のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

久々に映画を見た! ≪甦る三大テノール(永遠の歌声)≫

2021-02-26 16:34:54 | 日記

「らららクラシック」で、懐かしい≪三大テノール≫の歌声を聴いて、大興奮したことは以前のブログに書かせてもらった。

更に、「らららクラシック」から程なくの「あさイチ」で、その≪三大テノール≫のドキュメンタリー映画が、上映されることが

紹介されたのだ。 

私はそれを聞いて、又々狂喜した。

「これは絶対に見に行くぞ!」

パソコンで検索してみると、十三にある「第七藝術劇場」という古い映画館で、1週間ばかり上映されているとのこと。

(映画は朝10時から、1回の上映だった。)

早速パソコンで23日のチケットを買った。

 

23日の朝、9時半くらいには十三駅に着くように準備をした。  

「第七藝術劇場」には遥か昔、1,2回行ったことがあるけれど、場所をハッキリ覚えているわけではなかった。

覚えているのは、十三駅から程近い劇場だったことくらい。 

 

十三には阪急電車に乗っていく。 

阪急中津駅に向かって急いでいる途中、まっ白い花をいっぱい付けた椿の木が目に入った。

私は時間を考えて一瞬躊躇したが、やっぱりカメラを取り出してシャッターを押した。

    

 

 

                             

 

 

 

 

 

その後、私は駅に向かって走った。

しかし、この日に限ってしていた二重マスクで、私は息が苦しくなってしまった。

二重マスクがいいことは、テレビなどで盛んに言われているけれど、私はそれまでは一枚のマスクで良しとしていた。

しかし、「第七藝術劇場」は古い映画館だし、パソコンで感染対策がどのくらいされているかをちゃんと調べなかったので、

多少の不安があり、二重マスクをすることにしたのだった。

私は飛び乗った電車で早速マスクを一枚はぎ取った。 すると途端に胸の苦しさがすっと消えた。

 

 

十三駅で降りて、何人かの人に聞いて、やっと第七藝術劇場に着いた。

藝術劇場は以前のままの佇まいだった。 狭い壁に、沢山のポスターが貼られているのも、昔と同じだった。

             

 

 

                    

藝術劇場は、古いけれど、感染対策はキチンとやられているようで、安心した。

 

お客さんが次第に集まって来られた。

ネットで予約しなければいけないものと思っていたけれど、その場で買っておられる方も多かった。

座席の半分くらいが埋まった頃、いよいよ映画が始まった。

待ちに待った映画、≪甦る三大テノール (永遠の歌声)≫ が!

           

 

 

 

 

 

映画の中味は、「らららクラシック」と重なるところは多いけれど、「らららクラシック」が40分、今回の映画が1時間45分

だから、三大テノールの結成の事情からその後のいきさつまで、より詳しく知ることができて面白かった。

三大テノールを年齢で言うと、上から、パバロッティ、ドミンゴ、カレーラスの順だ。

当時のオペラ界では、パバロッティが押しも押されもせぬ不動の位置を占めていて、ドミンゴがその後を追ってきている

状態だった。

なので最初は、パバロッティはドミンゴをなかなか寄せ付けなかった、という面白い逸話も語られていた。

 

そんな三人がワールドカップの前夜祭でタッグを組むことになったのは、三人ともが大のサッカーファンであったこともあ

るが、前にも書いたように、パバロッティやドミンゴから見ると弟分に当たるカレーラスが、当時は不治の病であった白血

病に罹り、絶望的だと思われたところから何とか生還を果たし、その上歌声まで取り戻したことが、大きな要因となったの

だった。

カレーラスの苦しい闘病生活から生還・復活の過程は、私はずい分前にドキュメンタリー番組で見たことがあるけれど、

(その録画テープは今でも残っている。) その時のことなども、今回の映画では詳しく描かれていた。

 

もう一つ、パバロッティの逝去についても、今回新しく知ったことがあった。

パバロッティは2007年に71歳で亡くなってしまうが、正に「巨星落つ」の感があり、葬儀には、イタリアを代表する方た

ちをはじめ、市民10万人が集まり、その死を悼んだそうだ。

そして今回の映画には、今でも美しいパバロッティ夫人が登場されて、彼の歌に懸ける思いの強さを語っておられた。

 

