6月23日は、本土に先駆けて沖縄での戦闘が終わった日だ。(沖縄の全人口の4割の人たちの、無惨な死を代償として)
その日を前にして、新聞でも、沖縄戦に関わることが取り上げられていた。
6月22日の≪NHK映像ファイル・あの人に会いたい≫では、沖縄元知事の『大田昌秀氏』が、再放送された。
大田氏は沖縄久米島の生まれ、沖縄師範学校に入学された16歳のときに、太平洋戦争が始まる。
その後軍隊に動員された大田氏は、米軍が沖縄に上陸し住民を巻き込んだ最後の摩文仁での激戦で、多くの人たちが無惨
な死を遂げていく姿を、すぐ目の前で目撃されることになった。
大田氏の反戦の原点は、目の前で起こったこの無惨な光景であり、「その光景は何があっても絶対に忘れることはできない!」
と、氏は涙を浮かべて言われた。
そこで氏は、「なぜこのような悲惨な戦争が起こったのか?戦争を起こさないためには何が必要なのか?」を考えに考えられ、研
究を進めていかれる。
そんな中、沖縄の皆さんの強い後押しを受けて、沖縄県知事選に立候補され、見事勝利を収められた。(しかし勝利の会見の時
誰も「バンザイ」は叫ばなかった。「バンザイ」は、戦争の辛い思い出と重なるからと。)
その後2期8年にわたって沖縄県知事を務められた大田氏は、「二度と沖縄を戦場にしてはならない!」の想いの下、沖縄の
基地負担の軽減を目指して、厳しく国との交渉を続けられた。
そして大田さんは、全ての死者の鎮魂と平和を願って、沖縄戦で命を落とした『全ての人』(国籍も人種も関係なく!)の名を刻ん
だ≪平和の礎(イシジ)≫を建立される。
遺骨も何も残っていない戦争犠牲者にとって、それは唯一の墓標であり、遺族はそこで亡き人を思って祈りを捧げられる。
沖縄の人々のために一歩も譲らず国を相手に闘われ、≪平和の礎≫を残された大田さん!
素晴らしい県知事であり、平和を追求する人々の手本となるすばらしい先達だったと思う。
23日・慰霊の日がやって来た。
この日は沖縄は、朝から雨だった。(慰霊に訪れた女の方が、「亡くなった人たちが流した涙の雨だ。」と、ボソッと言われた。)
正午過ぎには、摩文仁の丘で≪沖縄全戦没者追悼式≫が開かれた。
私はそれを中継したNHKの番組を見ていたが、その中で流された、翁長・前沖縄県知事の映像には、思わず涙がこぼれた。
癌になられ痩せ衰えられてもなお、知事として沖縄の人々に寄り添い、辺野古の基地建設反対を貫かれた翁長さん。
本当にありがとうございました! そしてお疲れさまでした!
追悼式では、現沖縄県知事・玉城デニー氏の『平和宣言』が行われた。
玉城知事の平和宣言の中で私の心に特に響いたのは、「人間が人間でなくなる戦争は二度と起こしてはならない。」という、玉
城知事の決意のことばだった。
そして、戦後の沖縄の人たちの努力にも拘らず未だに沖縄が十分に発展し得ていないのは、「日本全土の0.6%の面積しか
ない沖縄に、全国の70.3%の米軍基地施設がある」という現実が、無関係ではないという当然の主張を述べられた。
また辺野古基地建設反対は沖縄の民意であり、政府はその民意に背を向けるのではなく、沖縄との話し合いを行うべきだ、とも
穏やかな口調ながらキッパリと言われた。
玉城知事の平和宣言には、問題を解決する様々な提案・方向性も示されていて、本当に素晴らしいものだった。
最後にもう一つ、玉城知事の今回の平和宣言でユニークだったのは、宣言を、日本語だけでなく、沖縄ことばと英語とで繰り
返されたことだ。
沖縄にしっかりと根をはり、しかも世界にも目を見開かれている、玉城デニー氏の面目躍如たるものがあるなあ!と感心した。
そんな玉城氏の平和宣言は、会場の人たちの拍手と声援に包まれていた。
そして、安倍首相の挨拶。
いつものとおり安倍氏の挨拶は、美辞麗句の連なりで、現実のこと(辺野古問題など)には全く触れられなかった。
対話での解決を必死で呼びかけられている玉城氏の言葉にも何の反応も示さず、形式的な言葉に終始した。
その安倍氏の挨拶に対しては、当然ながら、会場から厳しい批判の言葉が飛んだ。
私は、その批判は当然だと感じた。
私ですら、沖縄の人たちの苦しみに寄り添わない、形式的な言葉の羅列には腹が立ったから。
でも夕方のNHKニュースを聞くともなく聞いていた私は、慰霊式のことを伝えるアナウンサーの言葉に、ビックリ仰天してしまった。
アナウンサーは、「安倍首相の挨拶のあとには、『野次』とそれを抑えようとする言葉が聞こえた」という意味のことを言ったのだ。
「えっ、『野次』!?」 「アレって、『野次』なの!?」
私には、ことばを尽くして言っても理解してくれない首相に、『悲しみの抗議の声』に聞こえたのだけれど…。
言葉の専門家であるNHKのアナウンサーが、『野次』の意味を知らないなんてことは考えられない。
もちろんアナウンサーは、出来上がった文章を間違いなく読み上げるだけだから、問題は記事を書いた人だ。
天下のNHK?の記者だから、彼も言葉の専門家であることに変わりはない。
だとしたら、この記事を書いた記者は、『野次』と『抗議』の区別がつかないのだろうか?
いやいや、そんなことはないだろう。
私はNHKがこのような言葉(野次)を選んだ裏には、政治的な圧力があっただろうと推測している。
仮に、このことについて直接の圧力が無かったとしても、常日頃からの政治筋からの圧力を知っている記者が、忖度したのかも
知れない。
私がそういう推測をするには根拠もある。
追悼式の挨拶で、辺野古には全く触れなかった首相が、そのすぐ後には新聞記者に、下のように語ったのだから。
何とも卑劣極まりない首相の態度に、やりきれなさを感じている私です。