のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

どんなに暑くても、お医者さんには行かねばならぬ。

2023-08-24 17:44:13 | 日記

昨日(23日)は、近所の内科クリニックに、月一の受診とお薬を出してもらうために、行ってきた。

一番暑かった時と比べると、ほんの少し最高気温が下がっているかも知れないけれど、依然として熱中症警戒アラートが

出ている。

クリニックは9時半に診察開始だから、その時間に間に合うようにマンションを出た。

外に出ると、その時間でも、かぁ~と太陽が照りつけている。

できるだけ日陰を選んでクリニックに向かう。

クリニックに近くなったお家の玄関で、夏ズイセンが涼しげに咲いていた。

ちょっとホッとして空を見上げると、入道雲ではないが、わりと精力的な感じの雲が、青空に湧き立っていた。

  

 

 

                             

 

 

 

 

  

 

 

                        

 

 

 

 

 

クリニックに着いてしばらくして診察を受けたが、さしたる問題は無く、先生から「がんばりや!」という励ましの言葉を

いただいて、クリニックを後にする。

クリニックは中津公園のすぐ傍、久しぶりに公園に寄ってみる。

公園は、この間工事が行われたのとこの暑さとで、今までの夏と違って、何だか荒れた感じがした。

それでも、植え込みの周りに植えられたサルスベリは、まあまあ花を咲かせていた。(以前とは比べものにはならない

けれど…)

  

 

 

         

 

 

 

   

         薄いピンクのサルスベリは、ちょっとしか花を付けていなかった。 

 

 

                         

                                               白いサルスベリは逆光でうまく写せなかった。

 

 

 

    

 

 

 

 

植え込みを離れて花畑の花を見に行ったが、キバナコスモスが無秩序に群れているだけで、なんだか侘しい感じ。

そんな中で僅かだけれど、百日草が咲き残っていた。

アベリアは少し元気が無く、香りも弱かった。

大きな向日葵が1個だけ、まあまあ元気に咲いていた。

  

 

 

 

  

 

 

                            

 

 

  

 

 

 

     

 

 

 

 

 

公園を出るとき、もう一度空を撮った。

帰り道、友だちが住んでいるマンションで、薄いピンクのサルスベリが、(公園のより)綺麗に咲いていた。

 

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 


酷暑!(きょうの最高気温38度)

2023-08-20 19:44:03 | 日記

心配した台風は、(わがマンションでは)ベランダの草花に僅かな水滴を残しただけで、通り過ぎてくれた。(下の写真)

          

 

 

 

しかしその後大阪には、猛烈な暑さが襲ってきた。

昨日も、リハステージからの帰り道、僅かな距離なのに、太陽の直射を受けてとても息苦しかった。

 

今朝水やりのためにベランダに出ると、空には雲一つ無く、底抜けの青空から、太陽の光線が体に降ってくるようだった。

     

         水やりだけは怠っていないのに、カポックの葉っぱが黄色くなっている。

 

 

 

天気予報が今日の大阪の最高気温が38度であることを言って、熱中症警戒アラートが出ていると告げている。

外出を控えるように盛んに警告しているけれど、警告されなくても、この暑さの中出歩くなんてとんでもない。

昨日必要な買い物をしておいて、本当によかった!

家の中はずっとクーラーをつけっぱなしにしているけれど、それでも暑い、というか息苦しい。

 

日曜日は朝7時45分から始まる「さわやか自然百景」を見ることにしているので、それでも見て、少しでも暑さから逃れ

ようと思った。

今日の「自然百景」は、≪草津白根山 山麓の湿地群≫だったが、それ程爽やかな美しい景色に出会えたわけでは

なかった。

ちょっと不満足ながら、その番組で見た自然の情景などを、次に載せます。

  

 

 

 

 

   

                     火口付近の「湯釜」

 

 

 

 

   

             初めて現れる植物は、その名も「イオウゴケ」

 

 

         

 

 

 

 

 

   

  火口の東側に広がる「芳ヶ平湿原」、ここで初めて自然らしい自然に触れることができる。

 

 

 

 

   

           可愛い「百舌鳥」。 他の鳥の鳴き声も聞こえていた。

 

 

 

 

        

 

 

 

 

池塘には、「クロサンショウウオ」の幼生がいる。

正面から見たら可愛いのに、横から見たらずい分細長い。

        

 

 

 

 

湿原には豊富な水が流れているが、上流の方は酸性が強く、酸性の水に強い「チャツボゴケ」しか生育できないらしい。

        

 

 

 

 

下って行くと、多くはないけれど、花が咲いている。

  

 

 

               

 

 

                                

 

 

 

 

今日の番組で、絶滅危惧種の「ミヤマモンキチョウ」という蝶に出会えたのが、一番嬉しかった。

  

 

 

                   

 

 

                                  

 

 

 

 

 

最後に水辺の風景。

  

 

     

     

                

              


どうしても “酔芙蓉” だけは見たくて (7月19日)

2023-08-17 19:53:43 | 日記

年月が過ぎ、私自身の体力の衰えに加えて、今年の夏の暑さは格別で、外に出るのもためらわれるほどだ。

5年前くらいに見に行ってた花で、今年見に行けなかった花の、何と多いことだろう!

