のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

“2月は逃げる”

2019-02-27 17:47:33 | 日記

 2月も明日で終わる。

 体が老化の一途をたどっていて、活動力は衰えるばかり。

 ほとんど何もしないうちに2月も終わり、これで2019年も6分の1が過ぎたなあと、力無くつぶやいたりしている。

 いろんなことが邪魔くさくなり、パソコンも開けない日が続いている。

 邪魔くさがりは日常のすみずみまで及んできて、マンションの玄関にあるメールボックスも、開けないままの日が続いたりする。

 特に用事が無いときは、わざわざメールボックスを開けるためだけに下に降りるのは面倒だ。

 また、買い物の荷物が多いときや、疲れて帰ってきたときなどには、メールボックスを開けないまま部屋に戻ってしまうことも多い。

 そんな状態が続いた後のある日、メールボックスを開けると、ボックス一杯になった郵便物の束が、手に収まりきらずにドサッと

床に落ちてきた。

 慌てて拾い集めていると、書類やら広告やら手紙やらの間に、一枚の絵てがみらしきものが挟まっているのが目に入った。

 私は急いでそれを手に取った。

 予想したとおり、それはNさんからの絵てがみだった。 日付を見ると、1月末の消印が押されている。

 私がメールボックスを開けたのは、2月もだいぶ経ってからだったように思う。

 私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 今回の絵てがみは、いつにも増して、丁寧に心を込めて描かれていたように思えて、余計に自分のズボラさが嫌になった。

 その時からもまたずい分日が経ってしまったけれど、Nさんへのお礼とお詫びの気持ちを込めて、写真を載せさせていただきます。

                  

 

 

 


 

 

 

 コーラスの練習に一緒に行っているご近所のIさんが、家のフローリングで足を滑らせて足の付け根を痛められ、しばらくは外出

を控えられている。 

 そこで、19日のコーラスの練習には私一人で行き、帰りも一人だった。 当然、帰り道で一緒にしている昼食も、私一人ですること

になった。

 そこで私は、Iさんと一緒のときにはご無沙汰していた「ココット」に、久しぶりに行った。

 「ココット」のランチは、安くて美味しく、私のお気に入りだ。

 私は幾つかのメニューの中から、いつものようにリゾットを選んだ。(スパゲティーは麺の量が多すぎて食べ切れないので)

                   

 

 

                            

                                料理が2つともピンボケになりました…(涙)

 

 

 テーブルの上に、変わった植物があったので聞いてみると、「プンタレッラ」という、いかにもイタリアらしい名まえの野菜だった。

 (どんな味がするのかな?)

                   

 

 

 

 「ココット」からは、いつものように歩いて帰ってきた。

 途中の道路傍の公園で、この間の台風で切り倒された樹の切り株から、すでに沢山の小枝が出ていて、ちょっと感動的だった。

 この日は小雨が降っていて、枝には雨滴が付いていた。

                   

 

                       

 

 

 

 外出が困難なIさんの所には、毎日お姉さまがお弁当を作って持ってきてくださるそうだけど、私は、自分の好きな果物や生もの

を少しばかり持って行った。

 その日はとてもお天気が良く、行く途中にあるマンション(群)が、陽の光を受けて輝いていた。

 マンション近くの中津公園の白梅も、青空をバックに、小さな花を広げていた。

                        

 

 

                     

 

 

 

 次は、帰りにブラブラしながら撮った花たち(ちょっとだけ)です。

                    

 

 

                    

 

 

                     

 

 

                     

 

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


食事会・2連チャン

2019-02-13 18:28:39 | 日記

 日曜日(10日)と月曜日(11日)は、2連チャンの食事会でした。

 日曜日は、I市にいる姉の誕生日にかこつけての食事会、月曜日は、かつて仕事を一緒にした仲間(女子会)の食事会でした。

 姉との食事会は梅田ですることが多いのですが、今回は私の希望で、姉の家の近くにある「マンジャーレ」というお店ですることに

なりました。

 「マンジャーレ」は、イタリア料理を基本としたお店なのですが、なかなか美味しいのです。

 予約は12時にとってもらっていたので、12時ちょっと前に姉の家に行き、その足で姉夫婦と一緒にお店に向かいました。

 お店ではそれぞれ好きな料理を注文し、お喋りしながら美味しく食事をいただきました。

 写真は、最初の前菜と、最後のデザートだけしか撮りませんでした。(お喋りするのが優先して忘れてしまいました。)

              

 

                             

 

 

