のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

今年は、テレビで “紅葉狩り” ② ≪石鎚山≫

2019-12-31 21:29:53 | 日記

 ( 「テレビで“紅葉狩り”」の①を書いてから、間に違うテーマのブログが入ってしまいました。形としては変ですが、順序を変えずに今から

  ②を書いて、今年最後のブログにさせていただきます。)

 

 ②の≪石鎚山≫は、12月23日の「にっぽん百名山」で取り上げられたものだが、①の、なだらかな≪栗駒山≫と違って、急峻な修験

の山だ。

           

                       紅葉をまとう秋の石鎚山

 

 

 登り始めの頃に頭上に輝くのは、「シロモジ」という木の、薄黄緑色をした爽やかな葉っぱだ。

 この葉っぱは、カッパの手のような形をしているのだそうだ。

         

 

 

 かなりの時間登ると「夜明け峠」に到着する。(下は「夜明け峠」から見た石鎚山。)

 夜明け峠辺りの道の端には、りんどうの花がまだ残っていた。

         

 

            

 

 

 夜明け峠を過ぎると、急峻な鎖場が次々に現われてくる。

 鎖場は3つあるが、2番目の鎖場を上りきると、石鎚山の北壁が姿を現わす。

         

 

 

 さらに3つ目の鎖場を上りきると、そこが、「石鎚山・弥山(みせん)」の山頂だ。

 そこからは、「天狗岳」がいよいよ姿を現わす。

         

 

         

 

 その天狗岳の山腹を彩る紅葉は、「ベニドウダンツツジ」だ。

        

 

          

 

 

 天狗岳を望むこの場所で、一人の男性がカメラを構えておられた。

 その方は、山岳写真家の福島勲さん。

 福島さんは長年石鎚山に登り、石鎚の様々な姿をカメラに収められてきた。

 その素晴らしい作品も、一緒に載せさせていただきます。

         

 

 

        

                        『元日の雲海』

 

        

                        『黎明の刻』

 

                 

                    『優美』                                  『秀峰天狗岳』

 

 

 この日は弥山の山小屋で一泊し、翌朝、朝陽に輝く天狗岳を眺める。

         

 

 

 そして、いよいよ天狗岳の頂上目指して登り始める。

 足元には、大量の「滝雲」が、もの凄い勢いで流れている。(そのまっ白い滝雲の美しさと言ったら!)

         

 

 

 でも滝雲の美しさに見とれているわけにはいかない。

 天狗岳の頂上に登る石の道は、狭く急で、ちょっとでも気を許せば、命を落としてしまうのは間違いない。

         

 

         

 

 

 遂に、無事登頂!

 最後に、天狗岳の頂上から眺められた景色と、再び、石鎚山の雄姿を載せて、ブログを閉じます。

        

 

        

 

 

 

 

 

 

 

        

 

      

 

       

   

   

 

 

 


中之島のイルミネーション

2019-12-30 06:19:27 | 日記

 西宮のお医者さんに薬を貰いに行ったとき、芸術文化センター前の小さなイルミネーションを見たことは、私のイルミネーション好きに火を

点けた。

 その日は幸いに体力的にもあまり疲れていなかった。

 一旦梅田に戻った私は、地下鉄で淀屋橋まで行き、市役所や中央公会堂を中心に行われている≪OSAKA光のルネッサンス≫(の一部)

を見て歩くことにした。

 淀屋橋駅を上がると、周りのビルには明かりが点いていて、これだけでも結構美しいイルミネーションに思われた。

         

                   明かりを点けた、淀屋橋周辺のビル群

 

                     

                                ライトアップされた日銀大阪支店

 

 

 イルミネーション見物の出発は、やっぱり大阪市役所玄関から。

 市役所玄関正面に掲げられた飾りは例年と変わりなかったが、下の置かれた「welcome to OSAKA」の大きな文字にもいろんな光が

当てられて、華やかさを増していた。

                    

 

 

                 

 

 

 

 市役所前から、建物横の「イルミネーション通り」を歩いていく。

 しかし、ここのイルミネーションは、ずい分長い間変わっていないので、ちょっと新鮮さに欠ける。

 それでも、何枚かはカメラに収めた。

           

 

           

 

           

 

 

 

 イルミネーション・ロードの右側を流れる土佐堀川には、明かりを点けた観光船が、今年も運行していた。

          

 

 

 ロードをもう少し進むと、右手に、数多くの「提灯」をぶら下げたオブジェが見えてきた。

 そしてその先には架橋の下をくぐる路があるが、架橋の下にも明かりが点いていて、時間ごとに色を変えていた。

 その下を、バラ園の方に向かう人が、三々五々歩いて行かれていた。

 道の端っこには、紫色の小さなツリーも置かれていた。

          

 

 

          

 

          

 

 

          

 

 

 

 いよいよ、中央公会堂正面玄関までやって来た。

          