花だけじゃなく、音楽界や展覧会にしてもそうだ。

歳を重ねるにつれてそういうことが多くなるのは寂しいけど、それを嘆いていても仕方ない。

 

電車で行かなければならない所の花は無理(今年の夏は特に)にしても、地元で咲いている好きな花くらいはぜひ見て

おきたい!

そう思ったとき “酔芙蓉”の花が浮かんできた。

7月の初めに一度見に行ったが、その時はまだ固いつぼみだった。

そこで19日(ずい分前ですが)に、意を決して、お日さまの照りつける外に出て、酔芙蓉が咲いている場所まで歩いて

行った。

この日の空は、所々に千切れ雲(すじ雲)が浮かぶ、真っ青な空だった。

              

 

 

 

 

市営住宅の花を見ながら、酔芙蓉が植えられている小さな公園へと向かった。

         

 

 

 

     

 

 

 

 

 

小さな公園で、酔芙蓉は真夏の太陽を照り返して、白く輝いていた。

私は何だかホッとしてシャッターを押した。

  

 

 

      

 

 

     

 

 

      

 

 

 

 

今までだったらもっと粘って、いろんな角度から写真を撮ったりしたけれど、この日はもうこれで限界!

酔芙蓉にバイバイして、帰途についた。

帰り道のお家の前で、薄いピンクのサルスベリが、空に向かって咲いていた。

         

 

 

  

 

 

                         

        

 

 

  

   

 


身近な花のスナップ写真 (7月3日)

2023-08-13 16:41:43 | 日記

(これも1ヶ月以上前に撮った写真です)

7月3日は、西宮北口のお医者さんに、薬を貰いに行かなければならなかった。

今年はもうこの頃から暑さが始まっていた。

暑さの中を阪急中津駅まで歩く。 

その途中で撮った花。

  

             幼稚園の塀で、ノウゼンカズラが精力的に咲いていた。

 

 

 

  

                         ランタナも群れ咲いて。

 

 

 

         

                                  ムクゲももう花を開いていた。

 

 

 

  

                      ハマユウも‥。

 

 

                           

                                                   エビノシッポも。

 

 

 

 

西宮北口の花壇で咲いていた花たち。

  

 

 

 

       

 

 

 

  

 

 

 

                        

 

 

 

   

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

中津に帰ってきた。 歩きながら撮った写真。

  

                        群れ咲くムクゲ

 

 

 

                           

                                             よく見る花なのに、この花の名まえが分からない。

 

 

 

            

                           民家の前で咲く、白いムクゲ・カンゾウ・向日葵

 

 

 

          

                                 ハイビスカスとペンタス

 

 

 

 

 

久し振りに中津公園に寄ってみた。

工事で水やりができなかったこともあって、花の姿はホントに少なかった。

  

 

 

                            

                       紫陽花が少しだけ咲き残っていた。

 

 

 

         

                                 アガパンサスは満開!

 

 

 

                             

 

 

 

                            

 


6月末の2回の食事会

2023-08-13 14:45:18 | 日記

(長いことブログをさぼっていたので、ずい分前の事になりますがアップします、お許しください。)

 

<1>アメリカ在住の甥の一家が、6月、1ヶ月の休暇を取って帰国してきた。

    そして帰国の間に一度、一緒に食事しようということになった。

    そこで、府内に住む姉夫婦と一緒に、6月28日に食事会をすることにした。

    場所は、大阪市内、地下鉄・天満橋近くにある、≪青竹庵≫という和食のお店。

    青竹庵には和室もあり、私たちはそこに通された。

    和室は落ち着いた雰囲気で、部屋からは庭の緑も見え、いい感じだった。

    

 

 

 

    

 

 

                          

 

 

 

 

   私たちはそれぞれに自分の好きなメニューを注文した。

   私が注文したのは、下の写真の料理。

   

 

 

                               

 

 

 

