のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

待望の≪ターナー展≫へ!(神戸市博物館)

2014-01-31 16:22:01 | 日記

 ターナーは、数年前から私の大好きな画家の一人になった。

                  

                     ~1799年に描かれた『自画像』〈24歳〉~

 

 それまでの私には、ターナーは、イギリスの風景画家という、漠然とした知識があるだけだった。

 ターナーの絵の素晴らしさに気付かせてくれたのは、テレビのある美術番組。

 その番組によって私は、ターナーが、宗教画や肖像画が絵画の主流(風景画は、宗教画のバックに描く添え物)と考えられていた時代に、周囲の批

判にもめげず、風景画を追求したことを知った。

 そして、その風景画というのも、単に風景をうまく美しく描くというのではなく、その風景を取り巻く大気・光・空などと共に、自然のダイナミックな姿を、

描こうとするものだった。

 

 その試みを示す初期の絵の幾枚か(テレビ番組で紹介されたもの)を、次に挙げてみます。

             

              『海の漁師たち』 (21歳、初めてロイヤルアカデミーに出品した作品)

 

            

                       『ノラム城、日の出』 (22歳~23歳)

 

            

                     『バタミア湖とクロマック湖 にわか雨』 (24歳)

 

  20代前半で既にこんな素晴らしい風景画に到達したターナー!

 

 しかし彼の、自然の奥深さと、それを表現するための画法の探究はいっそう進化し、後半(1800年代)には、次のような作品となって結実する。

              

                       『吹雪 港の中の蒸気船』 (1842年 67歳)

 

              

                        『ノラム城、日の出』 (1845年 70歳)

 

 私は、これらの絵を見て、驚嘆した。

 1800年前半という早い時期に、物の形にこだわらない、こんな斬新な絵が描かれていたなんて!

 モネを中心とする「印象派」の絵が世間の物議をかもしたのは、1800年代の後半になってから。

 その「印象派」が現われる30年くらい前に、すでに印象派を先取りした(或いは、印象派を超えているとも言えるような)絵画が、イギリスのターナーに

よって、描かれていたのだ!

 

 これらの絵を見た瞬間から、私はターナーの大ファンになった。

 そして、彼の展覧会があれば、必ず行きたいと思っていた。

 そんな私に、昨年の暮れくらいに、『ターナー展』がこの1月から、神戸市博物館で行われるという朗報が入った。

 


 

 

 私は、友だち2人と一緒に、展覧会に行くことにした。

 私たち3人は、28日11時に、神戸・三宮で落ち合った。

 

 展覧会鑑賞の前に、先ずは昼食をとることに。

 昼食は、『トゥーストゥース』というお店を、事前に予約していた。

 『トゥーストゥース』は、明治の10年代に「アメリカ領事館」として建てられた、由緒ある建物なのだそうだ。

          

 

 内部もとてもステキだったが、写真には上手く撮れなかった。

                

 

 料理は、ビーフシチューをメインにしたランチコースにしたが、これもなかなかに美味だった。

         

 


 

 

 食事を終え、いよいよ『ターナー展』へ。

 神戸市博物館は、食事をした『トゥーストゥース』から、通りを一つ隔てたところにある。

           

 

 私たちは、彼の初期の作品から順次、ターナーの世界を味わっていった。

 ターナーの絵の素晴らしさはよく解っているつもりだったけれど、当然ながら、実物には全く違う迫力がある!

 特に後半の展示場は、あの茫漠として詩情あふれる、ターナー後半の風景画のオンパレードで、私の心は躍った。

 それに、私の大好きな町・『ヴェネチア』を描いた絵も多くあって、とっても嬉しかった。

 (ただ、大好きな『ノラム城、日の出』が来ていないのだけが、ちょっと残念だったが…。)

 私たちはターナーの絵を堪能して会場を後にし、ターナーの絵の感想も含めてダべリングするべく、喫茶店に入った。

 

 (最後に、私が記念に買った、クリアファイル(下に展覧会のチケット)と絵葉書を、載せておきます。)

                 

 

 

 

  

 

 


ゴメンナサイ!