 

 この公会堂の正面玄関には、だいぶ前からプロジェクションマッピングが映し出されて、皆さんの人気を博している。

 不勉強で、今年のテーマが何かよく知らないまま見ていたが、私の好みからすると、ずい分ハデバデしい感じで、あまり素敵とは思えな

かった。

 でも、玄関前に陣取ってパチパチ写したので、その幾枚かを下に載せることにします。

        

 

                      

 

        

 

                     

 

        

 

                       

 

       

 

                     

 

       

 

                    

 

       

 

                     

 

       

 

                     

 

        

 

  ※これでやっと中央公会堂のプロジェクションマッピングの写真は終わりです。どうもお疲れれさまでした!目が痛くなりませんでしたか?

 

 中央公会堂を離れて、堂島川のほとりの路を通って、帰途につくべく淀屋橋駅を目指した。

 堂島川の橋や向こう岸にもイルミネーションが施されている。

        

 

 

         

 

 

        

 

 

         

 

        

 

        

 

 

 堂島川に架かる水晶橋に上がって、東と西の景色を眺めてみた。(期待した程綺麗ではなかったけれど‥)

        

                        東の方

 

        

                       西の方

 

 

 そこから公会堂(側面)を眺めると、雲を浮かべた空と建物の対比が綺麗だったので、撮っておいた。

        

 

 

 ぐるりと廻って、再び市役所前に戻ってきた。

 そこではいろんな方々が記念写真を撮っておられた。

       

 

       

 

       

 

 

 いよいよ土佐堀川の橋の上まで帰ってきた。

 なごりに、そこから見える市役所横のイルミネーションを撮っておいた。

         

                      アップで。

 

      

              土佐堀川の川面にもイルミネーションが映っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

                              


今年最後のお医者さんへ

2019-12-29 13:56:15 | 日記

 12月23日、西宮のお医者さんにお薬を貰いに行った。

 これで、今年のお医者さん通いは、全て終了ということになる。

 お薬を貰いに行くだけだったので、夕方4時過ぎに家を出た。

 この日写真を撮るなんてことは全く考えてなかったけれど、阪急中津駅の手前で、まだ赤いモミジが夕陽を受けて輝いているのを見た瞬

間、私はカバンの中に手を入れて、カメラを取り出していた。

         

 

         

 

 

 

 西宮駅を出たところに植えられている木々は、全て葉を落としていたが、その幹の上を、緑の蔦が旺盛に駆け上っている。

 その対照を、何か、おもしろいなと思った。

          

 

 

                 

 

 

 もう少し進むと、ビルの前のモミジも、まだまっ赤に燃えていた。

 その向こうのビルには全体に明かりが灯っている。

          

 

           

 

 

 お薬を貰って外に出ると、「神戸芸術文化センター」前のケヤキの木に取り付けられたイルミネーションが、かすかに瞬き始めていた。

         

 

         

 

         

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

 


今年は、テレビで “紅葉狩り” ① ≪栗駒山≫

2019-12-29 13:26:55 | 日記

 昨年に続いて今年の秋も、紅葉狩りらしい紅葉狩りには、行くことができなかった。

 そこでテレビ番組の中で見た美しい紅葉の情景をブログに載せて、せめてもの慰めとしたいと思います。

 一つ目は、12月23日に放映された『小さな旅』から。

          

 

          

 

 

 私はもちろん栗駒山に登ったことがない。

 この番組の映像を通して、栗駒山の美しい山容と自然(紅葉も)、そして栗駒山を愛する人々の思いに、触れることができた。

 次に、私がいいなあ!と思った、栗駒山のいろんな情景を(植物も)、載せたいと思います。

         

                     栗駒山のなだらかな山容がステキ!

 

         

 

        

 

         

 

         

 

 

          

 

          

 

           

 

           

 

           

 

           

 

            

                        ヤマブドウ

 

           

                      天然のナメコ

 

         

 

         

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

        

 

         

 

        

 

         

 

        

         


(歯医者さんの帰り)淀屋橋から梅田まで歩く。

2019-12-19 14:26:06 | 日記

 12月12日(木)は、午後3時半から、歯医者さんの診察だった。

 診察と治療が終わって歯医者さんを出たら、4時半近くになっていた。

 いつものように地下鉄で帰るべく、淀屋橋駅に向かおうとして、堂島川の水晶橋に上がった。

 すると、土佐堀川の向こうのビルとビルの間に、もう夕陽が落ちようとしていた。

 久しぶりの夕景?に心惹かれて、バッグからカメラを取り出して撮った。(ボンヤリした写真ですが…)

           

 

                 

 

 

 ふと下の土佐堀川で、船のエンジン音がした。

 思わずカメラを向けたが、船はもうだいぶ向こうに行ってしまっていた。

 その後、船が行った後の水面にもカメラを向けて撮ったが、どれも暗すぎてハッキリしない写真になってしまった。

        

