のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

沖縄の人の『悲痛な叫び』 を、≪野次≫とは言わない!!

2019-06-24 18:11:24 | 日記

 6月23日は、本土に先駆けて沖縄での戦闘が終わった日だ。(沖縄の全人口の4割の人たちの、無惨な死を代償として)

 その日を前にして、新聞でも、沖縄戦に関わることが取り上げられていた。

                  

 

 

 6月22日の≪NHK映像ファイル・あの人に会いたい≫では、沖縄元知事の『大田昌秀氏』が、再放送された。

 大田氏は沖縄久米島の生まれ、沖縄師範学校に入学された16歳のときに、太平洋戦争が始まる。

 その後軍隊に動員された大田氏は、米軍が沖縄に上陸し住民を巻き込んだ最後の摩文仁での激戦で、多くの人たちが無惨

な死を遂げていく姿を、すぐ目の前で目撃されることになった。

 大田氏の反戦の原点は、目の前で起こったこの無惨な光景であり、「その光景は何があっても絶対に忘れることはできない!」

と、氏は涙を浮かべて言われた。

 そこで氏は、「なぜこのような悲惨な戦争が起こったのか?戦争を起こさないためには何が必要なのか?」を考えに考えられ、研

究を進めていかれる。

 そんな中、沖縄の皆さんの強い後押しを受けて、沖縄県知事選に立候補され、見事勝利を収められた。(しかし勝利の会見の時

誰も「バンザイ」は叫ばなかった。「バンザイ」は、戦争の辛い思い出と重なるからと。)

 その後2期8年にわたって沖縄県知事を務められた大田氏は、「二度と沖縄を戦場にしてはならない!」の想いの下、沖縄の

基地負担の軽減を目指して、厳しく国との交渉を続けられた。

                 

 

                

 

                 

 

 

 

 そして大田さんは、全ての死者の鎮魂と平和を願って、沖縄戦で命を落とした『全ての人』(国籍も人種も関係なく!)の名を刻ん

だ≪平和の礎(イシジ)≫を建立される。

 遺骨も何も残っていない戦争犠牲者にとって、それは唯一の墓標であり、遺族はそこで亡き人を思って祈りを捧げられる。

             

 

                              

 

 

 沖縄の人々のために一歩も譲らず国を相手に闘われ、≪平和の礎≫を残された大田さん!

 素晴らしい県知事であり、平和を追求する人々の手本となるすばらしい先達だったと思う。

 

 

 23日・慰霊の日がやって来た。

 この日は沖縄は、朝から雨だった。(慰霊に訪れた女の方が、「亡くなった人たちが流した涙の雨だ。」と、ボソッと言われた。)

 正午過ぎには、摩文仁の丘で≪沖縄全戦没者追悼式≫が開かれた。

 私はそれを中継したNHKの番組を見ていたが、その中で流された、翁長・前沖縄県知事の映像には、思わず涙がこぼれた。

                 

 

 癌になられ痩せ衰えられてもなお、知事として沖縄の人々に寄り添い、辺野古の基地建設反対を貫かれた翁長さん。

 本当にありがとうございました! そしてお疲れさまでした!

 

 

 

 追悼式では、現沖縄県知事・玉城デニー氏の『平和宣言』が行われた。

                

 

 玉城知事の平和宣言の中で私の心に特に響いたのは、「人間が人間でなくなる戦争は二度と起こしてはならない。」という、玉

知事の決意のことばだった。

 そして、戦後の沖縄の人たちの努力にも拘らず未だに沖縄が十分に発展し得ていないのは、「日本全土の0.6%の面積しか

い沖縄に全国の70.3%の米軍基地施設があるという現実が、無関係ではないという当然の主張を述べられた

 また辺野古基地建設反対は沖縄の民意であり、政府はその民意に背を向けるのではなく、沖縄との話し合いを行うべきだ、とも

穏やかな口調ながらキッパリと言われた。

 玉城知事の平和宣言には、問題を解決する様々な提案・方向性も示されていて、本当に素晴らしいものだった。

 最後にもう一つ、玉城知事の今回の平和宣言でユニークだったのは、宣言を、日本語だけでなく、沖縄ことばと英語とで繰り

返されたことだ。

 沖縄にしっかりと根をはり、しかも世界にも目を見開かれている、玉城デニー氏の面目躍如たるものがあるなあ!と感心した。

 そんな玉城氏の平和宣言は、会場の人たちの拍手と声援に包まれていた。

                

 

 

