先日何気なく見ていたテレビに、<知花くらら>さんが登場された。
わずか5分間の、下の写真の番組だった。
ミス・ユニバース日本代表になられ、一躍有名になられた知花さんだが、そちらの方面にはあまり関心の無かった私は、
当時は、ただ綺麗な方だなあ!くらいの感想しか持っていなかった。
しばらくして、時にテレビに登場される知花さんを見て、ただ綺麗というだけではなく、とても聡明な方だと思うようになった。
2011年3月11日の東日本大震災のときも、被災地を廻られ、被災された方々と(子どもたちも)心を通わされる姿を、目に
することもあった。
被災した福島の子どもたちに語りかけられる、知花さん
しかし私は、その知花さんが、『沖縄戦』に対してどのような思いを抱いておられるかについては、この番組を見るまで全く
知らなかった。
(彼女が沖縄出身であることは、知ってはいたけれど…)
(以下は、番組で知ったことばかりですが…)
彼女の祖父は、沖縄・「慶良間島」の方で、何年か前に、知花さんが祖父(茂さん)のもとを訪ねられたことがあった。
そしてその時初めて、祖父の戦争体験を聞かれたのだそうだ。
第2次世界大戦末期、当然のことながら、慶留間島にも米兵が上陸し、激しい戦闘が繰り広げられた。
と言っても、慶留間島の人たちは武器らしい武器は何一つ持たず、日本軍から渡されたのは、自決用の手榴弾だけ
だった。
しかもその手榴弾も皆には行きわたらず、祖父・茂さんの手にも、それは無かったのだそうだ。
一緒に草むらを歩いていたとき、祖父・茂さんが突然足を止めて足元の草をむしり、それを自分の首に巻いて、ポツリと
言われた。
「こういうので首をしめたんだよね。」
そして続けて、「生き残ってしまって、申し訳なかったな。」 と。
しかし彼は思い返したように、こうも言われた。
「でもじいちゃんが生き延びたから、くららのお母さんがいて……そして、くららがここにいるんだね。」
そのことばを聞いたとき、知花さんは、腑に落ちるものを感じられたという。
「沖縄戦って何十年も前のことだし、私たち世代は経験してない事だけど、
でも確実に私たちの血の中には流れていて…
“きっと、語るべき何かがある” と、思えたんですね。」
知花さんは近年短歌を詠まれていて、去年は歌集も出されたのだそうだ。
その歌集のなかに、祖父・茂さんのことを歌われた、二首の歌がある。
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手榴弾のなければ細き青草で首しめあひぬ あしびなーの森で
生きてゐてすまなかったと泣く祖父の背中に落ちし一片のこもれび
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そしてインタビューの最後で、彼女は次のように思いを語られた。
「私はこの東京と言う場所で生活していて…いろんな方に知ってほしいんですね。」
「祖父が経験したことだったり、そのときに散っていった命だったり、思いがあることを知ってもらいたい。」
そして知花さんは、自身の決意を、次のように語られた。
「どんな表現であれ、伝わることを第一に考えて、きちんと言葉を選んで、いろんな方に、
沖縄で起こったことを、伝えていけたらいいなと思っています。」
私は、知花さんの静かな語り口を聞きながら、彼女はきっと、沖縄選のこと、祖父のこと、祖父に繋がる沖縄の人々のこと、
そして沖縄の人全てが抱かれている、平和への強い願いを、受け継ぎ語り継がれていくに違いないと、強く思った。
そして私は、戦争を知らない世代が増えていくことを、嘆く必要はないことも、確信した。
知花さんのような若い世代が、さらにもっと若い世代も含めて、平和への堅実な歩みをされている。
短い5分の番組ではあったけれど、知花くららさんという、美しくも賢い女性の存在を、確かに知ることができて、本当に
ヨカッタと思っている。