いろいろ書いてしまったが、今回の映画で一番感動したのは、やはり、三大テノールの歌声の凄さだ。

一つの歌を三人がそれぞれに美しく力強く歌い、最後に三人が、ある時は競うように、ある時はぴったり息を合わせて歌

う様は、何度見ても心が躍る光景だ。

私は、彼らの歌が終わる度に、思わず拍手をしてしまっていた。(音はたてないようにしながらだけど)

そして彼らの歌声に何度も涙した。

私だけかとそっと辺りを見回すと、同じような方が何人かおられて、みんな思いは同じなんだと嬉しくなった。

 

パバロッティは逝き、ドミンゴもカレーラスも、当然ながら年を取られた。

でも、彼らの天にも届くような、力強くも美しい歌声は、永遠に不滅だ。

私は、こんなにも心を豊かに幸せにしてくれた彼らに、心からの感謝を捧げながら、劇場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 


21日は、友人と ≪ベートーヴェンのコンサート≫

2021-02-25 14:18:59 | 日記

友人のOさんが、一緒に行く予定だった方が行けなくなったため、コンサートに一緒に行こうと誘ってくださった。

私はもちろん、二つ返事でOK!

この日のコンサートは、以前行ったベートーヴェン・シリーズ(その時が第一弾だった)の第三弾で、「運命」と「ヴァイオリ

ン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲」が演奏された。

                 

 

 

 

 

 

今も大阪では緊急事態宣言が出されているけれど、今回コンサートが行われたシンフォニーホールは、感染対策もしっ

かりしているので、あまり心配は無かった。

       

                       本番前のホールの中は、こんな感じ。

 

 

 

 

「運命」は何度も聴いている曲だが、今回演奏された「日本センチュリー交響楽団」の方々の、コロナ禍の中で演奏する

強い意気込みが、ひしひしと伝わってきた。

「三重協奏曲」の方は、たぶん初めて聴く曲だが、ベートーヴェンらしさが随所に出ていて、いい曲だなあと思った。

 

 

普段だったら、コンサートが終わると食事しながらお喋りを楽しむのだけれど、今回はそれもできない。

二人で梅田まで歩き、その後別れて、私は梅田からも歩いて帰った。

少々足先が痛み、(この日はすごく気温が高かったので)体全体も疲れてたけれど、ビルの向こうの夕日を撮ったりしな

がら、マンションへと向かった。

途中で、春を告げる沈丁花の花を、この日初めて見ることができて嬉しかった。

      

 

 

 

   

 

 

 

                          

 

 

 

 

 


 

 

 

 

(付記)

 先日の「サワコの朝」に、“7本指のピアニスト”の≪西川悟平さん≫が出演されていた。

 西川さんは、音楽家などがよく襲われる病気・ジストニアに罹られ、一時期は5本しか指が動かないときもあったそうだ。

 今では7本の指で演奏されてるが、7本で演奏されてるとは思えない程の名演奏だった。

 いろんな方がいろんな障害に見舞われながらも、それを乗り越えられている!

 久し振りに、感動を覚えた「サワコの朝」でした。

 コンサートとは関係ないですが、音楽繋がりで載せさせていただきました。

  

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(しつこいですが…)淀川の夕景と、公園の梅

2021-02-24 17:41:06 | 日記

19日にまた友人宅のベランダから、淀川の夕景を撮らせてもらった。

(前にも何度か同じような写真を載せてはいるのですが、一旦写真を撮ると、そのまま捨て去るのは忍びなくて、変わり

映えしないことは充分承知してますが、載せさせていただきま~す(^_^;))

     

 

 

 

             

 

 

 

     

           淀川の堤防工事に使われているトラクター(このため堤防に上がれない(>_<))

 

 

     

 

 

 

 

 

 

帰りに中津公園を通った。

公園の梅も、この間で止めにしようと思っていたけれど、梅の木の下に行くとこの日が満開だったので、やっぱり記念に

撮っておくことにした。

    

