のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

歯医者さん~あべのハルカス~天王寺美術館

2013-08-31 09:16:13 | 日記

 昨日(30日)は、また歯医者さんに行かねばならなかった。

 治療が一応終了した後も、いろいろな処に不具合が起こって、1週間置きくらいに歯医者さんへ行っている。

 今度は、奥歯の3本の歯に被せてあったのが、お寿司をガブリと頬張ったとたんに、ガクッとはずれた。

 昨日は、それを治してもらうためだった。

 こんなふうに書くと、「その歯医者さん、技術的に問題あるんじゃないの!?」と思われる向きもあるかと思うが、決して、決して、そんなことはないの

です!

 私が今通っている「和泉歯科医院」の先生は、とっても丁寧で、的確な治療をされる。

 私は、先生を心から信頼している。 (歯の治療は、死ぬまで先生にお願いしたいと思っているほどに‥〈笑〉)

 昨日は10時の予約。

 私にとっては10時は早めの時間。

 慌てて駆けつけたのに、和泉医院のある建物の近くに来て、その建物の壁に面白い影が映っているのを見ると、遅刻の危険を冒して写真を撮った。

 私はどうも影に弱いみたい‥。

              

 

 


 

 

  歯医者さんの治療を済ませたあとは、友人Oさんが出展されている「平和美術展」(天王寺美術館で開催)に行く予定だ。

 初めは、平和美術展を観たあと、昼食をとるつもりだった。

 でも時間と昼食をとる場所との関係で、「あべのハルカス・レストラン街」で、先に昼食をとることにした。

 「あべのハルカス」は、現在日本一の高さを誇る商業ビルディング。

 中に、近鉄百貨店が入っている。

                   

 だが、ハルカスのタワービルディングは、外装は終えたものの内装がまだで、日本一高いビルの展望台から大阪の街を見渡すことができるようにな

るのは、来春まで待たなくてはならない。

 ただ、タワービルの12・13・14階にあるレストラン街は、今年の春から開業している。

 私は14階の「春帆楼」というお店(前から一度入ってみたいと思っていた)で、食事することにした。

          

                  

 料理は、見たところ、なかなか豪華で盛り付けもきれいだった。

 ただお味の方は…?

 私が歯の治療直後だったこともあるだろうけど、メッチャ美味しい!というほどでもなかった。

 

 食後、14階から眺めた天王寺界隈を写真に撮ってみたが、イマイチかイマニかイマサンか‥の出来だった。

 が、せっかく撮ったので、載せておこうかな‥。

 左の写真の中央を走る道路は、谷町筋。

 右は、天王寺公園を近景にした大阪の街。

                

 

 


 

 

  

 あべのハルカスから、いつものように天王寺公園を通って、天王寺美術館へ。

 昨日は、台風から変わった熱帯低気圧の影響で、公園を歩いていても蒸し暑くてたまらなかった。

 芝生の上の動物たちも、暑さでグッタリの様子。 ただ、水のある風景は、その暑さを少し和らげてくれるようだった。

         

 

 

 美術館到着。

                  

 

 

 

 友人Oさんの作品は、お母さんを描かれた「昼さがり」という絵だった。

                 

 絵の技術的なことは、私にはサッパリ分からないけれど、年老いたお母さんに対するOさんの想いが伝わる、とてもイイ絵だと思った。

 Oさんがお母さんにこの絵を見せられたかどうかは知らないけれど、娘に自分の姿を描いてもらって、お母さんはきっと喜ばれているに違いない。

 

 それ以外の私の心に残った作品を、次に、ランダムに載せさせていただきます。

                

                 「孕む」                              「白のなかで」

 

            

                「牛窓の夕陽」                                「坂道ラプソディ」

 

                

                                                     「原発さえさえなければ‥」

 

           

                 「寺院の朝」                            「お姉ちゃんになった日」

 

              

               「放課後」 (切り絵)                        「~明日へ~ 向日葵と子どもたち」

 

       

          「自決の浜」 (写真)                           「動き出した時間」 (デザイン)