2014-01-27 11:27:42 | 日記

 先日西宮北口のお医者さんに行ったときのこと。

 阪急電車の中で、私の向かいに、見事なイデタチのご夫人が座られていた。

 白髪にいろんな色のメッシュを入れられた頭髪に始まり、ショール・洋服とも、とってもカラフル!

 そして足元は、さらにカラフルなブーツと来た!

 (「手」は、残念ながら、写真に写ってないが‥指には煌びやかなリングを沢山つけられ、爪には、それぞれ違う色(どれもカラフル!)のマニュキアが

塗られていた。)

 アタマから足先まで、とにかくカラフルというか、ハデハデルックだ!

 私は一目見るなり圧倒された!

 そこで私は、思わず携帯を取り出し、画面を見ているふりをしながら、シャッターを押してしまった。

 「ゴメンナサイ!」

                 

 それにしてもこのご夫人、色白でナカナカの美人! (お顔が草笛光子さんに似ている‥)

 だからこんなハデハデルックが、様になるんやろけど‥。

 

 西宮北口駅で降りると、街路樹はほとんどが裸木だ。

 その裸木の潔さに、何故だか心惹かれた。(左)

 右の写真は、いつも前を通っているビルの入り口。

 いつも何気なく素通りしてたが、「なでしこビル」という名まえと、上に取り付けられている時計が可愛く感じられて、撮ってしまった。

     

 

 お医者さんの後、食事をするため、いつものように「西宮ガーデンズ」に行った。

 今まで撮っていない、西宮ガーデンズの入り口付近。

 緑の柱の垂直のラインと、壁のカーブの取り合わせが、ちょっと面白く感じられて…。

                     

          

 

 次は、食事をしたお店の天井。

 天井が鏡になっていて、食事をしている人たちが逆さに映っている。

             

 

 最後は、いつもの「屋上ガーデン」で、噴水と戯れる男の子。

            

 

 以上、なんということもない写真で、大変失礼いたしました‥(涙)

 「ゴメンナサイ!」

 


日本が再び戦争をする国になりませんように!

2014-01-22 06:32:59 | 日記

 私は戦争を直接体験してはいないが、両親や年の離れた兄姉から、戦争中の苦しかった生活のことをいろいろ聞いてきた。

 加えて、歴史の勉強をする中で、戦争に突き進んだ日本が、いかに多くの自国の民や他国の民を死に追いやり、心身に深い傷を負わせてきたかを

知った。

 単純だと言われるかも知れないが、私には、「戦争は人殺し、人殺しはどんな場合にも許されない!」という思いがある。

 私にとって『戦争』は、頭で考えてどうこうというより、ほとんど肉体的な痛みを伴うものだ。

 なので、最近の、戦争に道を開くことを可能にするような政治の動きには、強い危惧というか、身震いするほどの恐怖を感じている。

 先の国会で、短時間の内に強行採決された『特定秘密保護法』、新年の国会期間中に認められようとしている『集団自衛権の行使』などなど‥。

 

 日本はこれからどこへ行くんだろう!?

 このままだと、戦後68年間、一人の人間も殺してこなかった日本人が、何かの大義名分の下、再び他国の人を殺す(殺させられる)ことになるのでは

ないだろうか!?