 

 そして、安倍首相の挨拶。

                 

 

 

 いつものとおり安倍氏の挨拶は、美辞麗句の連なりで、現実のこと(辺野古問題など)には全く触れられなかった。

 対話での解決を必死で呼びかけられている玉城氏の言葉にも何の反応も示さず、形式的な言葉に終始した。

 その安倍氏の挨拶に対しては、当然ながら、会場から厳しい批判の言葉が飛んだ。

 私は、その批判は当然だと感じた。

 私ですら、沖縄の人たちの苦しみに寄り添わない、形式的な言葉の羅列には腹が立ったから。

 

 でも夕方のNHKニュースを聞くともなく聞いていた私は、慰霊式のことを伝えるアナウンサーの言葉に、ビックリ仰天してしまった。

 アナウンサーは、「安倍首相の挨拶のあとには、『野次』とそれを抑えようとする言葉が聞こえた」という意味のことを言ったのだ。

 「えっ、『野次』!?」 「アレって、『野次』なの!?」

 私には、ことばを尽くして言っても理解してくれない首相に、『悲しみの抗議の声』に聞こえたのだけれど…。

 

 言葉の専門家であるNHKのアナウンサーが、『野次』の意味を知らないなんてことは考えられない。

 もちろんアナウンサーは、出来上がった文章を間違いなく読み上げるだけだから、問題は記事を書いた人だ。

 天下のNHK?の記者だから、彼も言葉の専門家であることに変わりはない。

 だとしたら、この記事を書いた記者は、『野次』と『抗議』の区別がつかないのだろうか?

 いやいや、そんなことはないだろう。

 私はNHKがこのような言葉(野次)を選んだ裏には、政治的な圧力があっただろうと推測している。

 仮に、このことについて直接の圧力が無かったとしても、常日頃からの政治筋からの圧力を知っている記者が、忖度したのかも

れない。

 私がそういう推測をするには根拠もある。

 追悼式の挨拶で、辺野古には全く触れなかった首相が、そのすぐ後には新聞記者に、下のように語ったのだから。

 何とも卑劣極まりない首相の態度に、やりきれなさを感じている私です。

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              

 

                 


ここ10日ばかりの、ささいなこと

2019-06-24 13:40:54 | 日記

 先々週の水曜だったか、足慣らしと体慣らしを兼ねて、500円パーティに行ってきました。

 その日のダンスはイマイチで、あまり楽しくなかったのですが、別の体育館で運動している子どもたち用の跳び箱が、あまりに可愛

かったので、わざわざカメラを取り出して撮ってしまいました。

 序でに撮ったダンスの写真も、高齢者ばかり(私もその一人ですが)が写っていて、これもイマイチです。

 実際には上手なカップルも何組か来られていたのですが、その方たちはスーと滑るように踊っていかれるので、カメラに入りません

でした。

                  

 

                   

 

 

 

 同じ週の金曜日には、学生時代の友人3人で久しぶりに集まって、食事会を持ちました。

 3人のうちのMさんは、昨年末旅先での事故で、右肩と右足裏を骨折されました。

 今は退院して家でリハビリに努められていますが、外見だけだととてもお元気で、お喋りも弾みました。

 その楽しかった集まりの思い出に(ちょっとオーバー)、喫茶店で頼んだものをカメラに収めました。

                

 

 

 

 次は最近ベランダで咲いている、ささやかな花たちです。

 一旦花が消えたあとに、新しい花芽が出て花を咲かせるのは、とっても嬉しいことです。 今回は白いゼラニューム。

              

                              

 

 

 そしてその後しばらくして、オレンジ色のハイビスカスが、外に出してからは初めての花を一輪開きました。

 雨滴のかかったカポックの実と一緒に、下に載せます。

                        

 

 

                   

 

                   

 

 

 

 先週の火曜日、コーラスの練習の帰りに食べた海鮮丼(食べたときは美味しかったのですが)に問題があったようで、食中毒に

なってしまいました。

 その海鮮丼を食べた3人が3人とも同じような下痢症状になったので、海鮮丼が原因と言わざるを得ません。

 しかもお二人は下痢だけで済んだのですが、何故か私はその後に発熱し、お医者さんのお世話になりました。

 熱が下がってからもしばらくは体調が戻らず、予定をキャンセルしたりしたのですが、土曜日の食事会には間に合いました。

 食事会に行けた喜びの証拠品として、当日のお弁当定食の写真を載せさせていただきます。

 それと頼んでおいた山形のサクランボ、待ちかねていたサクランボがやっと送られてきたので、それも載せることにします。

                  