 

                

              「白バラは散らず Ⅰ」                        「白バラは散らず Ⅱ」

 

     

 


とりとめのないこと

2013-08-29 15:00:21 | 日記

 一昨日の夕方ベランダに出ると、東の空が珍しく薄い夕焼け色だった。

 前景が悪いけど、ちょっと嬉しくなってカメラに収めた。(下の写真・左)

 

 昨日の朝も、水やりにベランダに出た。

 すると、一昨日の夕焼け空は一変、少し秋めいた感じの雲が、空いっぱいに広がっていた。(下の写真・右)

                 

 

 

 昨日は水やりを済ますと、公園に行った。

 公園では「カクトラノオ」が、花数をずいぶん増やしていた。

           

 

 

 スイフヨウ(酔芙蓉)は、朝開いた時は白で、夕方になると、次第にピンク色へと変化する。

 まるで、ちょっとお酒が入って、顔が赤らんだ趣き‥。

 そこから、「“酔”芙蓉」と名付けられたのだそうだ。

 酔芙蓉も、一日花。(下の写真・左)

 

 市営住宅のお庭では、今年も「朝鮮アサガオ」が、白い花を咲かせていた。(右)

        

                                        

 

 家に帰ってもう一度ベランダに出ると、この日はハイビスカスが、今までで最高の3つ、花を咲かせていた。

 うれしくなって又カメラに収めた。

                  

 

        

 

      

 


≪うかつにも‥知らなかったこと≫(2)

2013-08-25 18:39:26 | 日記

 日にちは忘れてしまったが、比較的最近の「ETV特集」で取り上げられた下記の番組は、私に強い衝撃を与えた。

             

 

 私は終戦直前に島根の田舎で生まれたが、私の田舎は幸いにも、直接空襲を受けることはなかった。

 もちろん、戦争中の食糧難・物資不足の話は、両親や兄姉からよく聞かされてきた。

 大きくなるにつれ、東京大空襲や大阪大空襲、沖縄戦や、広島・長崎への原爆投下による悲劇などについて、知識も得てきた。

 そして、日本は、戦争で被害を受けただけでなく、東南アジアの国々に対しては、加害者であったことも学んできた。

 私は、戦争の悲劇については、比較的よく知っている方だという、自負さえ持っていた。

 

 ところが‥

 ≪空襲被害者≫と言われる方たちが、戦後68年経つ今も、何の保証もなく傷を抱えたまま不自由な暮らしをされていることは、上の番組を見るま

で、全く知らなかった。

 

 下の写真は、名古屋大空襲で左目を失った、杉山千佐子さん。

                

 

 杉山さんは、左目がない不自由さにもめげず、いろんな仕事をされ、自立して生活してこられた。

 その彼女が41年前、仕事仲間の助言もあって、『全国戦災障害者連絡会』をつくられる。

 

 その会には、空襲で傷つき障害を負い、世間の差別の目にも耐えながら、貧しく苦しい生活をしてきた人たちが、続々と集まってきた。

 空襲で、手を、足を、あるいは両手・両足を失った人。

 目を、耳を、失った人。

 腕に、脚に、そして顔中に、ケロイドを負った人。

 

 杉山さんを中心として彼(女)らは、空襲被害者を救済する法の制定を求め、何度も何度も国会に請願を繰り返された。

 だが、法は整備されず、今に至るまで、なんの救済措置もとられなかった。

 

 そんな中で沢山の悲劇がうまれた。

 浜松大空襲で共に障害者となった二人が結婚、二人の子どもを授かるが、世間の白眼視もあって生活が成り立たず、一家心中を図ってしまったとい

う事件。

 顔中ケロイドを負い、多額の費用を出して30回も美容整形を受けるが、思うように良くならず、絶望して結局自殺してしまった女性。

 (ケロイドの治療が、医療として認められていれば、そんな不幸も起こらなかっただろうに‥。)

           

                (ケロイドに苦しみ、手術を繰り返した後、39歳で自殺した女性)

 

 空襲被害者の救済を拒否する、国の言い分はこうだ。

 「軍人・軍属と違って一般国民は、国との雇用関係がないから、保障する必要はない!」

 (そんなバカな!)

