今日、仕事から帰ってきて、22時半過ぎに地元の最寄駅に着いた。駅を降りて自転車置き場まであるいて数分あるが、その途中のコンビニの歩道の前で、3歳ほどの女の子がひとりで立っている。手にはマクドナルドのプチパンケーキの袋が握られていた。
こんな時間になぜ?ひとりでいるわけはないだろう。もしや迷子?それともコンビニから出てくる保護者を待っているだけ?もしや近くのパチンコ店に保護者が入り浸り子どもを放っておいているのかも…。まだ車道には車通りも多く飛び出したら大変だ、などと考えながら自転車置き場に向かう。
女の子に声をかけるべきか。でも今日は大事な書類を抱えているので落としたら大変。声をかけて変質者に見られるなどやっかいなことに巻き込まれるとやだな…。誰か声をかけてあげないかな。保護者早く迎えに来いよ。そうすれば自分も安心できるのに。そう考えながら、自転車にまたがった。
しかし、ずっと女の子の方を向きながら歩いていたが、大人は子どもに少しは向いて「こんな時間に子どもがなんでいるのか?」と私と同じ疑問にぶちあたってはいる。しかし、誰も声をかけようとはしなかった。自分も、きっと大丈夫、女の子はコンビニから出てくる保護者をただ単に待っているだけだと言い聞かせようとした。
しかし……本当にそれでいいのか?もしそれで迷子だったらどうする?翌日新聞に女の子が行方不明とか載ってしまったら。そのときはきっと自分は後悔するだろう。そうだ!後悔するぐらいなら、ちょっとくらい声をかけたっていいだろう。
私「どうしたの?こんなところで?お母さんを待っているの?」
子「うん」
私「ここでお母さんに待っていないさいっていわれたの?」
子「うん」
私「そうか…。もしお母さんがしばらくの間待ってもこなかったら、あっちの方におまわりさんがいるから、声をかけるんだよ。」
子「うん」
そう言って私は自宅へと帰った。今考えると、子どもに「うん」か「ちがう」だけの答えしか求めていない質問で、失敗だったなと思う。もっと、「どうしたの?」とか「そのパンケーキは誰に買ってもらったの?」とか、しっかり考えて質問すればよかったと思っている。結局自分はなんの役にたたなかったかもしれない。でも、自分としては声をかけれてよかったと思う。女の子に少しでも「地域の大人が心配している」という気持ちが伝わったらいいな、と思った。それにしても、この数分間の間女の子に声をかけたのは私一人、なんて都心は人の心が冷たいんだろう。街を歩く見知らぬ人はただの風景でしかない。電車に乗れば周りの乗客は、車内を遮る敵となり、敵対心をむき出しにする。タバコのポイ捨て、ゴミ散らかしなどの悪い行動を地域の人が注意すると逆切れして攻撃的になる人。こんな敵対心と無関心な社会でいいのだろうか。いつからこんな国になってしまったのだろうか。そして、知らぬ間にそんな社会に慣らされている自分に嫌気が差す。
こんな時間になぜ?ひとりでいるわけはないだろう。もしや迷子?それともコンビニから出てくる保護者を待っているだけ?もしや近くのパチンコ店に保護者が入り浸り子どもを放っておいているのかも…。まだ車道には車通りも多く飛び出したら大変だ、などと考えながら自転車置き場に向かう。
女の子に声をかけるべきか。でも今日は大事な書類を抱えているので落としたら大変。声をかけて変質者に見られるなどやっかいなことに巻き込まれるとやだな…。誰か声をかけてあげないかな。保護者早く迎えに来いよ。そうすれば自分も安心できるのに。そう考えながら、自転車にまたがった。
しかし、ずっと女の子の方を向きながら歩いていたが、大人は子どもに少しは向いて「こんな時間に子どもがなんでいるのか?」と私と同じ疑問にぶちあたってはいる。しかし、誰も声をかけようとはしなかった。自分も、きっと大丈夫、女の子はコンビニから出てくる保護者をただ単に待っているだけだと言い聞かせようとした。
しかし……本当にそれでいいのか?もしそれで迷子だったらどうする?翌日新聞に女の子が行方不明とか載ってしまったら。そのときはきっと自分は後悔するだろう。そうだ!後悔するぐらいなら、ちょっとくらい声をかけたっていいだろう。
私「どうしたの?こんなところで?お母さんを待っているの?」
子「うん」
私「ここでお母さんに待っていないさいっていわれたの?」
子「うん」
私「そうか…。もしお母さんがしばらくの間待ってもこなかったら、あっちの方におまわりさんがいるから、声をかけるんだよ。」
子「うん」
そう言って私は自宅へと帰った。今考えると、子どもに「うん」か「ちがう」だけの答えしか求めていない質問で、失敗だったなと思う。もっと、「どうしたの?」とか「そのパンケーキは誰に買ってもらったの?」とか、しっかり考えて質問すればよかったと思っている。結局自分はなんの役にたたなかったかもしれない。でも、自分としては声をかけれてよかったと思う。女の子に少しでも「地域の大人が心配している」という気持ちが伝わったらいいな、と思った。それにしても、この数分間の間女の子に声をかけたのは私一人、なんて都心は人の心が冷たいんだろう。街を歩く見知らぬ人はただの風景でしかない。電車に乗れば周りの乗客は、車内を遮る敵となり、敵対心をむき出しにする。タバコのポイ捨て、ゴミ散らかしなどの悪い行動を地域の人が注意すると逆切れして攻撃的になる人。こんな敵対心と無関心な社会でいいのだろうか。いつからこんな国になってしまったのだろうか。そして、知らぬ間にそんな社会に慣らされている自分に嫌気が差す。