 

                 

 

                         

 

 

 橋の上から反対側を見ると、夕陽を受けたタワーマンションが、すっくと立っている。

           

 

 

 橋を下りて道を渡ると、左が中之島図書館、右が市役所だ。

 中之島図書館の建物は歴史があるので、ついついカメラを向けてしまう。

             

 

 

 

 市役所の中を通って玄関に出ると、観光客に向けた大きな文字板が置かれていた。

 市役所の真向かいは、御堂筋を挟んで、日本銀行大阪支店だ。 銀行の前には、2本の銀杏の木が、葉をだいぶ落として立っていた。

           

 

 

         

 

 

 この銀杏の木を見たとき、(もともとは地下鉄の駅に向かうはずだったのに)とっさに「御堂筋を銀杏を見ながら梅田まで歩こう!」と思った。  

 この頃には辺りはだいぶ暗くなっていて、銀杏に取り付けられたイルミネーションが、かすかにまたたき始めていた。

           

 

              

 

 

         

 

 

         

 

 

              

 

         

 

 

 

 御堂筋から一歩小路に入ると、地面にいっぱい銀杏の葉が散り敷いていた。

                   

 

 

 

 御堂筋に戻って交差点を渡る。信号待ちの間に、建物に飾りつけてある電飾にカメラを向けた。

           

 

 

           

 交差点を渡ると梅田はすぐそこだ。

 阪急のオフィスタワーや、梅田中心部のビルも見えてきた。

 梅田からは地下鉄に乗って帰ってきた。

         

 

                 

                                            上にピンクの明かりがついているのが、阪急オフィスタワー

 

 

        

 

 

 

          

 

 

       

                  ヨドバシカメラ                          ヘップ・ナビオとヘップ・ファイブの観覧車

 

 

       

            右の金色は、阪神百貨店の外側に造られた回廊の天井

 

 

 

       

                     右の建物が、JR大阪駅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

               

 

 

 

 

 

     

        


(NHK“クロ現”が伝えた)偉大なお二人の “生き様”と“言葉” 2)≪中村哲氏≫

2019-12-18 19:31:44 | 日記

 “NHKクローズアップ現代”が≪山口哲氏≫を取り上げたのは、私たちが氏の殺害の衝撃の中で呆然としていた12月10日のことだった。

  (中村哲氏は、2019年12月4日アフガニスタンのジャララバードで何者かによって射殺された。)

 中村哲氏のことは、それまでのテレビ報道などである程度知ってはいたけれど、今回の報道で、山口氏が大国相手に一人、アフガンなどの

恵まれぬ人々を助けるために、独創的な方法で妥協なく闘われた姿を知り、改めて彼の人間性の素晴らしさが心に沁みた。

           

 

 

 私自身の記憶をはっきりさせるためにも、“クローズアップ現代”で語られた彼の活動のあらましを、書いておきたいと思う。

 中村氏は、<1983年>に“ペシャワール会”を設立し、パキスタン・アフガニスタンで活動を開始される。

 医者である中村氏は、当初は医療支援を中心に活動されるが、次第にその活動に、限界を感じられるようになる。

 アフガニスタンには、医療以前の問題(水や食料が無いなど)で命を落とす子どもたちが多くいたからだ。

 その問題を解決しなければ、アフガンの人々に健康な暮らしなどおとずれることはないと、<2003年>からは、クナール川から砂漠に

用水路を引いて田畑をつくるという、困難で壮大な≪緑の大地計画≫を開始されることになる。

 しかし、それに先立って、<2001年9月11日>にはあの≪アメリカ同時多発テロ≫が起こり、ブッシュ大統領が「テロの撲滅」を叫んで、

アフガニスタンなどに激しい空爆を行うことになる。

 中村氏はジャララバードからの緊急の電話でその報を知り、その後のアメリカをはじめとした世界の動きについて次のように書いて(ペ

シャワール会会報)、強い疑問と激しい抗議の姿勢を、示されている。

          

             (当時の中村さん。眼光鋭い。)

  「テレビが未知の国“アフガニスタン”を騒々しく報道する。

  ブッシュ大統領が『強いアメリカ』を叫んで報復の雄叫びをあげ、米国人が喝采する。

  瀕死の小国に、世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である。」

 そして、次のようにも語られている。

  「アフガン問題とは 政治や軍事問題ではなく パンと水の問題である

  「“人々の人権を守るために”と、空爆で人々を殺す。果ては、“世界平和”のために戦争をするという。いったい何を何から守るのか、

   こんな偽善と茶番が長続きするはずはない。」

  「武力ではテロは断ち切れない。 その根底にある貧困の解決こそ肝要

 