 当時軍は、空襲に苦しめられる国民に対して、「焼夷弾は決して怖いものではない!」と偽りの宣伝までして、あくまで本土でも、敵と戦うことを国民

に強要していた。

 そのために、焼夷弾の怖さを知らず、それから逃れることをせず、沢山の人が莫大な被害を受けたのだ。

                     

     

 

 

 そうであるにも拘わらず、戦後一切の救済を拒否してきた日本と言う国は、一体どんな国なんだろう?

 私は、憤りと悲しみを禁じえない。

 

 左目を失いながらも自立して生き、空襲被害者の救済を求めて運動の先頭に立ってきた、杉山さん。

 その杉山さんも、今ではもう、97歳。

 目だけでなく、体のアチコチが不自由になっておられる。

            

           (97歳の今も、不自由な体をおして訴え続けられる杉山さん)

 

 彼女が生きておられる間に、空襲被害者の救済に向けての道が、少しでも開けていくことを、テレビを見ながら強く願った。

 (願うだけではどうしようもないことは、十分知りつつ‥)

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 


≪うかつにも‥知らなかったこと≫(1)

2013-08-25 15:30:12 | 日記

 8月は、過去の戦争と、シッカリ向き合わなければいけない月。

 今年も各局のテレビ番組が、戦争及び戦後の歩みについて、いろんな角度から取り上げていた。

 それらを見るなかで私は、今まで迂闊にも知らなかったことを、幾つか知ることとなった。

 

 一つは、8月9日に行われた『長崎平和祈念式典』の実況番組。

       

 

 

 祈念式典の中で、長崎・田上富久市長が≪長崎平和宣言≫として語られたこと。

               

 

 田上市長は、「日本政府に被爆国の原点に返ることを求めます。」と語られた後、次のような事実を述べられた。

 それによると…

 何と我が国は、今年4月ジュネーブで行われた『核不拡散条約(NPT)検討会議準備委員会』において、「人類はいかなる状況においても核兵器

を使うべきではない」という文書への賛同を拒否した、というのだ。

 

 何ということだろう!

 上述の事があったのが、4ヶ月も前の4月だったにもかかわらず、私はそんな重要なことを、8月9日の、その日まで全く知らなかった!

 新聞をほとんど読まず、ニュースの時間も、録画した番組を消化するのに使うことが多い私‥。

 それが、こんな結果をもたらしたのだ。 

 なんとも情けない!

 

 田上市長は、静かな口調ながらキッパリと、次のように言われた。

 「(上の文言が受けられないということは、)核兵器の使用は状況によっては認めるということを、日本政府は示したことになる。」

 「それは、二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国の原点に反する

 

 私たちは、こんな政府を、先の二度の選挙で選んでしまったのだ‥。

 私は、自分の愚かな迂闊さを深く恥じ入るとともに、核のない世界に向けて、微力ながら何か行動していかなければならないと強く思った。

 

 

 

 


リベンジ!?

2013-08-22 15:48:21 | 日記

 昨日も朝から太陽が照りつけ、気温がぐんぐん上がった。

 ベランダに出ると、ゴーヤの葉っぱも、窮屈な鉢の中でガンバって花を開き蕾を付けているハイビスカスも、まともに太陽の陽射しを受けている。

            

 

 

 昨日は、2週間前にしんどくなって途中で帰った公会堂のダンスパーティに、再び行くことになった。

 この暑さで昨日もどうなることやら自信は無かったのだけれど。

 

 それでも淀屋橋から中央公会堂まで(重い荷物を持ち、日傘をさして)歩きながら、ちょっと心が動く光景を見つけると、すぐにシャッターを押してし

まうのは、困った性だ。

 下は、変わり映えしないけれど、土佐堀川の風景。

        

 

 

