のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

“桜”より一足先に≪アーモンドの花≫

2014-03-28 20:38:20 | 日記

 昨日のテレビが、神戸東灘区辺りでアーモンドの花が咲いている映像を映していた。

 私は今まで、アーモンドの花は見たことがないように思う。

 そこで早速ネットで調べて、神戸市・魚崎辺りのアーモンドの花を見に行くことにした。

 

 阪神電車・魚崎駅で下車。

 魚崎駅周辺のソメイヨシノは、まだ1~2分咲きというところだった。 (バックの山は、六甲山)

                 

                   

 

 ネットによると、アーモンド並木のある下水処理場には、徒歩で15分、タクシーでも行ける、とのこと。

 歩いて行ってもいいのだけれど、道がややこしそうなので、私は初めタクシーで行こうと思った。

 でも、魚崎駅の南口にも北口にも、タクシーの姿は全くなかった。

 しばらく待ったが、一向に現れそうにもない。

 そこで仕方なく、いろんな人に道を尋ねながら、歩いていくことにした。

 (魚崎周辺の方々は実に親切で、私は何人もの方のお世話になった。)

 

 先ずは、駅周辺の道路から階段を下りて、住吉川の傍の路を南に向かって歩く。

       

 

 その路から見上げると、上の道路際に植えられた早咲きの八重の桜が、色鮮やかに咲いていた。

                   

 

 

 かなり歩いて、上の道路に上がる。

 上がった道路際には、よく見るのに名まえを知らない黄色の花が、いっぱい咲いていた。

                 

 

 この辺りで道を尋ねた男性の方が、この上もなく親切で、アーモンド並木まで私と一緒に行ってくださった。

 途中、道路の脇に積み上げられた木の箱が物珍しく感じられて、シャッターを押した。

                 

 

 

 紆余曲折を経て、やっとアーモンドの並木(と言っても、規模は小さいけれど)に到着した。

 (ネットには、徒歩15分とあったが、とても15分で着ける距離ではなかった。)

 

 アーモンドの木は、下水処理場の運河沿いに植えられていた。

              

 

                   

 

                

 

             

 

 アーモンドの花はちょうど満開だったが、一部は風に散って、花びらが水の上に浮かんでいた。

                  

 

 アーモンドの並木の端まで来て、並木の全体をカメラに収めたいと思ったが、なかなかうまく撮れなかった。

                    

 

 並木が終わる辺りで、ヒイラギの真っ赤な新芽に目を奪われた。

 タンポポも咲いていた。

       

 

 アーモンドの並木に別れを告げて、もと来た道路に出て、魚崎駅に戻ることにした。

 振り返って見ると、今度は運河越しにアーモンド並木が望めた。

               

 

 そこからは、ひたすらもと来た道を魚崎駅へと向かった。

 行きでも見た、積み上げられた木の箱が、夕日を浴びて更に色濃く輝いていた。

 又シャッターを押してしまった。(左)

 右は、道路端のプランターに植えられていた、花びらがメッチャ大きいパンジー。

           

 

 

 帰り道にあった住吉川公園という小さな公園でも、ソメイヨシノがまだ花を開き始めたばかりだった。

                  

                     

 

 行きと同じように、途中から住吉川べりの路に降りて駅に向かった。

 途中、ふと上を見上げると、ちょうどポートライナーが頭上を駆け抜けるところだった。

                  

 

 その後まもなくして、魚崎駅に無事到着することができた。

 

 

        

        

 

 

 


春浅い中津公園辺り ≪花と新芽と雑草たち≫

2014-03-25 14:24:14 | 日記

 昨日,今日は朝から気温が上がった。

 そこで今朝は超久しぶりに、ラジオ体操に合わせて中津公園に行くことにした。

 

 公園に行く途中の市営住宅のお庭のチューリップが、だいぶ蕾を付けていた。 (前回のチューリップは、地中から芽を出したところだった‥)

      

 

 

 公園でラジオ体操を済ませたあと、花壇に足を向けた。

 花壇では、クリスマスローズがまだ花を開いていた。

 サクラソウは今を盛りと、色とりどりに咲いている。

     

