<ふるさとの水仙>
今年も中学時代の友だち・Tさんが、ふるさとの水仙を送ってくださった。
1束10本、全部で4束40本の水仙。
そのうち2束は、同じく中学時代の同級生で、高槻に住んでおられるAさんとSさんに持って行った。
残りの20本の中から、ケチって5本だけご近所のIさんにプレゼントしたら、Iさんが数の子と辛子明太子を下さった。
(あ~あ、今度も 「海老で鯛を釣る」ことになってしまった…。)
私は、残りの15本を、いつものように玄関の花瓶に挿した。
玄関がいつもより少し華やかになり、水仙の香りが辺りに漂った。
水仙と言えば、少し前に見たNHK・BSの<アナザーストーリー>で、私が今まで知らなかった、水仙に関わるある出来事を
知ることができた。
アナザーストリーは、2回にわたって「天皇」を取り上げていたが、水仙のことが出たのは、その2回目だった。
その中味はと言うと、阪神淡路大震災の折被災地を訪れられた美智子さまが、“皇居で育てられた水仙”を、地震で破壊さ
れた土地に供えられたというのだった。
そして、水仙の花言葉が『希望』であることを、私はその番組で初めて知った。
私は花言葉には格別の興味を持っておらず、水仙の花言葉が希望であることも全く知らなかった。
しかも、水仙の花言葉が希望であることは、私にはちょっと意外な感じがした。
私の水仙に対するイメージは、“清楚”とか“上品”などだったから。
それはともかく、大好きな水仙の花言葉が希望なら、年始に玄関に水仙を飾ることほ、意味のあることかも知れないと思っ
たりする。
今年は、世の中の動きの面では、不安を感じることの多い年だった。 日本という国の行く末も案じられる一年だった。
水仙を飾ることで、新しい年に希望を託すことができるかも知れない…。
なんて思いながらも、一方では、そんな甘い考えでは駄目よ!という声が、聞こえてもくるのだが‥。
<アナザーストーリー>を見て。
上でも書いたけれど、ちょっと前の<アナザーストーリー>は、2回にわたって「天皇」を取り上げていた。
憲法で「象徴」と位置付けられた天皇が、象徴の意味を模索してこられた過程を、番組は追っていた。
そこには私が今まで知らなかった事がいろいろあった。
天皇は皇太子時代も含めていろんな国を巡られているが、初めてイギリスを訪問された時は、日本の戦争責任を問う人々
によって、もの凄いブーイングを浴びせられたのだそうだ。
そして同じことは、オランダを訪問されたときにも起こった。
(イギリス) (オランダ)
そんな抗議・ブーイングの中でも、天皇は冷静に対処され、心を尽くして訪問の目的を果たされたという。
それによって、訪問された国の人々の気持ちも、ずい分変化したのだそうだ。
そういう話の中でも私が特に感動したのは、若き皇太子時代に訪問された「沖縄」でのことだ。
天皇の名のもとで行われた戦争で、唯一地上戦が行われ、莫大な犠牲者を出した沖縄 。
そして戦後になっても、自分たちの土地を取り上げられ、基地の島として多くの犠牲を強いられた沖縄。
そんな沖縄を皇太子であった天皇が訪問されることには、いろんな懸念があったという。
でも天皇(当時、皇太子)は、強いお気持ちを、下の写真のように語られていたのだそうだ。
懸念は現実のものとなり、慰霊に訪れられた皇太子ご夫妻に向かって、火炎瓶が投げつけられた。
現場は騒然となったが、皇太子はその時も落ち着いておられた、という。
そして、事件後皇太子が語られたという下の言葉は、深く私の胸を打った。
上の天皇の言葉を、現政府の人たちは、どのように聞くのだろう?
未だに多くの基地を沖縄に押し付け、米軍が様々な事故や事件を起こし沖縄の人々を苦しめているにも拘わらず、アメリカ
に対してキチンと抗議さえできない、今の政権。
そして、一般国民の中にも、「沖縄ヘイト」の言葉を投げつける人たちがいるという。(それは、政府の態度とも関係している
と思うが‥)
現政府や「沖縄ヘイト」の行動に走る人たちは、どうか、上の天皇の言葉をかみしめてほしい。
そして、新しい年こそ、憎しみの連鎖を断ち切れる年になることを、願っている。