まだかすかに息のあった父親を、係員は、奥出さんから無理やり引き離し、まるで物のように死体置き場に投げ込んだという。

 「そのときの無念さ・悲しみは、今でも忘れられない…。」と、彼は述懐される。

 その後施設に収容され、最低限の食べ物を保証された奥出さんだが、親がいない淋しさは埋めることができず、何度も施設からの

脱走を試みられたそうだ。

  (※下の写真は、ある施設での食事風景。

   奥出さんは、生の芋しかもらえなかったと言われていたから、この写真のような恵まれた食事ではなかったと思われる。

   でも、下の写真の子どもたちのあまりの健気な表情に引きつけられて、載せさせていただきました。)

                        

 

 

 奥出さんは言われる。 『戦争が終わってからが本当の戦いだった!』と。

 

 その奥出さんに、宇治中学の本庄さんは、数年前から、その戦後体験を自分の学校の生徒たちに語ってほしいと依頼されていた。

 しかし奥出さんは、今年になるまで、それを固辞し続けてこられた。

 今年になってそれを引き受ける気持ちになられたのは、今の政治の動きに、強い危惧を感じられるからだそうだ。

 そうして今年6月、立命館宇治中学で、彼の≪駅の子≫の体験が、初めて語られた。

                       

 

 奥出さんの体験談が、生徒たちの心に、強い衝撃と戦争に対する新たな認識をもたらしたのは、言うまでもなかった。

 

 

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 「かんさい熱視線」が、もう一人の≪駅の子≫として取り上げていた方が、神戸市在住の内藤博一さん(82歳)。

                         

 

 内藤さんは、20年6月8日の神戸空襲で家を焼かれ、お母さんと二人で(妹は疎開中)、神戸・三宮駅での生活を余儀なくされた。

 お母さんは、駅構内や駅の近くで、食べ物をあさって来ては、内藤さんに食べさせた。 自分は、何も食べずに‥。

 程なく栄養失調で痩せ衰えたお母さんは、内藤さんの手を握り、妹のことを内藤さんに托して、息を引き取られた。

 冷たくなっていく母親の手を握りしめて、彼は悲しみに暮れられた。

 しかし、妹のためにも、生きていかなければならない!

 「盗み・スリ・かっぱらい…人殺し以外の、ありとあらゆる悪いことは、全てやった。」

 内藤さんは、温和な表情で、そう語られる。 「そうしなければ、生きていけなかった…。」と。

 

 その後内藤さんは、疎開から帰ってきた妹さんと共に施設に引き取られ、学校に通うこともできるようになった。

 しかしその学校が、内藤さんにとっては苦しみの場となった。

 戦争孤児ということで、同級生から激しい差別を受けられたのだ。

                          

 

 

 その苦しみののち、社会に出られ、仕事も家庭も持たれて、今は穏やかな生活を過ごしておられる内藤さん。

 しかし彼には、70年経った今でも、“足を踏み入れられない場所”があった。

 それは、母が自分の手を握りながら冷たくなっていった、あの『三宮駅』だった。

                    

 

                           

                            (駅前の陸橋から、三宮駅を眺められる内藤さん)

 

 いつもの温厚な表情をちょっと固くして、内藤さんは言われる。

 『私は、戦争が終わって平和だなという気持ちは、まだ持っていません。』

 

 私がよく行く、見慣れた三宮駅の風景…。

 その駅に、今なお足を踏み入れることができない内藤さん。

 その心の傷を思うとき、私は自分の脳天気さに対する忸怩とした思いとともに、平和への思いを更に強くした。

                     

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


国民はこんなにも切実に「平和」を求めているのに…。(安倍首相は国民の声を聞いて!)

