あれから、もう6年が経った。
しかし復興への道は、まだまだ遠い。
それは被災地すべてに言えることだと思うが、原発事故によって<ふるさと>を奪われた福島の被災者の方々は、他の被災地
とは質的に異なる、深刻な問題に直面しておられる。
この震災で、未だに行方不明の方々が多くおられる。
ご遺族の方々のやり切れない悲しみは、想像するだけで胸がつぶれる想いだ。
そして、原発事故によって立ち入り禁止区域になった地域の遺族(行方不明者をもつ)には、他の地域の方々にはない、更な
る苦しみがあった。
遺族の方々は、行方不明の親や子が埋まっているであろう場所に、放射能に汚染された区域だからということで足を踏み入れ
ることさえできず、したがって捜すことすらできないのだ。
しかし先日のNHKテレビには、「立ち入り禁止区域だからといって、行方不明の幼い娘を、瓦礫の中に放置することは絶対で
きない!」と、白い防護服に身を包み、ひとり、娘を捜し続ける父親の姿が映し出された。
父親の名は、<木村紀夫さん>。
もちろん、自分自身が被爆することは充分承知したうえでの、父親としての已むに已まれぬ行動なのだ。
私はその姿を見て、胸を締め付けられる思いだった。
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~ひとりで娘を探し続けられる木村さん~(画像が悪くてすみません。)
また別の番組では、震災から年を経て、むしろ自殺者が増えている問題を取り上げていた。
自殺された方として番組が取り上げていたお一人が、南相馬市で代々農業を営んでこられた<佐藤善也さん>(享年89歳)。
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こんなに優しい笑顔を浮かべられていた佐藤さんなのに…。
佐藤さんは、一旦家族(3世代)と一緒に東京で避難生活をされるが、当初は、避難指示が解除されたら、相馬に帰って農業を
再開される意欲を強く持っておられた。
東京暮らしを、「少し長い旅行みたいなもの」と言って、明るく生活されていた。
しかし、被爆後の厳しい現実が、佐藤さんの意欲と明るさを打ち砕いた。
相馬の除染は遅れ、なかなか故郷に帰れそうにない。
佐藤さんはそれでも2012年8月に、昼間だけの立ち入りを許されて、故郷のご自分の家に帰られる。
そしてその時はまだ希望を失ってはおられなかった。
しかし、2度目の帰郷(2015年11月)の折、自分の田畑にうず高く積まれた放射性廃棄物の山を見て、彼はガックリと肩を落と
されていたという。
そして、東京に帰られてから5日後、佐藤さんは自ら命を断たれてしまった。
自殺された方として番組が取り上げていたもう一組は、<遠藤満弘・美代子さん>ご夫妻。
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遠藤満弘さんは、故郷の川内村が2012年4月に避難指示解除されるといち早く、母・兄と一緒に帰郷される。
その後、長く付き合っていた美代子さんとめでたく結婚され、共に意欲的に農業に取り組まれる。
その頃の満弘さんは笑顔の絶えない青年だった。
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満弘さんの前向きな姿勢は、この時期多くの人々から支持され、いろいろな困難はありながらも、満弘さんは、共に農作業に
取り組み収穫を喜び合う仲間の中心にいた。
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しかし時間が経つにつれて、原発事故による放射能が、じわじわと遠藤家の暮らしを脅かしていく。
風評被害も含めて、お米や他の作物がなかなか売れなくなり、売れても普通の3分の1の値段にしかならなかった。
夫妻は次第に経済的に追い詰められていき、仲間の数も減っていく。
満弘さんから次第に笑顔が消えていった。
それでも満弘さんは、工事現場でアルバイトをしながら、何とか家族の暮らしを支えていく。
そして2015年の4月、満弘さんは、何かを心に期したように、自分が車を運転して、家族(母・兄・妻)を旅行に(青森・弘前)
連れて行かれた。
満弘さんは旅行の間中、楽しそうな家族の様子を、嬉しそうに眺めておられたという。
しかし、旅行から帰って1週間後、夫妻は家の裏山で命を断たれたのだそうだ。
この2組の方々の自殺は、この方々がむしろ復興に積極的な方々だっただけに、原発事故・放射能が人々に与えるダメージが
いかに大きく深刻なものであるかを示していると思う。
本当に悲しく腹立たしいことだ。
一旦事故が起きると、制御不可能になり、人々の暮らしを徹底的に破壊する原発。
そんな原発を、私は絶対に認めたくない。