 市役所横の路を公会堂の方に歩いていくと、強烈な日射しが、木々や建物のラインをよりクッキリとさせ、木々の濃い影を路上に投じていた。

         

 

 

 公会堂に到着。

                

 

          

 

 

 会場に着いた時には、もうとっくにパーティは始まっていた。

 私も、準備体操を簡単にしたあと、踊りに加わった。

 

  昨日は、踊りの上手下手はさて置いて、とにかく最後まで踊りきれたのが、何より嬉しかった。

 (その代わり、家に帰って荷物を片付けシャワーを浴びて食事をする頃になると、グッタリと疲れてしまったけれど。)

 

 ~昨日のダンス、2週間前のリベンジが一応できたってことになるのかな!?~

 

       


“ガタロさん”が描く絵

2013-08-18 16:37:51 | 日記

 “ガタロさん”は、広島生まれの63歳。

 30年来、広島にある“基町(もとまち)ショッピングセンター”の清掃員をされている。

 月給、15万円。

 “ガタロ”という名まえは、故郷を流れる三篠(みささ)川(旧・太田川)に住む“河童”にちなんだ名まえ。

 広島では、“河童”のことを、“河太郎”とも“ガタロウ”とも言う。

 河童の“ガタロウ”は、川の中で、今も自由に暮らしているのだそうだ。

 その“ガタロウ”からとって、“ガタロ”と名乗ることにされたのだという。

              

 

 

 ガタロさんが清掃の仕事をされている“基町ショッピングセンター”は、戦争で家を失った人のために建てられた“基町高層アパート”に併設して、造ら

れた。

 下の写真は、基町高層アパートの夜景と、基町ショッピングセンターの一部。

     

 

 基町ショッピングセンターは、店舗数が100を超え、通路の全長が400メートルもある、かなり大きな商店街だ。

 東西南北の4ヶ所に、4つのトイレがあり、便器の数は50にものぼる。

 その通路とトイレ全てを、ガタロさんは一人で掃除される。 朝の4時から。

 

 幼い頃から絵を描くことが好きだったガタロさんは、ショッピングセンターの掃除道具をしまう4畳半ほどの部屋を、絵を描く場所として使う許可を得

た。

 こうして、彼の念願の“アトリエ”ができた。

 とは言え、掃除道具と同居の、お世辞にもキレイとは言えない“アトリエ”だけど。

 そして彼が使われる画材は、使われなくなった色鉛筆やコピー用紙などなのだ。

 

 アトリエを持った彼が先ず最初に描かれたのが、“掃除道具”。

               

 彼は“棒ズリ”や“モップ”を見ながら、しみじみと言われる。

 「僕が時にいら立って、ガーッと使うてもね、黙って立っとるでしょ。」

 「何も文句を言わんわけですよ、最も汚い所をきれいにする仕事やっとって。」

 普段は、誰にもかえりみられることのない掃除道具。

 だけど彼らは、文句も言わずに、やるべきことをきちんとやって、静かにそこに存在している。

 その姿・たたずまいに、ガタロさんの心は強く惹きつけられた。

 ガタロさんにとって、掃除道具は、自分の仲間であり、分身であると同時に、尊敬すべき存在でもあったのだ。。

 

 ガタロさんは2年前、“素描集『清掃の具』”を、自費出版された。

 彼の人生初の画集だ。

             

 

 (その中から、4点の作品を次に載せます)

               

       『大五郎』とは、彼が清掃道具を入れて運ぶために、自分で作った「愛車」につけられた名まえ。今は3代目が活躍している。

 

      

 

             

 

 最後の「歯の抜けた棒ズリとホース」は、掃除道具としての役目を終えようとしている棒ズリの姿を、描いたもの。

 「最後に、残った毛を散髪してきれいにしてから、土に埋めようと思っとります。」

 その彼の言葉は、私の胸に、熱く重く響いた。

 物を単なる物として見るのではなく、一つの命ある存在物として見、大事にされるガタロさん。

 その心の有り様を、私はとても素晴らしいと思う。

 そしてそれは、消費生活に慣れきった私への、強い警告でもあった。

 


