のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

『泉布観』を取り巻く長~い行列!(考えることはみな同じ‥)

2013-03-30 21:15:40 | 日記

 私は昨日夕方のテレビで、(大阪で最も古い洋風建築の)『泉布観』内部が、明日までの3日間、一般公開されることを知った。

 こんな機会はめったにない!

 私は今日にでも是非行ってみたいと思ったが、生憎今日は何だか身体が重く、午前中は家でグズグズしていた。

 でも天気予報は、今日はお天気がいいが、明日は雨模様だと、報じている。

 やっぱり今日行っておこう!

 私は意を決して出掛けた。 (但し、タクシーでだけれど‥)

 

 『泉布観』は、(桜の通り抜けで有名な)造幣局の向かい側にある。

 1871年、造幣局に付随した迎賓館として建てられ、(上にも書いたように)大阪府で最も古い洋風建築で、国の重要文化財でもある。

 

 私が『泉布観』前でタクシーを降りると、驚いたことに、泉布観を取り巻いて、長~い行列ができていた。

 皆さんも私と同じように、昨日のテレビを見て、ぜひ行かなくっちゃ!と思われたに違いない。

 みんな、考えることは一緒やな!

        

 

 警備の方に聞いてみると、なんと、入場するまでに3時間はかかるとのこと。

 せっかくタクシーで駆けつけたが、3時間も待つ元気は、私には無かった。

 そこで、『泉布観』の建物だけ写真に撮って、内部見学は来年までお預けということにした。

              

 

 

 それにしても、せっかくタクシーに乗ってここまで来たのに、そのまま帰るのは何とももったいない。

 そこで、大川端を(いつもとは逆方向に)歩きながら、一足先に、お花見を楽しむことにした。 

 (大川のお花見には、3日に友だちと来ることが、前から決まっている。)

 

 今日の大川端のソメイヨシノは、すでに満開のものもあれば、まだ6~7分咲きのものもある。

 全体では、8分咲きってとこかな?

 

 下の写真(左)は、橋の鉄骨のラインがスッキリしていて、意外にキレイだったので撮ったもの。

 右の写真は、よく見かける大川の風景。

      

 

 

 OAPビル&帝国ホテル近くに来ると、ソメイヨシノ以外の桜やユキヤナギも、盛んに咲いていた。

         

 

 

             

 

        

 

 

 帝国ホテルを過ぎると、川面になだれ落ちる桜が、なかなかキレイだ。

   

 

 

 途中で大川端から上の道路に上がり、お馴染みの源八橋から、大川の桜を眺めた。

                   

 

                  

                  

 

 いつものように、遠くには大阪城の姿も見えた。

                  

 

 帰りは、桜ノ宮から環状線で大阪駅へ。

 そこから地下鉄に乗り換えて、中津まで帰ってきた。

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地元・中津の自慢のお店‥≪ビストロ・ド・ヨシモト≫

2013-03-30 12:12:40 | 日記

 私が住んでいる中津には、残念ながら、あまり人にお薦めできるようなレストランがない。

 そんな中で、≪ビストロ・ド・ヨシモト≫は、ちょっと自慢のフレンチレストランだ。

 

 店の建物自体は、とりわけて言う程のことはない。

 エントランス部分なんかは、むしろゴチャゴチャした感じさえして、お世辞にもステキとは言えない。

 でも中に入ると、こじんまりながら、清潔で落ち着いた雰囲気だ。

          

 

 昨日は小学校時代からの友だちTさんを誘って、ランチをいただきに行った。

 事前に予約は取ってあったが、私たちに用意されたのは、カウンター席だった。

             

 カウンター席もなかなかいい雰囲気だ。

 

 

 お店の雰囲気もさることながら、私がこのお店を気に入っているのは、当然のことながら、料理の質の良さと美味しさだ!

 フランス料理にありがちなコッテリさは全くなく、よく吟味した食材をうまく組み合わせて、このお店ならではの、上品で繊細な味を作りだされている。

 昨日は、サラダ・オードブル・魚料理・肉料理・デザート&コーヒーのコースだった。

 そのどれもが、本当に美味しく、初めてだったTさんも大満足してくださった。

 

 昨日は、Tさんと食事を共にすることがもちろん目的ではあったが、私は、この機会に、このお店の素晴らしさを紹介すべく、全部の料理を写真に撮る

つもりで、張り切っていた。

 なのに‥である。

 やっぱり、最初の二品(サラダとオードブル)は、「きれいねえ!すてきやねえ!」などと感嘆しながら、結局は食い気が先だって、写真のことはスッカ

リ忘れてしまった。

 なので、後の三品(魚料理と肉料理、そしてデザート)のみを、次に載せさせていただきます。

        

 

                

 

 

 

 

 


知らなかった、“ヒロシマ復興のドラマ”

2013-03-30 00:03:14 | 日記

 私は今まで、ヒロシマ・ナガサキの原爆について、関心も知識も持っているほうだと、自負していた。

 でも、壊滅状態にあったヒロシマの街がどのようにして復興してきたのかについては、3月16日放送のテレビ番組を見るまで全く知らなかった。

 その番組は、NHK総合の「ヒロシマ 復興を夢みた男たち」。

               

 

 

 「復興を夢みた男たち」の中心にいたのは、戦後初めての市長選で市長に選ばれた、浜井信三氏。

 彼は、被爆時は広島市役所の職員だったが、戦後ヒロシマの街を復興したいと願う人々の強い推挙を受けて、市長選に立候補し当選された。

               

