22日、内科のお医者さんからの帰り道。
ビル街の道路の傍らに植えられた2種類の木が、花を付けていた。
一つは、前にも載せた赤い花。(花の名まえは、調べてなくて分からない。) 花数はずい分減って、緑の葉っぱが出ている。
二つ目は、まだ咲き始めたばかりのハナミズキ。(今は満開になってるけれど…。)
22日、内科のお医者さんからの帰り道。
ビル街の道路の傍らに植えられた2種類の木が、花を付けていた。
一つは、前にも載せた赤い花。(花の名まえは、調べてなくて分からない。) 花数はずい分減って、緑の葉っぱが出ている。
二つ目は、まだ咲き始めたばかりのハナミズキ。(今は満開になってるけれど…。)
4月1日は、新元号発表の日。
この日は朝から、どのテレビも、新元号のことで持ちきりだった。
新元号発表の前は、どのチャンネルを回しても、新元号が決められる手順等について、同じ説明を何度も何度も繰り返している。
それはウンザリする程だったが、聞くともなく聞いていた私は、ウンザリを通り越して腹が立ってきた。
今この時、日本でも世界でも、いろんな事が起こり、いろんな悲しみや喜びがある筈なのに、新元号発表だけが唯一の重大事件
であるかのような報道ぶりなのだ。
テレビ局の中で一局ぐらい個性的な報道をする局があってもいいのに、という私の思いなど論外だと言わんばかりの熱狂ぶりだ。
このようなマスコミの過熱ぶりに対する疑問と不可解さは、新元号≪令和≫が発表された後、私の中でますます募っていった。
まず新元号が≪令和≫と発表されたときの私の率直な思いは、「えっ、レイワ?」だった。
そして「レイワ」が「令和」であると分かったときも、なんかしっくりこない感じがした。
「和」はイイとして「令」に何か引っかかるものを感じたのだ。
私が「令」と言われてすぐ頭に浮かんだ熟語は、「命令」だったから。
私は急いで漢和辞書を引いてみた。
すると、「令」の主要な意味として書かれていたのは、「神のお告げや君主・役所・上位者の言いつけ」に始まって、「掟・お達し」
「命令する」「~せしむ」などと続き、やはり「上から下へ」のイメージを表す意味が続いていた。
ただ一つだけ「よい。清らかで美しい。」という意味が書かれていて、その用例としては「令聞(よい評判。ほまれ)」「令室」「令嬢」
などが挙げられていた。
そういうプラスイメージの意味もあることは分かったけれど、その意味にしても、私たちが普通に使う「よい・美しい」より、何か形
式的で固い感じがするような気がした。
そんな疑問が出ることを察知してか、安倍首相は≪令和≫が「万葉集」の歌から引かれたことばで、「令」は「美しい・麗しい」の
意味であることを強調していた。
でも……そういう説明を繰り返されても、「令」に対する私の印象は良くはならなかったのだけれど。
「令」の意味と「令」から受ける印象がどうであるかということは一旦置いても、その後のマスコミの報道ぶりは、私を更にギョッと
させるものだった。
新元号が決まったあと、テレビの画面には、書道部の生徒たちが「令和」と毛筆で書いた紙を画面いっぱいに掲げる姿が映し出
されたりして、マスコミの報道は≪令和礼賛≫一色で塗りつぶされた感じになった。
私はこのような報道を見て、気分が悪くなるとともに、強い恐怖心を抱いた。
それは、マスコミによる世論操作のような気もしたし、更にうがった見方をすれば、マスコミの裏には為政者の強い思惑・指示が
あるような気もしてきた。
それ程深刻に考えなくても、と言われる向きもあるかと思うけれど、これが私の率直な思いだったのだから仕方がない。
私がそういう思いを抱いてスッキリしない日々を過ごしていたある日の朝、ふと新聞に目をやると、次のような記事が目に入った。
その紙面には、「令和」について諸手を挙げては賛成しかねる、という意見をお持ちの、お二人の見解が述べられていた。
お一人は、東京大学史料編纂所の≪本郷和人教授≫。
彼は漢和辞典で「令」の字に「よい」の意味が出てくるのは6番目で、「令」は圧倒的に「命令(する)」の意味で使われる漢字で
あると指摘されている。
そして私が驚いたのは、彼がそういう意味のことをあるテレビ番組で述べられたところ、ツイッターなどのSNSで猛批判され、胃