 こんな恐怖を抱き、不安な中で暮らしていた私の耳に、ある講演会の開催の朗報が入った。

 それは、かの鳥越俊太郎氏と、羽柴修弁護士による、下のような講演会だ。

                

 

 私は跳びつく思いで、その講演会に参加した。(18日)

 会場は、神戸文化ホールという、私にとっては初めての場所だ。

 鳥越氏が公演されるということで、たくさんの人の参加が予想された。

 私にしては随分早くに出掛けたが、開場1時間前だというのに、すでにかなりの列ができていた。

 そしてその列はどんどん伸びて、結局入場できない人が200人にもなったそうだ。

 

 公演は、先ずは羽柴弁護士からだったが、氏の話は、具体的で簡潔、戦前の実例も挙げつつ、秘密保護法がいかに危険な法律であるかを解き明か

された。

             

 

 鳥越氏は、自身のジャーナリストとしての経験から、秘密保護法が、ジャーナリズムの自由な取材をシャットアウトし、国民の知る権利を奪うものであ

ることを、怒りを持って告発された。

             

 

 もちろん、両氏からは、今後私たちがどうしていけばいいのかという提案もあった。

 

 会場で、私の心は熱かった。

 でも、問題はこれからだ。

 熱くなった心を持続し、地道な活動を続けることが求められる。

 それがどれだけできるか!?

 正直言って、今の私に、その自信があるとは言えない。

 でも私は、私にできることを、気負わずに地道にやっていこう!と、今思っている。

 同じ思いを持つ多くの人と一緒に。

 


 

 

 全くべつの話になるけれど、この日私は、お昼を食べないまま講演会に参加したので、公演が終わったときは、すっかりお腹が空いていた。

 私は梅田に出て、大丸百貨店で、昼食兼夕食の食事をとった。

 そのあと、残り期間がわずかになった、時空の広場のイルミネーションを、もう一度見ておくことにした。

 (以下は、2度目になりますが、そのときの写真です。)

                   

 

       

 

    

 

 

 (序でに、ルクア(左)とヨドバシカメラ(右)も)

             

         

                

 

 

 

 


≪昆陽池公園≫の“鳥”と“蝶”

2014-01-17 20:07:47 | 日記

 今日は寒くお天気もあまり良くなかったけれど、思い切って、伊丹市にある『昆陽池(こやいけ)公園』に行ってみることにした。

                

 

 昆陽池には、この季節、冬鳥が沢山飛来していると聞いていたし、昆陽池公園の中にある『昆虫館』で、蝶が舞う姿も一度見てみたかったから。

 

 電車とバスを乗り継いで、昆陽池公園に到着。

               

                         (上‥昆陽池横に造られた、広い貯水池)

 

            

                                 (昆陽池)

 

 昆陽池も公園の中の広場も、やはり冬枯れた感じだった。

             

 

 昆陽池の餌場には、多くの鳥が集まっていた。

 でも、ほとんどが良く見る鳥たちで、珍しい鳥には会えなかった。

 それに、動く鳥を撮るのは、やっぱり難しい。

       

 

             

              

 

        

 

         

 

           

 

 

 昆陽池の餌場を離れて、池の対岸に建てられた『昆虫館』に向かった。

        

                       (遥か向こうに見える『昆虫館』をアップで)

 

 昆虫館には、池の周りを、ぐるりと大きく回って行く。

 池の周りの道は遊歩道になっていて、木々に囲まれ、気持ち良く歩けた。

 紅白の山茶花も咲いていた。(写真は赤の山茶花のみ‥)

             

 

 昆虫館に到着した。

 昆虫館の玄関。(写真を撮る角度がうまくいかず、素敵に撮れなかったのが、残念!) 

   

 

 昆虫館の中にはいろんな展示があった。

 その中でも、いろんな蝶が群れ飛ぶ『チョウ温室』が、やはり人気だ。

 温室の中には、色とりどりの南国の花や植物が植えられていて、その中をいろんな蝶たちが、飛んでいる。

                   

         

 

 でも飛んでいる蝶を撮るのはとっても難しく、葉っぱや花に止まっているのしか写せなかった。

        

           

 

              

             

 

 蜜が置かれている餌場には、蝶が群れていた。

           

 

 

 温室の中には2~3センチくらいの可愛い蝶々がヒラヒラと舞っていたが、それは到底写真には撮れなかった。

 お母さんに手を引かれた子どもが、お母さんの手を振り切って、無心に蝶を追いかける姿は、小さな蝶々に負けず劣らず可愛かった。

         