                自ら街頭に立って平和を訴える、浜井信三市長

 

 番組は、市長になられてからの浜井市長の苦難に満ちた闘いの道のりを(ドラマ仕立てで)追い、彼が、復興に向けて、先ずは広島市民の心を一つ

にするために、「平和祭」を開催し、そこで初めての「平和宣言」をされる姿を描いていた。

               

                   昭和22年8月6日に開かれた、第1回平和祭

 

 しかし、平和祭の開催がそのまま、広島の復興につながったわけではない。

 復興を実現するためには、復興に必要な財源がなくてはどうしようもない。

 ここから、市長の、財源を確保するための、厳しい闘いが始まる。

 詳細は省くが、苦闘の末、昭和24年5月に、「広島平和記念都市建設法」が国会で可決され、復興財源を確保する道が開けた。

                

 

 こうしてヒロシマは、復興に向けて、力強く歩み始めることができたのだった。

 

 私はここ20年くらい、ヒロシマ・ナガサキの「平和祈念式典」を必ずテレビ中継で見、両市長の「平和宣言」に耳を傾けている。

 その「平和式典」「平和宣言」が、このような形で始まったことを初めて知り、私は、新たな感動を受けた。

 

 浜井市長の歩みは、市長自らが書き綴られた文章(ガリ版刷り)を基に、今では「原爆市長」という本として刊行されている。

 そして今この本が、東日本大震災の被災地で、復興に向けて歩もうとしている人々に、大きな示唆と勇気を与えているのだという。

                

 

 私はこの事にも強い感銘を受けると同時に、被災地のより早い復興を、願わずにはいられなかった。

 

 

 そして、この番組の中で、私が感動したことが、もう一つある。

 それは、「復興を夢みた男たち」が集まった“場所”のことだ。

 その“場所”とは、戦後1年めに建てられたバラック、純音楽茶房『ムシカ』。

            

 

 「夢をかたる会」の面々(その中の一人が浜井氏だった)は、そこ『ムシカ』で、(戦争中は禁止されていた)クラシック音楽を聴きながら、ヒロシマの将

来について、喧々諤々の議論をたたかわせていたのだ。

 その議論の中から、徐々に復興への道筋が見えてき、浜井市長を誕生させることにもなった。

 

 そして、驚いたことに、その『ムシカ』は、現在も、当時の店主の息子さんによって、営業されているというのだ。

 当時の店主・梁井義雄氏(左)と、現在の店主の、息子・忠孝氏(右)

           

 

 

 今の『ムシカ』と、終戦直後の開店以来ずっと店内に掛けられている、ベートーヴェンのデスマスク。

           

 

 

 私は、クラシック音楽を聴きながら夢を語り合った人々のことを思い浮かべると、なぜか、うれしくなってくる。

 (クラシック)音楽が、人々の夢を実現するための大きな後押しになることが、証明できたような気がするからだ。

 やっぱり、音楽のチカラって、スゴイな!

 

 私には今、願っていることがある。

 それは、近いうちに広島に行って、『ムシカ』でベートーヴェンを聴きながら、コーヒーを飲みたいなあ!ってこと。

 そしてできたら、店主の梁井さんたちとも、いろいろお喋りしたいなあと‥。

 

 この夢、実現できるかな?

 

 

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中津の桜は‥?

2013-03-26 23:27:46 | 日記

 今日の午後、郵便局に行ったついでに、中津公園の桜を見に行った。

 大阪でもいろんな所で桜がずいぶん花を開いていると、テレビが言っている。

 中津公園の桜はどうなのだろう?

 

 公園に着く前に、(私が元日にお参りしている)富島神社で、すでに満開ちかくになっている桜が目にとび込んできて、驚いた。

               

 

 桜の傍に、清らかな白い小さな花を付けた木があったが、何の木か分からない。

                

 

 

 市営住宅の庭で、チューリップがもう花を開いていた。

 でもここのお庭は、毎年とても綺麗に花を咲かせてくださっていたのだが、今年は少し手入れが行き届いていないように思われる。

 お庭の主の方が体調でも崩しておられるのでは?と、気に掛かる。

               

 

 

 公園に着いた。

 すぐに、かなり花を開いた何本かの桜が、目に入ってきた。

        

        よく花を開いているほうの、ソメイヨシノ                        しだれ桜は、ほとんど満開

 

 

             

                           ユキヤナギと桜

 

         

           淀川の土手を背景にして                            桜の木の根元の水仙

 

 

 家に帰ってきて、今年は公園でもまだタンポポを見ていないことに気付いた。

 そこで代わりに、この間送っていただいていたNさんの絵手紙を写真に撮った。

                    

 

 この絵手紙のタンポポ(蒲公英)は、とても力強く描かれていてステキだ。

 そして、添えられた言葉が、またイイ!

 「蒲公英は 踏まれた数だけ 強くなる」

 人間も、同じヤナ‥と、(弱い私は)思う。

 


高島屋での、“ランチ”&“買い物”&(本命の)“書道展”

2013-03-26 23:23:28 | 日記

 昨日は、書道をやっておられるMさんのお誘いで、高島屋の≪生誕100年 杉岡華邨展≫に行った。

 

 でも、腹が減っては戦さができぬ!

 という訳で、高島屋に着いてすぐ、7階のレストラン街に行き、イタリアンのランチを食べた。

 (値段は安いのに、とても美味しかった!)