2015-08-16 13:18:59 | 日記

 安倍政権が推し進める「安保法案」が、衆議院で強行採決され、参議院に送られた。

 国民の間からは、その暴挙に対して、幅広い反対運動が起こっている。

 そんな中、安倍首相の側近・磯崎補佐官から、法を無視するトンデモナイ発言が飛び出した。

 あまりの暴言に参議院の特別委員会で、磯崎補佐官の参考人質疑が行われた。

 しかし、磯崎補佐官の弁明と、野党を代表して民主党だけから質問が行われただけで、質疑は終わってしまった。

  (もちろん、この問題は、これで終わらせてはいけないと思うが…。)

 その質疑の直後に特別委員会の委員長である鴻池氏から、下の写真のような発言があった。

           

 

 普段は穏やかそうに見える鴻池氏が、強い口調で突然発せられた上の言葉。

 私はその言葉に、何が何でも法案を押し通そうとする現政権の横暴に、鴻池氏の、参議院の政治家としての誇りと、それ故の強い

りが込められていることを感じて、氏に強く共感した。

 

 

 

 そんな中、ヒロシマとナガサキに、70年目の原爆投下の日がやって来た。

 ヒロシマに原爆が投下された8月6日は、(前のブログにも書いたけれど)100年の歴史をもつ高校野球の開会式の日でもあった。

 その開会式の宣誓で、鳥羽高校の主将が言ったことばは、私の胸を強く打った。

 (これも既に載せた写真ですが、もう一度載せることをお許しください。)

          

 

 

 

 

 一方プロ野球の広島カープは、この日、『PEACE 86』の背番号を全員が掲げて、試合に臨んだ。

            

 

 原爆で壊滅状態だった広島で、市民に一筋の希望を与えたのは、何にも無くなった広島の街をひたすら走る『市電』と、『広島カー

プ』の存在だったのだそうだ。

 そういう広島市民の平和への願いを、自らの想いと重ね合わせた、『PEACE 86』の背番号!

 このユニホームを見て、私は、又々胸が熱くなった。

 (残念ながら、この日の試合にカープは勝つことができなかった。緒方監督は、しきりに「申し訳ない」と言われていたが…。)

 

 

 

 話が前後するけれど、朝の「平和式典」の挨拶で、安倍首相は(かつては触れていた)『非核三原則』に、今年は言及しなかった。

             

 

 

 

 安倍首相は、「非核三原則は当然のことなので言わなかっただけ」と弁明したが、果たしてそうだろうか?

 広島の人たちの反応は…?

            

 

 

                      

 

 

 

 

 その日の夜に行われた、安倍首相と被爆者団体協議会の代表との話し合いの中で、代表の方から、次のような強い要求が出され

たのは、当然だと思う。

          

 

 

 

 

 

 そして、8月9日。

 平和祈念式典での田上長崎市長の『平和宣言』は、簡潔な言葉ながら、心打つ内容のものだった。

                      

 

 

 (次に、田上市長の宣言の中から、特に心に響いた部分を引用します。)

 

 「日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の中から生まれました。~(中略)~長崎にとっても日本にとって

  も、戦争をしないという平和の理念は、永久に変えてはならない原点です。」

 

                       

 

 

 「日本政府に訴えます。

  国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。 未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、

  ぜひ検討してください。」

                      

 

 

 「現在国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。

  70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという、不安と懸念が広がっています。 

  政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な論議を行うことを求めます。」

 

 田上市長の宣言には、随所で、参列者の中から大きな拍手が沸き起こった。

 (それに対して、今回は「非核三原則」にも触れた安倍首相の挨拶だったが、参加者からは不信の言葉が投げかけられていた。)

 

 

 続いて、被爆者代表の谷口さんが挨拶された。

                       

 

 谷口さんは16歳で被爆され、左手と背中に酷い火傷を負われた。

 3年7ヶ月の入院生活のうち、1年9ヶ月は、背中一面の大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよわれたという。

 今でも、胸は深くえぐり取られ、肋骨の間から、心臓が動いているのが見えるという。(肺活量は人の半分ちかくしかないそうだ。)

 