 9.11の後、日本も多国籍軍の活動に加わるべきだという考えのもと、日本政府は、多くの国民の反対の声を無視して、自衛隊を給油

活動に従事させる。

 それに対し中村氏は次のように語られた。

  「 “日本だけが何もしないでよいのか、国際的な孤児になる”ということを耳にします。だが今熟考すべきは、“まず何をしたらいけない

   か”です。民衆の半分が飢えている状態を放置して、“国際協調”も“対テロ戦争”も、うつろに響きます。」

  「必要なのは、憎しみの共有ではない。」と。

 案の定、自衛隊が給油活動に参加したことによって、今までの日本人に対するアフガンの人々の信頼は揺らぎ、中村さんたちも攻撃の

対象になる危険が増えてきた。

 そこで今までは車に日の丸を付けていたのに、攻撃の危険を回避するため、日の丸を消さざるを得なかった

         

                    日の丸のマークのある車

                            

                                    安全のために、消された日の丸

 

 

 そんな中、2008年8月に悲劇が起きる。

 5年にわたり中村さんと行動を共にした仲間・伊藤和也さん(31歳)が、武装勢力によって殺されたのだ。

           

 

 中村さんの悲しみは当然深かったが、彼は次のように述べて、決然と、活動の継続を宣言される。

 「今必要なのは、憎しみの共有ではありません。憤りと悲しみを、友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓い、心から祈

 ります。」

             

                棺の中の伊藤さんに敬礼される中村氏

 

         

      用水路が完成した後、用水路が見える農場に建てられた、伊藤和也さんの功績をたたえる碑

 

 

 そしてその後もアメリカは空爆を継続。 誤爆も相次ぎ、民間人の死者が急増する。

 タリバンは爆弾テロで対抗し、治安はいっそう悪化していく。

 中村さんたちの作業地の上空を盛んに米軍のヘリコプターが過ぎていき、機銃掃射されることもあった。

 中村氏の言葉…

  「彼らは 殺すために 空を飛び、 我々は 生きるために 地面を掘る

  「彼らは いかめしい重装備、 我々は 埃だらけのシャツ一枚だ

  「彼らには分からぬ幸せと喜びが 地上にはある

 

 

 そして<2010年>、着工から7年の歳月を経て、総延長25.5キロの用水路が完成した。

 かつて「死の谷」と呼ばれた干からびた土地が、「緑の大地」へと姿を変えた。

        

                    「死の谷」と呼ばれた土地

                       

                                   甦った「緑の大地」

 

  ふるさとを離れていた人たちが次々と戻りはじめ、大地の恵みがはぐくまれていった。

 子どもたちは水で遊び戯れ、大人たちは収穫の喜びをかみしめる。

         

 

                  

 

                             

 

 

 そして、ある老人は、次のように語った。

         

 

                     

 

                                 

 

 

 

  しかし、<2014年>、国際部隊の大部分がアフガニスタンから撤退し、力の空白が生じてテロが横行するという、悲しい事態が生じる。

 中村さんの身にも、いよいよ危険が迫ってくる。

 それでも中村さんはアフガニスタンに残り、住民とともに、豊かな土地づくりに邁進されていく。

 ~中村さんのことば~

 「アフガニスタンは40年間戦争をしています。 が、今は戦争している暇はない。敵も味方も一緒になって、アフガニスタンの国土を回復

  する時期だ。できるだけ多く緑を増やし砂漠を克服して、人々が暮らせる空間を広げること、これはやって絶対できない課題ではない。」

 

 そして、今年10月の中村さんの姿。 相変わらずクレーン車(フロントガラスに銃弾の跡がある)を操縦して作業されている。

        

 

        

 

 

 同時に10月には一旦帰国し、アフガンの現状を報告されてもいる。

 「現在のアフガンの治安は、非常に悪い」と。

         

 

 

 十分に警戒し、警備の人も同行させている中だったのに、12月4日、中村氏は銃撃され帰らぬ人となられた。

 現地のある男性は語る。

         

 

  男性は上の写真のことばに続けて…

   「私はとても悔しくて悲しいです。彼にはとてもお世話になっていたので。」

   「残った仕事を自分たちで進めていきたいと思います。」

 

  中村氏自身も、自分がいなくなっても仕事が滞らないように、職業訓練校を開き、下のように呼びかけられていた。

        

 

                          

 

 

 1983年から36年の長きに亘り、貧しい人々・恵まれぬ人々に寄り添い、彼らの幸せのために闘ってこられた中村哲氏。

 こんな人は滅多にいるものではない。 まさに、稀有の人だ。

 ペシャワール会の方々は、悲しみの中でも、中村氏がやろうとされていたことの全てを、受け継いでやることを表明されている。

 中村氏が信じてこられたように、中村氏の思いは、いつか必ず実現するに違いないと、私も信じている。

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

        

 

 

  

 


