のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

早咲きの梅だより‥大阪城梅林

2012-02-29 13:08:28 | 日記

 一日バスツアーの疲れで、一昨日は一日グータラを決めこんだ私ですが、昨日は思い立って、大阪城に行くことにしました。

 今年は季節の歩みが遅く、梅の開花も遅れているらしいけれど、早咲きの梅は咲いていると、テレビで報道していました。

 それに、昨日の夕方からはお天気が崩れるというので、その前にぜひ、梅の写真を撮りたいと思ってのことでした。

 が、しかし…

 何事ものろまなわたくし‥私が大阪城に着いた時には、青空はとっくに消え、灰色の空が梅林の上に広がっていました。

 そこで、“青空をバックに梅を撮る”という私の計画は、自業自得ながら、もろくも崩れ去ってしまいました。(涙)

  そんな悪条件の中で撮った写真ですが、せっかくなので、すこしマシに撮れた(と、自分で勝手に思っている)のを、次に載せることにします。

 

 まずは、色あざやかな“紅梅”から。

                        

                     

                

                      

 

                          

 

次は、淡いピンクがかった梅(種類はいろいろ違うと思います‥)

                         

                      

         

                         

 

 そして、次は、薄緑色をわずかに含んだ、白い梅。

                     

                    

 

                       

 

                      

 

 大阪城の梅林である証拠の写真を2枚。

                      

                    

 

 最後に、お堀の鳥たちデス。

               

          

                      

 

                    

                      

                    

                        

 

 

         

                  

 

       

                   

                    

             

 

             


知らなかった、(消えた)青年版画家のこと‥etc

2012-02-28 10:47:14 | 日記

                

 この間の「日曜美術館」は、24歳で忽然と消えた、藤牧義夫という版画家を、特集していました。

                        

 藤牧義夫は、1911年、群馬県館林の生まれ。

 1927年に16歳で上京し、染色図案家のもとで働きながら、絵や版画の勉強を始めました。

 後に「新版画集団」に属し、中心的な版画家として活動(4年余りの間に70点の版画制作)、1934年の「新版画集団展」にも13点を出品して

いるとか。

           

                      

 

 しかし彼はその1年後の1935年9月2日(24歳時)に、突然行方が分からなくなったのだそうです。(現在でも、その後の消息は、全く分かっていな

い…)

 私はもちろん、彼の数奇な人生にも興味を感じましたが、それよりも何よりも、テレビ画面に現れた彼の版画の、線と構図、おさえた色彩の素晴らしさ

に、思わず引きつけられました。

                     ←「サイレン」

 

              

 

                   ←「ひびき」

 

                      ←「鉄」

 

                               そして、彼の代表作…「赤陽」

                      

                       

 彼がどんな理由で消えてしまわれたのか、今でも全く分からないけれど、研究者たちの努力で、彼のその後の消息が少しでも解明されることを願わ

ずにはいられません。

  

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 次は、同じ日の「日曜美術館 アートシーン」の中で紹介された、難波田(なんばた)文男氏の絵画。

                 

 彼も、32歳という若さで夭折されました。

 私は、彼の、ほんわかとした絵画世界、やさしい色づかいに心惹かれました。

 私が特にイイナ!と思った作品を、次に載せたいと思います。

          ←「宇宙船がくるよ」 1961年

                   ←「無題」 1962年

 

                          ←「悲しみの太陽」 1968年

                 ←1970年代以降の、水をイメージした作品の一つ 

 

 

 

 

 

      

        

 


今年2度目!‥タダで≪日帰りバスツアー≫♪

2012-02-27 17:42:22 | 日記

 ラッキーな事に、前回の「御在所岳・なばなの里バスツアー」に続いて、今回またまた≪妻籠宿巡りのバスツアー≫に招待され、1昨日(25日)、友だ

ちのKさんと行ってきました。

 

 今回は前回より更に早い、朝の7時半出発。(家は6時50分に出ました。)

 妻籠まで、片道ゆうに4時間はかかるという行程と、(個人的に)前夜あまり眠れなかったこともあって、今回は体力的にかなりハードな旅になりました

…。

 