              

 

 

 (しつこいけれど、あと何枚か蝶の写真を載せさせていただきます。)

            

            

 

               

             

 

 

 蝶を見終ったあと、昆虫館の展望台(といっても4階だが)に上がってみた。

 風景は何てことないけれど(昆陽池の方はうまく撮れなかった)、柵の部分に蝶が施されているのが面白くて撮ってみた。

         

                

 

 

 

 

       

 

 

 


雪国の方には申し訳ないような‥青空

2014-01-17 07:35:23 | 日記

 一昨日(15日)は、今年になって3度目のダンスに行った。

 1回目は、西スポーツセンターに。

 2回目と一昨日は、近くの北スポーツセンターに。

               

 

 北スポーツセンター前の広場に着いて空を見上げると、雲一つない青空が、常緑樹の緑の上に広がっていた。

             

 雪で不便を強いられている雪国の方々の暮らしを考えると、申し訳ないような青空だ。

 

 一昨日の北スポーツセンターは、来客(?)がイッパイ!

 少し遅れて行ったら、靴箱は満杯で、履きかえるスリッパは一つも残っていなかった。

                

 

 この日のダンスの出来は、マアマアってとこ。

 上手くはないけれど、音楽に合わせて楽しく身体を動かすことができるだけでも、やっぱり幸せなことなんだろうな‥。

 

 この日は、1時半から4時半くらいまで踊った。(もちろん間に休憩を挟みながら)

 踊り終わり、着替えて5時前に帰路に着いたが、日が長くなった空はまだ明るく、白い雲をわずかに浮かべた空は、相変わらず青かった。

             

 

 夕陽がマンションを明るく照らしていた。

           

 

 


久しぶりの歌舞伎‥≪坂東玉三郎・初春特別舞踏公演≫

2014-01-07 15:59:31 | 日記

 昨日(6日)は、Kさんのお誘いで昨年から行くことに決めていた、≪坂東玉三郎・初春特別舞踊公演≫の日。

 公演は、午後2時から大阪ミナミの“松竹座”で行われた。

                 

 

 お正月ということもあって、松竹座前の飾りも、何となく華やいだ雰囲気だった。

            

                

 

 次は、開演前の松竹座の中。 (開演前の写真撮影は許可されているので、隠し撮りではありません!)

                

 

 今回は、坂東玉三郎と中村七之助の踊りを満喫できる舞台ということで、私の期待は大きかった。

                 

 

 玉三郎氏は、彼が舞台に立たれただけで、その存在感は圧倒的だ。

 踊りの中で繰り広げられる彼の妖艶な身のこなしは、見る者を惹きつけて止むことがない。

 その美しさ、素晴らしさは十分に解った上で敢えて言うのだが、私は今回の踊りを見て、いくばくかの物足りなさを感じてしまった。

 私は、(歌舞伎も含めて)いろんな肉体表現に興味を持っているが、それが伝統的なモノの表現だけに終わると、やはり十分には満たされない気が

するのだ。

 私はやはり、現代を生きている私たちの心を揺さぶる踊り(や舞台)が見たい!

 伝統を踏襲し更にそれを高めていくべく日夜精進されている歌舞伎界に、それを要求するのは、酷なことなのだろうか?

 理屈っぽくなってしまうが、私がいつ見ても、歌舞伎の世界にどっぷり浸ることができないのは、その辺りに原因がありそうだ。

 

 それはともかく、5時過ぎに公演が終わって、私たちは夕食をとるために、Kさんが予約してくださっていた「今井」というお店に向かった。

 「今井」に向かう途中、久しぶりに見た道頓堀の灯りに懐かしさを感じてシャッターを押したが、うまくは撮れなかった。

                   

 

 「今井」は、若い頃比較的よく行った店だったのに、今回店の位置もすっかり忘れていて、Kさんに笑われてしまった。

             

 