 食事を終えると又姉の家に行き、コーヒーをいただきながらノンビリさせてもらいました。

 そして私が、和室で使う椅子が欲しいけどなかなか買えないと言うと、姉の家で使っていない椅子があるからそれで良かったら

二人で持って行ってあげると言ってくれました。

 本当にありがたいことです。

 これで椅子にユックリ坐って、ますます「テレビばあさん」振りを発揮することになりそうです。

 

 

 11日の食事会は、奈良の「登大路ホテル」という、由緒あるホテルのレストランで行われました。

               

 

                 

 

 

 この会のメンバーはホントは6人なのですが、Nさんがお母さんの介護のため参加できないので、結局5人の参加で行われま

した。

 食事はどの料理もとても美味でした。

                

 

                           

 

                                      

                                                  お魚料理

 

                       

                      お肉料理 (最初はとても綺麗に盛り付けてあったけ

                      れど、私がフォークが使えないのでお店の方に切っ

                      ていただいて、こんな風になりました。)

 

                   

 

 

 

 女3人寄れば何とやら‥‥。

 それが5人なんですから、そのカシマシサと言ったら相当なものです。

 お喋りにかけては、私も決してひけはとらないつもりですが、私の上をいく人が…まあ2~3人はおられます。

 なので、ホテルを出て別の喫茶店に行っても、なかなかお喋りは終わらないのです。

 しこたま喋って、結局散会したのは5時前くらいだったかな?

 (食事が11時半から始まりましたから、お喋りの時間は相当なものになります。)

 でもいつもながら、本当に楽しい時間でした。

 次は7月の予定ですが、私も元気で参加できるように、身体の調整をしなくっちゃ!と、今から思っているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『造形』と“色彩”の面白さ

2019-02-13 16:44:59 | 日記

 先日の日曜美術館の≪アートシーン≫で、『民藝』の展覧会を紹介していました。

                   

 

 

 『民藝活動』とは、(言わずもがなかも知れませんが)柳宗悦(ムネヨシ)氏を中心として推進された運動で、日常生活に使われる

モノの中にも美しさがあると主張し、その美しさを見い出す活動を言います。

 柳氏は、それを≪用の美≫と名付けました。

                   

 

                       

 

 

 

 今回の展覧会は、民藝運動の拠点になっている<日本民藝館>の今の館長、深澤直人氏が中心になって開かれたものです。

                  

 

 

 深澤直人氏のことは、それまであまり知りませんでしたが、彼の作品を見て、そのデザイン性の高さ、造形の面白さに、強く惹か

れました。

                      ≪深澤直人氏がデザインされた作品・3点≫

                  

 

                    

 

 

 

 そして今回、テレビで紹介された『民藝』の展示物の中で、私が心惹かれたモノを下に載せさせていただきます。

                  

 

 

                    

 

 

                  

 

 

                   

 

 

                    

                        特に、左側の「暖簾」が面白いと思いました。

 

 

 

 ※『民藝』の展示品と一緒にするつもりは毛頭ないのですが、この間焼いたお餅の形と色があまりに可愛かったので、下に載せ

させていただきます。(汗)

                   

                            ちょっと焼き過ぎでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


富島神社の小さな梅の木にも…

2019-02-13 16:42:02 | 日記

 先週の土曜日、ご近所のHさんの家に行った帰り、富島神社の境内をふと見ると、小さな2本の梅の木が花を付けていました。

 夕方でクッキリした写真は撮りにくかったけれど、小さな木に咲いた梅の花が愛おしく感じられて、やっぱりカメラを向けました。

 梅の花は、比較的濃いピンクと、薄いピンクの2種類でした。

                 

 

 

                  

 

 

                   

 

 

                  

 

 

                  

 

 

 

 高架下の植物が、今まで見たことのない実(たぶん)を付けていました。

 植物の名まえも分からないながらですが、写真に撮っておきました。

                    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テレビばあさんの、番組感想記 4) ふたたび≪日曜美術館≫

2019-02-08 17:20:24 | 日記

 1月27日の日曜美術館では、“反骨の画家”として『北川民次』氏が取り上げられた。

                       

                                 北川民次 (1894~1989)
 

 『北川民次』氏については、名まえは聞いたことがあるような気もするけれど、どんな方なのか全く知らなかった。

 今回の番組で、北川民次氏について新たにいろんなことを知ることができて、とても新鮮だった。

 

 北川民次氏」は、日本では絵描きになることを反対され、兄を頼ってニューヨークに渡り、アルバイトをしながら絵の勉強を始め

られる。

 しかし彼は次第にニューヨークの絵画が物足らなくなり、もっと地の香りのする絵画を求めて、キューバを経てメキシコに渡られ

る。(1921年)