 でも、≪妻籠≫でバスを降りると、中山道の両脇に連なる家並みが、以前の宿場の風情をそのまま残していて、しっとりとした雰囲気を醸し出してい

ました。

 初めに行ったのは、≪脇本陣 奥谷(おくや)≫のお屋敷。(下は、その入り口の部屋)

                   

 

 その後、(あいにくの)雨がそぼ降る中を、私たちは、≪妻籠宿≫の端から端まで、家並みを楽しみながら、散策を続けました。

               

                      

                              

 

          

                         

 

                

                          

 

 1時間の散策の時間は、アッという間に終わり(もう少しユックリ見たかったくらいです)、昼食の場所へと移動しました。

 昼食は、なかなか豪華で、どの料理も、とってもおいしかったデス!

 

 そして、昼食の後は、「蕎麦打ち道場」なるところで、初めての蕎麦打ち体験!

 蕎麦を均等に伸ばすのは、とっても難しかったけれど、係りの人の助けもちょっと借りて、なんとか蕎麦打ちができました!

                                私の初めての蕎麦打ち作品(下) 

                       

 作ったお蕎麦は、当然ながら“お持ち帰り”。

 私はお蕎麦はあまり好きな方ではないけれど(御うどんや素麺の方がどちらかというと好き)、帰って湯掻いて食べたら、とても美味しかったです。

 

 かなり疲れはしたものの、旧い宿場街の風情をたっぷり味わうことができ、今回もいい旅になりました。

 感謝です!

 

 

 


やって来た“デコポン”と、“絵本”

2012-02-27 15:41:28 | 日記

 先日の事になりますが、(下から2番目の)姉夫婦から、待望のデコポンが送られてきました。

                   

 直径が10センチもある立派なデコポンが15個、箱に入れられて送られてきました。

 私はほとんどの果物が大好きですが、中でもデコポンは、大、大、だ~い好きです!

 皮をむくと、柑橘類特有の爽やかな香りが鼻をつき、むき終えて大きな1袋を口に頬張ると、口イッパイに爽やかな甘さが広がります。

 袋ごと口に入れられるのも、ズボラな私にはモッテコイです。

 大きな1個も、私はペロリ!

 これからしばらくは、デコポンを一人で思いっきり楽しめます。

 M姉ちゃんご夫妻、ほんとうに有難うございました!

 

 ところで、デコポンを見るたびに、“デコポン”ってほんとにピッタリのネーミングだなあ!と、いつも思います。

                

                     

 “てっぺんが凸形をしたポンカン”ということから付けられたのでしょうが、まさに、ピッタシカンカンのネーミングだと、私はいつも感心してデコポンを眺

め、喰らわせていただいているのです。

 

 次に、最近私の手にやっと入った物に、前にブログに書いた絵本「ここが家だ」(ベン・シャーン絵,アーサー・ビナード文)があります。

                       

 最近なかなか本が読めない私ですが、この本はとっても短い絵本なので、注文していた本屋さんからもらって帰るとすぐ、一気に読みました。

 ベン・シャーンの素晴らしい絵と、ビナードの凝縮した言葉によって、核への鋭い告発と、人間への愛情が強く表されていて、心に沁みる本でした。

 次に、本の中から、前に載せたのと重ならないページを、いくつか載せておくことにします。(文字は小さくてほとんど読めませんが‥)

              

                 

                     

 

 

 上の中味とは全く関係ないのですが、(ずいぶん前に)友だちのNさんから頂いた“四つ葉のクローバー”の鉢と、我が家のベランダで冬を越し

て、ちょっとだけ花を咲かせたシクラメン(&大分蕾がふくらんできた沈丁花)を載せておきます。

                

                         

 

 


人生いろいろ、表現もいろいろ‥。

2012-02-18 15:20:43 | 日記

 昨日は友だちと、国立国際美術館で行われている展覧会「草間弥生 永遠の永遠の永遠」を観に行きました。

                          

                       

 

 私が、草間弥生さんの作品の実物を見るのは、たぶん、これが初めてだと思います。

 (「たぶん」というのは、テレビでは何回も彼女の作品を見ているので、実物を見たことがあるのかないのかが、私の中であやふやになっているので

す。)

 

 テレビで最初に彼女の作品を見た時は、正直、かなりの衝撃でした!