(NHK“クロ現”が伝えた)偉大なお二人の “生き様”と“言葉” 1)≪大林宣彦氏≫

2019-12-16 15:33:31 | 日記

 11月28日(木)のNHK“クロ現”(“クローズアップ現代”の略)は、映画監督の≪大林宣彦氏≫(現在81歳)の、ここ2,3年の姿を伝えて

いた。

           

 

 

 大林監督は3年前、ステージ4の肺がんを発症、余命半年と宣告された。(下の写真は、肺がん発症を報告された時のもの)

             

 

 

 NHKは、余命宣告を受けながら映画製作に情熱を傾ける大林氏の生き様を追おうと、2年前から密着取材を始めたのだそうだ。

 

 まず、番組の初めの方で、近所に散歩に出られた大林さんがふと漏らされた次の言葉が、私の胸に深く響いた。

           

 

  下に生えている雑草を見ながらカメラマンに向かって‥

   「これは僕たちは草だと認識しているんだけれど に見えてきたのね

   「みんな命なんですよね 当たり前のことだけど。 僕たちは人間語を使うから 人間語ではこれは命ではなく草なんですよ。 しかも

    雑草なんですよ、踏んづけてもいいんだけれども」

 

 死の宣告を受けた大林さんは、闘病生活を送りながら、今までずっとシコリのように心にあったテーマ(日本の過去の戦争と、平和の問

題)に取り組み始められる。

 そのきっかけになったのは東日本大震災であり、今の日本と世界の現状に対する、次のような憂いからだった。

         

 

 

 大林監督はかつて、黒澤監督と次のような会話を交わしたのに、未だにその約束を果たせていないことを、気に掛けられていた。

         

 

                            

 

          

 

 

 そして自らの命の限界を自覚されたとき、「平和の願い」を若者に発信する映画の制作を決意され、それが、先月44本目の新作となって

完成した。 (久々にふるさと尾道を舞台にした、「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」)

         

 

                        

 

 

 この映画に(前作にも)出演した≪満島真之介さん≫は、「撮影を通じて、大林監督の思いをしっかり受け止めることができた。」と語られ

ている。(下は、役の扮装で大林監督について語る満島真之介さんと、撮影後、大林監督から満島さんへ送られたサイン。)

            

                 満島真之介さん

 

   <サインのことば>

         ひとは ありがとうの 数だけ かしこくなり

              ごめんなさいの 数だけ うつくしくなり

              さようならの 数だけ 愛を知る

 

 念願だった映画の制作が終わり、クローズアップ現代の放映からも、半月が経つ。

 今、大林監督はどのように過ごされているのだろう。 体調はどうなのだろう。

 思いは尽きないが、最後に、映画の制作が完了したあと、ふるさと尾道で写されたご夫妻の素敵なスナップ写真を載せたいと思う。

 そして、大林監督の思いを忘れないこと、私もすべての命を大切にし、日本がふたたび戦争への道を歩まぬように微力を尽くすことを、

心に誓う。

         

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


今秋のバスツアーは、和歌山へ! ② 昼食~有田みかん狩り

2019-12-10 10:27:29 | 日記

 白崎海洋公園を後にしたバスは、お食事処「御坊」に向かった。

 「御坊」の昼食は、見場があまりよくなかったので写真は撮らなかったけれど、食べてみるとなかなか美味だった。 (「御坊」さん、ごめん

なさい)

 食べ終わるとバスの乗車時間にはまだ間があったので、近くにある「道成寺」(安珍・清姫伝説の舞台になったお寺)に行ってみた。 

                   

 

                   

 

                 

                  本堂の屋根 (てっぺんに鳥が2羽止まっていた) 

 

 

 その後は、今回のツアーのメインイベント・≪有田みかん狩り≫だ。

 バスが有田近くに来ると、右を見ても左を見ても、みかん畑が広がっている。

 私たちはその中の一つのみかん園(名まえは忘れてしまった)に入った。

 その園でも、黄色い実をいっぱい付けたみかんの木が、数限りなく植えられていた。

 この日のお天気は晴れたり曇ったりだったが、みかん園に入ったときはおおむね晴れていた。

 黄色いみかんが、お日さまの光を受けて、ピカピカ光っている。

          

 

          

 

           

 

          

 

           

 

 

 私は上に載せた写真を撮りながら、大好きなみかんを食べることにも余念が無く、結局5個 みかんをたいらげた。

 このくらいは普通だろうと思っていたが、バスに乗ってガイドさんが「幾つ食べられましたか?」と聞かれたとき、私が一番多かったので

驚いてしまった。(一時は自分のことを“みかん中毒”と呼んでいたこともある私には、食べ放題で5個はちょっと控えめだとも思ったのに…)

 みかん園からはお土産に、みかん1キロの袋詰めを貰った。大満足!