 当時メキシコは、メキシコ革命(1910~1917)を経て、人種や貧富の差を超えた“新しい国づくり”に邁進していた。

 その国づくりの中で、「ディエゴ・リベラ」氏などを中心とした≪壁画運動≫が、大きな貢献をしていた。

                  

                     国立宮殿の玄関に掲げられた「メキシコの歴史」(ディエゴ・リベラ)

 

 北川民次氏は、そのメキシコの“新しい国づくり”と≪壁画運動≫に強く共感し、自身も、土地に根ざして生きる人々の姿を描く

ようになる。

                   

                           「トランパム霊園のお祭り」 (1930年)

  

 

 その後メキシコシティからタスコに移った彼は、子どもたちのために絵画教室を開き、絵によって子どもたちの心を解放すること

に努める。

 次は、当時子どもたちが描いた絵だが、彼は、子どもたちの絵の素朴でありながら生き生きした描写に心を奪われたそうだ。

                  

 

                     

 

 

 そんな北川氏の活動を聞きつけた『藤田嗣治』氏が、帰国の途中にメキシコに寄り、彼に、日本で活動するように強く帰国を勧

めたのだそうだ。

                       

 

 

 

 藤田氏の強い勧めで、北川氏も帰国を決意する。(1936年)

 帰国後程なくして描かれた絵。

                  

                            「メキシコ三童女」 (1937年)

 

                  

                                「クスコの祭」 (1937年)

 

 

 しかし当時の日本には、戦争の影が忍び寄っていた。

 彼に強く帰国を勧めた藤田嗣治もその波に飲み込まれるが、彼はそんな動きに全くくみせず、静かな抵抗を続ける。

                       

                             「ランチェロの唄」 (1938年) 

 

                  

                             「岩山に茂る」 (1940年)

 

 上の「岩山に茂る」は、康熙2600年の奉祝美術展に出品されたものだが、他の絵画が軍国主義に同調する中味であった中で

異色のものだった。 (彼はこの絵で、不毛の土地に粘り強く繁る植物を描いて、それに民衆の姿を重ねたのだそうだ。)

 

 当然のことながら彼のこのような絵画活動は、時の権力に疎まれ、画材も配給されなくなり、彼の活動は封印される。

 そこで彼は、妻の実家の愛知・瀬戸市に戻らざるを得なくなる。

 下は、そんな中、家にあった和紙に描いた「戦闘機と男女」(1942年)

                      

 

 

 1945年、長かった戦争がやっと終わる。

 戦後彼が名古屋市の放送局の玄関に掲げた壁画、「芸術と平和」

                  

 

 

 絵画の面でも、彼は常に庶民の側に立ち、彼の批判精神は衰えることがなかった。

                        

                 「雑草の如く」 (1948年)                    「白と黒」 (1960年)

 

                     

                             「夏の宿題」 (1970年) 

 

 上の「白と黒」は、安保闘争時に学生に襲いかかる警官の姿を、「夏の宿題」は、教育の統制を描いたものだそうだ。

 

 晩年彼は、絵画から版画に転向される。

 その中で、決して目立たず、けれど力強く生きる“バッタ”の姿に、自分を重ねて描いておられるのだそうだ。

                   

 

                   

 こうして北川氏は、終世、権力に屈することなく、庶民の立場に立つことを貫かれた。

 彼の絵が好きかどうかはさて置いて、様々な困難にめげることなく、自分の考えを貫かれたことは素晴らしく、なかなかできる

ことではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

     

                

    

 

 

                 

                 


1年ぶりの、長居植物園 3)

2019-02-03 15:01:52 | 日記

 池で鳥たちばかりを眺めていたので、ちょっと池を離れて、「ツバキ園」に行ってみることにしました。

 けれど残念なことに、ツバキはまだ咲いておらず、咲いているのは、赤いサザンカだけでした。

                 

 

                      

 

                     

 

 

 

 私は再び大池に戻り、池の周りを歩きながら、湖面と空の写真を撮りました。

                

 

 

                 

 

                  

 

 

                 

 

                 

 

 

 

 池を入り口と反対の奥まで行くと、そこには、大きな芙蓉の木があります。

 その芙蓉は、夏が終わっても旺盛に花を咲かせているのですが、今はさすがに実になっていました。

                 

 

 

 

 小さな梅林のところにやって来ました。

 梅の花はまだほころび始めたところで、紅梅だけが少し花を咲かせていました。

                

 

                  

 

                  

 

 

 

 梅林を去るころには4時をとっくに過ぎていて、閉館時間(4時半)が近づいてきます。

 私は池の周りの道を急ぎながら、最後に大池の姿を写真に収めました。

                

 

                

 

               

 

 

 

