昨年はコロナで中止になったが、ほぼ毎年夏休みに行なわれる、小林研一郎さんの「夏休み・名曲招待席」のコンサート。
コロナ前には私も何度かこのコンサートに行ったことがある。
今年は、(私が数年前に発症した、帯状疱疹後の神経痛の痛みを治療するべく入院した時の)≪入院仲間≫・Tさんの
お誘いで、一緒にこのコンサートに行くことになった。
Tさんは、私よりちょっと遅れて入院され、彼女は私と同室の向かい側のベッドだった。
彼女は私よりちょっと年上で、難病を患われていたが、そんなことを感じさせない明るさをお持ちで、とってもお洒落!
音楽その他の趣味で、私とよく話があった。
そんなこともあって、退院後もときどきラインや電話をする仲だった。
彼女は大阪府と言っても、和歌山県に近い大阪南端の地に住まわれているので、シンフォニーホールまではかなりの
距離がある。
それにその頃、彼女は少し足を悪くされていたので、コンサートに来られるのは肉体的にも大変なのでは、と私は心配
していた。
でも彼女はそんなことはなんのその!
とにかく精神的にとってもタフな方だ。
その日のコンサートはあらまし、下の写真のような中味だった。
このコンサートは、私の好きな曲ばっかりだったし、チェロの遠藤真理さんの演奏をナマで聴くのは初めてだったので、
それも期待大だった。
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コンサートは予想どおりとても素晴らしく、私たちは二人とも久しぶりのコンサートに大満足だった。
帰り、私たちは梅田までタクシーで出て、梅田で食事をしお喋りをし、Tさんは久しぶりだからと買い物もされて、その後
それぞれ帰途についた。
それから1ヶ月ちょっと経ったころ、Tさんからラインが入り、その文面から、私はよくない事が起こったことを感じて、とり
あえず返信した。
するとTさんから再度ラインが来て、あろうことか、一緒に住んでおられた娘さんが急逝されたとのことだった。
娘さんにもご病気はあったみたいだけれど、こんなに急に逝かれるなんて、Tさんも全く予想されていなかった。
肉親や親しい友人を亡くすことは、誰にとっても辛いことだ。
しかし何にも勝る悲しみ・苦しみは、我が子が先に逝ってしまうことだと思う。
私には子どもがいないけれど、我が子に先立たれた親の悲しみ・辛さ・無念さは、充分(ではないかも知れないけれど)
分かるような気がする。
Tさんの嘆きは深く、日中、遺影を見ては涙・涙で過ごされ、夜は眠れずに明け方を迎えられているようだ。
そんな彼女に私ができることは、何一つ無い。
ただ電話の向こうで涙に暮れて話されることに、真心で耳を傾けることくらいかなあと思う。
昨日もそうして2時間が過ぎた。
初めはずい分涙を流されていたが、終わりなると、少しだけ笑い声が聞けたことが、少し嬉しかった。