 写真を撮るのは忘れてしまった…。

 

 食事を終えて、同じ階で行われている“書道展”に行くべくフロアーを歩いていると、服売り場に掛かっていた1枚のブラウスが、私の目にとび込んで

きた。

 私が普段はあまり着ない、派手な花柄の服。

 春がやってきて、なんかウキウキした気分が、花柄の服に、私の目を向けさせたのかも知れない。

 私はそれを試着してみて、ちょっと派手かな?と思ったが、結局それを買った。

 その後店員さんが、もう1枚ブレザー風の服を持って来られ、「ぜひ一度試着してみてください。」と強く勧められた。

 見ただけでは全然好みと違うと思ったが、とりあえず、試着してみた。

 すると、サイズはピッタリ! それにラインがとってもステキ!

 Mさんの「よく似合ってるよ!」という言葉にも後押しされて、なんと、それも買ってしまった。

 書道展に行く途中の寄り道で、2枚も洋服を買ってしまった私。

 あ~あ、こんなんでエエんかいな!?

                        (下が、買った2枚の服)

               

 

 写真で見ると、ウン十歳の人間が着るにしては、ちょっと若すぎるというか、子どもっぽ過ぎる感じもするが、もう買ったものは仕方がない。

 がんばって着るぞ!

 

 

 寄り道にずいぶん時間を割いたあと、やっとのことで、本命の“書道展”の会場に着いた。

                

 

 杉岡華邨氏は、かな書の大家(らしい)。

 奈良県の出身で、文化勲章の授章者だ。

 昨年、98歳で逝去された。

 

 私は、かな書も含めて書道については、よく分からない。

 ただ、好きな字(作品)とそうでないのとが、あるだけ。

 

 今回の展覧会は、“生誕100年記念”ということもあって、華邨氏の作品が、若い頃から晩年まで、年代を追って展示されていた。

 若い頃の作品にも、絶頂期の作品にも、晩年の作品にも、私の好きな作品があった。

 もちろんあんまり興味を引かないものもあったが‥。

 

 そんなイイカゲンな見方で書道展を見終ったあと、私たちは高島屋内の喫茶店に寄って、ジュースを飲みながらしばらくお喋りした。

 帰り際のデパ地下で、(晩ご飯を作るのが邪魔くさくなった)私は、ビビンバ風のお弁当を買って帰った。

 (この682円のビビンバ風弁当が、帰って食べてみると、結構美味しかったのであります!)

 


神戸の二つの展覧会へ 《2》

2013-03-22 18:45:08 | 日記

 御影駅から再び阪急電車に乗って、三宮へ。

 三宮では、まず昼食をとることにした。

 いつもの「bank」(1000円で美味しいランチが食べられる)を目指して、フラワーロードを南下する。

 

 フラワーロードの途中に、真っ白な花をたくさん付けた木が、ビルをバックにしてあった。

 木蓮?(木蓮はこんなに密集して花を付けるかなぁ‥?)

 それとも、辛夷の仲間かな?

      

 

 

 ルミナリエの終着点にもなる“東遊園地”に着くと、今まで見過ごしていた女性の像が、目に入った。

 1995年の阪神大震災を受けて、女性の抱える時計は、震災発生時刻の≪5時46分≫で止まったままだ。

          

 

 

 フラワーロードから海岸通りに出て、「bank」のある“海岸通9番”に着いた。

             

 

 私たちは、「bank」の回転ドアを押して中に入ったが、「ただ今、6組待ちです。」とのこと。

 お腹が空いていて待つのが辛かった私たちは、同じ建物(元、銀行)の3階にある、別のレストランに入った。

 するとそこは、「bank」より数段リッチな、レストランだった。

     

 

 私たちはちょっとビビったが、でも平静を装って、ランチメニューの中から一番安い2500円のコースを注文した。

    

                       コースメニューの中の、「メインディッシュ」と「デザート」

 

 料理は、初めから終わりまで、本当に美味しかった!

 ロケーションと料理の美味しさを考えると、2500円は決して高くない値段だった。

 

 私たちは満足して、もう一つの展覧会≪中国 王朝の至宝展≫が行われている、神戸市立博物館に向かった。

          

                    神戸市立博物館の玄関

 

 

        

                     展覧会のパンフレットの表(左)と裏(右)

        

 

 私は初めは、≪中国 王朝の至宝展≫に余り興味がなく、必ず行こう!とは思っていなかった。

 中国語の友だちのHさんが、ご夫婦で行くつもりで前売り券を買っておられたのに行けなくなったので、私が代わりに行くことになったのだった。

 

 でも、展覧会場で、中国のさまざまな至宝を実際に見ると、その素晴らしさは、私に強い感銘を与えた。

 昔の人って、ホントにスゴイなあ!

 こんなに科学や技術が進んだ現代から見ても、全く遜色のない、複雑な造形や、現代的な模様!

 それを可能にした、優れた技術!