 

 

 ガタロさんは、1949年、広島の生まれ。

 被爆者であるお父さんは、原爆について多くを語られないまま、60歳で亡くなられた。

 ガタロさんがお父さんの口から聞いたのは、「地球の終わりじゃ思うた‥。」の一言だけだったとか。

 ガタロさんは被爆の現実に向き合うべく、掃除道具と並行して、原爆ドームを描き続けていかれる。

 4~500枚は描いたであろうと言われる原爆ドームの絵は、しかし何故か、そのほとんどが気に入らなくて、処分してしまわれたのだそうだ。

 残ったものの中から、2枚だけ。

          

 

                  

 


 

 

 10年前、ガタロさんの前に一人のホームレスの男性・S氏が現れ、自分を描いてくれと頼まれた。

 ガタロさんは、彼の真意をはかりかねながらも、とりあえず彼を描いた。

            

 

 しかし、何枚か描いていくうちに、ガタロさんは、彼を描かなければいけないと、考えられるようになってきた。

 口数の少ないS氏だったが、彼を描くうちに、彼の存在そのものに、ガタロさんは強く惹きつけられていく。

 「彼が生きとるんじゃということも、僕が描きゃあ、残るいうんかね…。」

 ガタロさんは、S氏が確かにこの世に存在しているということを、S氏の生の尊厳みたいなものを、自分の絵で表そうとされたのかもしれない。

             

 

 しかし、S氏は5年前に、突然姿を消した。

 今でもガタロさんは、彼のことを忘れられないでいる。

 


 

 

 ガタロさんは、清掃の仕事を始められたあと、40歳で、7歳年下の悦子さんと、結婚された。

 今は一人息子が独立し、決して広くない借家で、悦子さんと共働き(悦子さんは看護師さん)の生活を送られている。

 ガタロさんはもちろんだが、妻の悦子さんも、実に実にスバラシイ人だ。

 下の写真(右)は、悦子さんが、忙しい仕事の合間をぬって、借家の周りで、丹精込めて育てられている薔薇。

          

 

 彼女は言われる。

 「私は、主人の、掃除道具を描いた絵が好き!」と。

 そして、

 「主人は体も弱くて、世の中の真ん中を大手を振って歩くような人じゃないけど、“表現する”ということができて、本当によかったと思う。

 一日でも長く生きて、描けるもの・描きたいものを描いてくれたらいいと思う。」 とも。

 彼女もまた、人間にとって何が大切なのかを、よく分かっている人なのだ。

 本当に素晴らしいご夫婦だ!

 

 私は広島・基町を訪ねて、ガタロさんご夫妻に一度会ってみたくなったりもした。

 

   

  

 

 

 

 

         

           

 

 

 

 

   

 

 

                  


ひさびさの公園

2013-08-17 17:28:20 | 日記

 体調イマイチで朝の公園行きを10日以上サボった。

 でも昨日の朝は、「今日は公園に行ってみよう!」という気持ちが自然に湧いてきた。

 体の調子が大分良くなってきたようだ。

 

 ひさびさの公園は、このところの日照り・高温続きで、見るべき花の姿はほとんど無かった。

 ただサルスベリだけが、だいぶ花を開いていた。

 公園には、サルスベリの木が15,6本はある。

 色は、〈ピンク〉・〈やや濃いピンク〉・〈白〉 の3種類。

 色によって、植わっている場所によって、花の咲き具合はだいぶ違う。

 ほぼ満開に近い木もあれば、まだまだの木もある。

 昨日はよく咲いている木を選んで、何枚か写真を撮ってみた。(一番下は、パノラマ写真に挑戦してみました。)

                

            

 

 

     

 

 

 公園からの帰り道、白い芙蓉が、蝶々のように咲いていた。

 “カンテ・グランテ”前のピンクの芙蓉は、昨日は開いている花が少なく、残念だった。

          

 

            

 


何とか淀川花火大会に出掛けたものの‥

2013-08-11 10:02:24 | 日記

 昨日は恒例の≪淀川大花火大会≫。

 いつもは、8月の第1土曜日に行われるのだけれど、今年は何故か1週間ほど遅れた。

 私は、“花火大好き人間”!