 

 

 

                        

              ~上2枚では、満開の梅の向こうに、マンションの壁が夕日で赤く染まっていた~

 

 

 

 

反対側のマンションをバックにして撮ると…

   

 

 

 

       

 

 

 

   

                         性懲りもなく…公園の夕景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      


画家・安野光雅さんの死を悼む

2021-02-22 19:29:14 | 日記

画家・絵本作家・随筆家と、多方面にわたって活躍されていた≪安野光雅≫さんが、昨年の暮れに亡くなられた。

でも私がその死を知ったのは、今年になって大分経ってからだった。

 

安野さんは、1926年3月、島根県鹿足郡津和野町の生まれ。

津和野と言えば、私のふるさと・益田市の隣の町だ。

      

                 「山陰の小京都」とも呼ばれる津和野

 

 

                              

                                      津和野には白壁の家並みが多く、街中には鯉が泳いでいる。

 

 

 

     

      安野さんの功績を讃え、津和野の街に溶けこむように建てられた「安野光雅美術館」

 

 

 

同郷とまでは言えないが、益田育ちの人間にとっては、津和野生まれの安野さんは、それだけでとても親しみの持てる

方だ。

加えて、彼の優しく大らかで機知に富んだ絵(それは、安野さんの性格そのものだとも思う)が、私たちに安野さんを、より

一層身近で親しみのもてる存在にしている。

 

 

先々週の「日曜美術館」は、安野さんの死を悼む意味で、2012年9月に放送された「日曜美術館」の再放送をしていた。

      

      2012年だから、安野さんが86歳のときの放送ということになる。

 

 

 

(安野さんは多方面で活躍されたが、ここでは、この再放送の日曜美術館の内容に従って、彼の絵の世界を見ていくこと

 にします。)

彼は昔から旅が好きで、若い頃から外国を旅され、その旅は、後年まで続けられた。

    

 

 

                  

 

 

                                  

                                        外国の街角で(ベネチアかな?)スケッチされる安野さん

 

 

 

 

 

その旅をもとにして、次々と『旅の絵本』を創られる。

     

            最初に描かれた「中部ヨーロッパ編」

 

 

                          

                                           「中部ヨーロッパ編」の1ページ

 

 

    

       

                       この画面に入り切れない程の『旅の絵本』

 

 

 

 

 

そしてこの回の日曜美術館では、安野さんが、ふるさと・津和野から始まる、「旅の絵本・日本編」を創られる過程を追って

いた。

(その中から僅かですが何ページかを、下に紹介します。)

    

                『旅の絵本・日本編』の始まりは、津和野の駅前風景

 

 

                        

                                          駅前風景の一部を拡大したもの

 

 

 

    

 

 

 

 

    

 

 

 

                                 

                                                上の絵の、校庭の部分を拡大したもの

 

 

 

 

 

こうして見ると、安野さんの絵は、どれもとても優しく、しかも的確に、風景や建物や人物が描かれている。

対象に対する安野さんの愛情があふれている。

だから、安野さんの絵を見ていると、こちらも優しくなれるのだと思う。 

 

 

 

そんな安野さんがとても親しくし又尊敬もされていたのが、「街道をゆく」の挿絵を頼まれて、一緒に旅された司馬遼太郎

さんだったそうだ。

その司馬さんが突然亡くなられたのは、安野さんにとって、大きな痛手であり悲しみであったそうだ。

最後に、その司馬さんとのツウショットと、故郷の青野山に向かってスケッチされてる安野さんの写真を載せます。

   

 

 

 

                          

                                        この写真、私はとっても好き!