 初めあまり期待していなかっただけに、展覧会を観終わった私の満足は大きかった。

 

 そして、総じて昨日は、本当に楽しい大満足な一日になった。

 

 

             

 

 


神戸の2つの展覧会へ 《1》

2013-03-22 17:01:30 | 日記

 昨日は友人Aさんと、今神戸で行われている2つの展覧会をハシゴすることになった。

   一つは、「香雪美術館」で行われている≪小倉遊亀展≫

   もう一つは、「神戸市立博物館」の、≪中国 王朝の至宝展≫

 

 まずは、阪急御影駅近くにある「香雪美術館」へ。

 御影駅を下りて、香雪美術館へ向かう道の両側は、閑静な住宅が立ち並び、その庭にはいろんな花が咲いていた。

 ユキヤナギが、これでもかというほどに、沢山花を付けている。

             

 

 

 椿も今が盛りだ。

      

 

 

 道の右手にある神社の境内で、枝垂れ桜が、もう、満開の時期を迎えていた。

          

 

 

             

 

 

 道沿いのソメイヨシノも、わずかだが花を開いていた。  

             

 

              

 

 

 香雪美術館に到着。

      

 

 

 香雪美術館の庭園にも、いろんな花があって、私たちを楽しませてくれた。

       

                馬酔木                                つんと上を向いた、木蓮のつぼみ

 

        

           花蘇芳(はなずおう)                             土佐水木(とさみずき)

 

 

 青空をバックにした、モミジの葉の赤ちゃんが、なんとも可愛く初々しい。

            

 

 

 小倉遊亀さんの絵は、今までに見たことのある絵が多かったように思う。

 私が一番好きだったのは、『童女入浴』だったが、残念ながら、その絵葉書は売っていなかった。

 なので、『童女入浴』はパンフレットの写真を、それ以外に買った4枚の絵葉書の写真と共に、次に載せておきます。

       

 

 

 香雪美術館をあとにして、再び阪急御影駅へ。

 その途中、行きには何故か気が付かなかったが、沈丁花が沢山の花を付けて、馥郁とした香りを辺りに漂わせていた。

 (その花を見、香りを嗅ぐにつけ、去年ベランダの沈丁花を、私の不注意で枯らしてしまったことが、今更のように悔やまれる。)

     

 

 

 

 

 

 

 

 


21歳も年下のAさんに、ご馳走してもらって‥。

2013-03-22 15:01:56 | 日記

 私は若い頃のある時期、中学校に勤めていたことがある。

 その時在籍されていたAさん(旧姓Nさん)は、卒業後も何かと連絡をとってくださっていた。

 年賀状のやり取りはもちろん、時々の電話・メール、そして、ずいぶん前になるが、2.3度は会ってお喋りしたこともある。

 その彼女から今年になって、ぜひ一度ランチしながらお喋りしましょう!と、お誘いを受けていた。

 その食事会が、先日18日に実現した。

 

 食事の場所も、彼女が全部セットしてくださって、私は、ただ行くだけ。

 食事は、帝国ホテル横・OAPビルにある「梅の花」で。

 「梅の花」は、私も何回か行っていて、よく知っている。

 「何処で待ち合わせましょうか?」と聞かれた彼女に、「梅の花だったらよく知ってるから一人で行けるよ!」と、私は偉そうに答えた。

 

 当日の食事は12時から。

 前日が(前のブログに書いた)NHKダンスパーティで結構夜が遅くなったこともあり、当日、普段から愚図の私は、よけい準備が遅れた。

 もう電車で行ったのでは間に合わない!

 私は、タクシーにとび乗り、運転手さんに何とか12時までに着くように哀願した。

 そして、約束の12時直前に、なんとか梅の花に着くことができた。

      

 

 

 予約した個室で、Aさんは、ずいぶん前から待たれているようだった。

 Aさん、ごめんなさい!

 

 食事が運ばれてきて、二人は、大いに食べ、大いに喋った。

      

                               (出された料理の一部)

 

 

 彼女と私‥いったい何歳年が違うのだろう?

 お互いの歳を言い合って(ここでは秘密よ!)、結局21歳の差があることが分かった。

 う~ん、ずいぶん違うんやなあ!

 

 それはともかく、彼女は比較的早くに結婚され、2児の母になられた。

 順風万帆に見えた彼女の結婚生活だったが、子どもさんの一人に障害があることが分かり、それなりに苦労を重ねられたようだ。

 でも、彼女は決してへこたれることなく子育てに邁進され、障害のある子供さんも、2年前に無事就職!

 今も仕事を続けられている。

 そして、2番目の子どもさんも、今年無事高校入学が決まったとのこと。

 

 よくぞここまでガンバってこられたなあ!

 私は彼女に、心からの賛辞を送った。

 そして、彼女の話を聞きながら、「私の人生は三分の一人前や!」という、普段からの思いを、又新たにした。

 と言っても、私は私の人生を、決して卑下しているわけではない。

 それでも、結婚して家庭を築き、子どもを育ててこられた人のことを思うと、自分が送ってきた甘ちゃん人生を思わずにはいられない。

 

 食事をしながらの二人の会話は、もちろん、こんな真面目な話ばかりだったわけではない。

 というか、それよりむしろ、中学時代のアレコレの想い出話で、二人は笑い転げた。

 当時生徒たちがしでかした、さまざまな悪事の数々!

 それも、今となってはいい思い出だ。

 そして何よりも嬉しかったのは、当時けっこう悪チャンだった子どもたちが、みんな今は真面目に人生を送っているということだ。

 

 私たちのお喋りは尽きることなく、予約した食事時間を軽くオーバーした。

 彼女は前もってお勘定を済ましておられ、私はちゃっかり、21も年下の彼女に、奢ってもらうことになった。

 

 私たちは、お隣の帝国ホテルのラウンジに場所を移した。

           

 

 そこで、私たちは、なんと6時まで、お喋りを続けたのだ!