 今井では、掘り炬燵式の個室が用意されていて、嬉しかった。

               

 

 注文したのは、うどんすき。

 上の写真は、まだ具材が来てないときのもので卓上がちょっと寂しいが、この部屋で私たちは、落ち着いてユックリ食事することができた。

 おうどんを始めどの具材も美味しく、私たちは満足した。

 もちろん、食事しながらのお喋りも、楽しかった。

 


 

 

≪付録≫ 「次の写真は何でしょう!?」

               

 

 帰りの地下鉄で、それまでに撮った写真を確かめようと、カメラを開けた。

 すると、レンズに、(私には)面白い(と思えた)映像が映った。

 私は思わずシャッターを押してしまった。

 それが上の写真です。

 

  

 

 

 

 

 


“遠来の友”との食事&お喋り、そして…

2014-01-06 12:12:21 | 日記

 お正月を三田の娘さん宅で過ごすため、Kさんが、遠路はるばる北海道から来られている。

 そのKさんと、3日に梅田で会って、ランチをご一緒することになった。

 

 Kさんは、在阪時、私のダンスの先輩で、ダンス以外でもいろいろとお世話になった。

 そのKさんが、下の娘さん家族とともに、北海道にお家を建てられ引っ越されたのが、10年半くらい前。

 北海道移住?後も、途中までは携帯メールで、近年はお互いのブログを見合うことで、緊密に連絡しあっている。

 大阪に住んでいる他の友だちより、却って互いの状態をよく把握しているほどだ。

 でも実際に顔を合わすことはなかなかできない。

 そこで3日には、お疲れの身体に鞭打って、梅田まで出て来ていただくことになった。

 

 当日は、11時すぎに阪急百貨店前で待ち合わせた。

 私が行ったとき、Kさんはすでに到着されていて、阪急百貨店のショーウィンドーを写真に撮っておられた。

 私も、負けじと?写真を撮った。

 阪急百貨店のショーウィンドーは、お正月らしい華やかな飾り付けになっている。

 私たちだけでなく、多くの人が、そこで写真を撮っておられた。

                

               

 

             

 

 その後私たちは、“阪急32番街”の「グランド白楽天」で、ランチコースの食事をとった。

                 

 

 食事は全体に美味しかった。

 Kさんは次々に出る料理を写真に撮られていたが、私が撮ったのは、最初のオードブルのみ。(それもピンボケだ‥)

               

 

 私たちは、食べねばならず、喋らねばならず、(Kさんは写真も撮らねばならずで、)なかなかに忙しかった。 

 でも、とっても充実した楽しい時間だった。

 

 食事を済ませたあと、Kさんは以前住んでおられたマンションに行ってみたいと言われ、私も同行した。

 Kさんのマンションには、私も2,3度お邪魔したことがある。

 なので、私にとっても馴染みのある場所だ。

 最寄の駅に着いた時から、Kさんは「懐かしい!」を連発され、その懐かしのアチコチを写真に収められていた。

 マンションに到着し、以前住んでおられたお部屋の階まで上がってみた。

 同階の、以前親しくされてた方が運よく在宅され、彼女ともしばし旧交をあたためられた。

 マンションからの帰り、Kさんは本当に満足そうだった。

 私も、嬉しかった。

 

 その後私は、恥ずかしげもなく、Kさんを、汚い我が家(マンション)に誘った。

 以前Kさんには、2回くらいは我が家に来てもらっている。

 その頃より更に汚くなっているけれど、そのことも先刻よくご存知だから、まあイイか!って感じで。

 私たちは我が家で、パソコンのこと・ダンスのことなど、アレコレとお喋りした。

 帰りの時間がアッという間にきた。

 私は梅田まで彼女を送って、JRで帰られる彼女に改札口で別れた。

 ~Kさん、お疲れなのに梅田まで出てきていただいて、どうもありがとうございました。

  お陰で、懐かしくも楽しい時間を共に過ごすことができました。~

 

 (あっ、そうそう! Kさんが持ってきてくださったお土産の「とうきびチョコ」、とっても美味しかったです!

