畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

中世日本海海賊衆における考察

2011-01-23 14:01:00 | 歴史
 瀬戸内海に多い海賊衆。それは近畿から九州などへの流通の中心となる地域であり、かつ内海であり小さな島が多いから海賊衆の育成を促したと言える。


 一方、北陸への日本海海上交通は、海賊の拠点となるべき島があまりない。そこで、大名らが関銭などを徴収するために、海賊の存在を認めなかったのではないかと思った。


 周知の通り、日本海海上交通は民間レベルで活発で、越後の青そ座などがあるほど京都への搬入がさかんだった。また能登の珠洲にある珠洲焼は、海上交通の流通にのり、小浜以東の日本海側(北海道にも)広く流通している。


 そこでさらに追加で考えてみたい。北陸と幕府の繋がりから、海賊衆の発生を押さえていたとは言えまいか。海賊衆などによる警護米(けごまい=警護量)を含むと商品の値段が高騰する。さらに北陸は御料所など幕府の土地も多いから、守護請け運ぶ銭が関銭で目減りする心配も考慮していたとは考えてられないか。

「神の手」の指を自ら切り落とす者

2011-01-23 11:29:00 | 歴史
 「神の手」と言うと経済学者なら景気の変動を調整する「神の見えざる手」を思い出す。しかし私はある事件をきっかけに、この人物を思い出す。


 2000年に発覚した、旧石器時代遺跡捏造事件を引き起こした男の「神の手」。この事件が発覚するまで、次々と日本史を塗り替える発掘をした男を「ゴッドハンド」=「神の手」と呼んだ。


 今日呼んだ新聞記事で、この男が自らの指3本をナタで切り落としていたことを知った。


 取材をした時に同氏の指が無いことを尋ねると、「この手が二度と悪さをしないように、ナタで切り落とした」と話したという。


 …これが責任の取り方なのだろうか。理想論者のたわごとかもしれないが、すべての事件を明らかにすることが罪の償いじゃないか。


 きっと本人も自責の念に苛まれて行ったことだと思う。しかも周りに自分を理解してくれる人もなく、ひとりで、かなり追い込まれていたんだろう。もっと彼をサポートしてあげる必要があったのではないか。犯罪者を憎むことは当然だけど、日本という社会は犯罪者に一斉非難を与がち。真の責任の取り方をアドバイスできる人がいないことが悔やまれる。


 児童虐待や自殺問題もそうだが、そこに至るまでの過程で支援が少ない。日本の不景気が続き、他人に関与する余裕がない。社会的繋がりが希薄過ぎる。