まずは前回のご報告の訂正から~。。(..;)
<<面を掛け、父尉となった大夫は、「揚巻や とんどや」と謡い出し、やがて「座していたれども、参らうれげりや とんどや」と、常の『翁』と同じ型ではありますが、扇を開いて立ち上がり、両腕をひろげて千歳と向き合います。>>
と前回書いたのですが、「父尉延命冠者」の場合、千歳の二度目の舞のあとの文句が次のように替わるのでした。
父尉「あれはなぞの小冠者ぞや」地謡「釈迦牟尼仏の小冠者ぞや。生まれし所は忉利天」父尉「育つ所は花が」地謡「園ましまさば。疾くしてましませ父の尉。親子と共に連れて御祈祷申さん」
この父尉がはじめて立ち上がるところ、型としては常の『翁』と変わりはありません。違うところは、まず大夫が「白式尉」などの いわゆる「翁面」ではなく、「父尉」の面を掛けていること、千歳に替わる「延命冠者」が脇座に控えずに大鼓前あたりに立ち居て、この場面で父尉と向き合うことです。
ところがこの場面、それでは常の『翁』では千歳はこの場にはいないとなると、翁大夫は誰と向き合っているのかと言うと、それは三番三なのです。常の『翁』の上演の冒頭、囃子方や地謡が座に着くとき、三番三は舞台に入り、常座で両手をついて控えますが、この場面で翁が立ち上がると三番三も立ち上がり、翁と向き合って、それから翁は正面に向いて「ちはやぶる。。」と謡い出し、この時三番三は後見座にクツロいで、狂言方後見によって装束を改められて、後に三番三を踏むのに備えるのです。
この度の公演では「父尉延命冠者」の場合も三番三の型は常の『翁』と同じでした。つまりこの場面、千歳に替わる延命冠者が大夫の父尉と向き合うのと同時に、常の通り三番三も立ち上がって大夫と向き合うことになり、父尉に対して大鼓前の延命冠者、常座の三番三の二人が向き合う形になります。やがて三番三は後見座にクツロギ、父尉と延命冠者の二人は正面に向き、常とは違う次の文句を連吟します。
父尉・延命冠者「一天収まって日月の影明かし。雨潤し風穏やかに吹いて。時に随って干魃水損の恐れ更になし。人は家々に楽しみの声絶ゆる事なく。徳は四海に余り。喜びは日々に増し。上は五徳の歌を謡ひ舞ひ遊ぶ。そよや喜びにまた喜びを重ぬれば。共に嬉しく」地謡「物見ざりけり ありうとうとう」父尉「そよや」
連吟が済むと延命冠者は父尉の後ろを通って、先ほど控えていた位置。。面箱持が居る脇座の一つ下に着座します。父尉は「そよや」と謡ってから「翁之舞」。。かつて「神楽(かみがく)」と呼ばれていた舞を舞います。
「翁之舞」ですが、これまた常の『翁』とは変わったところはないようでした。「翁之舞」は、大夫が両腕を拡げたまま鼓の打つ粒(一つ一つの打音)に合わせて一歩ずつ進み、まず角柱まで行って足を止め(両腕も下ろし)、やはり鼓に合わせて足拍子を踏み、これを「天の拍子」と称しています。ついで再び両腕を拡げ、鼓に合わせて歩を進め、脇座前で足を止めて「地の拍子」。ここから鼓は位を早めて打ち進み、大夫は大小前から正先へ出て左の袖を巻き上げ、これを下ろしたところで鼓も位を緩めて打って「人の拍子」となります。今回も ぬえの拝見した限りでは「翁之舞」はこれと全く同じで、とくに変わるところはないようでした。
「翁之舞」が済むと大夫は再び袖を拡げて「千秋万歳の喜びの舞なれば。ひと舞舞はう万歳楽」地謡「万歳楽」大夫「万歳楽」地謡「万歳楽」と祝詞を重ねて、これにてひと通りの式が終わり、大夫は面を外して楽屋に退場する「翁帰り」となります。
ところが「父尉延命冠者」ではこの最後の大夫と地謡が掛け合いに謡う詞章に小異があります。すなわち大夫が常は「千秋万歳の<喜びの舞>なれば」と謡うところを「<祝ひの舞>なれば」と替えて謡うので、これはやはり『翁』の異式のひとつである「十二月往来」や、「初日之式」「二日之式」の場合に用いる詞章です。「父尉延命冠者」では千歳之舞のあたりの詞章にも「十二月往来」(と「初日之式」)に使われる詞章が用いられていますから、理由はわかりませんが「父尉延命冠者」の作者は「十二月往来」に対して強く関心が向けられているような感じを受けます。