 でもそれは、決して悪い意味での衝撃ではありません。

 彼女の作品に現れる、突拍子もなく派手な≪色≫と、これでもかこれでもかと繰り返される、水玉や目等、さまざまな≪形≫の……洪水!

 それは、当時の私の目には、斬新かつエネルギッシュ、とってもフレッシュなモノとして映りました。

 

 昨日は、まずシャトルバスでリーガロイヤルホテルに行き、そこで昼食をとった後、美術館に向かうという段取りでした。

 そしてホテルに入ってすぐに、私たちは、草間弥生さんの作品に迎えられました。

                 

 

 美術館入り口では、大きなカボチャ(作品名「大いなる巨大な南瓜」)が、私たちを迎えてくれました。

               

                              

 

 そして展示場には、2005年から2011年にかけて描かれた、100点を上回る作品が、ビッシリと展示されていました。

 これぞ、草間ワールド!という作品の数々。

 あまりに作品が多すぎて、正直ちょっと疲れました‥。

 鮮やかな色と奇妙な形で、ムンムンむせ返る感じの彼女の絵は、あまり数多く陳列しない方がいいのでは?なんて、草間さんに怒られそうなことを思

ったりもしました。

 

 そんな中で、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」と題された、赤い水玉の部屋は、ホッと心なごむ空間でした。

                   

                 

 

 もう一つ、とってもキレイだったのは、「魂の灯」と題された、点滅する電飾と鏡を組み合わせた部屋。

 でもそこはもちろん撮影禁止だったし、鑑賞時間に制限があって、短い時間で係員にさっさと追い出されてしまい、残念至極でした。

 

 その外、会場の一隅では、草間さんのこれまでの歩みを描いたテレビ番組が上映されていてました。

 それによって、私は初めて、彼女の、(私から見れば‥ですが)“尋常ではない人生”の歩みを知ったのでした。

 それまでに見た彼女の絵から、彼女が、特殊な何かを秘めた方だとは思っていましたが、彼女のニューヨークでの過激なパフォーマンスは、私の想

像を遥かに超える、意外性に富んだショッキングなものでした。

 でも、それは、彼女にとっては、“止むに止まれぬ衝動”から生まれた行為だったと思うし、彼女の人生は、彼女にとっては、それ以外には有り得ない

“必然のもの”だったんだと思います。

 

 人はそれぞれ、その人にしか歩めない、人生の歩み方をするしかない!

 80歳になられた草間さんが、今は精神病院で、「私は死ぬまで絵を描く!」と宣言して筆を握っておられる姿は、私の心に、哀しみと切なさを伴っ

た“決意(腹の据え方)”のようなものを、呼び起こしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


≪ラッキードラゴン≫って‥!?

2012-02-08 12:13:34 | 日記

 ≪ラッキードラゴン≫と聞いて、私はすぐには何の事か、全く分かりませんでした。

 それが、あの≪第五福竜丸≫の「福竜」の部分の英訳だということを、1月15日の日曜美術館を見て、私は初めて知ったのでした。

                   

 ≪ラッキードラゴン≫=「幸福な龍」いう言葉と、≪第五福竜丸≫の「悲劇」との間の、なんという隔たり・真逆!

 

  そして、アメリカ在住のベン・シャーンという人が、第五福竜丸の悲劇を、≪ラッキードラゴン・シリーズ≫という絵に表されていることも、私はこの番

組で、初めて知りました。

                      ←1月15日 日曜美術館のタイトル

                          ←ベンシャーン(1898~1969)

  

 1954年に起こった第五福竜丸事件に衝撃を受けたベンシャーンは、雑誌社の依頼を受けて、1957年から、ラッキードラゴンシリーズ(挿絵)を描き

始めました。

                    ←放射能被爆で死亡した、久保山愛吉さんを描いた絵

              ←久保山さんが手にしている紙きれの部分のアップ

 久保山さんの手に握られている紙切れには、次のような言葉が書かれています。

        「私は久保山愛吉という漁師です。

        1954年、私たちの乗った船、ラッキードラゴンは、ビキニで放射能を浴びました。

         (中略)