 最後に、みかん園の傍に一本だけあったモミジの写真を載せます。

            

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 


今秋のバスツアーは、和歌山へ! ① 「白崎海洋公園」

2019-12-08 13:05:20 | 日記

 「今秋」と書いたけれど、実際は12月3日に(もう、冬ジャン!)、恒例の「中津ゆうゆうくらぶ」の一日バスツアーが行われた。

 前日まで風邪で苦しかった私は、行くかどうか迷ったけれど、前日の午後身体が大分楽になってきたので、思い切って行った。

 バスは、7時50分に中津を出発。

 一路、和歌山県・由良町にある「白崎海洋公園」へと向かった。

 「白崎海洋公園」は、私には初めての場所。 「白い石灰岩に囲まれた青い海が美しい」と、案内のパンフレットに書かれていた。

            

 

 

 パンフレットに書かれていたとおり、バスを下りると、灰白色のゴツゴツした岩山が私たちを迎えた。

         

 

            

 

 

 岩山を見上げながらしばらく歩くと、右手に海が見えてきた。

 「青い海」とパンフレットには書かれていたが、季節がらか海は、「青」というよりは「暗い紺色」という感じだった。

 ここは太平洋側の海だけれど、むしろ、ふるさとの日本海の荒海を思い出させるように、結構波立ってもいた。(それはそれで私は好き

なんだけれど。)

          

 

          

 

          

 

 

          

 

          

 

          

 

 

 白崎海洋公園の渚は、「日本の渚 百選」にも選ばれているとのことで、石碑も立っていた。

          

 

 

 左を見ると、相変わらず、いろんな形の石灰岩の岩山がそびえていた。(石灰岩の上には、年月を経たせいで、緑の草木も生えている。)

                   

 

 

 もう少し進むと、狭い砂浜が現われた。砂浜には、白い波が激しく打ち寄せていた。

          

 

           

 

 

 海の表情とは対照的に、岩山の上には、白い雲と青い空が広がっている。

          

 

          

 

 

 砂浜に下りる狭い階段があった。

 そこに下りる人は誰もいなかったけれど、海好きの私は、下に降りてみた。

 (下は、砂浜から海を見て撮った写真4枚です。)

         

 

        

 

              

 

          

 

 

 時間が来そうだったので、私は砂浜から道路に上がり、もと来た道をバスの方に戻って行った。

 岩山の下では、ススキとツワブキの花が、寒風に吹かれていた。(ツワブキの花は、白い石灰岩の石に守られている感じ。)

          

 

           

 

 

 バスに乗る前に、青空の下で輝く石灰岩の岩山を、もう一度撮った。

                

 

 

 バスの中から撮った写真・2枚。

           

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               

  


懲りない 私…②

2019-12-07 14:55:32 | 日記

 モミジを撮ったころになると、私の身体は冷え切って、相当ヤバイ状態になっていた。

 でももしかしたら、この間咲いていた皇帝ダリアがまだ花を咲かせているかもしれない、という思いに駆られて、私は公園中央にある植え

込みの中に、柵を越えて入って行った。

 案の定、皇帝ダリアのまだ残っている花たちは、寒風に身を晒しながら、美しく咲いていた。

 (多分、今年の皇帝ダリアはこれが最後に違いないからと思い、私はいつものように、同じような写真ばかり何枚も撮ってしまった。)

                

 

          

 

                            

 

          

 

                           

 

 

 植え込みの中では、まっ赤になったナンテンの実が、こぼれんばかりに付いている。

 地面には、柿の葉や皇帝ダリアの花びらも、散り落ちていた。

            

 

            

 

           

 

 

 寒気は絶頂に達していたが、やりだすと止まらない私の性分が、公園奥のケヤキ並木にも足を向かわせた。

 ケヤキ並木の木々は、これこそ最後の最後の輝きを見せて立っている。 

 それも次第に葉っぱの数が少なくなり、木だけが寂しく立ち尽くす時期がもうすぐ来ることを示していた。

           

 

                

 

                     

 

            

 

              

 

 

            

 

          

 

           

 

             

 

 

 (最後の写真は、今マンションの近くで高架を取り除く大規模な工事が行われていますが、それに使われているクレーンです。

  そしてこの後私は案の定、風邪の症状著しく、風邪薬を飲んでベッドに潜り込む羽目になってしまいました。) 

 

 

 

 

 

 

     


懲りない 私…①

2019-12-07 13:34:28 | 日記

 先週の土曜日のこと。

 いつもだったらリハステージで体操を終わったらすぐ家に帰る(私の場合は足が悪くないので、自分で歩いて行き帰りしている)のに、その

日はちょっと用事もあって、阪急中津付近まで行った。

 用が終わると、阪急駅近くの公園の木々に目がいった。

 いろんな木が、もうずい分葉っぱを落としかけてはいるものの、(その時はまだ青空だった)空をバックに残りの葉を輝かせていた。

          

 

          

 

          

 

                   

 

 

 地面には、さすがに枯れ葉がたくさん舞い落ちている。

 桜の葉っぱは、地に落ちても美しい色を保っている。

 それにしても、公園の掃除をする方は大変だなあ!