 それでも、「まだ2時間ぐらいは喋れるネ!」などと言いながら。帝国ホテルのシャトルバスで、梅田に向かった。

 

 本当に、楽しい時間だった。

 Aさん、ホントに有難う♪

 

 


NHKダンスパーティ♪

2013-03-19 22:16:44 | 日記

 3月17日(日)、恒例のNHKダンスパーティが、綿業会館で開催された。

 NHK文化センターのダンス教室には、私も長いこと(20年位)お世話になった。

 4年前にやめてしまったが、やめた後も、指導してくださったH先生や、一緒に踊っていた仲間とは、今でもお付き合いさせて頂いている。

 その関係もあって、今年のダンスパーティにも、“お邪魔虫”させてもらうことにした。

               

        (ずうずうしくも、会員のYさんにお願いして、5000円でゲットしたチケット)

 

 

 会場の綿業会館は、重要文化財で、(外観だけ見ると、公会堂ほどではないけれど)なかなか趣きのある建物だ。

          

 

 

 1階のエントランス部分は、シャンデリアも含めて、とてもシックな感じがする。

 パーティ会場の大ホールも、落ち着いたたたずまいだ。

        

         (1階エントランス部分の天井)          (パーティ会場の大ホール。NHK文化センター長が挨拶されている)

 

 

 まずは、フリーダンスタイム。

                

 

 かって私が入講した頃は、定員オーバーでなかなか入れなかったNHKダンス教室。

 ダンスパーティも、芋の子を洗うような盛況ぶりだった。

 それが、ここ数年、会員の数もぐっと減り、パーティ参加者も少なくなってきた。

 去年もそれを感じたが、今年はいっそう参加者が減り、寂しさこの上ない。

 でもそれが逆に幸いして、フリーダンスタイムでは、皆さん、ゆったりとダンスを楽しまれている。

 外部参加者の私にも、いろんな男性が声を掛けてくださって、思いっきりダンスを楽しむことができた。

 

 フリーダンスタイムの後に行われるクラス別フォーメーションも、今年の参加は、わずか7組。

 でもどのクラスも、少ない人数ながら、がんばって練習を重ねて、この日を迎えられた。

 (写真が下手で申し訳ないけれど、各クラスのフォーメーションの様子を、順不同で紹介します。)

 

 ≪日曜上級クラスのルンバ≫

      

 

 

 ≪木曜上級クラスのワルツ≫

                 

 

 

 ≪土曜専科クラスのルンバ≫

     

 

 

 ≪日曜上級クラスのタンゴ≫

       

 

 

 ≪土曜専科クラスのクイックステップ≫

              

 

 

 ≪木曜専科クラスのタンゴ≫

                    

 

      

 

 

 各クラスのフォーメーション発表後は、短いダンスタイムがあったあと、ミニコンペが行われた。

      

  (専科クラスのルンバで、スタンバイされてる選手の方たち)        (久しぶりに行われた、ジルバ大会) 

 

 そして、各クラスの上位2組ないしは3組が表彰された。

               

                      (専科クラス・タンゴの表彰)

 

 続いて、先生方とスタッフの紹介。

                

 

 

 その後は、先生方も入ってのメンバーチェンジとフリーダンスタイムが、5時の終了時間まで、タップリ時間をとって行われた。

 

 今年のパーティを振り返ると、参加者が少なくて、その点では、本当に寂しかった。

 でも人数が少ないせいで、メンバーチェンジやフリーダンスタイムで、全員が、伸び伸びと楽しく踊ることができた。

 参加者が少ないという憂うべきことが、逆に参加者の満足感を増す結果になった、今回のパーティ。

 なんか皮肉な感じだ。

 

 私にとっても今年のパーティは、思いっきり踊ることができて、とても楽しい時間になった!

 パーティに、私を快く受け入れてくださった先生初め元同じクラスの皆さん、お忙しい中チケットをゲットしてくださったYさん、本当に有難うございまし

た!

 

 

 

 

 

 

   

    

    

 

 

 

 

 


ふたたび、土筆を探しに。

2013-03-16 17:18:53 | 日記

 今日は春らしい暖かさになった。

 そうだ! もう今日くらい、土筆が芽を出しているかもしれない。

 そう思って、私は中津公園を通って淀川の土手に行ってみることにした。

 

 公園にはこの間より少し、春らしい彩りがあった。

       

 

           

 

 

 先日、桜の開花予想が発表されたが、大阪の開花は24日、満開が4月1日とのこと。

 このところの暖かさで、当初の予想より、少し早まった。

 

 中津公園の今日の桜の蕾は、こんな感じ。

        

 

 

 花だけではなく、薔薇は初々しい赤い葉を、紫陽花は緑の芽を勢いよく上に向かって、出している。

         

 

 

 淀川の土手に出た。

 この間来たときよりは、土手の草が少し伸びている。

 もしかしたら今日は土筆に出会えるのでは!?

 そう期待して目を凝らして地面を探すと‥‥あった!

 でもなんだか、えらく、心細そうな土筆やなあ‥。

          

 

 だいぶ時間を掛けて探し、見つけてはシャッターを押したが、まあまあに撮れたのは、上の2枚のみ。

 あとは、ピンボケたり、あまりに元気が無さすぎたり‥。

 もっと元気な土筆を撮りたかったけれど、まあ、贅沢を言うのは止めよう!

