ぬえの能楽通信blog

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翁の異式~父尉延命冠者(その8)

2009-01-24 01:49:07 | 能楽
「翁之舞」が終わると、父尉は面箱の方へ歩み行き、着座すると常の通り父尉の面を外して面を面箱に収め、これにて再び神である父尉から、人間である大夫へと戻ります。今回の「父尉延命冠者」では、このとき延命冠者も立ち上がって面箱の側に行き、父尉と並んで着座すると延命冠者の面を外して面箱に収めていました。

それより千歳は再び面箱の隣の座に戻って正面へ向き端座するわけですが、面を外して直面となった千歳は、冒頭の場面でまだ延命冠者の面を掛ける以前のように両手を床につけて平伏することになります。

面を外した大夫は常の『翁』の通り立ち上がって正先へ出、正面に深く平伏して拝をし、それが済むと着座のまま幕の方へ向き直ります。このとき千歳も幕に向いて二人一緒に立ち上がり、幕へ引きます。

こうして「父尉延命冠者」の異式での『翁』が終わります。大夫と千歳が幕に入ると小鼓は一端打ち止め、改めて「揉み出し」と呼ばれる三番三の登場を告げる演奏を打ち始めます。

このときの三番三ですが、ぬえの拝見した限りでは常の『翁』の場合の三番三と変わるところはありませんでした。まあ、それでもお狂言方の実技の細かい点までは さすがに ぬえも存じませんので、お狂言方の友人に楽屋で聞いてみたのですが、やはり何も変わるところはないようでした。

昨年でしたか、ぬえの師家の正月初会で、やはり『翁』の異式の「法会之式」が上演されたのですが、このときは翁や千歳は常の『翁』と比べると詞章に変化がある程度で、演出としては ほとんど変化はありませんでしたが、ところがこの時は三番叟が「鈴之段」で、鈴ではなく短い錫杖を持って勤めておられ、これには驚きました。たしかに鈴は神道に属する祭祀の道具でしょうから、「法会之式」の名の通り、この異式演出が仏式であるのならば、三番叟が鈴ではなく錫杖を手にするのは理に叶っていると思います。が、実際には「法会之式」の詞章を見る限り、仏教色はまったく感じられませんでしたが。

しかし「法会」と言うからには仏式、と考えるのは現代人の錯誤であるかもしれません。明治になるまでは日本の宗教は「神仏混淆」で、仏教と神道は共存関係にありましたから、「法会」と名が付けられているからと言って、神道色が全く排除される理由はないのです。また「法会之式」は奈良の多武峰だけで上演されてきた個性的な『翁』で、神仏混淆の時代にあえて「法会」と呼ばれているこの『翁』の異式の意味は、そういう地域の独自性も考慮して考えなければならないでしょう。そのうえ、この「法会之式」は江戸期に成立した演出で、多武峰の古態をそのまま保存したとは必ずしも言えない、という問題もあります(ちなみに観世流の「父尉延命冠者」も同時期の成立です)。「法会之式」は追善能などで稀に上演されますが、これも「法会」という言葉が「法要」を連想させるから、という誤解だという指摘もあって、「法会之式」の三番叟に仏教色の強い錫杖を使うようになった歴史は、この異式の成立事情の検討の材料として吟味されるべきでしょうね。

ちなみに上記で ぬえは「三番三」「三番叟」と書き分けていますが、前者は大蔵流の表記で今回の「父尉延命冠者」は大蔵流の所演、後者は和泉流の表記で、「法会之式」の上演時は和泉流だったので、このように区別しておきました。

大蔵流の演者に伺ってみたところ、前述のように「父尉延命冠者」のときにも三番三には演出の変化はないらしいのですが、同じく「法会之式」であっても錫杖を使うことはなく、やはり演出に大きな変化はないようです。こうなると、『翁』の異式というものは そもそもどのような意味や意図が込められているのか。このあたりを解明するのは困難ではありましょうが、江戸期の成立になる『翁』の異式について考えてみたいと思います。