の痛む日々を過ごされているというのだ。
やっぱり! と、私は思った。
私が新元号発表当日のテレビ報道を見て抱いた危惧が、こういう形で現実に現われているのだ。
もちろん、ツイッターやSNSで意見を言う権利は、誰にもある。
だけど、本郷教授が胃が痛くなったとすれば、意見は、本郷氏に共感するものは殆ど(全く)無くて、スゴイ数の、しかも暴力的と
も言えるような中味の反対意見が、荒波のように本郷氏に襲いかかっただろうことが、容易に推測できる。
マスコミの意図がどこにあったかは定かでないけれど、結果的に、このような言論統制になって表れていることに、マスコミは深く
反省してもらいたいと強く思う。
マスコミ各社は、第二次世界大戦時に自分たちが犯した過ちに対する痛烈な反省を、今しっかり思い出してほしいと思う。
新元号「令和」に批判的な考えを述べられているお二人目は、万葉集研究者の≪小松靖彦教授≫(青山学院大)。
彼はこう言われている。
「万葉集が注目されるのはうれしいですが、戦争で利用されたという歴史もきちんと知っておかなければならない。」
そして、戦争に利用された例として、戦争中に戦意を高揚させるために歌われた「海ゆかば」は、大友家持の長歌から引用
されたものであることを述べられている。
海行かば 水浸く(みずく)屍(かばね)
山行かば 草生(む)す屍
大君の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
そして小松氏は、戦中、「万葉の精神で」という言葉も飛び交った、とも言われている。
これら、「万葉集から引用された歌」や「万葉の精神」を胸に、死んでいった人たちがたくさんいたことを、決して忘れてはいけな
い、と小松氏は結ばれている。
新元号が万葉集から取られたのには、安倍首相の強い推しがあったのは周知のことだ。
天皇は日本の象徴であり、政治に関与することはできない。
現天皇はその規定のもと、ひたすら国民に寄り添い、平和を願ってこられた。
そうであるのに、その天皇(皇室)を、(現天皇の退位や新天皇の即位、新元号の制定において)政治的に利用することなど、絶
対にあってはならないことだ。
でも、そのあってはならないことが、実際には巧みに(或いはあからさまに)行われているような気がしてならない。
4月17日は午後から、歯医者さんの予約が取ってあった。
帰りは地下鉄・淀屋橋に出るため、水晶橋を渡って市役所をぐるりと廻って駅に向かう。
水晶橋を渡ったところの堂島川沿いに植えられたツツジが、もうかなり花を開いていて、季節の移り変わりの速さに驚く。
市役所の裏玄関の前の赤いツツジも、半分くらいは開いている。
目を上に上げると、窓々は緑のカーテンに覆われているようだ。
市役所の角を曲がると、そこにもツツジが色とりどりに咲いていた。
純白のツツジは、目に爽やかだ。
赤いツツジの手前で餌をついばんでいる鳩を撮ろうとしたけれど、小さくしか撮れなかった。
丈をそろえて刈り込まれた赤いツツジの中から、何本かがニョキッと出ているのが面白かった。
まっ赤なツツジと競うように、そこここで、緑も旺盛に燃えていた。
~日本銀行大阪支店の前のイチョウ~
~土佐堀川沿いの緑~
※ずい分前になりますが、北海道のKさんが、今年も又、私の大好きなアスパラを送ってくださいました。
今年のアスパラもとっても美味しかったです。
口に入れるとほわっととろけるような舌触り、そしてアスパラ独特の香りと味が口一杯に広がります。
今年は、近所の友だちに1把分けてあげただけで、あとは全部自分で食べてしまいました。
Kさん、本当にありがとうございました。
公園では、その日もまだ色とりどりのチューリップが咲いていて、逆光の夕陽を透かせて輝いていた。
~紫蘭の花も~
公園の真ん中にある植え込みの中で、ツツジの花がもう花を開き始めているのには驚いた。
公園の奥の方にも、八重桜の木が何本かある。
「関山」と名付けられた八重桜は、なんとも生命力旺盛だ。
公園の一番隅っこにある薄いピンクの八重桜は、去年の台風でやられて、ずい分花数を減らしていた。
公園の中央では、もう鯉のぼりが泳いでいた。 ああ、もうそんな季節なんだなあ!