 だから例年だったら、その日は早めに淀川の土手に陣取って花火を楽しむのだが、昨日はそうはいかなかった。

 この間のダンスパーティ以来、(というよりその前から)体調が思わしくない。

 左の頬っぺたが腫れて痛みがあり、そこだけではなく体全体がだるくて仕方がない。

 ちょうど歯医者さんの予約をしていたので、とりあえず歯医者さんで診てもらうことにした。

 歯医者さんの診断は、夏の暑さで体が疲れ、抵抗力も弱っているから、歯茎や頬っぺたに炎症が出るのだろうとのことだった。

 抗生剤を3日分貰って飲んだ。

 お陰で、頬っぺた辺りの痛みは徐々に治まり、体のダルさもマシになってきたような気がしていた。

 それでダンスパーティに出掛けたんだけれど、前にも書いたように、その日は体が思うように動かなかった。

 疲れの原因の一つは、このブログにもあるのでは?と思って、しばらくブログを書かないようにしていた。

 でも悲しいかな! ブログ中毒気味の私は、ちょっと調子が戻ると、またぞろブログを書きたくなってしまう。

 そして、又、疲れる!(涙)

 昨日も簡単なブログを2つ書いたら疲れてしまい、花火大会の時間になっても、なかなか出掛ける気がしなかった。

 このところ、大阪(だけじゃないけど)は、猛烈な暑さ! 夜になっても、気温は30度をなかなか下らない。

 それもあって、よけい出掛けるのが億劫になった。

 

 でも、花火の打ち上がるドドーン!という地響きのような音が鳴り響くと、やっぱり行くだけ行ってみようかと思ってきた。

 私は花火開始から30分遅れて家を出た。

 そしていつも行く淀川の土手には上がらず、下から花火を眺めた。

 でもやっぱり花火には人を元気にする力がある。

 次々と打ち上がる花火を見ていると、少し元気が出てきて、私はやっぱり写真を撮った。

 

 私のカメラは、数年前に買ったごく普通のデジカメ。 三脚も持っていない。

 なので、イイ写真を撮るなんて望むべくもない。

 でもシンドイ中せっかく撮った写真なので、ピンボケの写真も多いのですが、しつこく(笑)載せさせていただきます。

             

 

             

 

              

 

                        

 

              

 

                

 

               

 

            

 

          

 

 

              

 

 30分も遅刻して行ったにもかかわらず、帰りはやっぱり、グッタリ疲れてしまった。

 夜道を歩く足取りは覚束なく、私はやっとの思いで家にたどり着いた。

 

 


 

 

 淀川の花火大会の日の朝、ベランダで水やりをしていてフッと上を見ると、ゴーヤが写真のようになっていた。

 水やりだけは欠かさずやってきたが、シンドサにかこつけて、生ったゴーヤをちゃんと見ていなかった。 

 せっかく生長してくれたのに、「ゴーヤさん、ごめんなさい!」

                 

 


粋なドレス

2013-08-09 14:52:27 | 日記

 7日には中央公会堂に踊りに行った。

 でもこの日は体調が良くなく、満足な踊りができず、結局早めに帰宅してしまった。

 せっかくなのに、残念!

 

 それはともかく、中央公会堂のダンスパーティは、他のスポーツセンターで行われるパーティと違って、ドレスアップした方が多い。

 この日は、とりわけそれが目立った。

 あまり踊れないので、せめて綺麗なドレスでも写真に撮ろうとカメラを構えた。

 でも結局イイ写真は撮れなかった。

 やはり、動いているモノを撮るのは、むずかしい!

