「日本三大花火大会」の一つに数えられる、<長岡まつり大花火大会>。
長岡の花火大会は、日本一の大河・信濃川の広い川岸を使って打ち上げられる、大規模な花火大会だ。
毎年8月の2日・3日に行われる花火大会で、打ち上げられる花火は、なんと2万発にも及ぶそうだ。
しかし長岡の花火大会は、決して絢爛豪華なものだけではない。
毎年8月1日、花火大会の前日の夜10時30分、白一色の花火が1発、長岡の夜空に打ち上げられる。
長岡は、昭和20年8月1日の夜、花火があげられる時間に、米軍による空襲を受け、焼け野原となった。
その空襲によって、長岡の住人・1488人の命が奪われたのだ。
毎年、同じ日・同じ時間にあげられる白一色の花火は、空襲によって命を奪われた人に対する≪慰霊の花火≫なのだ。
戦後長岡では、8月1日を≪慰霊の日≫、2日3日を≪花火大会≫として、『慰霊』 『町の復興』 『平和への祈り』を
“花火”に託すことにしたのだった。
そんな長岡を、2004年10月に再び災禍が襲う。 「新潟県中越地震」だ。
そして人々は、地震からの「復興の願い」を、再び花火に託される。
震災からの復興への意志と願いを表す、新しい花火・<フェニックス(不死鳥)>(復興祈願花火)の打ち上げを企画さ
れたのだった。
<フェニックス>の打ち上げの資金を得るため、人々は積極的に街頭に立って募金を集められた。
そして地震から1年も経ない2005年夏には、<フェニックス>の打ち上げが成功したのだった。
フェニックス(不死鳥)を象った花火も‥
そして長岡の人々は、<フェニックス>の打ち上げを心の糧として、復興への努力を続けられた。
だから、長岡の人々にとって花火大会は、単なる楽しみの行事に留まらない、精神的支柱でもあったのだ。
そんな「長岡の花火大会」も、日本各地の花火大会と同じように、コロナの感染拡大によって、2年連続で中止となった。
その辛い決定を受けて、まず、長岡在住の3人の花火師が集まられた。
彼らは、花火大会の会場である信濃川河川敷で、何かできないかと相談される。
そして彼らは、それぞれが分担して、長岡市の11ヵ所で、ホントに小規模ながら、慰霊の花火を初めとした花火を打ち上
げることを決められる。
市民の中からも、新たな試みが行われることになった。
キルト作家・島田桃子さんの発案で、有志を募って、長岡の花火を大きなキルト作品にし、それを街中に展示するという
試みだ。
(島田桃子さんの写真の下は、できあがったキルト作品のごくごく一部。実際はとても大きく立派な作品だった。)
そしていよいよ、2021年8月2日がやって来た。
3人の花火師の方は、それぞれの場所で、伝統の「慰霊」「復興」「平和」の花火を上げられる。
そして今年は特別に、≪新型コロナ終息祈願≫の花火も加えられた。
写真が全体にボンヤリしてしまった…。
~打ちあげを担われた花火師の方々の姿~
そして、伝統の花火以外に小規模の花火もそれぞれの地域で打ち上げられ、その地域地域で三々五々、人々がその
花火を、喜びと感謝の気持ちで見上げられた。
~花火を見上げる若い夫婦と、ママに抱かれて花火を見つめる子ども(の純粋な瞳)~
~並んで花火を見上げるご夫婦~(喜びと感謝の思いが溢れている。)
~最後に、花火の写真をもう2枚~
※順序が逆になりましたが、上のブログは、先週の土曜日にBS3で放送された、下の番組を見て書いたものでした。