~色鮮やかな花々の中の、白い花~
もう帰ろうとしてふと空を見上げると、緑になった銀杏の枝の向こうに、上弦の半月が浮かんでいる。
お月さまを見るのは、ほんとに久し振りだ。
その後、帰りながらお月さまを捜して、写真を2枚撮った。
この日はとってもお天気が良かったので、夕方ちかくになって、中津公園までブラブラ歩いて行ってみた。
ソメイヨシノのあとを受けて、八重桜や牡丹などがもう花を開いているのではないかしら、という期待もあった。
公園の手前の市営住宅のお庭には、(かつてはチューリップが美しかったけれど)カラスノエンドウが繁茂していた。
チューリップの花畑が無くなったのは淋しいけれど、カラスノエンドウの花も可愛いな!
公園に近づくと、新緑の向こうに、ピンクと白の花が見えてきた。
やっぱり八重桜はもう満開なんだ!
公園の入り口辺りには、濃いめのピンクと白、それに薄いピンクの、3色の八重桜がある。
牡丹はどうかしら?と思って花畑に足を向けると、濃いえんじ色の大輪の牡丹が、私を迎えてくれた。
牡丹の花って、1輪でも、本当に華やかだ。
なんか、王者の風格を感じる。
濃厚な牡丹の傍には、白いイチハツが清らかに咲いていた。
私の友人の中には、<元気な状態で入所し最期まで看取ってくれる施設>への入所を決めた人が、すでに3人(3組)おられる。
私にもお誘いがあったけれど、残念ながら私には、入所に必要な莫大なお金が無い。
それに今まで入所された施設は、私から見ればかなりの田舎で、今の便利な都会暮らしから離れるのにもちょっと抵抗がある。
(もちろん、一番問題のお金が用意できないんだから、外のことをアレコレ言う必要もないんだけれど。)
この度(今年になって)別の友人(私より4歳年下)から、自分もそういう施設への入居を考えたいから、相談に乗ってほしいと言
われた。
私は、自分がそういうことを考えていない(考える立場にない)から、不適任ではないかと言った。
しかし、彼女はそれでもいいと言われるので、だいぶ前になるけれど、彼女が入居の候補と考えられている施設の見学に同行した。
彼女が考えられている施設は神戸・三宮から割と近い所にあって、彼女が今生活されている所からも近い。
見学の当日、三宮で待ち合わせ、タクシー(代金は施設が支払ってくれるという)に乗って、施設まで行った。
都会にある施設なので、高層マンションにならざるを得ないけれど、周りには十分なゆとりの空間もとってある。
玄関を入ると落ち着いた空間が広がり、そこからは、水の流れと緑に満ちた中庭が望めた。(中庭は自由に散策できるとのこと)
私は、この落ち着いた感じの雰囲気が気に入った。
こういう施設では、ホテルのようにとても華やかな設えをしている所があるけれど、終の棲家となる施設としては、この位落ち着き
がある方が、居心地がいいような気がした。(私の個人的な趣味だけれど…。)
もちろんここには、医院やプールやトレーニング室、音楽室(ピアノ2台)・ゲーム室・読書室・カラオケルーム等々があり、入居者
の皆さんの健康の維持向上を図り、楽しい生活を送られるための諸設備を、充分備えているように思われた。
(下の写真は、談話室)
そして居室の方も、(狭い所でも)私のマンションの部屋と同じくらいはあり、便利な設えになっている。
私は、「なかなかいいんじゃない!」と言った。
今まで広い所に住んでおられる彼女には、少し不満もあるようだったけれど。
その後いろいろ考えられて、彼女のその施設への入居は、ほぼ決まっていっているようだ。
これで、彼女も終の棲家を決められ、人生の最期までの時間を、安心して有意義に楽しく過ごされることになるだろう。
私は何だかホッとするような、羨ましいような気分になった。
だって私はと言えば、終活も終の棲家も、なぁんにもできてないし、決まってもないんだもの。
けれどそこで私は、いつもの様に、「まあ、どうにかなるさ。」と心の中でつぶやく。
もちろん、どうにもならない事があることも、病気になってよく分かったから、これからは少しずつ身辺の整理だけはしていこうと