 谷口さんは、そんな恵まれない体調の中でも、戦後一貫して、核廃絶と平和を求めて活動されてきた。

 その谷口さんが、挨拶の最後に言われた次の言葉は、参列者の強い共感と、絶大な拍手を呼んだ。

 

 『今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた、核兵器廃絶の

 運動と思いを根底から覆そうとするものであり、許すことはできません。』

 

 

 ※この問題については、まだまだ沢山書きたいこと(戦後70年の総理談話など)があるのですが、心身共に疲れてきたので、今

 ここで置きます。

 ただ、安倍首相の戦後70年談話について感想を聞かれた50年談話の村山さんが、あっさり言われた次の言葉が面白かったので、

 載せておきます。           

                      

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きのうの中津の“酔芙蓉”など‥。

2015-08-14 18:52:28 | 日記

 私は美容院に、少なくとも1ヶ月に1度は行くことにしている。

 (そうしないと、伸びすぎた白髪で、見るも無残な頭になってしまうから‥。)

 ところが今月は、行こうと思っていると何か用事ができたり、体調が悪かったりで、1ヶ月以上美容院に行けなかった。

 昨日、幾らなんでも我慢できなくなって、最近行き出した美容院(そこは予約が要らない)に行くべく、外に出た。

 外に出た途端に、私の頭にフッとある懸念が浮かんだ。

 今日は13日…ということは、もしかしたら美容院はお盆休みに入っているのでは!?

 美容院の前までやってきて、私のその懸念が当たっていることが分かった。

 あ~あ、残念!

 私は仕方なく美容院を後にし、そこらをぶらついてみることにした。

 私は、最近長い間、中津公園に行っていない。

 もう咲き出しているだろう酔芙蓉の花も、まだ見ていない。

 そこで、先ずは酔芙蓉の花を求めて、中津小学校に足を向けた。

 中津小学校の校庭のフェンスの傍で、酔芙蓉は、私の期待どおり、青空をバックに花を開いていた。

                    

 

                         

 

 

 

 

 小学校を離れたあと、私は中津公園に向かって歩いた。 

 その途中で見た、(木のてっぺんまで昇って花を咲かせた)ノウゼンカズラと、デイゴの花、名まえを知らない木の真っ赤な実。

                         

 

 

                  

 

 

 

 

 公園に着いた。

 公園では、サルスベリがほぼ満開になっていた。

                    

 

                       

                      

 

 

 

 公園を歩く私の上に、厳しい残暑の陽射しが容赦なく降り注ぐ。

 藤棚の下の日陰だけが、わずかに涼しさを感じさせた。

                            

 

 

 

 公園の花畑で見た、名まえの分からない可愛い花。

                       

 

                        

 

 

 

 

 中津公園を出て、近くの別の小さな公園に向かった。

 この公園では、毎年、酔芙蓉の花が美しく咲く。

 昨日はまだ花の数は少なかったが、軽やかに舞う蝶々の姿を連想させる酔芙蓉の白い花は、やはり可憐で可愛かった。

                 

 

         

 

 

 

 

                     

  

 

 


≪淀川花火大会≫ ② 

2015-08-11 14:43:57 | 日記

 前のブログの続きの写真です。

                   

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

 

                       

 

 

 

            

 

                  

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

                 

 

     

 

                      

 

                      

 

 

 

 

 

 ここらで、花火大会の3分の2くらいが過ぎた。

 本当は最後まで同じ場所で見たいところだけれど、帰り道の混雑を考えるとそうもいかない。

 私は後ろ髪を引かれながら、もと来た道を帰ることにした。

 ところが、方向音痴の私は、途中から違った道(街中の大通り)に出てしまった。

 帰り道で振り返りながら花火を見ようと思っていたのに、そこからは全く花火は見えない。

 私はヤケクソになって、花火の代わりに街の灯りを撮った。

                     

 

 

 

 

 