 

 花だけでなく、この時期は草花たちの新芽が鮮やかだ。

 バラが、赤い新芽を伸ばしている。 (バックの淀川の堤防が、だいぶ緑を増している) ≪写真・左≫

 5月始め、ため息が出そうな華やかな花を咲かせてくれる牡丹も、地中から赤い新芽を力強く伸ばしている。 ≪写真・右≫

        

 

 

 よく見るのに、未だに名まえを知らない、鮮やかなピンクの花と、淀川の土手をバックにした、水仙の花。

     

 

 

 上を見上げると、この間まで丸裸だった木々が、ちっちゃな葉っぱの芽ををたくさん出している。(光の加減で、緑が黒っぽく写ってしまった‥。)

 住宅の傍に植えられた木も、カワイイ緑の葉っぱを付けていた。

    

 

 

 この間から花を付けていた早咲きの桜は、まだ衰えを見せていない。

 地上では、雑草が若緑色に萌え、小さな花を咲かせているのもあった。

             

                

 

 

 ピンクと白の沈丁花が未だ花を開き、一方で、コゴメザクラがもう白い花を開き始めている。

 桃か杏かよく分からない木が、ピンクの蕾を付けていた。

    

     

 

 

 最後は、市営住宅のお庭の薔薇の、名残りの花と新芽。

 そして勢いよく繁茂する雑草。

      

          

 

 

 

                

 

    

 


後悔

2014-03-25 12:20:25 | 日記

 2000年に50歳の若さで逝ってしまった‥友人Tさん。

 Tさんが亡くなられた後も、私はしばしばTさんのお宅を訪ねて、遺されたTさんのご両親と、Tさんの想い出を語り合ったりしてきた。

 でも、Tさんの死から3年後に、お父様も、あっけなく亡くなられてしまった。

 遺されたのは、お母様一人だけ。 (息子さんが一人おられるが、別の所に住んでおられる。)

 一人になられたお母様を、私は初めの方こそわりと頻繁に(と言っても年に数回だが)訪ねていた。

 でもここ3,4年は、年に一度、Tさんの命日の日にお参りするだけになってしまった。

   (その日は買っていったお弁当を一緒に食べながら、Tさんやお父様の想い出を語り合った。)

 それでもお母様はとても喜んでくださり、帰り際には「又来てくださいね!」と仰りながら、名残惜しそうにされていた。

 

 去年の命日の日もそうだった。

 私がお参りを済ませたあと、いっしょにお弁当を食べながら、いつものようにお喋り‥。

 お母様はとてもお元気で楽しそうだった。

 帰り際の「又いつでも来てね!」の言葉もいっしょだった。

 

 でも、私はなかなかお母様のもとを訪ねることができないでいた。

 訪ねることができなければせめて電話でも、と思うのだが、それもしないまま新しい年を迎えた。

 それでも今年のお正月には、お母様からの年賀状が、いつものように届いた。

 私はホッとして、今度こそちかいうちに電話だけでもしようと思った。

 

 だけど、実際に電話したのは、2月も終わりになってから。

 そしてその時、受話器の向こうから流れてきた言葉に、私は愕然とした。

 「現在この電話は使われておりません。」

 私はお母様に何かがあったことを、否応なく突きつけられることになった。

 でもお母様の消息について、電話で尋ねられる人は誰もいない。

 お宅に行って、ご近所の方に尋ねるほかない。

 

 そして昨日になって、私はやっとTさんのお家に行った。

 Tさんのお宅は門が固く閉ざされていたが、都合よく、お隣の方が庭先に出ておられた。

 そのお隣の方のお話によると、お母様が倒れられた(亡くなられた)のは、1月10日の寒い日のことだったそうだ。

  (前日まではお元気で、外でおしゃべりもしたと、ご近所の方はおっしゃった。)

 死因は、心臓発作とのこと。

 「苦しまれた様子はなく、安らかなお顔だったよ。」というご近所の方の言葉が、せめてもの救いだった。

 

 私は長い無沙汰を心から後悔した。

 間に、もう一度でもいいから、お伺いしてたらよかった!