思ってはいる。
その彼女が属される“芦屋熟年コーラス”の<創立35周年記念コンサート>が、昨日(14日)行われた。
彼女から招待を受けた私は、“芦屋熟年コーラス”がどんな活動をされているのかよく知らないままに、喜んで行かせていただく
ことにした。
私も下手ながら歌を歌うのは大好きで、地域のコーラスにも参加しているから、友だちのコーラスをぜひ聴きたいと思った。
会場は、<芦屋 ルナ・ホール>。
私は行きは阪神電車に乗って、ルナ・ホールのある芦屋まで行った。
あいにくこの日は雨模様だったが、芦屋駅を降りて芦屋川沿いに歩いて行くと、川沿いに桜並木が目の前に現われた。
下は、六甲山をバックにした桜です。
しばらく歩くと、会場のルナ・ホールに着く。
コンサートは4部に分かれていて、なんと、全部で15曲も歌われる(それも楽譜を持たずに)のにはビックリした。
それに、女性はソプラノ・メゾソプラノ・アルトの3部に、男性もテノールとバスの2部に、分かれて歌われた。
私が属するコーラスなどとは雲泥の差、本格的なコーラスだった。
下は、第1部と第2部のステージの様子。(人数が多くて、男女とも端っこの方は入らなかった。)
休憩を挟んだ第3部では、女性も男性も、ガラリと衣装を変えて登場されたのには、又々ビックリ!
そして、3部の「君といつまでも」は、男性だけのコーラス、「糸」は女性だけのコーラスだった。
最終の第4部は、再び休憩を挟んで衣装を変えて登場され、最後の熱唱を披露してくださった。
(第4部の衣装は照明の加減か、うまく写真に撮れなかった。)
一つのコンサートで3回も衣装が変わるなんて!と驚いて言った私に対して、友人曰く、最近のコーラスでは衣装を変えるのは
当たり前なのだそうだ。
なかには8回も衣装を変えられるところもあるとか…ちょっと行き過ぎ違う?と私は思ったけれど。
とにもかくにも、<芦屋熟年コーラス>の今回のコーラスは、本当に素晴らしかった。
私は、感嘆と満足の気持ちを抱きつつ、家路についた。
帰りは阪急電車で帰ったが、阪急の芦屋川駅に着くまでの間にも、川沿いの桜が、強くなった雨に打たれていた。
<付録>
次は、中津駅に降りてから家までの間に目に付いた花たちです。(雨が強くなっている中でも、やっぱり撮ってしまいました。)
一重の白山吹の花
八重の黄色の山吹
(名まえは知らないけれど、心惹かれる小さな花)
7日は体調が良くなかったけれど、統一地方選挙の投票日だ。
しんどくても選挙は棄権するわけにはいかない。
9時ごろ家を出て、投票所のあるN小学校に向かう。
行く途中にある別の学校のソメイヨシノは満開だった。
しかし、富島神社の桜は去年の台風で太い枝が折れ、太い幹を切られた。
「今年は富島神社の桜が見られなくて寂しいね。」と近所の友だちと話していたが、神社の前まで行って驚いた。
切られた幹の脇から枝が出て、花まで付けている。
私は思わず「凄いなあ!」と言って、カメラを向けた。
大阪で割と有名なインドカレーのお店の前で、まっ赤な花がかたまって咲いていた。
赤いマンサクの花だと思うけど、違っているかも知れない。
N小学校に到着。
校庭に白とピンクの桜があることを、今回初めて知った。
ピンクはソメイヨシノだが、白は大島桜ではないかしら? (緑の新芽がだいぶ出ている。)
投票を済ませての帰り、中津公園に寄った。
中津公園では、ソメイヨシノが相変わらず満開だったが、いろんな緑が、ソメイヨシノと争うように自己主張し始めた。
植物の新芽の「緑」はもちろん、「赤」も鮮やかでかわいい。。
チューリップもやっぱり色とりどりに咲き誇っていたが、なかには盛りを過ぎているのもあった。
公園で見た、他の花たち。
公園の遊具に、中学生くらいの女の子がよじ登ってお喋りしていた。
(かなり前だったけれど、少年たちが木登りしているのを見かけてちょっと感動したが、その時は写真は撮れなかった。)
公園を出たところの市営住宅のお庭の花。
花を植えられていない庭に生えた野草の花たちが、なんとも可愛らしい。