 

 

 

この日曜美術館の時点で、安野さんは既に86歳、それまでに心臓の発作にも襲われ、肺がんにもなられている。

その病についても、番組の中で、彼は淡々と語られていた。(その姿にも、私は心打たれた。)

その後、9年の歳月が流れ、安野さんは96歳の天寿を全うされたということになる。

全くの想像だが、私は、安野さんが悠然と自然体で旅立たれたような気がしてならない。

素敵な先達を失ったことは悲しいけれど、安野さんは今でも優しい微笑みを浮かべて、私たちの傍に立ってくださっている

ような気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近所のスナップ

2021-02-20 16:35:25 | 日記

ずい分前のことになりますが(9日)、近所を歩いていて中津公園の方を何気なく覗いてみると、公園の梅がわりと花を開い

ているのがチラと見えました。

中津公園の梅(白梅)は、古木で花も小さく、咲くのも遅いので、あまり注目してはいなかったのですが、少しでも花の姿が

見えると、日頃お世話になっている?公園の花だけに、やっぱり近くでちゃんと見なければと思い、公園の中に入ってその

姿をカメラに収めました。

      

              

 

 

                              

 

 

 

 

 

 

その3日後の12日の夕方、ご近所の友だちのマンションを訪問した折、そろそろ夕日がきれいに見える頃かと、ベランダか

ら淀川の夕景を撮らせてもらいました。

(結局、うまくは撮れませんでしたが…)

    

 

 

 

    

 

 

 

     

                        対岸の様子

 

 

 

 

 

 

その帰り、やっぱり中津公園に寄って、さらに花数を増した梅の写真を撮りました。

    

 

 

 

                   

 

 

 

                                                                           

 

 

 

 

            

                                                             中津公園・夕景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その名を聞けば、今でも心が熱くなる!≪3大テノール≫

2021-02-18 20:10:21 | 日記

本題に入る前に少し…13日の夜半に起きた宮城・福島を中心とする大地震によって被害を受けられた方々、また一昨日・

昨日と、北海道や東北地方に襲いかかっている猛吹雪によって苦しまれている方々…のことを思うと、心が痛みます。

何と言うことでしょう!

東日本大震災から10年目の節目をやっと迎えようとしている東北に、何故にまた地震が起きなければならないのか!

本当に、天を恨む思いです。

そして、今冬の豪雪や猛吹雪に対しても、なにか異常なものを感じます。

今まで人間がこの地球に対してしてきたことのツケが、いろんな災害となって現れているような気もします。

地球環境破壊の問題は、もう待ったなしのところまで来ているのではないかと思います。

 

 

 



 

 

 

さて本題の≪3大テノール≫に話を戻します。

私が≪3大テノール≫のことを知ったのは、ずい分昔のことですが、友だちから彼らの歌声を録音したカセットを貰ったこ

とに始まります。

 

もう衝撃でした!

 

カセットから流れる彼らの歌声、切なさと力強さと甘さに満ちた彼らの歌声は、スッカリ私をとりこにしました。

それからずい分長い間、私は折に触れて彼らの歌声を聴き、その度に、深い感動に心が震え、幸せに満たされたもの

です。

ここ何年かは、カセットを聴く機会が少なくなっていますが、今でも3大テノールから受けた感動は、しっかりと胸に刻まれ

ています。

 

 

そんな折も折、先週の木曜日の『らららクラシック』で、この≪3大テノール≫が取り上げられたのです!

私は(大袈裟に言えば)天にも昇る思いでした。

      

 

 

 

 

3大テノールとは、もともと独立して歌っていた、当代切ってのテノール歌手3人が、1990年にローマで行われたサッカー

ワールドカップの舞台で、一緒に歌うことになったことから始まります。

          

 

 

 

その3人とは…ホセ・カレーラスプラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティの3人です。

いずれも、当時のクラシック界・オペラ界で、押しも押されもせぬ実力と人気を誇っていた3人。

     

 

       

                  

 

 

                                 

 

 

 

 

それぞれが実力と名声を勝ち得ていたテノール歌手なのに、なぜわざわざ3人でタッグを組むことになったのか?