                

 

 

 富島神社の前に来ると、お庭に、紫や赤の菊が並んで咲いていた。

 前景のフキの花と一緒に、フェンスの間から撮らせてもらった。

           

              フキにピントを合わせたつもりが、どこにも合っていない(ー_ー)!!

 

 その頃から、折から吹いていた冷たい風で、身体が次第に冷えてきた。

 ヤバイな!とは思ったけれど、中津公園の木々や花も見たくて、結局公園にも寄ってみた。

 公園のイチョウの黄葉は、最後の輝きを見せていた。

          

 

             

 

 

 公園にたった1本だけあるモミジも紅葉してたけれど、逆光だったので、鮮やかな赤にはならなかった。

          

 

            

 

                      

 

          

 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

          


晩秋のわが家の、わずかな彩り

2019-12-06 13:18:46 | 日記

 ≪11月12日≫

  部屋の窓際では、先日取り込んだハイビスカスが、憎たらしく思えるほど大きな花を咲かせている。

  ハイビスカスが無くなってベランダが寂しくなったので、深紅のシクラメンを買ってきて置いた。

                     

 

 

                

 

 

 ≪11月18日≫

   部屋の中で、オレンジ色のハイビスカスも咲いた。

   ベランダの大文字草と、シクラメンと一緒に買ってきていた菊・2鉢も撮っておいた。

              

 

                  

 

 

 ≪11月27日~28日≫  

   27日から28日にかけて咲いた2色のハイビスカス。

                 

 

   ベランダの大文字草が、さらに花数を増やしている。 

                

 

 

 ≪12月1日≫

   いつものハイビスカスだけれど、この日は外からの光を透かしているのに惹かれて、撮っておいた。

           

           

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“食事会”と、改装なった≪大丸心斎橋本店≫

2019-12-05 11:49:50 | 日記

 11月28日(木)は、ご近所の知り合い6人での食事会だった。

 今回は、本町の「梅の花」(湯葉とお豆腐の会席料理のお店)で、ちょっと早い忘年会をすることになった。

 地下鉄を降りて「梅の花」のあるビルに向かう。

 御堂筋のイチョウは、ほぼ黄葉していた。

 御堂筋沿いにあるお洒落な店舗のガラスにも、イチョウの黄色が映っていた。

                     

 

 

               

 

 

 

 「梅の花」の入っているビルは、「MIDOSUJI GRANND TOWER」という高層ビル。

                 

 

 

 「梅の花」は、その21階に入っている。 (下は、21階「梅の花」の玄関部分)

                

 

 部屋に入ると窓際の席に案内された。

 窓際に置かれた生花の向こうには、御堂筋沿いのビルなどが見下ろせる。

 私たちはこの気持ちの良い席で、次々に出てくる料理をいただいた。(写真は、その中の「湯豆腐」)

          

 

            

 

 私たちは食事しながら、年月の経つのの速いこと、健康の秘訣や病気の治療法など、年齢にふさわしい話で盛り上がり、アッという間に

時間は過ぎていった。

 

 


 

 

 食事会が終わると3人はそのまま帰られ、私を含むあとの3人は心斎橋まで歩いて、11月初めに改装オープンした≪大丸心斎橋本店≫

を見に行った。

 「大丸心斎橋本店」はもともと、建築家・ウィリアム・ヴォーリズによって、1933年に建てられた、とても素敵な建物だった。

 ウィリアム・ヴォーリズは、アメリカ合衆国の生まれだが、布教も兼ねて来日し、来日後、日本女性(一柳満喜子さん)と結婚し近江八幡に

居を構えて、様々な素晴らしい建物をつくり出された。

 ヴォーリズの設計による建物は、学校・教会・資料館・記念館・料理店・住宅など多岐にわたるが、その中に一つが「大丸心斎橋本店」

なのだ。

 彼の建物の特徴は、(私の感想にすぎないけれど)軽やかで瀟洒、内部の装飾も、手が込んでいながら洗練された美しさに満ちている。  

 「大丸心斎橋本店」も、正にそういう建物だった。

 なので、地震対策とは言いながら、心斎橋本店の解体・リニューアルが報じられたとき、私は強いショックを受けた。

 ヴォーリズが作り出された店内の美しい装飾は、一体どうなるのだろう?