 今日土筆を見つけることができただけで、幸せというものなのだから。

 

 

 帰り、再び公園を通ったが、行きには目に入らなかった黄色い花(初めて見た花)と、ヒッソリ咲いた早咲きの桜を、見つけた。

       

     

 

     

 

 

 

 

 


煌めく音に酔いしれた‥≪フジコ・ヘミング ピアノ・ソロ・リサイタル≫

2013-03-16 12:52:34 | 日記

 13日(水)の夜7時から、シンフォニーホールで、フジコ・ヘミングさんのピアノ・リサイタルが開かれた。

 私は、友人Kさんのお誘いを受けて、初めて、彼女のピアノを聴きに行った。

             

 

 フジコ・ヘミングさんについて、私はほとんど知らなかった。

 ヘミングさんという方と結婚されて、外国で演奏活動をされているのだろう‥なんて、勝手に思ったりしていた。

 実際は、“ヘミング”は彼女のお父上の姓で、彼と、日本人(で音楽家)のお母様との間に生まれたのが、彼女だった。

 以前テレビで彼女のドキュメンタリー番組をやっているのをチラッと見たような気がするが、その時は、ずいぶん個性的な人だな‥と思っただけで終

わったような気がする。

 

 とにもかくにも、私にとっては初めての、フジコ・ヘミングさんのピアノ。

 一体、どんな音色が聴けるのだろう?

 

 当日のプログラム(前半)は、次のとおり。

                 

 

 最初の2曲を聴いたときは、大した感慨もなかった。

 が、しかし!

 次の、シューマンの『謝肉祭』が始まったとたん、私は彼女の“煌めく音”のとりこになった!

 シューマンの「謝肉祭」そのものは、(私から見れば)そんなに感動的な曲というわけではない。

 なのに、彼女のピアノが繰り出す、輝きに満ちた音が鳴り響くと同時に、私の心は踊り出し、感動でいっぱいになった。

 

 休憩を挟んで、後半のプログラムが始まった。

           

 

 前半であれだけ感動したのだから、ピアノの名曲が居並ぶ後半で、私の感動がさらに強まり深まって、頂点に達したのは言うまでもない。

 

 彼女が次々と繰り出される、煌めくピアノの音色!

 それを、何にたとえればイイのだろう!?

 私は、彼女の音を耳でしっかりとらえながら、頭の中で考えた。

 

 水晶のキラメキ? 真珠の輝き? 光り輝く雪の結晶? ダイヤモンドの輝き? それとも、水面に反射する太陽の光?

 

 そのどれでもあり、でも、それだけでは、彼女の音の煌めきの素晴らしさを、十分に表現しえないもどかしさを、私は感じていた。

 (自分の語彙力の無さが、情けない!)

 

 私はこれまで、何人かのピアニストの方のコンサートに行ってきた。

 でも、未だかって、フジコ・ヘミングさんの光り輝くピアノに勝る音色は、聴いたことがないような気がする。

 私は、本当に感動した!

 

 感極まった私は、彼女が、最後の曲『ラ・カンパネラ』を弾き終わられたとき、思わず立ち上がって、彼女に、称賛と感謝の拍手を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


綾部山梅林の風景

2013-03-14 13:48:43 | 日記

 今週の月曜日(11日)、友人のYさんと、兵庫県たつの市にある≪綾部山梅林≫に行った。

 綾部山梅林は、数年前、中国語の友だちに連れていってもらった。

 そのときの強い印象があって、今回Yさんと梅を見に行くことになったとき、私の要望で綾部山に行くことにしてもらった。

 

 11日、綾部山の梅はほぼ満開。

 気温は低いけれど、スッキリ晴れた好天気になった。

 

 私たちが梅林入り口から山を登り始めると、すぐに、色鮮やかな梅が、私たちを迎えてくれた。

                

 

                     

   

 私たちは梅のトンネルを抜けながら、梅見を楽しんだ。

             

 

 この日はさすがに、かなりの人出だった。

                 

 

 

 

 綾部山は、ほぼ全山が梅林だ。

 少し高いところまで上って見渡すと、手前の梅の向こうに、梅の段々畑が広がっている。

               

 

 そして、反対側にも‥。

               

 

 

                

 山にはところどころに、梅以外の椿や菜の花、みかんの木なども植えられていた。

     

 

                 

 

 

 

 上るにつれて、梅を下に見下ろす感じになってきた。

              

 

 

 

 もっと上がると、一方には菜の花畑が、もう一方には瀬戸内海が、見えてきた。

       

 

 

 海の見える梅林の風景というのは、めずらしい。

 私たちは存分にその風景を楽しんだ。

                 

 

                

 

 

 綾部山頂上まで上った(頂上からの眺めは、期待に反してイマイチだったけど‥)あと、今度は別の路を通って、下りることにした。

 私たちは路を下りながら、上るときとはちょっと違う梅の風景を楽しんだ。

         

 

                 

 

 

 最後に、その路の途中にあった展望台から眺めた、梅の段々畑(海も見える)を最後に載せて、綾部山梅林のブログを〆ます。

             

 

 

 

      

   

 

 

 

   

 

 

  

             

       

 

 

 


テレビ番組「旅のチカラ」で、初めて知ったこと。

2013-03-12 23:00:24 | 日記

 「旅のチカラ」は、私の好きなテレビ番組の一つだ。

 毎週木曜日の夜9時から、BSプレミアムで放送されている。

            

 

 私は今までもこの番組によって、それまで知らなかった様々な事を知ることができたし、この番組から大きな感銘も受けてきた。

 