それには、ワールドカップの3年くらい前にカレーラスが、当時不治の病と言われていた<白血病>に罹ってしまったこと

と関係しています。

カレーラスが白血病だという報は、オペラ界のみならず、ヨーロッパの人々に大きなショックを与えました。

不治の病から何とか彼を救おうと、医学界は必死に治療方法を研究し、多くの人からのカンパも寄せられたのだそうです。

絶望の淵にあったカレーラスも、みんなの後押しを受けて、病気と闘う意欲を取り戻し、ドミンゴもパヴァロッティも彼を励

まし続けました。

その結果、カレーラスは奇跡的に命を取り留め、音楽界にも復帰することができました。

ワールドカップの舞台で3人がタッグを組んだのは、カレーラスの回復を祝福する気持ちがあったからだそうです。

    

      

 

                   

                         カレーラス(右)を見舞ったドミンゴ(左)

 

 

                                    

                                             パヴァロッティの言葉(ホセとはカレーラスのこと)

 

 

 

 

 

こうして≪3大テノール≫は誕生し、彼らの歌声は、ワールドカップ会場の人々を、熱狂の渦に巻き込みました。

そればかりでなく、中継をテレビで見ていた世界中の人々にも又、同じような衝撃と感動を与えたのです。

そしてその後3人は世界を廻り、彼らの歌声の力は、世界の人々を勇気づけたのです。

 

 

彼らは大阪にも来られたのですが、私はその時高価なチケット代を出し渋って、結局彼らの生の歌声を聴く機会を逸して

しまいました。

でもナマではなくても、彼らの歌声は本当に素晴らしい!

3人のうち、私がとりわけ好きだったパヴァロッティは、何年か前に他界されました。

上の写真に書かれていたように、彼はまさに「イタリアの太陽」でした。

彼の歌われるカンツォーネは、イタリアの明るい太陽そのもののような力強さを持っていました。

彼の何ものにもとらわれない自由で大らかな歌声は、今も私を励まし続けます。

もちろん、七色の声の持ち主のドミンゴ、誠実で甘い声の持ち主・カレーラスも、とても素敵です。

 

このブログで一体何が言いたかったのか、自分でもよく分からなくなってきました…。

とりあえず、3人が楽しく歌われている写真を載せて、このブログを閉じることにします。

  

              左から、ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ の3人

 

 

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                  

 

 

     


早春の大阪城公園へ 4)梅林を出て

2021-02-11 11:54:52 | 日記

いろんな梅の花を楽しみ、思いがけなくメジロにも会えて、心満たされた私は梅林を後にした。

入り口とは反対側の方から出て、帰りは地下鉄谷町線で帰ることにした。

大阪城公園は周りの土地より低い所にあるので、地下鉄谷町4丁目駅に行くには、坂道を少し上らなければならない。

坂道を上りながら前方を見ると、お城の石垣の存在感ある姿が現われる。

     

 

色や形が少しずつ違う石ががっしりと組み合わされて造られている石垣の姿に、何故だか私はいつも惹きつけられる。

 

 

 

もう少し上ってから、坂を上る足を止めて後ろを振り返ると、梅林の向こうに、大阪ビジネスパークのビル群が見える。

そして右手には大阪城が、もうすぐ咲くであろう蕾をいっぱいつけた桜の枝々の向こうに、たっている。

    

 

 

 

                   

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

大阪城公園を出る辺りで、ジュウガツザクラのか弱い花を見つけた。

(ジュウガツザクラって、その気で見ると、結構いろんな所に植えられているんだなあ!)

    

 

 

       

 

 

 

 

 

 

坂道を更に上ると、石垣に囲まれた内濠が、眼下に現われる。

そして反対側には、大阪警察やNHKなどの建物群が見渡せる。

   

 

 

 

   

             右から、「大阪警察」 「NHK大阪」 「大阪歴史博物館」

 

 

 

 

 

完全に地上に上がり、私の好きな大阪城外濠の姿をカメラに収めてから、駅へと向かった。

  

 

 

 

(ちなみに、この日大阪城公園行きで歩いた歩数は、合計9321歩でした。)

 

 

 

 

 

 

 


早春の大阪城公園へ 3)梅林 ②

2021-02-10 12:28:43 | 日記

(前回のブログで、梅林の半分をまわった感じです。今日はその後半です。もう少しお付き合いくださいませ。)

 