 この日は、交通規制がされていて、沢山の方が交通整理に当たっておられた。

 私はその方に道を尋ね、大回りをして、やっとのことで大通りを中津側に渡った。

 中津側に渡ると、ビルの影からながら、大会最後の大きな花火が打ち上げられているのが、部分的に見えてきた。

 そこで、私は最後の花火を、不十分ながら撮った。

                 

 

 

 

                           

 

 

 この日は、朝からのお出掛け(ハワイアンコンサート)に続いて、夜の花火大会と、私にとってはハードな一日だった。

 帰ったらグッタリ疲れたが、それでも何とか2つの予定をこなすことができて、嬉しかった。

 

   


8日の夜は、≪淀川花火大会≫ ①

2015-08-11 13:45:10 | 日記

 8日は、ハワイアンコンサートから帰って、夜には≪淀川花火大会≫に行った。

 本当は、コンサートからの帰りにヨドバシカメラに寄って、新しいカメラを求めようと思っていた。

 でも、前日からの疲れが溜まっていて、帰りにヨドバシに寄ってカメラを物色する元気は、とても無かった。

 そこで、カメラがまだ正常に動いているのを幸いに、花火大会にも、以前からのカメラをぶら下げて行った。

 (花火大会の途中で、カメラが動かなくなったりしないことを、祈りながら‥。)

 

 淀川に近づくと、まだ花火開始までには40分以上もあるのに、淀川の堤防の上には、人の列ができていた。

 (写真がピンボケですが…)

                       

 

 

 私自身も堤防に上がって、花火の発射場所になるべく近づくべく、歩いて行った。

 歩きながら下を見下ろすと、淀川のほとりの空き地も人で埋まっている。

                      

 

 

 

 私は右手に淀川の対岸の灯りを、左手には梅田の灯りを眺めながら、どんどん歩いて行った。

                  

 

                       

 

 

 

 そして、今までで一番花火に近い所までやって来て、そこを、今年の見物場所に決めた。

 私は花火大会の開始は7時だと、勝手に思い込んでいた。

 それだったらもうとっくに始まってもよさそうなのに、その気配は感じられない。

 そこで、私と同じように一人で花火見物に来られ、私の横に立っておられた女性に、尋ねてみた。

 その方は、西宮から来られているとのことだったが、「7時50分からですよ。」とキッパリと答えられた。

 西宮の人がこんなにちゃんと調べておられるというのに、地元の私が、なんとイイカゲンなことよ!と、私は反省した。

 (まあ、いつものことやけど‥)

 

 それから大分経って、今年の淀川花火大会の、待ちに待った1発目の花火が、上がった。

 そして、間髪入れず、2発目も上がった。

 (うまくは撮れなかったけれど、初めの2発なので、写真を載せます。)

                

 

 

 

 その後も花火は、次から次へと、間断なく打ち上げられた。

 淀川の花火は、1時間足らずの間に、2万発もの花火が打ち上げられるので、ほとんど切れ目なく打ち上げられることになる。

 それが淀川の花火の醍醐味だが、写真をとる身には、タイミングの取り方が難しい。(と、これは言い訳だが…(笑))

 結局、実際の花火の美しさとはほど遠い写真しか撮れなかったけれど、次に順次載せさせていただきます。

                

 

 

 

           

 

 

 

 

                

 

 

 

 

                    

 

                     

 

 

 

 

                 

 

 

 

                

  

 

                    

      

 


和泉市≪久保惣美術館ホール≫での“ハワイアン・コンサート”

2015-08-11 10:54:44 | 日記

 かつての職場の大先輩のY氏が、ハワイアンバンドを組んで今でも活躍されていることは、風の便りに聞いてはいた。

 でも今まで私は、氏のコンサートを聴かせてもらうことはなかった。

 (Y氏と私は、1年間だけ職場をご一緒しただけで、仕事上でもあまり接点がなかった。)

 しかし今夏、同じ仕事仲間だったMさんが、そのコンサートに私も誘ってくださった。

 私は喜んでコンサートに行かせてもらうことにした。

 