 お伺いするのが無理なら、せめて電話だけでも‥。

 でも今となってはどうしようもない。

 私は、お母様があまり苦しまれずに逝かれたこと、そして今頃は、天国で親子三人楽しくお喋りされてるに違いないことを思って、慰めとした。

 

 このお家を訪ねるのも、今日が最後やなあ‥。

 私は、隣家の庭に咲いていたツバキの花を、思い出の一つとするために、写真に撮らせていただいた。

              

        

 

 

 帰りの阪急・武庫之荘駅では、(かつてTさんが自慢されてた)ホーム沿いの桜並木が、だいぶ蕾を膨らませていた。

 もう、お花見用のぼんぼりも立てられている。

 私はTさんとそのご両親のことを思いつつ、シャッターを押した。

       

                  

              

 

 


 

 ≪付記≫  

  阪急中津駅で降りてそれとなく目を前方に向けると、駅近くの建物の傍らに、白木蓮が今を盛りと花を付けているのが目に入った。

 その余りの白さと旺盛な花の姿が、却って私の哀しみを深くした。

     

      

                                                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Sさんの、至れり尽くせりの“おもてなし”

2014-03-23 16:20:33 | 日記

 Sさんは、かつて私がNHKのダンス教室に通っていた頃、一緒に踊り、一緒に先生に怒られていた(笑)、お友達。

 そのSさんが、お彼岸の日(21日)に、Hさん・Yさんと私を、自宅に招待してくださった。

 Sさんは、料理がとてもお上手。

 大したことはできないけど、料理をつまみながら、大いにお喋りしましょう!とのこと。

 私たちはSさんのお誘いにホイホイ乗って、21日の午後1時前くらいに、Sさん宅にお伺いした。

 

 私がSさんのお宅を訪問させていただくのは、今回で2度目。

 一度目は、Sさんが今の新しいマンションに引っ越されてまもなくのこと。

 その時も、カニのクリームコロッケなど、お手製の美味しい料理を、タラフクいただいたのを覚えている。

 

 さて今回。

 新しいマンションに越されてちょっと経っているだけあって、お部屋の中もベランダも、一段と美しく整えられていた。

 特に驚いたのは、ベランダの花たちが見事に手入れされていて、美しく咲いていたこと!

 (下の写真では、ベランダの花の全体をうまく撮れていないが、実際は、もっともっとたくさんの花が咲いていた。)

       

 

 Sさんは私より一つ年上だが、最近まで仕事をされていて、今でも適当な職場を見つけて働きたいと思っておられる。

 15年ちかく前に仕事を辞めてから、働く気など毛頭ない私とは、どだい出来が違う。

 NHKダンスも続けられ、山歩きなどもされている。

 私よりずっとずっとお忙しいSさんなのに、ベランダの花までこんなにきめ細かく手入れされているとは!

 私は感嘆の声を上げた。

 

 だが私を感嘆させたのは、それだけではなかった。

 テーブルの上に並べられた料理の数々を見たとき、大袈裟でなく私は度胆を抜かれた。

    

 

             

 

 タンパク質系の料理だけでも、『さくら鯛』と『ブリ』のお刺身、牛ステーキが並び、それに季節感あふれる野菜料理がいろいろ添えられている。

 そしてこの時テーブルに並んでいた以外に、『鯖寿司』と“フキノトウ”の『細巻き』に『豆ごはん』、鯛のお吸い物などと、出された料理は本当に枚挙

にいとまがなかった。

 デザートには、お手製の『(粟のお餅入りの)ぜんざい』、赤いグレープフルーツもわざわざ皮をむいて並べられていた。

 私は本当に驚嘆した。

 どうしてこんなことができるの!?

 それに、たかがダンスの友だちに過ぎない、私たちのためだというのに!