 今回もピンボケだけど、2枚だけ載せておきます。

       


今年も≪3大交響曲の夕べ≫へ♪

2013-08-09 14:16:42 | 日記

 去年初めて聴いて、とっても感動した、小林研一郎指揮の≪3大交響曲の夕べ≫。

          

 今年は、新装成った『フェスティバルホール』で行われる。

 このコンサートの開催を知ったとき、私は行こうかどうしようか、ずいぶん迷った。

 行きたいのはヤマヤマだけど、お金もバカにならないし、去年聴いたばかりだから、今年は我慢しよう!

 そう思って諦めていた折も折、友人のOさんから、行くつもりでチケットを取ったのに急用で行けなくなったので、代わりに行ってくれないかという、有難

~いお申し出があった。

 私はもちろん、一も二もなく承諾した。

 

 新装成ったフェスティバルは今度が2度目だが、この日(4日)は、淀屋橋駅から歩いてホールに向かった。

        

 

 フェスティバルホールの玄関には、(前にも書いたけど)なかなか立派な赤絨毯を敷きつめた階段がある。(写真左下)

 その階段が、帰りには人で埋め尽くされて、赤絨毯はほとんど見えなかった。(写真右下)

            

 

 それほどに、今回のコンサートは盛況だった。

 この間シンフォニーホールで行われた『小林研一郎の夏休み名曲招待席』も、補助席が使われるほどの盛況ぶりだった。

 どうも小林研一郎氏には、熱狂的なファンが数多くおられるようだ。

 (実は、私もその一人だけれど。)

 小林研一郎氏の、音楽に対する深い理解と愛情、彼の、楽団員・聴衆と共に一つの音楽を創っていくのだという、あたたかい姿勢とが、聴衆の心を惹

きつけるのだと思う。

 この日のコンサートも、そんな彼の本領が発揮された、素晴らしいものだった。

 

 私は帰りも、コンサートの余韻に浸りつつ、淀屋橋まで歩いた。

 次は、久しぶりに見た夜の御堂筋。そして、土佐堀川と中央公会堂。 (いずれもピンボケですが‥)

          

 

          

 

    

 


3日(土)と、4日(日)の朝のこと

2013-08-05 19:22:29 | 日記

 3日(土)は、去年4月に熊本から出て来て神戸の大学に通っている(姪の子供の)N君と、(姉夫婦も一緒に)久しぶりに昼食を共にした。

 N君はちょっと前に誕生日を迎え、めでたく二十歳になった。

 そのお祝いを兼ねての、ささやかな食事だった。

 お店は、N君の希望で、以前にも行ったことのある『えんどう』というお寿司屋さん。(京橋の京阪モールにある)

 ここのお寿司は、大阪中央市場から直接仕入れたお魚を使っていて、なかなか美味しい。

 下の写真のようなお寿司が、1皿ずつお任せで出てくる。

             

 姉と私は3皿、義兄は4皿、N君は5皿(6皿?)をペロリと平らげた。

 さすがに、若い!

 お寿司を食べ終わった後、義兄は所用で別のところに行き、N君と姉と私は梅田に出てお茶することにした。

 お茶の前に、私だけ、阪神百貨店のダンス用品売り場に寄って、お直しで預けてあったスカートを取ってきた。

 その時のダンス用品売り場の飾り付けがちょっと面白かったので、写真に撮った。

 (慌てて撮ったので、、バランスが変だけど…)

               

 

 3人でお茶した後、N君は友だちと一緒に夕食を食べることになっていたので、その日はそれで別れた。

 二十歳になったN君、どうかこれからの日本が平和であり続け、みんなが幸せに暮らしていける世の中になるように、世の中の動きにもシッカリ関心

を持つようにしてね!

 そして、N君自身も、素敵な未来を築いていってください♪

 歳をとった大叔母の、心からの願い・祈りです。

 


 

 

 次は、翌4日(日)の朝の公園(と付近)の花たちです。 

 あまり変わり映えしないけれど、せっかく撮ったので、載せさせていただきます。

        

               (朝から暑い公園で、元気に咲いている、赤とピンクのゼラニューム)

 

 

 次は、名まえを知らない黄色の花と、紫の変わった形をした葉っぱを持つ草(?)