 今日は、今年2月21日に放送された「旅のチカラ」・『移民たちの“島唄”~宮沢和史のペルー~』について、書いておきたいと思う。

 

 私は、今回の旅人である宮沢和史さんについて、この番組を見るまで全く知らなかった。

 宮沢和史さんは、現在46歳。 音楽家。

 私は、『島唄』という歌を知ってはいたが、この番組を見るまで、その歌が、彼が20年前に作詞・作曲された歌であること、彼がボーカルを務める

「THE BOOM」が歌い大ヒットしたことを、全く知らなかった。

             

             2002年12月、NHKの番組で「島唄」を歌う、宮沢和史さん

 

 たぶん私は、他の歌手がカバーした「島唄」を聞いてきたのだと思う。

 

 沖縄出身ではない彼が「島唄」を作曲されたのは、彼が目にされた1枚の写真が、彼に強い衝撃を与えたからだという。

               

 

 それは、1945年、沖縄に上陸しようする米軍艦隊を撮った写真。

 この写真を見て彼は、沖縄の置かれた状況に、深い悲しみと強い憤りを感じられたのだという。

 そこから彼の音楽活動は大きく転換し、「島唄」が生まれた。

 

 「島唄」は、沖縄は元より日本全土でヒットしたばかりか、アルゼンチンの歌手によってもカバーされ、南米でも大ヒット。

 彼自身も、南米各地でコンサートを開かれ、南米の人たちを熱狂させた。

 その彼が今回、ペルーの日系人の若者たちとつくるコンサートの開催を目指して、初めてのペルーを訪れることになったのだ。

 

 私は、ペルーという国についてもほとんど無知だったことを、この番組で知らされた。

 ペルーが、日本人の南米集団移民の最初の国であったことも、全く知らなかった。

 (南米移民と言えば、ブラジルしか頭に浮かばなかった。)

 

 

 宮沢さんは、ペルーの人たちの熱烈な歓迎を受けて、ペルー・リマ空港に降り立たれる。

 そして、彼はコンサートを開くに先立って、ペルーの日系の人たちを訪ね、交流を深められた。

 

 日本人の最初の入植地・カニエテを訪れ、慈恩寺に納められている日系一世の遺骨と対面し、彼らの苦難の歴史に思いを馳せる、宮沢さん。

               

 

 

 しかし、彼が訪ねた“現在”の日系の人たちは、私の予想に反して、底抜けに明るかった。

 それは、移住後彼らを襲った幾多の困難を辛抱強く乗り越え、勤勉に働き続けてきた人のみが持つことのできる、“自信”の表われだと、私は思う。

 

 日系移民の人たちによって、年に一回行われる「MATURI」は、人々の熱気で盛り上がる。

      

 

           

 そして、彼らは、無類の音楽好き・踊り好きでもあった。

        

 (左)‥宮沢さんの熱烈なファンで、コンサート開催を全面的に    (右)‥日系ペルー人歌手、アルベルト城間さんの家族

     サポートした、日系三世、ファン・喜勝・安座間さん

 

              

   “歌があったからこそ今まで生きてこられた”と語り、懐かしい日本の歌を歌われる、一世の奥山元女さん(98歳)

 

 

 宮沢さんは、日系移民の人たちの歌への思いをしっかりと受け止め、仲間や若者たちと共に、コンサートを作り上げていく。

 “音楽はお腹をいっぱいにはしないけれど、胸はいっぱいにする”

 この言葉が、みんなの共通の思い。

 そして、“みんなの胸をいっぱいにする”コンサートが、出演者と観客の一体感の中で、見事に作り上げられた。

     

       宮沢さんの左隣が、日系ペルー人歌手〈今は沖縄で活躍〉の、アルベルト城間さん

 

 

 私は今回の番組を見て、宮沢さんのこれからの音楽活動に、強い興味と期待を抱いている。

 そして、ペルー移民の方たちに対しては、心からの尊敬の気持ちを捧げたい。

 私は今、彼らのことを、誇りに思う気持ちでいっぱいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


万博公園の梅と椿

2013-03-10 21:44:35 | 日記

  昨日思い立って万博公園に行った。

 このところしばらく、万博公園にはご無沙汰している。

 春まだ浅いこの時期、万博公園でどんな花・植物たちに会えるのかしら?

 そんなことを思い期待しながら、出掛けることにした。

 

 だがいつも、出掛ける時間がズルズルと遅れてしまう私‥。

 昨日も万博公園に着いたのが、4時ちょっと前になってしまった。

 係りの人に尋ねると、閉園が5時なので、今が見頃の梅と椿だけを急いで見てこられたら?とアドバイスされた。

 そこで私は、急ぎ梅林に向かった。

 

 梅林は、万博公園の入り口から程なくの丘の上にある。

 梅林に向かって坂を上って行くと、白とピンクと赤が混じりあった、ホワァ~と明るい光のようなものが、坂の上に現われた。

 今がほぼ満開の梅が、太陽の光を受けて輝いているのだ。

 私は思わず「わあ、きれい!」と叫んだ。

 

 万博公園が大好きな私は、今までにも、梅の季節に何度か公園を訪れている。

 でも今回のように、梅園全体がほぼ満開の時季に出逢ったことはなかった。

 私は感動して、この梅林の美しさをぜひ写真に収めたい!と思った。

 でも、眼で見た美しさを、そのままカメラでとらえることは、なかなか難しかった。

               

