ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

石巻・湊小学校はどうなったか

2011-08-18 21:38:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
湊小学校では、もうだいぶ避難者の方も少なくなっているようでした。聞けば今は100名ぐらいの住民の方(「避難者」と言わない、このボランティアさんの言葉、とても良いと思います)がおられるそうです。

しかし驚いたのは、6月末に ぬえがここを訪れたときと同じ人々が、ボランティアとして留まっておられたことです。今回はワークショップの準備のため写真は撮っていないのですが、ボランティア受付の方々、自転車修理をしている日に焼けた青年…すべて6月に ぬえが会った方々です。その時ボランティアさんと少し話したところでは、それぞれのボランティアさんは大体2週間程度をこの避難所で滞在して支援活動をし、それから他のメンバーと交代する、というようなお話でしたが…つまり、それぞれの都合によって短期間の滞在の人もあれば、ずっと長期に渡って支援活動をされている方もある、ということなのですね。

ちなみに湊小学校で中心的に支援活動をされているのは、チーム神戸というボランティアグループで、阪神淡路大震災をきっかけとして誕生した、主に関西の方々による災害支援団体です。神戸から石巻まで…その距離も ぬえが住む東京から考えても気の遠くなるようなものですが、古里から遠く遠く離れて、長い期間をずっと避難所の支援に当たっておられるとは…頭が下がります。…伺えば、ぬえたちの能楽ワークショップの調整をしてくださった方は4月からずっと湊小学校に滞在しておられるとか…すごいことです。

それにしても…避難所で感じたのは、まずは住民の方が少なくなったことですが、それにも増してハエが少なくなりました。前回の訪問では清掃活動のあとボランティア・イベントとして行われていたミニ・コンサートに飛び込みで参加した ぬえですが、ハエ取りリボンをかき分けかきわけしながら、のように舞いましたのに。少しずつ少しずつ、ここでも復興の兆しを感じた ぬえでした。

…しかし。難しい現実も知ってしまいました。石巻市では8月~9月に避難所を解消すると発表しているそうですが、なんと ぬえが到着したその前日に、「最後の」仮設住宅入居の抽選が行われたのだそうです。これから建設される仮設住宅も含めて抽選はこれが最後。これにはずれると、あとはキャンセル待ちしか入居する方法がない… こちらの避難所でも住民の多くは高齢者でした。若く身体が利く方々はご自宅の修繕をしたり、家族を連れて引っ越して行ったり、と避難所を去って行かれた人々のあとで、弱い立場の方だけが、プライバシーも守れない避難所に残されるわけで…。この方々に希望を持って頂ける施策を、国や地方自治体は行って頂きたいと切に思います。

また仮設住宅に入居できても、食料支援などが一切なくなったり、仮設住宅自体に使用期限があって、それまでに自力で生活を再建することが求められていることなど、問題は山積ですね…。湊小学校でも住民の方だけでなく、近在の住民や仮設住宅などへも広く食事の支援をしておられました。しかしまた一方、今回 ぬえが見てまわったところでは、市街地から遠く隔たった場所に建つ仮設住宅も多く、これは本当に日常必需品はどうやって入手するのだろう? と考えてしまうほど。家財を失い、収入を失った方々に自力で生活再建を要求するのは簡単ではないでしょうし…6月に明友館の千葉恵弘さんが「支援はこれから先もずっと…数年間は必要でしょう」と言われたのが思い出されました。

そして避難所は…ともかく暑かったです。そうして体育館の床は…ドロドロでした。考えてみれば湊小学校の1階は津波被害を受けていたのでした。そのときにかぶった泥は掻き出されたのですが…そうして避難所の食事配給の場所として使われている体育館は土足禁止になっているのですが…それでも床はひどい有様で、到着した ぬえたち一行がまず始めたのが床の拭き掃除だったりします。

狂言方のOくんが床を拭きたくなるのは当然でしょうが、囃子方であるTさんまで拭き掃除に参加してくれたのは感激~。でタイトル画像は小学校の体育館を猛スピードで雑巾掛けするOくんの勇姿。気合い入ってます。

え? ぬえですか? …すみません、この体育館の広さに、それからあまりの暑さに、そして床の汚れに負けて、拭き掃除ではモップを使ってしまいました…(хх,)