                 

                 

 

 公園を出たところのマンションで、女郎花の花がもう咲いていた。

 空き地では、エノコログサが、日の光を浴びて輝いている。

       

 

 中津小学校の塀にはちっちゃなゴーヤが生っていた。

 この前も撮った瓜は、スッカリ熟しきった感じ‥。

 もうとっくに夏休みに入っている小学校。 ゴーヤも瓜も、一体誰が採って食べるのかしら?

           

 

 『カンテ・グランテ』の前では、涼やかな淡いピンクの芙蓉と、赤い南国的な花(名まえは何て言うんだろう?)が、競うように咲いている。

     

 

 

 家に帰ってベランダに出てみると、白ゴーヤが(ちっちゃくてメタボながら)もう採り頃のようなので、他のゴーヤ2本と一緒に初収穫した。

          

 

 


待望の≪白ゴーヤ≫今朝、初見参♪

2013-08-02 08:58:44 | 日記

 今朝いつものようにゴーヤに水やりをしていると、生い茂った葉っぱの中で、何かムクッとしたものが手に当たった。

 葉っぱの間からその物体を引っ張り出してみると、今まで影も形もなかった≪白ゴーヤさま≫が姿を現した。

 体調は、まだ11センチ。 でも胴回りは20センチもある、堂々たる“メタボ白ゴーヤ”だ!

                     

 

 この白ゴーヤさま、今まで一体どんなふうに隠れ、私の目を欺いておられたのであろうか!?

 でも、とにもかくにも、今年は白ゴーヤを諦めかけていたところなので、やっぱりウレシイ!

 今のところ、白ゴーヤはこの1個しか見つかってないけれど、この先ゴロゴロ現れてきて、私は、嬉しい悲鳴を上げることになるのだろうか?

 

 去年の夏に買ったハイビスカスが、冬を越して咲いてくれている。

 冬には室内に取り込んだものの、植え替えもせず、小さな鉢から窮屈そうに、枝を伸ばし花を咲かせている。

 今朝は、そのハイビスカスが同時に2つ花を開いた。

 逆境にもめげず花を咲かせてくれた、ハイビスカス。

 感謝の気持ちで、写真に収めた。

                   


7月末の公園と、ゴーヤの生長過程

2013-08-02 07:30:20 | 日記

 7月の終わりは、スカッとした晴天に恵まれなかった。

 朝の公園の空にも、ぼんやり霞んだような朝日が浮かんでいた。

           

 

 公園で、この日初めて、日本朝顔(って言うのかな?)の花を見つけた。

 (花が思うようにこっちを向いてくれなくて、うまく撮れなかったが‥)

 公園の散歩道のプランターにも、新しい花(マツバボタン?)が植えられていた。

       

 

 公園近くの『カンテ・グランテ』(インド料理の店としては、ちょっと有名!)の、ピンクの芙蓉の花が咲き始めた。

       

 暑い夏に、この淡いやさしい花を見ていると、心が鎮められる気がする。

 

     


  

 

 今年3本植えた『沖縄中長ゴーヤ』は、どんどん実が生って、今や冷蔵庫でゴロゴロしている。

 知り合いのゴーヤ好きの方に大分貰っていただいてもいるし、私も食べてはいるけれど、とても追いつかない。

 先日Nさんにゴーヤ茶の作り方を聞いたので、作らなくっちゃ!と思いながら、サボっている。

 30日の朝にたまたまゴーヤの赤ちゃんを見つけたので、今日は、≪ゴーヤの生長過程≫(なんて言うと大袈裟だが)を、写真で表してみた。

              

               (1)まだ、ホンの赤ちゃんゴーヤ     

 

             

                             (2)ちょっとだけ生長した‥。

 

           

(3)かなり大きく生長!(写真の撮り方でちょっと小さく見える‥)  (4)自分の重さで、地面近くまで垂れ下がった。

                                             いよいよ収穫の時期!