   姉夫婦はコロナの自粛期間の間、二人での散歩を日課として、ほとんど他人とは会わない自粛生活を続けていた。

   それまではアレコレと行き来していた私とも、ほとんど会う機会が無くなっていた。 (もちろん電話で喋ったり、メール

   したりはしていたけれど。)

   当然ながら、甥一家とは、この4年間全く会っていない。

   なのでお互いに久しぶりの食事会だった。

   甥一家はアメリカでの生活が長くなっているけれど、子どもも日米両方の生活にうまく適合して成長していて、一家

   で生活を楽しんでいるようだった。

   食事をしながら、たわいのない話をしていたら、アッという間に時間が経ってしまった。

 

 

 

 

<2>翌日29日は、ご近所さんとの月一回の会食の日。 2連チャンの食事会になった。

    今回の食事場所は、西梅田・ヒルトンウェストの6階にある≪燦≫というお店。

    6階の外が見える席だったので、梅田の南側の景色を撮っておいた。(特別な景色ではないけれど…)

         

 

 

 

   食事は、お値段は安いのに品数も多く、どれも美味しかったので、みんな大満足だった。

   

 

 

                

 

 

                                

 

 

 

   気心の知れたご近所さんの食事会で、いつもながら、楽しく美味しい時間を過ごすことができた。

 

 

 

 

<3>食事会ではないですが、この時季の故郷の美味しいモノ・2つを紹介させていただきます。

    (昨年も同じものを載せたと思いますが…)

    *ふるさと益田のアムスメロンは、ふるさと贔屓もありますが、全国の他のメロンにも引けをとらない、とっても美味

      しいメロンだと、私は自負しています。

    *そして、ふるさと・高津川の鮎も、鮎独特の香りの高い、とても美味しい鮎です。

    私はこの時季、この2つを食べて、とても贅沢で幸せな気持ちになります。

      

 

 

                          

                                          鮎はちょっと焼き過ぎました…(^_^;)

 

 

 

 

 

 

    


≪佐伯祐三展≫ ④

2023-08-10 22:00:25 | 日記

~2度目の渡仏~

 1927年8月、もう一度パリの壁や広告を描きたいという強い思いから、佐伯は再びパリに戻って来た。

 そして彼は、猛烈な勢いで制作を再開する。

 以下は、そうして描いた作品の数々です。

 

   

                        「カフェ・タバ」 1927年

 

 

 

   

                      「広告(アン・ジュノ」 1927年

 

 

 

        

                       「街角の広告」 1927

 

 

 

   

                        「門の広告」 1927年

 

 

 

   

                       「裏町の広告」 1927年

 

 

 

   

                       「ガス灯と広告」 1927年

 

 

 

   

               「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」 1927年

 

 

 

         

                    「広告貼り」 1927年

 

 

 

   

                        題名? 1927年

 

 

 

   

                         「場末の街」 1927年

 

 

 

   

           「靴屋」 1927年 (佐伯には珍しく人物を描いている)

 

 

 

 ※1928年に入ると、結核が進行して身体の衰弱が進むが、佐伯の意欲は落ちることなく制作ペースはむしろ加速して

   いったという。

   下は、1928年1月に描いた2枚の作品。

 

         

                   「共同便所」 1928年1月

 

 

 

  

                         「工場」 1928年1月

 

 

 

 

 

 ≪新しい画題を求めて!(1928年2月)≫

  パリを描くことをずっと自分の命題としてきた佐伯だが、1928年2月になって、パリを離れ、小さな村・モランで写生

  旅行を行う。

  当然のことながら、パリ時代の絵とは対象も描き方も変わっているが、色彩の使い方などには、佐伯独自のものも

  あるように思う。

   

                       「モランの寺」 1928年

 

 

 

   

                      「モランの教会」 1928年

 

 

 

   

                        「モラン風景」 1928年

 

 

 

   

                          「村と丘」 1928年

     

 

 

   

                         「納屋」 1928年

 

 

 

   

                         「煉瓦焼」 1928年

 

 

 

 

 ≪最後の作品≫

  モランからパリに戻った後の3月、風をこじらせた佐伯は床に就く日が続く。

  そんな折、佐伯家に郵便を届けにやって来た郵便配達夫の佇まいに心惹かれた佐伯は、彼にモデルになってくれる

  よう強く依頼し、描かせてもらうことになった。

  折しも、モデルとして使ってくれないかと佐伯のもとを訪れたロシアの娘がいて、室内で描いたこの2人の人物画が、

  佐伯にとって最後の作品となった。

   

            

             「郵便配達夫」 1928年                                「ロシアの少女」 1928年

 

