ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆のお稽古~北條寺参詣記(その1)

2008-07-08 02:49:22 | 能楽

日曜は伊豆の国市にお稽古に伺って参りました。8月23日の「狩野川薪能」まであと残すところ1ヶ月半。子どもたちの稽古もいよいよ佳境です。そしてその前に、来週には彼らがはじめて観客の前で稽古の成果を披露する機会が訪れます。

それは薪能実行委員会のお計らいで毎年開催される「古典芸能教室」という催しです。地元・伊豆の国市の小学校の体育館を舞台に、市内のすべての小学校の5年生を集めて能の実演を見せたり、体験をさせるワークショップで、薪能での上演曲目「子ども創作能 江間の小四郎」や、また能『嵐山』の一部が上演され、また大倉正之助氏をはじめお囃子方の先生方が子どもたちに能の楽器の体験をさせる、という趣向。でも「子ども創作能」や『嵐山』に出演する地元小学生にとっては、稽古の成果をはじめて人前で披露する、なんと言うか、薪能の前の「中間発表会」という意味合いがあるのです。過去には、ここで大失敗をして大泣きしちゃって。。そしてその失敗の経験を活かして薪能の本番では無事に大役を勤め果せた子もありました。実行委員会の英断には感謝に堪えません。この大切な「古典芸能教室」の舞台に向けて、お稽古も加速し、また今回から、『嵐山』のもう一人の子方として綸子ちゃんと共演する チビぬえも伊豆の国市に出かけてはじめて稽古に加わりました。

しかしこのお稽古の日の出来事で特筆すべきは、伊豆長岡にある北條寺というお寺に、薪能に出演する子どもたちと一緒に参詣したことでしょう。

薪能で上演する「子ども創作能 江間の小四郎」は、若い頃この伊豆で“江間の小四郎”と名乗っていた鎌倉幕府第二代目執権の北条義時の物語で、彼が伊豆の江間に住んでいた頃、嫡子・安千代が大池に棲む大蛇に襲われて命を落とした、とされる地元に伝わる民話を題材に ぬえら薪能に関わる能楽師が新作した能です。我が子を殺された小四郎は急ぎ大池に赴き、仇を討つためにほとりに潜みましたが大蛇はなかなか姿を見せず、そのとき「大蛇は鉄を嫌う」という地元の言い伝えに従って池に金物を放り込んだところ、はたして大蛇が現れました。機を逃さず小四郎が放った矢は大蛇の左目に立ち、大蛇は山を越えて逃げ、ついに来光川に飛び込んで姿を消しました。小四郎は我が子の後世を弔うために北條寺を建て、また大蛇が川に飛び込んだ場所にある橋には「蛇ヶ橋」と名が付けられました。

いまでも蛇ヶ橋も北條寺も当地に現存していて、北條寺の境内にある小山の上には北条義時夫妻の墓も残されています。ぬえは「子ども創作能」を書いたところで義時の墓に詣でて挨拶をしましたし、また毎年の上演の際には小四郎の役を勤める子には、薪能の上演の前に義時の墓にご挨拶に行くように言いつけていました。まあ、実際には「先生、お墓参りに行ってきました!」と ぬえに報告に来た小四郎役の子は今まで一人もいなかったわけですが。。

ところが今年は小四郎役の千早ちゃんから早々に墓参の報告があって。そこから ぬえもぐっと盛り上がりまして、これは小四郎役一人の問題ではない、できるならば「子ども創作能」に出演する子どもたちみんなで一度は義時の墓参に行って、ご挨拶もし、薪能の成功を見守って頂くべきだ、と考えました。千早ちゃんのお母さんも「それは面白いですね。みんなでお弁当を持って行って。。」あ、そのアイデア、頂き~~ Y(^^)ピース!

子どもたちにも自分たちが勤める舞台は おとぎ話ではなくて地元の歴史に関係している物語なのだという実感が湧くし、なにより郷土史の理解にもなるし郷土愛を育てることにもなる。。さっそく実行委員会に相談したところ、この計画は歓迎して頂きまして、またすぐに北條寺のご住職にもお会いして事情をご説明申し上げたところ、こちらもボランティアで協力してくださることになりました。

もとより予算などないので子どもたちが北條寺に集合するためにバスなど用意はできず、「希望者のみの自主参加。現地集合現地解散。お弁当代と墓前に供えるお花代として数百円の会費制」として、ぬえが子どもたちや保護者に向けたお誘いのチラシを作って呼び掛けたところ、なんとこの日の参加者は30数名。。事実上出演者の子どもたちはほとんど全員集まってくれ、その保護者も大勢集まってくださいました。