ある用事で奈良と京都に行きました。あまり(というかほとんど)プライベートの時間はなかったのですが、なんとか時間を捻出して行けた歴史スポットを紹介したいと思います。
まずは私がどうしても行きたかった歴史スポット「平城宮跡」。誰もが学校で習う「710年平城京」。奈良時代にはこの奈良の平城京が日本の中心だったのです。しかしながら、その現状といえばただ広い平野が広がるだけの「なにもないところ」として観光地としては不向きな「マイナー歴史スポット」となっていた。「マイナー」+「歴史」が重なればこの義綱が自ら体験しなければ気がすまない。そこで京都・奈良紀行~その1~では平城宮跡をリポートします。
710年~784年に長岡京に遷都されるまでほぼ一時期を除き日本の首都であった平城京。その貴重な歴史遺産の調査とその跡地利用は驚くほど遅れていた。発掘調査は1955年に開始、1960年代には近鉄の車庫建設と国道バイパス計画という遺跡破壊の危機に見舞われた。およそ日本の中心の史跡とは思えない扱いである。そのような危機も住民らの手によってなんとか逃れたのである。発掘調査では内裏の発掘だけでなく、外京の発見、奈良時代の庭園である東院庭園の発掘など目覚しい成果をあげた。しかしながら、近年まで平城京跡は柱跡や大極殿の基盤展示なども歴史好きには良いのだが、一般の人には「たんなる広い平原」としか写らならず、いまいち壮大な歴史のイメージするにはほど足りなかった。
しかし、「平城宮跡」は奈良市の東大寺・興福寺・春日奥山・正倉院などとともに1998年に世界遺産の埋蔵文化財に指定された。埋蔵文化財というのは、現在の貴重な歴史遺産ではなく、地中に眠っている貴重な史跡というものである。そこで、1998年に平城京の表玄関である朱雀門ができ、1967年に発掘された庭園も1998年に東院庭園として復元展示公開された。そして平城京遷都1300周年記念にあたる2010年にあわせて第一次大極殿の復元工事が行われている。「平城京跡」は一般の方にも「見える」「見せる」歴史スポットとして生まれ変わろうとしている。平城宮跡資料館(展示内容は少ないが、研究本などはそこそこ充実しているのでぜひ購入を!)や朱雀門、東院庭園の見学は無料。まだ完成途中の都は今後どんな変化を見せてくれるのだろうか。平城京跡の最大の障害は史跡のど真ん中を近鉄・奈良線が横切って走ることである。朱雀門と大極殿が寸断される状態では歴史スポットとしてはいささかなさけない。さらに世界遺産「平城宮跡」からわずか40mしか離れていないところに京奈和高速自動車道路の建設案が提案されており、史跡保存と景観保全の観点から疑問点があがっていた。最終案では、遺跡から約1km程離れた地にトンネル方式で建設する迂回ルートで決着したらしい。「迂回しても、地下水の流れが変わり地中に眠る木簡に影響がある」という歴史家もいる。完全な解決にはなっていないが、当初案よりは多少の前進とは言える(七尾城跡の能越自動車道の高架方式よりはマシ)。
「日本の貴重な歴史遺跡」「玄人受けするが素人受けしない」「高速道路の建設問題」など平城宮跡の今後は七尾城跡にもつながる問題であるだけにとても関心が持てた。今まで奈良・平安時代など貴族の時代はあまり興味がもてないでいたが、すごく関心が出てきた。今度はプライベートでゆっくり訪れたいものである。仕事で行ったので朱雀門はバスから見ただけ、資料館は15分程度、東院庭園も10分程の見学しかできなかった。次に訪れるのはいつになるか…大極殿ができたらぜひ行ってみたい。2010年かな?(写真もほとんど取れなくてアップできなくてすみません。)
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