 

 

 上の2作品と前後して、佐伯には、わずかに体力が回復した時に戸外に出て描いた、2つの“扉の絵”がある。

 それが、次の2作品。

   

                「黄色いレストラン」 1928年

 

 

                            

                                                    「扉」 1928年

 

 

 

 ※この4枚の絵が佐伯の絶筆ということになるのだけれど、私はこれらの絵の力強さに強い驚きを感じる。

  これらの絵には、どこにも力を抜いたところが無い。

  むしろ力が漲っている感じがする。

  死を予感していただろう佐伯が、最後の力を振り絞って、一分の隙もなく塗り込め描いたであろう、これらの絵。

  私は、これらの絵を見ながら、何とも切ない思いになる。

  と同時に、佐伯の絵にかける強い思いを感じて、彼がいっそう好きになり、尊敬の念を強くした。

  (佐伯はその年の8月16日、パリ郊外の病院で息を引き取った。30歳の早過ぎる死だった。)

 

 

 

 


 

 

 

※帰り道でのスナップ写真  

   

           葉っぱの緑と先端のオレンジ色が、可愛いらしく感じられた。

 

 

 

 

               ~帰りに立ち寄った阪神百貨店の外壁~

            

 

 

               こんなに沢山花が植えられているとは!

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


≪佐伯祐三展≫ ③

2023-08-07 17:11:47 | 日記

いよいよ憬れのパリでの画家生活が始まった。

佐伯の最初のパリ生活は、1924年1月からの、約2年間。 

(2年で終わってしまったのは、病により1926年1月、一旦帰国しなければならなくなったからだが…。)

とにもかくにも、憬れてやっとたどり着いたパリで、彼は、自己の作風を模索しつつ、精力的に絵を描いていく。

 

 

ここからは、最初(1回目)のパリでの画家生活の中で、佐伯が残した作品を載せていきます。

   

    「パリ遠望」 1924年 (この絵は他の佐伯の絵とちょっと違う感じを受ける。セザンヌ風?)

 

 

 

   

                       題名? 1924年

 

 

 

   

                   「オワーズ河周辺風景」 1924年

 

 

 

   

                    「塔のある建物」 1924年

 

 

 

   

                    「オーヴェールの教会」 1924年

 

  ※「オーヴェールの教会」があるオーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホ終焉の地として知られている。

    佐伯は渡仏して間もなく、ゴッホ兄弟の墓を詣で、ガシェ博士という方が所蔵されているゴッホの作品20点余りを

    見せてもらったそうだ。

    上の絵は、オーヴェールを再訪した時に制作されたもので、ゴッホ最晩年の作とほぼ同じアングルと構図で教会

    堂を描いているのだそうだ。もちろん色彩的には、色鮮やかなゴッホの絵とはずい分違ったものになっている。

 

 

        

                   「煙突のある風景」 1924年

 

 

 

佐伯は1924年末に、郊外のクラマールから、パリ15区の下町のアトリエに移り住み、そこから彼の関心は専らパリの町

並み(建物)そのものへと移っていく。

そこには、当時詩情豊かなパリ風景を描いて人気を博していた、ユトリロの影響があったと言われている。

しかし佐伯は、ユトリロよりも一層、パリという街の真実に迫っているように、私には思える。

彼はパリの町並みや建物、場合によっては、一つの建物や建物の壁のみを描いて、パリという都会の真の姿、そこに

住まう人々の暮らしの様や哀感までを描き出しているように、私は思う。

それが、佐伯絵画の神髄であり、佐伯の絵画が人々の胸に刺さると言うか響く由縁なのだと思う。

以下、彼がパリの街と向き合い、格闘しつつ描いた絵を、描かれた順番に載せていきます。

       

 

 

   

                      「パリ15区街」 1925年

 

 

 

         

 

 

   

                  「街角(モロ=ジャフェリ広場)」 1925年

 

 

 

   

                      「運送屋(カミオン)」 1925年

 

 

 

       

                   「レ・ジュ・ド・ノエル」 1925年

 

 

 

   

                 「パリの街角(家具付きホテル)」 1925年

 

 

 

       

                  「コルドヌリ(靴屋)」 1925年  

  

 

 

       

                       「壁」 1925年

 

 

 

   

                          「門と広告」 1925年

 

 

 

   

                         「パストゥールのガード」

 

  ※佐伯一家は日本に帰国するため、1926年1月14日にパリを離れた。この絵はその朝、佐伯が作家・芹沢のもと

    を訪れて渡した、2枚のうちの1枚だそうだ。