  翌日、たまたま来た友だちに出したら、「おいしい、おいしい!」と言って、二人でスッカリ食べてしまいました。

  そのため、写真が撮れませんでした。ごめんなさい!)

 

 

 

 

  

 

 

              


≪2014年≫‥“お一人さま”のお正月

2014-01-01 18:51:05 | 日記

 “お一人さま”の今年の元日の朝は、とりわけ遅い出発となった。

 遅くなりついでに、おせちをいただく前に、近所のお宮に先に初詣に行くことにした。

 私には信仰心はほとんど無い。

 でも何かを祈りたいとき、祈る対象があった方がいい。

 それは時にお月さまであったりお日さまであったりもする。

 お正月はやっぱりお宮ってことになる。

 私は仕事を辞めてしばらくしてから、お正月には近所の富島神社に、お参りに行くようになった。

 

 今日は、富島神社に行く前に、先に、マンションの敷地内にあるお地蔵さまにお参りした。

 このお地蔵さまには、普段でも、ゴミ捨てに下に降りたときには、お参りすることにしている。(そんなお参りの仕方って、お地蔵さんに失礼かな?)

 新年のお地蔵さんは、いつもよりキレイな花がたくさん供えられていて、なんか改まった感じがした。

                 

 

 その後、富島神社へ。

 今年の富島神社は、朝が早いこともあってか、参拝の人の姿はチラホラ程度だった。

             

                   

 

 

 せっかく外に出たので、序でに新春の中津公園まで、足を伸ばすことにした。

 中津公園の入り口には、(今までもだが)紅白の山茶花が綺麗に咲いていた。

       

 

 公園の上には、次第に青空が広がってきた。

 葉っぱを落とした桜の木の枝の先端に、小さいながら花芽が付いている。

 「冬来たりなば、春遠からじ」‥やな!

              

 

 冬枯れの公園にはほとんど色彩はなかったが、名まえを知らない薄紫の花と、もっと濃い紫の菊だけが、鮮やかに咲いていた。

              

                 

 

 

 淀川の土手に上がってみた。

 土手ののり面に朝日が当たって、刈り取られた緑の上に影がくっきりできていた。

                  

                

 

 土手に上がって見た風景は、いつもと変わぬ淀川の風景。

 でも手前の葦原は、洪水の影響で、以前とは少し形を変えている。

             

 

 

 帰りに、丹精込めてお花を育てられる、市営住宅のSさんのお庭に寄ってみた。

 そこでも寒菊が綺麗に咲いていた。

               

 

 

 我が家に帰ってきて、ささやかな玄関の正月飾り?を、写真に撮った。

              

 

 その後、やっとおせち(一部を除いて、下のお店で買ってきたもの‥涙)を並べて、私なりにお正月を祝った。

            

              

 

 お粗末ながら、以上が、のんスケの、“お一人さま”のお正月(半日)でありました。

 


 

 

★追記(5日)  「お正月から、ボケました‥(涙)」 

  4日の朝、玄関の水仙の水をかえようとして、傍の置き物のトラに目がいった。

  そして、ふと考えた。 今年って寅年だったっけ!?

  しばらく考えてやっと気がついた。

  今年は、寅年ではなく、午年であると!

  私はアタフタと、トラの置き物を引っ込め、以前買って、本箱に飾っていたお馬さんに取り換えた。

  そして改めて玄関の写真を撮った。

                   

 

  初めは、ブログの元日の写真を消して、上の写真に差し替えようと思ったが、ちゃんと事実を残しておく方がイイかな…と思って、そのままにするこ

 とにした。

  それにしても、どこで午と寅が、入れ替わってしまったんだろう?

  あ~あ‥! 私のアタマ、どうなってんの!?

  でも、年賀状には間違えずに午の絵を入れたので、それだけはヨカッタけれど‥。