(行きに見た学校の)桜の間にお日さまが顔を出して、桜の花が影絵のようになっていた。
先週の金曜日(5日)には、同郷の友だち(小・中学校が一緒)5人で、お花見に行った。
今年は初めてKさんが加わられ、少し賑やかになってとても楽しかった。
お花見の場所は、いつもの大川。
大阪の桜の開花宣言が出たのはだいぶ前だから、大川の桜は満開になっているに違いないと思っていたが、着いてみると、まだ
7・8分咲きというところだった。
水辺の桜は、全体に開花が少し遅れるようだ。
それに今年の桜は、去年の台風21号の暴風によって、桜の枝が沢山折れたり木そのものがなぎ倒されたりで、花の分量が少なく
なっているようだ。
そこで、定番の「源八橋」からの眺めは、今までと比べるとずい分淋しい感じだった。
源八橋の上から、桜の花を透かして見た、帝国ホテルと、下を歩く花見客。 (どちらもかすかにしか見えませんが‥)
私たちは源八橋から下に下りて、大川沿いを桜を見ながら、天満橋目指して歩いて行った。
以前はお弁当持参のお花見だったが、最近は、適当なお店を見つけて食事することにしている。
天満橋まで行けば、食事するお店も見つかりやすい、という計算だ。
私は一緒に歩きながら、時々カメラのシャッターを押した。
写真を撮ることが目的ではないので、撮った写真の数も質も不十分だったけれど、何枚かの写真を下に載せます。
天満橋に着いて、ビルの8階にある和食のお店で、食事とお喋りを楽しんだ。
桜の花はイマイチだったけれど、こうして集まってお喋りできるのが、何よりの楽しみと幸せだ。
食事を済ませたあと、同じ8階の展望台から、下を見下ろした。
下では観光客が列を作って、遊覧船を待っていた。
窓の向こうには、両岸が桜で縁取られた、湾曲する大川の姿が望めた。
4月1日は、血圧のお医者さんの日だった。
診察を終えて帰る途中、目が覚めるような赤い桃の花が、見事に咲いていた。
この花を見た途端、私はすぐに家に帰るのは止めて、中津公園に足を伸ばすことにした。
公園ではいろんな春の花がきっと咲いているだろう。
下は、公園に行く途中の、強い陽射しが建物の壁に作った、面白い幾何学模様。
公園に着いてまず目に入ったのは、公園の北側(淀川に面する側)に植えてある桜だった。
ここの桜は少し花の量が少なく淋しげだったが、これが、私が中津で見る初めての桜だ。
公園の中央にある花壇の方に進んで行くと、ここではいろんな春の花が咲いていた。
花はまだだけれど、花壇の牡丹がもう蕾を付けていた。次々と移りゆく花の季節が、嬉しいような少し淋しいような…。
公園にはいろんな所に桜が植えられている。
花だけでなく、ドウダンツツジは可愛い新芽を出し、アジサイは緑の葉っぱを勢いよく伸ばして、春の訪れを喜んでいるようだった。
ここでもう帰ろうとしたとき、公園の隅っこにピンクの枝垂れ桜があることを思い出した。
枝垂れ桜は早咲きでだいぶ花数は減ってはいたが、名残りの花を付けた枝が、折から吹いてきた強い風に揺すられていた。
3月末日の日曜日、久しぶりに姉と、ランチ&お喋りすることになった。
日曜日は梅田だとすごい人なので、梅田は避けて、「千里阪急ホテル」で食事することにした。
千里阪急ホテルは、地下鉄千里中央駅から歩いて程ないところにある。
姉と一緒にぶらぶら歩きながら、ホテルに向かった。
途中の道路脇の小さな花壇は、春らしく華やかな花たちで満ちている。
そしてなんと、これも道路脇に植えられている桜は、かなりの量の花を付けていたのだ。
大阪でも数日前に桜の開花宣言が出されているから当然かも知れないけれど、私にとっては今年初めての桜だった。
私は興奮してカメラを向けた。
私たちはホテルに着くと、よく行く中華料理のお店で、ランチをとった。
ランチの料理の中でも、サクラのような花が咲いていた。
ずい分前のことになるけれど、3月中旬のある朝、部屋の障子に春の日射しが射し込んでいた。
嬉しくなってベランダに出ると、暖かくなって少し花を付けだしたペチュニアが、春の日射しを受けて輝いていた。