 

 私たちは、Sさんの技量に感動し、その労力に深く感謝しながら、料理を次々といただいた。

 桜色のスパークリングワインといっしょに。

 もちろん、食べながらのお喋りにも花が咲いた。

 

 私たちはまず昼食をタップリいただき、途中おやつタイムを挟んで、最後は夕食までいただいてしまった。

 どの料理もとびきり美味しかったのは言うまでもない。

 気が付いたら、夜の8時を過ぎていた。

 私たちは、1時から8時すぎまで、なんと7時間も食べ続け、喋り続けたことになる。

 

 この日は本当に楽しい、『ごちそうさん』の一日だった。

 Sさん、本当に本当に、ありがとうございました♪♪♪

 

 

 

 

 

 

 

 


日本一寒い湖・≪朱鞠内湖≫ (テレビ番組より)

2014-03-23 13:45:29 | 日記

  少し前のことだが、『雪の魔法 日本一寒い湖の物語』というテレビ番組で、北海道の≪朱鞠内湖≫が紹介された。

 年間を通してほとんど雪が降らない大阪に住んでいる私にとって、テレビ画面に映る朱鞠内湖の風景は、とっても魅惑的だった。

 私はそこで、その魅惑的な風景を、せめてブログの上にだけでも残しておきたいと思った。

 

 私は≪朱鞠内湖≫という湖のことは、それまで知らなかった。

 番組の説明によると、朱鞠内湖の「朱鞠内」は、アイヌ語で「キツネの沢」という意味なのだそうだ。

                 

 

 

 番組は、朱鞠内湖周辺の秋の映像から始まった。

 森の中では、リスが、冬に備えて木の実を懸命に食べ、赤いキノコが大きく膨らむ。

      

 

 

 でもそんな秋の風景は、長くは続かない。

 まもなく雪が降り始め、朱鞠内湖の湖面には、次第に雪が降り積もっていく。

                

            

 

 

 雪は、周囲のあらゆるものにも降り積もり、地面を覆い尽くす。

                 

             

 

 

 そして朱鞠内湖も、完全に雪で覆われてしまった。

           

 

 

 日本で一番寒い湖の辺りに降る雪は、結晶のままで凍るのだそうだ。

     

 

 そして雪の結晶は、その時の温度や湿度などで、二つとして同じ形がないということを、今回の番組で初めて知った。

 (でも下の雪の結晶の写真は、うまく撮れなかった…)

         

                

 

 

 朱鞠内湖は時に、お天気が良くて、穏やかな夕暮れを迎えることがある。(下の写真)

 そして、その夜はいつにも増して冷え込むのだ。

                

    

 すると、その翌朝の朱鞠内湖には、決まって、下の写真のような風景が現われるのだそうだ。

 湖を埋め尽くすのは、『フロストフラワー(霜の花)』。

              

                 

           

 

 

 朱鞠内湖周辺に住む人たちは、そんな寒さの中、子どもも大人も、雪の中での生活を楽しんでおられる。

 その生き生きした姿は、とってもステキ!

                

               

               

             

 

 

 そして時が巡り、朱鞠内湖とその周辺にも、春がやって来た。

 冬の寒さ・厳しさが半端ないだけに、巡って来た春の情景は、よけい輝きを増しているように感じられた。

            

 

    

 

           

 

 

   

 

 

   


早々と送られてきた≪古稀のプレゼント≫

2014-03-17 20:47:48 | 日記

 本当は秘密にしておきたいのだけれど(笑)、私は今年の11月で70歳(古稀)になる。

 私もついに「古代稀なる」年齢に突入!というわけだ。

 その覚悟はとうにできてはいるのだけれど、先日長姉から早々と≪古稀のプレゼント≫が送られてきたのには、やや戸惑った。

 でも、長姉からは、以前から適当な物が見つかったときに買っておくからと言われていたし、最近実際に品物を買ったことも聞いていた。

 姉にしてみれば、買ったからには自分の手元に置いておくよりも、早く私に渡して、私が使った方がいいと判断されたようだ。

 それに、考えてみれば、昔は、還暦とか古稀とか喜寿とかの祝い事は、数え年でしたような気がする。

 そうであれば、私はこのお正月から、れっきとした古稀である!

 それに私も、どうせ貰うのなら早く貰って早く使う方がいいのかも…。

 人生、何が起こるか分からない!

 私が70歳の誕生日まで、絶対に生きているという保証なんてない!