        その年の9月23日、私は放射能症のために、死にました。」

 

 番組は、ベンシャーンのラッキードラゴンシリーズに共感した、これまたアメリカ人のアーサービナードという詩人・随筆家(22歳で来日)が、20

06年にベンシャーンの絵に言葉を添えて、絵本「ここが家だ」を作られたことも紹介していました。

 そしてこの絵本は、第12回「日本絵本大賞」を受賞したのだそうです。

 2006年と言うと比較的最近ですが、私は、この絵本の存在を、恥ずかしながら、全く知りませんでした。

                   

 

 アーサービナードという方は、テレビで顔を見たことはありますが、彼が、このような仕事をされていたのは、初耳でした。

                     

 

 この絵本の中から、ベンシャーンの絵とアーサービナードさんの文の一部を、次に載せます。

                 ←第五福竜丸が出航した焼津港

                   ←水爆実験の音を聞いて、天を仰ぐ漁師たち

               

                      ←アーサービナードの文章の一部

 

 私は、番組を見た時からすぐ、この絵本を買い求めようと思っていましたが、いまだに果たせていないのは、ズボラ以外の何物でもありません(涙)

 

 番組は、ラッキードラゴンシリーズ以前以後の、ベンシャーンの活動も紹介していましたが、ここでは、私が好きな、彼の戦前の絵と写真を載せて

おきます。

 

 まず下の絵は、1932年に描かれた「サッコとウ゛ンゼッティの受難」

 二人は、無実の罪で捕らえられ、その後処刑されたのだそうです。

                

処刑後、棺に納められた、サッコとウ゛ンゼッティ。その傍で百合の花を持って立っているのは、彼らを無実の罪で死に追いやった裁判官たち。

                       

 

 次は、1930年代の大恐慌時代に、彼が、アメリカ政府の依頼(庶民の生活の現実を知る為という)を受けて撮った写真。

                

                      

                          

 上の写真のどれもが、貧しいながらそれに屈せず生きている人々の、芯の強さをあらわしているように思います。

 そして、彼らに対するベンシャーンの優しい眼差しが感じられて、とってもイイ写真だと、私は思いました。

 

 最後に、ラッキードラゴンシリーズを描いた後にベンシャーンが語った言葉を、次に記しておきます。

           久保山さんは、あなたや私と同じ一人の人間だった。

           第五福竜丸シリーズで、彼を描くというより、

           私たちみんなを描こうとしたのだ。

 

 原子力の脅威がひしひしと感じられる今、私はベンシャーンのこの言葉を深く胸に刻んでおきたいと思いました。

           

 

 

                   

      

 

 


コンサートと、帰り道の‥?

2012-02-06 20:09:53 | 日記

 昨日(5日、日曜)は、≪千住真理子 スウィート・バレンタイン≫のコンサート。

                       

 今回は、友だちのAさんと行きました。

 

 私が千住さんのコンサートに行くのは、これで確か3回目。

 バレンタインコンサートは、去年に続き、2回目です。

 バイオリンのことなど、あまりよく解らない私ですが、彼女の奏でられる優しい音色と、音楽に対する真摯な姿勢に、私は心惹かれるものがあります。

 それに彼女は、人間に対しても、とっても優しい人だと思います。

 

 今年は、チェンバロ(梅村祐子さん演奏)との共演でした。

               ←チェンバロ 今回も係りの人の目を盗んで撮っちゃった!

 

 千住さんのコンサートの魅力は、演奏の素晴らしさはもちろんですが、プラス、演奏の合間に入る、彼女の優しい語り口のトークの妙、にもあります。

 今回は、昨年の大震災の傷がまだ癒えない時期だということもあって、彼女のことばは、専ら、震災の犠牲者への鎮魂と祈りに満ちたものとなりまし

た。

 そして選曲も、おのずと、祈りを表現したものがほとんどでした。

 私が今回特に心を揺さぶられた曲は、アルビノーニのアダージョ、ヘンデルの「涙の流れるままに」、ウ゛ィターリの「シャコンヌ」でした♪

 

 今回のコンサートの会場も、シンフォニーホール。

 行きは、JRの福島駅から行ったのですが、帰りは、梅田まで歩こうということになりました。

 同じように梅田に向かう人も多く、私たちは、その人たちと一緒にゾロゾロと歩いていました。

 

 と、その時!

