ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北公演、その後(その4)

2008-10-23 01:56:40 | 能楽
師家の戦前の活動の本拠地である「高輪舞台」の調査は、つぎに当時のお舞台を知る方への聞き取り調査へと進みました。

すなわち、間取りや建具の配置、その部屋がどのような使われ方をしていたのか、などを、師家の大奥様やご家族、門下の大先輩、それから長く師家でお稽古をされておられるお弟子さまなどに集まって頂いて、座談会のような形で思い出して語って頂いたのです。やはり数十年が経過していると記憶も曖昧だったりで、ここは座談会にしてみなさんで話し合って頂くのは正解だったと思います。また、面白いもので、やはりこの家で書生修行をされておられた先輩の方が、ご家族より細かい点まで覚えておられたりしますね。これは当然で、毎日掃除をしたり、催しがあれば家具を片づけて座布団を並べたり、と、住み込みで修業をしながら家の隅々にまで気を配って仕事をしていたからです。お気持ちはよくわかります。。

さてそうして大体の見取り図が出来上がったところで、今度は ぬえはその見取り図と、高輪舞台が写り込んだスナップ写真などの資料を持って建築士さんを訪ねました。「高輪舞台」の正確な平面図を描いて頂くためで、ここでも面白い経験ができました。

座談会の結果できあがった、記憶による見取り図を見て建築士さんは、やっぱりプロですね。それでも起きる記憶違いを次々に指摘していきます。「ここに柱があったはずだ。そうでなければ建物全体の強度が保てない」「こういう造りであれば、普通は扉はこちらの方に開くはずだが。。」そしてスナップ写真を見て納得したご様子でひと言。「この家は増築していますよ。だから見取り図に不自然なところがあるんだ」そう言われてお庭から母屋に向かって撮影されたご家族のスナップ写真をあらためて見てみると。。なるほど、1階と2階とでは柱の位置がズレていたりします。「外から見たここがズレているのならば、内部のこのあたりの柱は2階まで通してあるはずだが。。ははあ、これだな」。。こうして建築士さんによって、合理的な平面図が出来上がりました。

この時に作り上げた平面図のオリジナルは、まだ ぬえの自宅にしまってあります。そして図面そのものは、たしか先代の師匠のお追善能のときに配られたプログラムと、それから師家で発行している機関誌『橘香』(きっこう)に掲載しました。これも ちゃあんと計算があってのことで、刊行物に掲載しておけば国会図書館やいくつかの大学図書館に収蔵されるので、それによってこの図面が資料として後世に残ることを期待したのです。

あ、そういえば その『橘香』誌には ぬえが「高輪舞台」の調査記録を連載したのを思い出した。この時も面白いことがありました。

前述のように戦前の師家の「高輪舞台」は、茶人としても有名な益田鈍翁さんに頂いたお家だったのですが、『橘香』誌に鈍翁のことを紹介しようと考え、鈍翁の写真を載せようと思ったのですが、はて師家で写真アルバムがまとめてしまってある納戸をいくら探しても発見できません(ぬえはこういう調査や研究が好きだったもので、それを見た先代の師匠から、師家の納戸の所蔵品を自由に調べてかまわない、というお許しを当時頂いていました)。

これには困ったのですが、たまたま当時 ある美術雑誌に鈍翁の写真が掲載されたのです。それは小田原の邸宅のお庭を散策される翁の、なんとも趣のある写真でした。さっそくその美術雑誌の編集部に電話を掛けて事情を説明し、鈍翁の写真の転載許可を求めました。。が、事態はどうも思わぬ展開をしてゆくのでした。