 そんなこんなで、私は先日、ゆうパックで送られてきた、姉からの古稀のプレゼントを受け取った。

 プレゼントは次の2つだった。

                  

 

 姉が住んでいるところ(それは私の故郷でもあるが)には、田舎にはふさわしくないような《草花舎》という、ちょっと洒落た喫茶店がある。

 その喫茶店の店主さん(女性)は、芸術活動に造詣が深く、時に、喫茶店の一隅で、新進の芸術家の作品の展示会を催されたりする。

 プレゼントの2品は、いずれも、その展示会の作品の中から、姉が選んでくれたもの。

 バッグは、それまでに姉が同じ作家のものを何個か使っていて、どれも使い勝手がいいからと、選んでくれたもの。

 私が貰ったのも、軽くて、小物入れとしてとっても重宝しそうなバックだ。

 早速、大きなバックの中に入れて使わせてもろおうっと!

 脚付きのガラスの作品には、何を入れようかな?

 何も入れなくても、置き物としてもカワイイ。

 とりあえず、イヤリングを入れて、飾り棚の上に置いてみた。

 

 Y姉ちゃん、本当にありがとうございました♪

 2つとも大事に使わせていただきます。

 そして、70歳、がんばります!!

 

 


チンゲン菜

2014-03-17 19:23:15 | 日記

 チンゲン菜は、私の好きな葉物野菜の一つ。

 料理といっても、私の場合、目玉焼きの付け合せなどに、単独あるいはシイタケなどと一緒に炒めるだけ。

 料理が不得意な私にとって、簡単に付け合せができるのが何よりうれしい。

 それにチンゲン菜は、なかなか味わいのある野菜だ。

 葉っぱもイイけれど、特にオイシイのは、その肉厚な茎の部分。

 噛むと、口の中に、水分を多く含んだ、少し甘みのある独特な味が、ふわ~と広がる。

 

 チンゲン菜を炒める前に、私は根元のところをバサッと切り落とす。

 本当は、葉っぱを一枚一枚はいでいくのがいいのかも知れないけれど、邪魔くさがりの私はついそうしてしまう。

 そうして切り落とした根元のところを見るたびに、勿体ないなあ!と思いつつ、その切り口の形が何とも言えずステキだなあ!と、いつも思ってきた。

 そのまま捨ててしまうのが勿体なくて、先日はついに写真に撮ってしまった。

                   

           

 

 まるで何かの花のような、みずみずしい切り口。

 自然の妙だなあ!と感じる。

 でも、これをそのまま捨ててしまうのは、やっぱり勿体ないな‥。

 (チンゲン菜が、怒っているかも…)

 

 


“香雪美術館”の≪森田りえ子・花らんまん展≫

2014-03-15 18:46:01 | 日記

 昨日は急に思い立って、森田りえ子さんの展覧会に行ってきた。

 森田りえ子さんは、神戸出身の日本画家で、今は京都美術大学の先生をしながら作品を制作されている(らしい)。

 ネットで見ると、今注目されてる新進気鋭の日本画家とのこと。

 それに、なかなかの美人だ。(関係ないか!?)

 

 私自身は森田さんのことは今回の展覧会まで全く知らなかった。

 森田りえ子ファンの友人から、自分は行けないけど、よかったら行って絵葉書でも買ってきてほしいと頼まれた。

 展覧会が行われる「香雪美術館」は、阪急御影駅から程近い閑静な住宅地にある、こじんまりした美術館だ。

 私の家からは阪急電車一本で、散歩気分でぶらりと行ける。

 そこで私は、友人のちょっと図々しい?お願いを叶えてあげることにしたのだ。(笑)

 

 家から阪急中津駅までの間に、毎年この時期に花を開くサクランボの木がある。

 昨日もそこを通ると、ほぼ満開に花を開いていた。

             

 

 御影駅を降りて、しばらく住宅街をゆく。

 歩いていると、芳しい香りが私の鼻をついた。

 “沈丁花”だ!