 コンサートが行われるのは、和泉市立≪久保惣記念美術館≫の中に設けられた小さなホールだ。

 私は今回のコンサートまで、≪久保惣記念美術館≫の存在も全く知らなかった。

 パンフレットに依ると、この美術館は、綿業で財を為した「久保惣太郎」氏(とそれに続く一族)が蒐集された美術品を、和泉市に寄

贈されてできたものだそうだ。

                    

                         

 

 

 美術館の新館は、純和風の建物で、入り口の格子戸が美しかった。

                      

 

 

 

 私がコンサートに行ったのは、奈良に行った明くる日の8日だった。

 7日の夜が遅かったし、8日は南海電車・難波駅に10時20分集合(今回の参加者は5人)という比較的早い時間だったので、私には

ちょっと体力的にしんどいかなあという思いもあった。

 しかし、前日壊れたカメラが帰りの電車の中で復活した嬉しさもあって、やっぱり行くことにした。

 

 私たちは久保惣記念美術館(新館)に、美術館のチケット(400円)を買って入った。(コンサートそのものはタダ!)

 コンサートの開演は、2時。

 それまでずいぶん時間があったので、2室に分かれて行われている展覧会を、まず観させてもらった。

 一室では、中国の工芸品の数々が陳列されていた。

 中でも、紀元前12,3世紀の工芸品の数々は、とてもそんな大昔に作られたとは思えないほど、造形的にも素晴らしかった。

            

 

 

           

 

 

 二室目には、ルノワールやピカソ、モディリアニやモネなど、近現代・西洋の名立たる画家の作品が、ズラリと展示されていた。

 中国の工芸品と言い、西洋美術と言い、これほどの名品を集められたなんて、久保惣一族の財力と審美眼は大したものだと感心

した。(撮影禁止の表示はなかったが、絵画の方は、撮るのを遠慮した。)

 

 

 美術館の周りには、あまり広くはないながら、手入れの行き届いたお庭があった。

                    

 

 

 

 池の周りには、紫陽花やサルスベリの花が咲き、池の水面に浮かぶ、睡蓮の花や葉が美しかった。

                   

 

 

        

 

 

                      

 

 

         

 

 

 

 

 池のあるお庭を先に進むと、小さなせせらぎが流れている。

 更に向こうには、竹や笹、モミジが植えられ、その緑が美しかった。

                 

 

 

 

                     

 

                       

 

 

 

 竹林を抜けると、今度は洋風の建物が現われた。

 これが、久保惣記念美術館の旧館で、コンサートが行われるホールは、この旧館の中にあった。

                           

 

 

 

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 2時になって、いよいよハワイアン・コンサートが始まった。

 コンサートは、Y氏が属されるハワイアンバンドの演奏を中心として、それにフラが花を添える。

 コンサートは、2部に分かれていて、全部で18曲が演奏された。

 ハワイアンバンド・「ナレオ・アイランダース」は、演奏者4名の合計年齢が、今では313歳になるのだそうだ。

 けれどかつては、NHKテレビの『おやじバンド』の全国大会で好成績を収められ、今でもテレビやラジオにも出演中だそうだ。

 プロフィールには、「現役・最高齢のハワイアンバンドとして、ギネスブックに挑戦中!」 とあった。

 スゴ~イ!

 

 とは言え、平均年齢78歳以上のメンバーでの演奏には、いろいろな困難もあるだろう。

 でも、4人のバンドメンバーは、今回のコンサートでも、力を合わせて、18曲を見事に演奏された。

 ホントに、スゴ~イ!!!

 どうか、『高齢者の星(スター)』として、これからもガンバってください♪

 

 コンサート自体の写真撮影は禁止されていて残念だった。

 そこで最後に、舞台の装置と、バンド&フラのメンバーの写真を載せさせていただくことにします。

                    

 

 

                       

 

                             

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


8月7日の、『幸せ~♪』 と 『ガッカリ!』

2015-08-10 19:26:15 | 日記

 7日の朝、待ちに待った、ふるさと・高津川の『鮎』が、Y姉から送られてきた!