<<面を掛け、父尉となった大夫は、「揚巻や とんどや」と謡い出し、やがて「座していたれども、参らうれげりや とんどや」と、常の『翁』と同じ型ではありますが、扇を開いて立ち上がり、両腕をひろげて千歳と向き合います。>>
と前回書いたのですが、「父尉延命冠者」の場合、千歳の二度目の舞のあとの文句が次のように替わるのでした。
父尉「あれはなぞの小冠者ぞや」地謡「釈迦牟尼仏の小冠者ぞや。生まれし所は忉利天」父尉「育つ所は花が」地謡「園ましまさば。疾くしてましませ父の尉。親子と共に連れて御祈祷申さん」
この父尉がはじめて立ち上がるところ、型としては常の『翁』と変わりはありません。違うところは、まず大夫が「白式尉」などの いわゆる「翁面」ではなく、「父尉」の面を掛けていること、千歳に替わる「延命冠者」が脇座に控えずに大鼓前あたりに立ち居て、この場面で父尉と向き合うことです。
ところがこの場面、それでは常の『翁』では千歳はこの場にはいないとなると、翁大夫は誰と向き合っているのかと言うと、それは三番三なのです。常の『翁』の上演の冒頭、囃子方や地謡が座に着くとき、三番三は舞台に入り、常座で両手をついて控えますが、この場面で翁が立ち上がると三番三も立ち上がり、翁と向き合って、それから翁は正面に向いて「ちはやぶる。。」と謡い出し、この時三番三は後見座にクツロいで、狂言方後見によって装束を改められて、後に三番三を踏むのに備えるのです。
この度の公演では「父尉延命冠者」の場合も三番三の型は常の『翁』と同じでした。つまりこの場面、千歳に替わる延命冠者が大夫の父尉と向き合うのと同時に、常の通り三番三も立ち上がって大夫と向き合うことになり、父尉に対して大鼓前の延命冠者、常座の三番三の二人が向き合う形になります。やがて三番三は後見座にクツロギ、父尉と延命冠者の二人は正面に向き、常とは違う次の文句を連吟します。
父尉・延命冠者「一天収まって日月の影明かし。雨潤し風穏やかに吹いて。時に随って干魃水損の恐れ更になし。人は家々に楽しみの声絶ゆる事なく。徳は四海に余り。喜びは日々に増し。上は五徳の歌を謡ひ舞ひ遊ぶ。そよや喜びにまた喜びを重ぬれば。共に嬉しく」地謡「物見ざりけり ありうとうとう」父尉「そよや」
連吟が済むと延命冠者は父尉の後ろを通って、先ほど控えていた位置。。面箱持が居る脇座の一つ下に着座します。父尉は「そよや」と謡ってから「翁之舞」。。かつて「神楽(かみがく)」と呼ばれていた舞を舞います。
「翁之舞」ですが、これまた常の『翁』とは変わったところはないようでした。「翁之舞」は、大夫が両腕を拡げたまま鼓の打つ粒(一つ一つの打音)に合わせて一歩ずつ進み、まず角柱まで行って足を止め(両腕も下ろし)、やはり鼓に合わせて足拍子を踏み、これを「天の拍子」と称しています。ついで再び両腕を拡げ、鼓に合わせて歩を進め、脇座前で足を止めて「地の拍子」。ここから鼓は位を早めて打ち進み、大夫は大小前から正先へ出て左の袖を巻き上げ、これを下ろしたところで鼓も位を緩めて打って「人の拍子」となります。今回も ぬえの拝見した限りでは「翁之舞」はこれと全く同じで、とくに変わるところはないようでした。
「翁之舞」が済むと大夫は再び袖を拡げて「千秋万歳の喜びの舞なれば。ひと舞舞はう万歳楽」地謡「万歳楽」大夫「万歳楽」地謡「万歳楽」と祝詞を重ねて、これにてひと通りの式が終わり、大夫は面を外して楽屋に退場する「翁帰り」となります。
ところが「父尉延命冠者」ではこの最後の大夫と地謡が掛け合いに謡う詞章に小異があります。すなわち大夫が常は「千秋万歳の<喜びの舞>なれば」と謡うところを「<祝ひの舞>なれば」と替えて謡うので、これはやはり『翁』の異式のひとつである「十二月往来」や、「初日之式」「二日之式」の場合に用いる詞章です。「父尉延命冠者」では千歳之舞のあたりの詞章にも「十二月往来」(と「初日之式」)に使われる詞章が用いられていますから、理由はわかりませんが「父尉延命冠者」の作者は「十二月往来」に対して強く関心が向けられているような感じを受けます。