ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

風折烏帽子を作ってみた

2008-07-12 12:50:23 | 能楽

月曜に伊豆の国市立・韮山小学校で行われる「古典芸能教室」に参加するため、明日から伊豆へ参ります。その間ちょっとブログもお休みします~ m(__)m

さて昨日、今日と、思うところあって「風折烏帽子」を作ってみました。ん~、今回は試作品の域を出ないかな。。その「古典芸能教室」では 子ども創作能『江間の小四郎』と能『嵐山』のダイジェスト版を上演するのですが、小学生対象とはいえお囃子方も見えるので「ある程度」本格的に上演することになります。

ここで問題になるのが装束。

子ども創作能は ぬえのポリシーとして「子どもが上演する能ではなく、創作舞台を能の形式を借りて上演する」という事だと定めています。「能」にしてしまうと稽古がきびしくなってしまいますからね。言葉を選ばずに言えば「お遊戯の延長」であるべきで、その中に演出の形式とか、練習と呼ばせずに稽古と呼ぶとか、稽古の始まりと終わりには必ず礼を行わせるとか、日本の伝統文化を織り込んでおいて、そしてあとはみんなが楽しめれば、それでよいのです。

だから 子ども創作能には本式の能装束はほとんど使わせません。大蛇、江間の小四郎、安千代。。そういった出演者の子どもたちが着ているのは浴衣に剣道着の袴です。また小四郎や安千代役が着る直垂のたぐいの装束は、みんな近所の大仁神社からその時だけ拝借しています。安千代大蛇役が着る法被だけはどうしても代用品がなかったのですが、これまた何年か前に器用なお母さんがいたので、手作りしてもらいました。ぬえが化繊の金襴の生地を買ってきて、能装束の法被を見せて、このお母さんが採寸して、子供用に少し小さめに縫い上げてくれました。ぬえが彼らに貸すのは大蛇が頭に着る黒頭とか打杖、それに装束を締めるための腰帯ぐらいのものです。

ところが『嵐山』は、後半部分しか上演しないとはいえ これはれっきとした能の上演なので、ある程度本式にやらないといけないです。まあ、ぬえは 子ども創作能の後見も勤めるし、また参加する能楽師も限られているので面装束は着けませんが、子方にはおおよその装束は用います。これも大体 ぬえの所蔵品で揃うのですが、今回は子方の一人、チビぬえが勤める子守明神がかぶる風折烏帽子がなかった。かといってこれだけ師匠家から拝借するのも面倒だし、予算も限られていて十分なお礼を師家にお支払いするのもままならない。。

そこで思い切って風折烏帽子を自作することにしました。ん~ ぬえは毎年何か能に使う小道具を自作しているし、去年はかなりがんばって剣まで作ったのだけれど、烏帽子を作るのははじめてだなあ。。

師家の見慣れた風折烏帽子を大体の記憶で寸法を採り設計図を起こし。。材料は和紙と革で、本当は漆を塗るのだけれど、今回はラッカーで代用しました。



試行錯誤しながら、なんとか形が整ったところ。う~ん、曲線で作られた烏帽子の型を作るのは難しい。。ヘタに作ると頭に合わなくなるし。。それに、揉み皺を付けるのは何度も挑戦したけれど、これは素人では不可能のようです。ただ くしゃくしゃになっちゃう。



大体の形ができて、あとは彩色を残すのみとなりました。でも風折烏帽子なのに折れていません。風折烏帽子というのは立烏帽子の頂が風によって折れた姿を固定したもので、その折れた頂部分(上皇は右折れ、臣下は左折れだと言われています)がピッタリと烏帽子の胴に張り付いているのです。それであの優美な姿になるんですね。でもそこまでの精密さは今回は追求しないことにしました。遠目では違いはわからないし、この「折れ」を作ることによって全体が歪んでしまう恐れもありましたし。。精密に作るのはもう少し経験を積んでからにしよう。



で、彩色を始めたのですが、しかしここで気がついたのですが、烏帽子紐を顎に結びつけると、烏帽子は左右に引かれる力を受けるわけで。漆ならばうまくいくのでしょうが、ラッカーでは塗料が乾いてもカチカチに固まる、ということがないのですよね~。何度か重ね塗りをしてみたけれど、やっぱり強度が不足しちゃう。そこで彩色を途中で止めて、烏帽子全体を補強することにしました。和紙の胴の内側に革を張って、それから紐で引かれる部分には裏側から糸で吊りを入れて。

で、ようやく完成したのがタイトルの画像です。まあ2日で作り上げたにしては額のラインなどはうまく出来たと思いますが、ちょっと今回は荒っぽい完成度ですね。。また次回、工作にチャレンジしてみよう。