 

 

 以上、この10日ばかりの、ささいな出来事&写真でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


美しい映像! ≪ニッポン印象派 水鏡 ≫

2019-06-21 16:56:54 | 日記

 テレビ大好きの私は、常日頃テレビに映しだされる美しい映像を感嘆の思いで見ているが、6月12日に放映された(2月17日の

再放送)NHK≪ニッポン印象派≫の映像には、特に心を動かされた。

 ≪ニッポン印象派≫はシリーズもので、今回のは『水鏡』と題して放映されていた。

 まず私は、番組の最初に映し出された次の映像を見て、息を飲んだ。

               

               

 

 この水鏡は、八ヶ岳連峰に程近い≪御射鹿池(ミシャカイケ)≫の映像だそうだ。

 そして御射鹿池は、周りの耕作地の水不足を補うために造られた、人工の溜め池なのだそうだ。

                

 

              

 

 

 御射鹿池が、このようなキレイな水鏡になるのには、御射鹿池の水が酸性だからだという。

 この池には、水源から酸性の水が流れ込んでいて、酸性の水には生き物が住めない。

 酸性の水の中で唯一育つのは<チャツボミゴケ>という植物だそうで、この苔が御射鹿池にはびっしりと生えている。

 プランクトンなども住めない透明な水であることと、底には緑のチャツボミゴケがビッシリ生えていることが、御射鹿池の美しい

水鏡を作った要因である、という説明を聞いて、「なるほど!」と思った。

                 

                         水源から流れ下っていく、酸性の水

 

                 

                      御射鹿池の底にびっしり生えたチャツボミゴケ

 

 

 ここからは、私が心を動かされた≪御射鹿池の水鏡≫の映像の数々を、載せさせていただきます。

               

 

               

 

                

 

               

 

              

 

 

 

               

 秋になると木々は彩りを増していく。

 そして更に秋が深まると、その木々の色も微妙に変わっていくのだ。

                

 

               

 

 

               

 

              

 

              

 

              

 

 

 

 そして、冬。

               

 

                

 

              

 

 

 

 当然のことだけれど、実際の映像は、この数倍も美しかった。

 かの東山魁夷氏もこの御射鹿池に魅せられて、池に近い宿をとって、写生に明け暮れられたという。

 そしてその末にできたのが、あの有名な「緑響く」だったことも、この番組で初めて知った。

                   

                         東山魁夷氏 (1908~1999)

 

              

                               「緑響く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

              

 

                  


6月11日の、その他の花

2019-06-17 17:34:58 | 日記

 I さん宅をあとにした私は、帰宅する前に、中津公園に寄ってみることにした。

 中津公園に入る前に、心惹かれた花・2つ。

                 

                     クローバみたいな葉っぱの、薄紫の可愛い花。

                     よく見かけるのに名まえが分からない。

 

                  

           故郷でよく咲いてた花。 「ヒオウギ」だと思っていたが、調べてみると「ヒメヒオウギズイセン」とのこと。

           いずれにしても、とても懐かしい花だ。

 

 

 

 再びケヤキ並木を通って公園に向かう。

 行きにも撮ったのに、緑に惹かれてもう一度カメラに収めた。

                

 

 

                   

                       古くなって朽ちかけた幹が、新芽を出している!

 

                    

                          陽の光を受け、風に揺れるケヤキの葉

 

 

 

 公園でも紫陽花が満開だった。

                 

 

 

                 

 

 

                 

                紫陽花と青空を一緒に撮りたかったけれど、紫陽花に元気が無く、残念!

 

 

 

 

 この日、紫陽花よりも公園を賑わせていたのは、百合の花だった。

                

 

 

                  

 

 

                  

 

 

                 

 

 

 

 

 それ以外の花たち。

                

 

 

                

                              長らく名まえが分からなかったけれど…「インドハマユウ」らしい。

 

 

             

 

 

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 


紫陽花とタチアオイ、ただ今満開!(6月11日)

2019-06-13 21:29:11 | 日記

 11日、用があって I さんのマンションを訪ねた。

 その折久しぶりにケヤキ並木を通った。

 並木のケヤキは新緑を通り越して、かなり濃い緑になっている。

 その緑に太陽の光が当たり、緑はさらに輝きを増していた。 

                       

 

                

 

                  

 

 

 

 