 我が家のベランダの沈丁花が枯れてしまって、春の訪れを告げる香りを嗅ぐことができなくなってから、もう2年くらいになる。

 私は、垣根越しに沈丁花の香りを思う存分嗅ぎ、序でに写真を撮らせていただいた。

            

 

 

 しばらく歩くと、住宅街にとけ込むように、「香雪美術館」が静かに建っている。

           

 

 建物に入る前に、庭の塀際に植えられた、2本の紅白の梅に、目が行った。

 どちらも、本物の梅の木と、それに重なるように、別の木の影が塀の壁に映っているのが、面白く感じられた。

    

 

 展覧会場に入る。

 香雪美術館は、とてもこじんまりした美術館なので、展示されている作品数も限られている。

 そこで私は40分位で作品を観終わり、出口で絵葉書その他を買って、再び庭に出た。

 

 庭の苔が折から射してきた太陽を受けて、光と影のまだら模様になっている。

            

    

 

 庭の中央には、大きな赤い傘が、赤い毛氈を敷いた座椅子の上に、差し掛けられている。

                

 

 傘の中に入って、上を見上げた。

 中から見上げると、なかなかキレイ!

 思わず、撮りすぎてしまった。

                   

 

                        

 

                 

 

 

 庭の右手の塀際には、春の色の一つ、“黄色”の花の木が、3種類植えられている。

 “蠟梅”はさすがに枯れ色だったが、“山茱萸(さんしゅゆ)”と“土佐水木(とさみずき)”は、割と花を付けていた。

 山茱萸と土佐水木はとってもよく似ているが、今回、山茱萸は上を向いて咲き、土佐水木は下向きに咲くということが、初めて分かった。

            《上向きに咲く山茱萸》                     《ちょっと下向きに咲く土佐水木》

                 

     

 

 

 香雪美術館を出て、御影駅へととって返した。

 途中で上を見上げると、常緑樹と、葉っぱを全て落とした木とが、青空をバックに並んでいた。

 ピンクの椿も咲いていた。

    

 

 御影駅近くの道路。

 夕陽を受けて道が光り、人影がシルエットになっているのが、ちょっと面白く感じられた。(走ってきた車が入ってしまって、残念!)

                 

 

 

 最後に、森田りえ子さんの作品の何枚かを、パンフレットと絵葉書(その他)で、紹介します。

             

 

             

 

          

 

 


みたび巡ってきた‥≪3月11日≫

2014-03-11 17:42:32 | 日記

 あの衝撃的な東日本大震災から、今日で早や3年になる。

 復興は、未だ“道遠し”だ。

            

                       (2014.3.11 海に向かって祈りを捧げる人々)

      

 

 大地震の激しい揺れと、それに引き続いて襲いかかった巨大な津波が、東北・関東の太平洋沿岸の街々をのみつくし、引き裂いた。

 (関連死を含めて)2万人を超える死者と行方不明者…。

 更に、東京電力・福島第一原子力発電所の爆発が、福島を、暗黒の闇の世界へと突き落とした。

 

 街の復興には程遠く、被災された人々は、生活の再建どころか、多数の方が、未だに不自由な避難所暮らしをされている。

 震災で家族を失った方々は、深い悲しみと心の傷に、さいなまれ続けておられる。

 原発事故でふるさとを追い出された福島の人たちは、いつ終わるとも知れない流浪の民だ。

 

 私は今、被災地の映像を見ながら、胸を締めつけられる思いでいる。

 それは、被災者の方々の悲しみと苦しみに対する思いであると同時に、私自身の深い自責の念から湧き出してくる思いでもある。

 

 東日本大震災に対して、私はいったい何をしてきたのだろう?

 その問いに対して私は、「何も!」としか答えられない。

 震災直後、私は何がしかのカンパをし、それ以後の震災関連番組は、そのほとんどを見てきた。

 そして番組から受けた思いや感動を、このブログに記したこともある。

 原発反対の集会にも参加した。

 

 でも、それが一体何なの!?

 忸怩たる思いが、今私の心を満たす。

 

 だからと言って、私に何ができるのか、それも私には解らないのだ。

 今の私にできるのは、忘れないことと、祈り続けることだけ…?