 道の向こうのビルの3階の窓に、見慣れないものが!

 ヤ、ヤ、あれは何だ!? どうして、あんなところに…?

                  

 カメラをズームにして、思わず、もう一度シャッターを押しました!

                           

 もちろんそれが、“作り物のお犬様”であることはすぐに分かったのですが、なぜ、お犬様があんなところに…?

 目を3階から徐々に下に移していった私たちは、ビルの1階にある看板を見て、なるほど!と納得したのでした。

 その看板に書かれていたのは…「大阪動物専門学校」の文字でした !

 

 

 話は全く変わるのですが‥

 昨日の「NHKスペシャル」で、再度、“雲南の棚田” が取り上げられていました。

 その時の棚田の映像が、前にブログに載せたのよりずっとキレイだったので、ここに載せておくことにします。

                

     

                   

 

                       

 

                                   

 

 


若草山焼き‥≪追記≫

2012-02-02 19:18:49 | 日記

 私がブログを始めたのが、昨年の10月の初め頃。

 今までほぼ3ヶ月が経過したことになります。

 その間ブログを書くことは、私にとって“新しい楽しみの一つ”になりました。

 しかし、です!

 ここ十数年来、文章らしい文章を書くことのなかった私にとって、一つのブログを書き終えるのは、結構しんどいことでもあります。

 しかも最近、記憶に障害が出てきて、固有名詞どころか普通名詞もなかなか出てこない!

 途中でブログを投げ出したくなることも、しばしばなのです…。

 

 先日、≪若草山焼き≫のブログを書いた時もそうでした。

 書きたい事はいろいろあるのに、なかなか文章が先に進まない!

 長時間かけて、何とか山焼きのことまで書き終えると、もうグッタリ!

 ホントはまだ書こうと思っていた事があったのに、そこで打ち止めにしてしまいました。

 そこで、今日は、≪追記≫として、書き残した事(と言っても、たいした事ではないのですが…)を、一応書いておくことにします。

 

 それは、花火と山焼きを見ている時(待ち時間も含めて)、私たちを襲った、猛烈な“寒さ&冷え”についてです。

 初めは、足の先が、続いて指先、そして足全体が、冷えてジンジンし、ついには、痛くなってきました。

 そしてしだいに、足の裏や指先の感覚がまったく無くなり、身体全体も冷え切ってしまいました。

 

 その日は、山焼きを見た後は夕食をとらないで帰る予定でしたが、あまりの身体の冷えに我慢できなくなって、お店に入って食事をすることにしまし

た。

 3人娘でこの間食べておいしかった“ベジベジごはん”のお店がすぐ近くにあるのが分かって、二人は、そこに飛び込みました。

 その日も同じ“ベジベジごはん”をいただいて、やっと人心地がつきました。

                 ←スープとサラダ

                              ←ベジベジごはん

 

 身体がやっと温まった私たちは、近鉄電車で帰路につきました。

 

 前の奈良行きで、うれしがって買い物をし過ぎた私は、今回は買い物を控えましたが、それでも、共に老舗のお店で、「大佛せんべい」と「さくら葛湯」

を買ってしまいました。

                       

 

 「大佛せんべい」は、卵たっぷりでとっても美味しかったし、「さくら葛湯」(下の写真)は、上品な味で、身体と気持ちをホッコリ温めてくれました。

                       

 

 これで若草山焼きについては、本当に終わりにします!

 

 ところで、この間から日本列島は猛烈な寒さと大雪に見舞われていますが、今日は大阪市内でも雪がチラつきました。

 大雪の被害を受けられている地方の方々には申し訳ないような雪ですが、私が我が家で見た初めての雪なので、下に写真を載せておきます。