後半と言っても、「梅」そのものは前半と変わり映えしませんが、見た順番にしたがって載せさせていただきます。

              

 

 

 

 

                ~枝を大きく広げた白梅の古木~(両側から撮ってみた)

     

 

 

 

                       

 

 

 

 

                            ~梅と水仙~(2枚)  

          

 

 

 

                                      

 

 

 

 

 

 

                ~梅の花と大阪城(すっごく小さくしか写ってないのもあります)~       

    

 

 

 

                       

                                      建物がボケてしまって、ほとんど判別できませんが…。

 

 

 

   

 

 

   

            上の2枚、ほとんど同じで、どちらがイイか迷ったので、両方載せちゃいました(^_^;)

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

梅林をほとんど廻り切った辺りで、ちょっと人が集まって、皆上を見上げておられる。

もしや…と思って私も近づいて上を見上げると、予想的中! メジロが数羽、梅の枝の間を飛び回っていた。

わあ! 私は跳び上がらんばかり!

今回梅林に来て、メジロに逢えたことが、私には一番嬉しかった!

しかしメジロはとても小さく、しかも動きが速い。 なので、なかなかカメラに収まってくれない。

仕方なくメジロがいそうなところにカメラを向けて、何枚もシャッターを押した。

家に帰って拡大してみて、何とかメジロの姿が入っていたのは、次の3枚でした。

   

                 これが一番うまく撮れたかな?

 

 

                

                                     目が見えなくて残念!

 

 

                              

                                                これは、飛んでいるところなのかな?

 

 

 

 

(うまく写真に撮ることはできなかったけれど、今回の梅林行きは、最後に幸せが待ってました!(^^)! )

    

 

 

 

 

 


早春の大阪城公園へ 2)大阪城梅林 ①

2021-02-09 12:56:10 | 日記

その後しばらく歩いて、「大阪城梅林」に到着した。

            

 

 

 

 

梅林の中には、私と同じような梅見の客が結構来られていた。

梅の花の方は、早咲きのものが五分から七分くらい開いていて、遅咲きのものはまだ全く花を咲かせていなかった。

 

まず入り口近くで、薄いピンクの上品な梅の花に出会った。

     

 

 

 

      

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

梅林のそこここには、梅の木の根元に、水仙が植えられている。

その水仙の花と、最初のより色の濃いピンクの梅と、白い梅の花の写真を載せます。

     

 

 

 

     

 

 

 

     

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

また梅林には、蠟梅の木も何本か植えられている。

花の盛りは過ぎていたけど、記念に撮っておいた。

    

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

続いて、梅林を歩きながら撮った梅の写真を、歩いた順番に従って、載せさせていただきます。

            

 

 

 

                 ~ピンクに濃淡があって、可愛い梅~

    

 

 

 

             

 

 

 

 

      

                       白梅一輪咲いて…

 

 

 

 

    

                       再び、ピンクの梅

 

 

 

    

 

 

 

   

    

                   古木の梅の木も、白い花をつけて…

 

 

 

 

 

最後に、梅林の向こうの大阪城。

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


早春の大阪城公園へ 1)

2021-02-08 18:47:00 | 日記

一昨日のリハステージは体調イマイチでお休みしたのに、昨日はスッカリ良くなって、おまけに午前中は晴れとのこと。

これはどこかに出掛けなければならぬ!

そう思って考え付いたのが、大阪城公園。

大阪城公園の梅も、半分くらいは咲いているだろうし。

 

大阪城公園には、JR環状線で行くことにした。

久し振りにJR大阪駅の環状線のホームに上がって驚いた。

ホームの上の、何というはでばでしい色! これも乗客が事故なく乗車するための方策だろうけれど。

             

 

 

 

 

 

 

大阪城公園駅で下車すると、目の前には、「大阪ビジネスパーク」の建物が立ち並んでいる。

一方、赤い実をつけた木が、青空をバックに、日の光を存分に浴びていた。

    

 

 

 

   

 

 

                             

 

 

 

 

 

 

大阪城ホールの横を通ってしばらく歩くと、大阪城の外濠が見えてくる。

    