 

 2014年3月11日、午後2時46分。

 私はテレビの前で黙祷しながら、もどかしい思いにさいなまれた。

 

 

 

 

 


年々淋しくなる≪NHKダンスパーティ≫~でも、大いに楽しませてもらいました♪

2014-03-09 14:32:23 | 日記

 恒例のNHK文化教室のダンスパーティが、昨日(8日)、『綿業会館』で行われた。

 『綿業会館』は、1931年に、その頃大阪で盛んだった綿織物業の業者たちの“倶楽部”として、船場の地に建てられた。

 戦前には国際会議場としても使われ、(その頑丈な造りゆえに)空襲の被害もまぬかれたのだそうだ。

     

         綿業会館・西側正面                             西側玄関のシャンデリア

 

            

 上の写真は1階にある談話室だが、ネットに依ると、2階にはもっともっと豪華な談話室があるそうだ。

 

 次が、ダンス会場になった、7階のホール。

 (NHK文化センターのセンター長さんが、開会の挨拶をされている。)

             

 

 私がNHK文化センターの社交ダンス教室(初級)に入ったのは、27・8年も前のこと。

 当時、NHKの社交ダンス教室は人気絶頂で、定員オーバーでなかなか入れなかった。

 やっと入ったとしても、今度は継続するのが大変で、夜行列を作って順番待ちをし、やっとのことで手続きができるという状態だった。

 そんな状態がかなり長く続いたが、いつの頃からか、次第に生徒の人数が減り始めた。

 そして、最近はメッキリ数が減り、閉鎖されるクラスも多くなってきた。

 それは、即パーティの参加者の減少につながり、去年のパーティもずいぶん淋しいものになった。

 なので、今年のパーティは更に淋しくなることが予想された。

 もしかしたら、綿業会館でのダンスパーティは、今年で見納めになるかも…。

 

 因みに私は、数年前に何故か突然教室に行く元気がなくなって、わがままを言って教室を辞めさせてもらった。

 でもその後も、先生初めクラスメートだった人たちとの交流は続き、パーティには参加させてもらうことが多かった。

 教室は辞めているのにパーティだけに参加させてもらうのは、何だか“お邪魔虫”のような気持ちがしないでもなかったけれど…。

 

 とにもかくにも、私は昨日、1時開会に間に合うように、綿業会館へと向かった。

 会場に着くとやはり、(昔は芋の子を洗うような賑わいだったのに、)何とも淋しい限りの人の数だ。

 

 でもその淋しい中でも、生徒の皆さんはガンバってクラス単位の発表(フォーメーション)を披露してくださった。

 

 次に、そのフォーメーションの写真を何枚か載せさせていただきます。

 (と言っても、躍っておられる様子を撮った写真はほとんどがピンボケで、載せたのは静止画面になってしまいました…〈涙〉)

       

      

   (上2枚の写真は、僅か2組のフォーメーションでしたが、2組とも、とっても優雅にワルツを踊られました!)

 

           

                (専科クラス、“よさこいチャチャチャ”のイントロ部分)

 

      

 

 クラス演技のフォーメーションが終わると、パーティは、フリーダンスタイム・ミニコンペ・ふれあいダンスタイムへと続いた。

 

 (私は、フォーメーションに出られた人たちの集合写真を撮ることが参加の主な目的だったはずなのに) 音楽が鳴り出すと、もうイケナイ!

 いろんな方と踊りまくり、挙句の果てには、ミニコンペにまで出場してしまった。

 後で、正規の参加者の方よりたくさん踊ってしまったのでは?と後悔しきり…。

 でも、とっても楽しかった♪

 

 先生初めクラスの皆さん、本当に有難うございました。

 

 

 

    

 

 

 

 

 


3月2日「日曜美術館」で、心に留まった絵など

2014-03-04 15:32:28 | 日記

 この間の「日曜美術館」は、“明治以降の日本画家たちの革新の戦い”というテーマで、何人かの画家や彫刻家をとり上げていた。

 その中では、私が今まで知らなかった作品や画家・彫刻家のことも多く紹介された。

 その中から、私の心に留まった作品と画家・彫刻家について、簡単に記しておきたいと思います。

 