               

 

              

 

 

 万博公園の梅林には、紅白1本ずつ、しだれ梅がある。

 昨日は、その2本ともが満開だった。

  

                     

              

 

 

 梅園の向こうには、万博公園のシンボル・太陽の塔が顔を覗かせている。

             

 

 

 次に、梅の花のアップの写真を2枚。

      

 

 

 梅林を出たところに小さな竹林があり、竹林の明るい緑と、梅のピンクとの対比が、とても鮮やかだった。

               

 

 

 梅林を出ると、もう時間は4時半を過ぎていた。

 私は、梅林からかなり距離のある、椿園へと急いだ。

 椿園の方は、梅林ほど華やかとはいかなかったが、いろんな色の椿が花を開いていた。

            

 

               

 

    

 

               

 

 

 椿園を後にした私は、もう閉園時間が迫っているにも拘わらず、回り道をして出口へと向かった。

 公園の広い草地にはもう人影もわずかで、昼間のにぎわいが嘘のように、静かだった。

          

 

 

 しばらく歩くと、向こうに水仙らしき花を見つけた。

 もう時間が無い! でも私の足は、ヤッパリ花のある方に向かった。

        

 

 

 水仙を撮ってから一路出口に向かって歩いていると、来たるべきチューリップ祭りに備えて、チューリップの球根がきれいに並んで植えられていた。

          

 

 

 やっと、出口に到着!

 最後にエントランス部分の花壇を撮って、私は万博公園を後にした。

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 


とっても楽しかった!今年度の『テレビで中国語』

2013-03-08 13:02:09 | 日記

 私が中国語の学習を始めたのは、確か1998年の11月だったと思う。

 (ウハッ!今年の11月で、15年になるのか!)

 初めは中国語学院に通って、一応基礎から習った。

 中国語と日本語は漢字が共通しているから、もっと楽にマスターできると思ったのは、大間違い!

 漢字こそ同じ(と言っても、今の中国語は簡体字だし、日本語にはない漢字もある)でも、二つは全く違う言語だと、学習を始めてからすぐ分かった。

 それでも私が中国語を続けられてきたのは、私が“お喋り”で、中国語に関わらず「言語」ってものに興味があったからだと思う。

 

 中国語学院に通うかたわら、私の学習を助けてくれたのは、ラジオとテレビの「中国語講座」だった。

 5年くらい前に学院をやめ、今では家で、月~金のラジオ講座を聞き(サボることも多いが‥)、金曜日朝(再放送)の「テレビで中国語」を見ている。

 私の中国語学習には初めから何の目的もなく、ただ楽しいからやっているだけだが、学院もやめた今、全く何もしなかったら忘れてしまうだけなので、

(テキストも買わないまま)専ら目と耳だけで、中国語を楽しんでいるって感じ。

 

 こんな訳で、長いことラジオとテレビの講座にはお世話になっているが、今年のテレビ講座「テレビで中国語」は、今までの中で最も面白く、内容的に

も充実していると思う。

                  

 

 まず上の、番組のタイトル画面からして、私の気に入った!

 今までは、どちらかと言うと、画面がゴチャゴチャしていて、暗い色調のものが多かったように思う。

 でも今年度のは…なんと、明るくスッキリしていることか!

 

 でもステキなのはもちろん、タイトル画面だけではない。

            

 

 今年の生徒役の「田中直樹」君の人柄が良くて、とっても好感が持てるのだ!

 人柄だけではない。

 彼の中国語学習への真剣さとその能力の高さは、今までの生徒の中でも群を抜いているように思う。

 

 そして、アシスタントとして登場する、中国人男女2人が、これまたとても素晴らしいのだ!

 男性は、今日本でも大活躍の俳優「阿部力」さん。

 私は以前彼の出演するテレビ番組を見てその人柄に惹かれ、スッカリ彼のファンになった。

 早くから日本に来られていて(もしかしたら日本国籍かもしれない)日本語も流暢!

 飾らない、それでいて芯のしっかりした、好青年だ。

 女性はとっても可愛い「段文凝」さん。

 彼女もまた、テレビで大人気の中国人タレントだ。

 

 それに加えて、優れた中国人講師の、「陳淑梅」先生。

 この4人のマッチングがとてもよく、学習がとても楽しく進行していく。

          

 

 

 上の写真はどれも、先週の金曜日放送のもの。

 序でに(と言ってはなんだが‥)、この日の学習項目も下に写真で載せさせていただいて、私の学習の助けにさせていただくことにしよう。

 

        

 

 (こんなブログの使い方って、ありかしら?)

 

 こんなふうに、私は今年度の「テレビで中国語」を楽しく見ていたので、来年度もこのメンバーでやってほしいなあ!と前から思っていた。

 そのことをお願いする投書を「テレビで中国語」当てに送ろうか‥とも考えていたくらいだ。

 

 それなのに…今朝の放送で、考えてもいなかった事が発表された。

 陳淑梅先生が、今年度で番組を終わられるというのだ。

 生徒役の田中君は、(来年度もぜひいてほしいけど)1年で生徒役は交代する習わしになっているので、たぶん無理だろうなあと、半ば諦めていた。

 でも、陳淑梅先生まで、おられなくなるとは!

 とっても寂しい!

 

 今まで私たちに分かりやすく中国語を教えてくださった先生に感謝を込めて、最後に、先生の写真を載せさせていただくことにします。