 大丸の方ではヴォーリズの装飾は基本的に残す予定だと言っておられたが、実際にリニューアルされたものを見るまでは安心できない。

 

 そして28日、その時がやって来た。

 私たちは地下から店内に入ったが、1階に上がったとき、私たちの口からは期せずして、感嘆ともため息ともとれる声が漏れた。

 「大丸心斎橋本店」の美しい装飾は、そのままの姿で甦っていたのだ。

 私はもちろん喜び勇んで、シャッターを押した。

 (嬉しがりすぎて、同じような写真がありますが、どうかご容赦ください。)

         

 

         

 

         

                 (上の3枚は、天井と灯りに施された装飾です。)

 

 

          

         (私が特に好きなエレベーターの乗降口のデザイン。もっと撮りたかったけど時間が無くて…)

 

 

         

 

         

                 (上の2枚は、2つの出口の上部の装飾です。)

 

 (最後に、百貨店の表玄関の装飾(一部)と、表玄関を入ったところの待合室の天井の装飾です。)

        

             紺色の部分の真ん中に、大丸の“大”の字が書かれている。

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         


NHKみんなのうた・『鉄塔』

2019-12-04 15:33:18 | 日記

 私は、花や木、水辺の風景など、美しいものはもちろん好きだけれど、それ以外に、電柱や鉄塔、クレーンなどの機械的なもの・無機的な

ものにも何故か惹かれて、写真を撮ってきた。

 最近では、ブログにもアップした、下の写真がある。 (歩きながら目にした、鉄塔とその影)

          

 

           

 

 

 あまり皆さんには共感されないそんな私の好みを代弁してくれるような“うた”を、「NHKみんなのうた」で聞いて、何だか嬉しくなった。

 その“うた”の題名は、ズバリ『鉄塔』!

           

 

 

 私たち高齢者には、なかなかついていけないような速いテンポの曲だが、その画面&歌詞を見ているうちに、面白いなあと思うようになっ

てきた。

 何よりも、「鉄塔」という、普通は曲の題材になりにくいものを歌にしているところが素敵だし、歌詞を読んでいくと、なかなか味わいのある

歌だとも思った。

           

 

           

 

 

 『鉄塔』は、千葉県出身のシンガーソングライター・南壽あさ子さん(30歳)が作詞・作曲されたもので、「ぼく」が「鉄塔」を見上げながら、

鉄塔に呼びかける形の歌詞になっている。

 

 まず歌の最初は、次のように始まっている。

          

 

                          

 

 (そして、次のように続けられていく。)

          ふと、空を見上げたとき

          君の様子に気付いたのさ

 

          360度 やがて夕日に魅せられて

          美しく染まるその姿 物憂げに映るのさ

             

          だから

          鉄塔、ぼくも君のように周りを見渡してみたいよ

             

          おちゃらけた群れがきても

             

          動じないところがもすてきさ

             

 

          360度 やがて夜空に囲まれて

             

 

         研ぎ澄まされたその姿 何を思うのだろう

             

 

         だから だから

         鉄塔、ぼくも君のように

             

 

         変わらない姿でいたいよ

            

         わがままも言わないように

         これからは気を付けるつもり

 

         鉄塔、君はそこでいつも

         どんな気持ちで立ってるの

         遠くまでみえるんだろう

            

         果てしなく先の未来まで

            

 

         君を見たら思い出すのさ

         鉄塔、君はぼくのモチーフ

             

 

 

 南壽あさ子さんのことは、この歌で初めて知ったけれど、ネットでちょっと調べてみると、シンガーソングライターとしていろいろ活躍されて

いるようだ。

 高齢者の私たちが知らない若い人たちが、いろんな分野で活躍されていることを知って、とても嬉しくなった。

    

    

    

    

    

    

    

 

 

 

 

 

 

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 


阪急百貨店付近のイルミネーション

2019-12-02 16:36:57 | 日記

 11月24日(日)は、以前NHKで一緒にダンスを習っていたNさん、Iさんと私の3人で、梅田で一年に一度のランチ会をした。

 この一年の間に、唯一まだNHKのレッスンを受けられていたNさんが、お家の階段で足を踏み外され、右手を骨折された。

 Nさんはまだリハビリ中だったが、だいぶ良くなられたらしいので、寒くならないうちにと、恒例のランチ(お喋り)会を持ったのだった。

 「生尾(いくお)」という和食のお店で食事を済ませ、その後、昔よく行った喫茶店に入って、長い間お喋りに花を咲かせた。

 この日は日曜日ということもあって、どのお店も混んでいて、写真を撮ったりする間は無かった。

 喫茶店を出たあと、帰り際に通った阪急百貨店横の広い通路に、クリスマスのイルミネーションがもう飾られていた。

 昼間なのでイルミネーションの明るさがイマイチだったが、通りすがりにパ、パッと何枚か撮った。

           

 

 

             

 

 

               

 

                

 

 

 阪急百貨店のショーウインドーには、恒例のクリスマスの飾り付けがしてあった。

            

 

           

 

           

 

 

 

 百貨店の中にもちょっとだけ入ってみた。

          

                (うまく撮れなかったが)百貨店入り口の飾り付け

 

 

                          ~百貨店内部~

          

 

 

               

 

 

 私たちは、「来年は、年に2度は会おうね!」と約束して別れた。

 Nさんが、一日も早く完全に回復されますように!