 高津川は、日本一の清流にも何度か認定されたことのある、我が故郷自慢の川だ。

 

 その高津川には、夏の初めともなると、清流の女王・鮎が、群れを成して上ってくる。

 しかし天候不順のせいか、今年、鮎の季節はずい分遅れた。

 8月になって漸く鮎が大量に獲れ始め、私のところにも、7日になってやっと送られて来たのだ

 私は喜び勇んで、発泡スチロールの箱を開けた。 

                       

 

 

 氷詰めにされた、合わせて15匹の鮎(大き目のものが多かった)が、姿を現した。

 私は早速お昼に、2匹を塩焼きにして食べた。 (あとは2匹ずつに分けて冷凍した。)

 毎年のことながら、獲れたての天然アユの美味しさと言ったら!

 というわけで、今年も私は、鮎を食することのできる「幸せ(口福)」をしみじみ感じ、姉への感謝の思いを深くしたのでありました。

 

 

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 7日は、夕方から友人2人(YさんとOさん)と一緒に、奈良に行くことになっていた。

 この日、奈良に行く目的は、2つ。

 一つは、平城旧跡の中の広大な葦の繁みをねぐらにしているツバメの大群が、日暮れ時に一斉にねぐら目指して舞い降りるのだそ

うだがその珍しく壮大な風景を見ること。

 もう一つは、奈良の≪燈花会≫を見ること、だった。

 先に、ツバメの大集団が舞い降りるさまを見て、その後、燈花会に行こうという予定だった。

 

 そこで私たちは、平城旧跡の最寄り駅の近鉄・西大寺駅に、5時半に集合した。

 ところが、いざ平城旧跡に向かって歩き始めようとしたとき、どうも空模様が怪しくなってきた。

 遠くで雷が鳴り始め、雨がポツポツ落ちてきたのだ。

 そこで私たちは、食事をしながら雨をやり過ごすことにして、近鉄百貨店6階のお店に入った。

 お店で食事をしている間に、大粒の雨が降り、お店の窓からそれまで見えていた平城旧跡辺りの風景は、姿をすっかり隠してしまっ

た。

 稲妻だけが煙った風景をつんざいて、何度も何度も地上に光を突き刺していた。

 

 それでも食事が終わるころになると、次第に雨は止み、窓からは、外の風景が再び姿を現し始めた。

 そこでお店を出る前に、平城旧跡辺りの景色を、カメラに収めた。

                   

 

 

 

 その後、私たちは百貨店を出て、平城旧跡の中にあるという、ツバメのねぐら目指して歩いて行った。

 私は、周りの山や空などを撮りながら、歩いた。

                    

                     

 

 

 ところが!

 ツバメのねぐらがもうすぐという時になって、私のカメラが突然動かなくなった。

 レンズの開閉ができなくなってしまったのだ。

 まあ、このカメラ、今までずいぶん酷使してきたんだから、そろそろ故障しても仕方がない。

 私は、ツバメの大群がねぐらに下りるダイナミックな光景は、眼にしっかり焼き付けることにして、カメラ撮影を諦めた。

 

 カメラ撮影ができなくなってしまっては、燈花会に行く意味もなくなった。

 そこでお二人の同意をもらって、その日の燈花会行きは、取り止めてもらうことにした。

 その代わりに私たちは喫茶店に入り、しばらくお喋りしてから帰ることにした。

 しかし、「しばらく」が「しばらく」で終わらなかったのは、言うまでもない。

 結局、燈花会に行ったのと変わらないくらい(いや、それ以上!?)の時間まで喋ってしまった。

 帰宅も、久しぶりに11時前という遅い時間だった。

 

 カメラの故障は何とも「ガッカリ!」ではあったが、ツバメの大群のねぐら入りは壮観だったし、お喋りはやっぱり楽しかった。