明日(30日)は、2回目の白内障手術(右目)の日だ。
そして前日の今日は、89歳で逝った母の、22回目の命日だ。
以前にも書いたけれど、私は母(父もだが)の愛をいっぱい受けて育った。
7人兄妹の末っ子に生まれた私に対して、父にも母にも、もう厳しく育てる気持ちなど無かったように思う。
今にして思えば、私に対して父母は、子どもというより、孫に対するような愛情を持っていたように感じられる。
それ故私は、とっても甘~く育てられた。
今思い出しても、私は父母に厳しくしかられた記憶が一度もない。
そのせいで、私は困難に弱い甘ちゃんに育ってしまった。
三つ子の魂、百まで!
私はたぶん死ぬまで、甘ちゃんのままいくのだろう‥。
でも私は、そのような育てられ方をしたことに対して、決して父母を恨んではいない。
恨むどころか、そのように育てられたことを、逆にありがたく思っている。
父母の(溺愛にも近い)愛情によって、私の『唯一の』長所である、“人を信じる気持ち”が培われたと思うからだ。
今でも、優しく微笑みかけてくれる母の顔が、私の眼前に浮かんでくる。
「おかあちゃん、本当にありがとう♪」
手術前日・母の命日の今日、私は10日ぶりぐらいに朝の公園に行った。
手術のあとしばらくは、公園に行けないかも知れないし、命日と言っても、(手術前日の今日は)母に供える花を買うこともできにくい。
せめて公園の花を見ながら母を偲びたかったし、写真を撮ってブログに載せることで、母に供える花の代わりにしたいという思いもあった。
今朝の公園は、よく晴れていた。
私の手より大きな、赤と紫のタチアオイの花が、公園の庭で存在感を放っていた。
前見たときは緑だったホオズキはもうすっかり赤くなり、田舎の庭に繁茂していた黄色いカンナが、公園の庭でも朝日を受けて咲いていた。
公園のムクゲは(ムクゲも田舎の庭でよく咲いていたナ…)、残り少なくなった薄紫色の花を、優しく開いていた。
市営住宅の庭では、白い八重のムクゲが、今年も咲いていた。
保育園のお庭で、この季節には珍しくミニ薔薇が咲いていて、私を驚かした。
帰り道で見た、色鮮やかなペチュニアと、ムクゲ。
最後に、高架下でもう咲いていた、キバナコスモス(たぶん)。