 ケヤキ並木を出た所で、私は目を見張った。

 そこでは紫陽花が、大きな塊となって、今を盛りと咲き誇っていたのだ。

 中津公園の紫陽花ばかりを見ていた私には、それはとても新鮮な光景だった。

               

 

                

 

 

 

 そして、美しく咲いた沢山の紫陽花を見つけて大喜びの私を、更に驚かす光景が、目の前に現われた。

 市営住宅のお庭で、たくさんのタチアオイが、色とりどりに咲いていたのだ。

 そこでタチアオイの花を見たのは初めてだった。

                

 

                   

 

                        

 

                   

 

 

 

 私は、突然目の前に現れたタチアオイの群落にしばらく目を奪われていたが、そこから目を転じると、他の所でも様々な紫陽花

見事な花を開いていた。

                 

 

 

                    

 

                   

 

 

                

 

 

               

 

 

 

 私は、予期していなかった紫陽花とタチアオイの美しい競演に大喜びしつつ、Iさん宅に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


<エゴン・シーレ> と <ゴッホ >

2019-06-10 16:54:24 | 日記

 今週の『日曜美術館』では、≪エロスと死の香り≫と題して、<クリムト>に代表される“19世紀末~20世紀初頭のウィーン

芸術運動”を取り上げていた。

                     

 

 

                   

 

                

                         クリムト作 ≪死と生≫

 

 

 その芸術運動の後期、<エゴン・シーレ>という特異な画家が現われる。

                 

                         28歳で夭折した、エゴン・シーレ

 

 

 <エゴン・シーレ>は、愛する父を若くして失い(しかも父の死因は性病だった)、彼は自身の存在に不安と疑念を感じつつ、ひた

すら絵画と向き合っていく。

 そういうこともあって、彼の絵の主題の一つが、自らを描くことだった。

                   

 

 

                   

 

 

                     

 

 

 これらの自画像からは、自分の(内面の)醜さから決して目を背けることのない、いや、むしろ自虐的と言えるほどに、自分の醜

さを自ら暴こうとするかのような、エゴン・シーレの姿勢が感じられる。

 そういう彼の姿勢&絵画をあまり好まない方もおられるかと思うが、私は、(今まで見た限りの絵で言えば)彼の絵の色彩が

濁っていないところが結構気に入っている。

 そして今回の番組を見て初めて知ったことだが、エゴン・シーレは、クリムトと同じように<ゴッホ>をすごく尊敬していたそうな

のだ。

 今まで私は、<エゴン・シーレ>と<ゴッホ>を結び付けて考えたことがなかったので、それは新鮮な驚きだった。

 エゴン・シーレがゴッホを尊敬していた証しとして、彼はゴッホの代表作「向日葵」や「アルルの部屋」を、題材として取り上げて

いる。

 もちろんエゴン・シーレが描いた部屋や向日葵(特に向日葵)は、ゴッホのそれとは全く異なる様相を呈してはいるけれど…。

                

                               エゴン・シーレ作

 

                    

                              ゴッホ作 「アルルの寝室」

 

 

                    

 

 

                       

                              エゴン・シーレ作

                          

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                               

 

                 

             

 

                   

 

 

            


足元には、くれぐれも注意!

2019-06-06 21:21:48 | 日記

 一昨日、コーラスの練習の帰りに、美しいサボテンの花に出会った。

                 

 

                

 そして、昨日。

 いつものように郵便局で用を済ませた後、辺りをぐるっと回ってみた。

 富島神社では、丈の高いガクアジサイが、爽やかな空色の花を咲かせていた。

 民家の玄関前に置かれた鉢植えの、青いガクアジサイも美しかった。

                 

 

 

                   

 

 

 

 

 しばらく歩いて行くと、マンションの前庭で早くもアメリカデイゴの花が咲き、公園の西入口では夾竹桃も咲いている。

 両方とも、夏の訪れを感じさせる花だ。

                

                              ~アメリカデイゴ~

 

 

                 

                                ~夾竹桃~

 

 

 夾竹桃の花を撮ったあと、ちょっとしたハプニングが起きた。

 突然足が何かに引っかかり、体勢を整えようとしたけど持ちこたえられず、結局転んで、コンクリートの地面に両膝を思いきり

ぶつけてしまった。

 痛みでしばらく立ち上がれなかったけれど、地面についた右手に擦り傷がちょっとあるくらいで、膝は大丈夫のようだった。

 ホッとして起き上がり辺りを見ると、夾竹桃の花の下が狭い駐車場になっていて、その車止めに足を引っかけたということが

分かった。 

                    