 閉館を告げる放送が響きわたるなか、私はやっと植物園を出ることができました。

 園を出た所で空を見上げると、木々の向こうの空に、うろこ雲が沢山浮かんでいました。

 天気予報が、明日は雨だと言っていましたが、この空を見ると、天気予報はきっと当たることでしょう。

             

 

                           

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 


1年ぶりの、長居植物園 2)

2019-02-03 11:47:23 | 日記

 大池に沿って歩き、池の真ん中くらいまで来ると、水の面にキンクロハジロの群れが現われました。

 水の中には、いつものように鯉の姿が見え隠れしています。

                    

 

                     

 

 

 

 池の岸辺では、ユキヤナギが少しだけ花を付けていました。 (下は、そこから池の奥を見た湖面の写真)

                 

 

                      

 

 

 

 さらに進むと、キンクロハジロが一団になって群れています。

 そこに向かって、他のカモたちも集まってきました。

                  

 

                    

 

                       

 

                      

 

                      

 

 

 何故だろうと思っていると、女性が岸部から、パンをちぎって湖面に投げておられます。

 キンクロハジロやカモたちは、そのパンを食べようと集まって来たのです。

 時に鳥たちは、餌の争奪戦を繰り広げていて、波が激しく立っています。

                  

 

                   

 

 

 

 植物園では多くの小鳥の他に、2羽の白鳥が飼われていて、白鳥たちは、湖面にいつも優雅な姿を浮かべています。

 でもこの日はここまで白鳥の姿を目にしていません。

 私が、白鳥の姿を求めて、池を更に奥の方まで歩いていくと……

 いたっ! 池の一番奥の岩場の石に嘴をつけるようにして、白鳥が1羽水に浮かんでいたのです。

                   

 

 さて、いつも一緒に行動している、もう1羽は?

 しばらく捜していると、少し離れた岩場の草の上に、その1羽がいました。

 その白鳥の周りには、白い羽がいっぱい落ちています。今がちょうど羽が生え変わる時なのでしょうか?

                 

 

 

 私は、やっと見つけた白鳥をカメラで追っていきました。 そして何枚も写真を撮りました。

 しつこく感じられると思いますが、その写真を下に載せさせていただきます。

                  

 

                  

 

                 

 

                 

 

              

 

                 

 

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1年ぶりの、長居植物園 1)

2019-02-01 17:44:37 | 日記

 一昨日(30日)は午前中に、ヘルパーさんが来てお掃除をしてくださいました。

 ヘルパーさんが帰られたあと、昼食をとって外を見たら、日射しがまだ十分降り注いでいました。

 その好天が私に、退院後初めて、(中津・梅田界隈より)ちょっとは遠いところに行ってみよう!という気を起こさせたのです。

 それは、私にとって、とても嬉しいことでした。

 なぜってそれは、私が心身ともに少しずつ回復していることの証しだからです。

 「遠いところ」と言っても、京都や奈良はまだ遠すぎます。万博公園も、乗り換えが多いからちょっとシンドイなあ…。

 そこでやっぱり、地下鉄一本で行ける長居植物園に行くことにしました。

 長居植物園は、病気を発症する前の、昨年1月7日に行っています。

 そのときからなんと、1年と半月ぶりの長居植物園ということになります。

 

 地下鉄長居駅で降りて長居公園に入り、植物園への道を歩いていると、道路脇にいろんな種類の桜の木が植えられている

ところに、やって来ました。

 でもその中で花を開いているのは、(中津でも花を咲かせている)ジュウガツザクラだけでした。

                    

 

 

 

 植物園に入るとすぐ目の前に、植物園のシンボル・“大池”が望まれます。

 “大池”ではこの時期、夏に美しく咲いた「蓮」がすっかり枯れて、その実や茎が面白い幾何学模様を作っているのです。

                

 

 

 

 大池の周りでは、水仙の花が沢山咲いていました。

                

 

 

 

 大池のすぐ傍まで行って、枯れた蓮の幾何学模様を撮ろうとカメラを向けていると、蓮の中で何か音がするのです。

 音のする方をじっと見ていると、蓮の間にカモの姿を見つけました。

 私は嬉しくなって、何度もカモにカメラを向けました。

                  

 

                  

 

                  

 

 

 

 目が疲れると、しばらく蓮の向こうに目をやって、池の写真を撮りました。

                

 

 

 

 そして再びカモの姿を追っては、しつこく写真を撮ったのでした。

                 

                          逆向きに泳ぎはじめた

 

                 

              この中に2羽います。全部で4羽いたけど同じ画面には入らなかった。

 

                 

 

 

                

 最後にもう一度大池を撮って、やっとこの場を離れました。