                     堀に向かって左手の方を眺めると…

 

 

 

     

                         右手の方は…

 

 

     

 

 

     

 

 

 

 

 

 

そこから、ビジネスパークのガラス張りのビルが、うっすらと白い雲を映して立っているのが見えた。

ビルの前の木々(メタセコイヤ)がアクセントになって、ちょっと面白かったので、カメラに収めた。

足元で山茶花が、まだ美しさを保って咲いていた。

            

 

 

 

 

 

 

この時季、堀にはいろんな鳥が渡ってきているに違いないと、期待を込めて水面を見たが、期待ほどのことはなかった。

それに私のカメラでは、鳥たちの姿を大きくは捉えられない。

   

 

 

                

 

 

                                 

 

 

 

 

 

 

道の傍でユキヤナギが、もう新芽を出しているのを見つけて、何だか嬉しくなった。

桜の木々の花芽も、大分膨らんでいた。

    

 

 

                            

 

 

 

 

 

大阪城の東の門(青屋門)をくぐって中に入ると、大阪城が姿を現わす。

      

 

 

                           

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


変わり映えしませんが…(2月2日 近所の花)

2021-02-05 18:22:35 | 日記

もう2月! しかも今年は、2日が節分だ。(暦の上だけとは言え、明日からもう春なんだ…)

その日、最後に買い物をすることにして、その前に近くを少し歩くことにした。

 

その日はまず、市営住宅のお庭の梅の花を見に行った。

ここの梅の花は、丈は低いけれど早く花をつけ、この日はほとんど満開になっていた。

      

 

 

 

      

 

 

 

      

 

 

 

      

 

 

 

       

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

市営住宅の庭で、胡蝶蘭の赤い実を初めて見た。

それと、マンリョウの赤と薄黄色の実が、とても鮮やかだった。

      

 

 

 

                              

 

 

 

 

 

 

市営住宅から中津公園のケヤキ並木に入った。

ケヤキの新芽はまだだったが、ドウダンツツジが小さな赤い新芽を出しているのが、なんとも愛しく感じられた。

ケヤキ並木の端っこで、白い水仙がひっそりと咲いたいた。

    

 

 

                             

                                          アップしたドウダンツツジの赤い新芽

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

公園に入って空を見上げると、青空をバックにクスノキが、その巨体を大きく風に揺らしてていた。

公園の植え込みの中にあるピンクの椿が咲いていた。

今年ツバキの花を見るのは初めてだったので、とても嬉しかった。

   

 

 

 

   

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

公園から富島神社に寄って、神社の梅と牛を今まで一緒に撮ってなかったので、一応撮っておいた。

   

                 (牛の像がちょっと分かりにくいですが‥)

 

 

 

 

 

 

富島神社を出たあと、マンションの近くのお店で買い物をした。

そのとき、お花屋さんに可愛いプリムラの花があったので、また買ってしまった。

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    


郵便局の帰りに (1月30日)

2021-02-02 13:02:09 | 日記

1月30日のお昼ちかく、手紙を出しに郵便局に行った序でに、近くを小さく一回りしてみた。

郵便局には裏の路地を通って行った。

路地沿いのお家の玄関先や道端で、何気なく咲いていた花。

               

 

 

 

庭先のムラサキシキブはもうスッカリ枯れ色になり、山茶花も花びらを沢山地上に落としている。

     

 

 

 

                               

 

 

 

 

 

 

富島神社の梅が、この間よりは咲いているだろうと、神社に向かう。

この間は雨だったけれど、この日は晴天だった。

それに、富島神社には蠟梅の木も一本あることを、遅まきながら思い出した。

     

 

 

 

       

 

 

 

       

               この間は「絵馬」だったので、この日は「おみくじ」を。

 

 

 

楽しみにしていた蠟梅だったけれど、もう時季を過ぎていて、花の美しさはすっかり損なわれていた。

でもこれが今年、最初で最後の蠟梅だと思うと、やっぱり撮っておくことにした。

      

 

 

 

         

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

帰り道のお宅の山茶花は、まだ美しさを保って咲いていた。