    

 ①速水御舟(はやみ・ぎょしゅう)の『比叡山』

   速水御舟氏(1894~1935)の作品では、後期に描かれた『炎舞』(写真・下)が特に有名で、高い評価を得ている。

        

 

  私もこの作品は知っていたが、速水御舟氏の初期(25歳時)の作品に、下の『比叡山』があるのは、今回初めて知った。

              

 

  この絵は、氏が、「“群青”をつかった『青』の革命」に取り組んだ作品なのだそうだ。

  私には技術的なことはよく解らないが、この絵の持つ力強さに、私は心惹かれた。

  『炎舞』は確かに美しく素晴らしい作品だと思うが、私には、あまりに完成されすぎた(調和がとれすぎた)作品のようにも感じられる。

  それに比べて『比叡山』には、うねるような動きと勢いがあって、素晴らしいと思った。

  (もちろんこれは、私の単なる好みだけれど‥)

 

 


 

 

 ②平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)という彫刻家

   まず私は『平櫛田中』氏について、その名まえを聞いたことがあるような気はするものの、彼が何者で、どんな作品を創られたのかについては、全

   く知らなかった。

   今回の番組では、彼が37歳のとき創られた『愛犬』という作品と、後年の作品『禾山笑(かさんしょう)』が紹介されていた。

      

             『愛犬』                              『禾山笑』

 

   『愛犬』は、子どもとその愛犬の姿を表現した、心温まる作品だ。

   それに対して『禾山笑』は、臨済宗の禅僧「西山禾山」氏の豪胆な姿を、見事に描ききっている。

   私はどちらの作品も好きだが、作品の素晴らしさに負けず劣らず、私は(番組で紹介された)平櫛田中氏の人物像に強く心惹かれた。

   彼は、1872年の生まれで、1979年に逝去された。

   何と107歳という長寿だ。

   その彼が100歳のときに言われた言葉は、私の度胆を抜いた。

   その言葉とは…

    「六十七十は、はなたれ小僧」 「男ざかりは、百から百から」 ですって!

   言葉だけでなく、彼は100歳のとき、彫刻に必要な材料を30年分購入して、自宅の庭に置いておかれたという。

   何とも豪快な、胸のすくような生き方だ!

   そんな生き方が私にできるわけもないけれど、そんな人がおられたというだけで、なんか勇気が湧いてくるような気がした。

 

   


 

 

  ③谷川晃一氏のあたたかい絵

   これは日曜美術館の《アートシーン》で紹介された、「谷川晃一の、雑貨コレクション&作品展示」の中の彼の絵。

   私は谷川晃一氏のことは全く知らなかったが、彼が集められた雑貨にも彼の下の絵にも、同じような“あたたかさ”が流れていると思った。

   多分それは、彼が“あたたかい心”の持ち主だからだろう。

   それが私の心を捉えた。

               

                             『太陽の歌手』  

                     

                                    『春の陽光』

 

     

 


ちょっとだけ立ち寄った≪大阪城公園の梅林≫

2014-03-03 17:49:36 | 日記

 昨日は谷町4丁目で所用を済ませたあと、大阪城公園の梅林にちょっとだけ立ち寄ってみました。

 急ぎ足で通り抜けながら撮った写真ですが、せっかくなので何枚か載せさせていただきます。

 

 お濠と石垣の情景。

           

    

 

 

 坂道から見下ろした梅林。 (全体的には、まだ3~5分咲きってとこでした。)

             

 

 

 梅林の中で撮った写真をランダムに。

              

                      梅林の中にはところどころに蠟梅が植えられていました。

 

                  

                    

 

       

 

          

 

             

 

              

                           割とたくさん花を付けていた枝垂れ梅

 

                 

                        1本の木に紅白の花を一緒に付けている梅

 

                 

                            空に向かって枝を伸ばす白梅

 

 

 梅林を出ると、眼前のお濠の水が、夕日を受けてキラキラと輝いていました。、

                 

 

 

 お堀端には、名まえを知らないピンクの花が満開でした。