ぬえの能楽通信blog

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翁の異式~父尉延命冠者(その3)

2009-01-16 01:00:15 | 能楽
と、ここまでは常の『翁』と「父尉延命冠者」との違いはまったくないようですが。。

このとき今回の面箱の中には、常の『翁』では翁が掛ける白色尉(または肉色尉)、三番三が掛ける黒色尉、そして同じく三番三が使う鈴が入れられているところ、このときは父尉面、延命冠者面、黒色尉、鈴が入れられています。常には直面である千歳が「延命冠者」の役となって面を掛ける、というのがこの演出の一つの大前提ですから、これも当然といえば当然ですが。。

さて舞台に向かって切り火が切られると大夫は「お幕」と声を掛けて幕を静かに揚げさせます。「翁渡り」と呼ばれる大夫を中心とした出演者の登場ですが、本当に静謐に、荘重に行われるのを旨とします。

「翁渡り」では、まず幕が揚げられると面箱持が立ち上がって面箱をうやうやしく捧げ持ち、先頭に立って登場します。神体たる面を入れた箱が最初の登場人物なのですね。面箱持がおよそ橋掛りの半分までも進んだ頃、ようやく大夫が姿を現します。その次に登場するのは千歳ですが、大夫と千歳との歩む間隔は、およそ橋掛りの柱一本分程度でしょうか。続く三番三もおおよそ千歳との間隔を柱一本分ほど取って後に続きます。

三番三に続いて笛・小鼓三人・大鼓の順で囃子方が、さらにシテ方後見、狂言方後見、地謡が登場します。三番三より後に登場する演者は、それほど間を空けずに、前の人に続いて登場します。

この登場の間隔がまちまちなのは何を表しているかと言うと、役の軽重。。と言っては語弊がありますが、神と人との分け隔て、という意味が込められていると思います。

すなわち神体たる面を収めた面箱は先頭に登場し、大夫は面を掛けるまでは人。。神職という役割なのです。それで面よりはずっと間隔を空けて。。つまり後に控えて登場するのではないか、と ぬえは考えています。その後に登場する千歳は、神体が大夫の顔に掛けられて影向するその前の露払い役であり、舞台を清める役。さらに三番三は翁が退場してから、その「もどき」として神と人との仲立ちをする役目でありましょう(「もどき」についてはこのブログで以前 ぬえが考察した「翁附き脇能」の項を参照ください)。これらの役は翁の祈祷の式の中では、実際に祭司を取り仕切る役であって、そこで舞台への登場の間隔を少し大きく取ることで役の重要度が表されるのではないかと思います。

それでは囃子方や地謡が軽い役割なのかというと、それは当然、侍烏帽子・素袍に身を包んで大夫らとともに神酒を頂き、粗塩を身にふりかけて身を清めた人々が神事に欠くことのできない重要な役である事は論を待たない事でしょう。彼らが間隔を空けずに引き続いて登場するのは、大夫らと比べての職掌の違いから来るものでしょうか。

すなわち神職たる大夫と、その露払いや三番三は、ともに神事において秘事に直接携わる人間であり、それに比べて囃子方や地謡は、神事に奉仕する神官という役割なのだと思います。神の降臨に関して、直接神体に触れる、というよりは むしろ音を鳴らし声を出すことによって「言霊」を呼び寄せ、神の来現を約束する役目なのでしょう。

そういえば、現在「翁之舞」と称される大夫の舞は、そう古くない以前までは「神楽」と書いて「かみがく」と呼んでいました。さすれば囃子方や地謡は、天鈿女命のように神楽によって神を呼び寄せる役目なのかもしれませんですね。