 

 

 写真を撮ることに夢中で足元がおろそかになったことを反省しつつ、膝に痛みが無かったので、私は淀川の堤防に上がってみた。  

 淀川は、西日を受けて光っていた。(逆光なので画面が暗くなってしまったけれど)

                 

 

 

                

 

 

                    

                   ~堤防下の空き地でしきりに何かをついばんでいた鳩たち~

 

 

 堤防から下りて、公園にたち寄った

 公園では、この間はまだ赤ちゃんだった紫陽花が、ずい分花を開いていた。

                 

 

 

                 

 

 

                 

 

 

                 

 

 

 次は、紫陽花のアップ。

                  

 

 

                  

 

 

                  

 

 

                  

 

 

                

 

 この後は、紫陽花以外の花です。

                

                    ~今年初めて見た、紫色の百合(後ろ姿ですが)~

 

                

                      ~仲良く並んで咲いていたハナショウブ~

 

                 

                         ~タチアオイの花のアップ~

 

 

 家に帰ってズボンをめくって膝の具合を確かめると、擦り傷と、打った痕が少し紫色になっているぐらいで、やはり大事には至っ

ていなかった。

 「ああ、ヨカッタ~!」

 それでも、薬局の方の、「明日になったら腫れてるよ。湿布を貼って寝なさい。」という忠告に従って、擦り傷の手当をし湿布を

貼って、寝た。

 今朝恐る恐る膝を見たが、腫れも大したことなく、痛みもほとんどなかった。

 ということで、今回は大事に至らずに済んだが、これは幸運というほかない。

 骨折とか膝にひびが入るなんてことが起こっても、仕方ないような状態だった。

 私は今回のことを肝に銘じて、これから写真を撮るときは、必ず足元を確認することを、強く心に言い聞かせた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

               

 


紫陽花は咲いたかな?(5月29日)

2019-06-02 14:16:27 | 日記

 以前行ったときはまだ固い蕾だった紫陽花の花。

 もうそろそろ開き始めているのでは?と思って、雨上がりの29日の朝、中津公園に行ってみた。

 

 公園に行く途中の市営住宅のベランダで、門番をしているかのように、ネコちゃんが坐っていた。

 市営住宅の庭では、チョウセンアサガオのまっ白い花と、名まえの分からないちっちゃな黄色の花が咲いていた。

                      

 

 

                  

 

 

 公園の近くで、(垣根によく使われている)アベリアの花が、少しずつ開き始めていた。

                  

 

 

 

 公園に着いた。

 お目当ての紫陽花の前に、花畑で繁茂しているピンクのゼラニュウムが、目に飛び込んできた。

 その傍では、百合も少しずつ花を開き始めていた。

               

 

 

               

 

 

 

 いよいよ紫陽花を求めて、まず、公園の植え込みの端にある一株の紫陽花を見に行った。

 ここの紫陽花は、まだ咲き始めってところで、なんか初々しい感じだ。

               

  

                  

 

 

 

 次の紫陽花までの間に、2株の濃いピンク(濃淡にちょっと差がある)のタチアオイが、下から花を咲かせていた。

                      

 

 

 

 公園の中程の紫陽花を見にいく。

 紫陽花の中で一番先に花を咲かせるカシワバアジサイは、全体にもう花を開いていた。

                 

 

                   

 

 

 その他の紫陽花は、咲いていてもまだ赤ちゃんの花って感じで、とても初々しい。

                  

 

                  

 

               

 

 

 次は、花がとっても小さくて緑がかった白の紫陽花と、ガクアジサイ。

                

 

                 

 

                 

  

 

 

 紫陽花の後、帰りながら、目に止まった花をカメラに収めた。

                

                             まだ咲いていた赤い薔薇

 

                  

                    名まえはチョットだけど、花は可愛い<ドクダミ>  

 

                                      

                     <ナンテン>の小さな白も、フックラし始めて。

 

                  

                              百日紅の<実>

 

               

 

 

 出口のところの(名まえの分からない)木の葉っぱの新芽が、赤くて可愛かった。

 それを撮っていると、鳩が来て枝に止まった。

                 

 

                  

 

               

 

 公園を出るとき上を見上げると、朝の太陽がだいぶ高くなって、木の葉の間から、まだ弱い光を放っていた。

                

 

 

 

 帰り道の高架下で、(行きには全く気付かなかったが、)ランタナの大きな株が、盛大に花を咲かせていた。