ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

伊豆の国市子ども創作能「ぬえ」守山八幡宮祭典公演

2013-10-15 22:03:48 | 能楽
もうおとといの事になってしまうのですが~
伊豆の国市で ぬえが指導を続ける「子ども創作能」の本公演がありました!

本年は新作『ぬえ』を ぬえが台本を書き上げ(ややこしいな。。)、この8月、すでに「長岡温泉戦国花火大会」で ぬえの指導のもと『ぬえ』は初演を迎えましたが、その後も ぬえは『ぬえ』の稽古を続け、子どもたちも ぬえから『ぬえ』の指導を受けて、この度はお囃子方の来演を願って、ぬえも参加して『ぬえ』の本公演が行われた、というわけです。ぬえ。

伊豆の国市の中でも寺家(じけ)という地域は、かつて北条氏の邸宅があったところで、ここにある「守山八幡宮」は北条氏の氏寺だった、という由緒ある神社。平治の乱のあと伊豆・蛭が小島に流された源頼朝は北条時政の娘・政子と結婚すると北条氏の庇護を受けてこの地に住み、北条氏が源氏と同じ八幡神を信仰していると知って感激、平家の目代・山木兼隆を目標に挙兵した際も、頼朝は三島大社とともにこの守山八幡宮に戦勝祈願をしています。

そうしてこの守山八幡宮のお隣には願成就院さまという名刹がありまして、こちらも北条時政の願によって建立され、なんと運慶仏が5体も安置されています。後北条(早雲)も含め、幾たびもの戦火に晒されたため、八幡宮も願成就院も建築は当時のものは残っていないながら、運慶仏は、よくまあ現代にまで伝えてきたものだと思います。そうしてその作の見事さは、ぬえが初めてこれを拝見したときには衝撃を受けたものです。しかるべくして、本年この運慶仏は国宝指定を受けることとなりました。仏像彫刻としては中部地方初の国宝指定なのだとか。

これほど歴史の上で重要な位置を占める伊豆の国市で縁あって子ども創作能の指導ができる ぬえは幸せものですが、地元の方々の強力な協力を頂いて、もう15年も指導を続けて参りました。このたびは新作の創作能として4作目になる『ぬえ』の上演ですが、本年度だけで4回の公演予定こそありますが、お囃子を入れての本格公演は、予算の都合もあってこの1回だけ。子どもたちの稽古にも気合いが入りましたが、もう15年の指導、そうして4作目になる台本、となると、おのずと難易度も上がってきました。もう、前作『伊豆の頼朝』でも小学生が中之舞なんか舞っていましたが、新作『ぬえ』ではシテに当たる鵺の役と、その眷属の「小ぬえ」役の合計8人の小学生が舞働を舞う、というハードルの高さ! ああ、小学生相手に ぬえも酷ですが、だって、みんなハードル上げても、苦しみながらも ちゃあんとついて来るんだも~ん。

かくて上演された 子ども創作能の舞台を見よ!

まずは創作能の前に、中学生となったOG2人による舞囃子『竹生島』。シテが2人という変則ではありますが、子ども能を卒業してもまだ稽古を続けてくれる中学生には古典の曲をしっかり勤めてもらうことにしております。





新作『ぬえ』の舞台はこちら! 
勅使により近衛帝の御悩の原因と推測される化生の物を退治するべく源頼政が任じられる。頼政はただ一人の郎党・猪早太を連れて南殿の大床に伺候し、八幡太郎の故事に基づき弓の弦を打ち鳴らし、御悩の刻限を待つ。



やがて案の如く東三條の森の方より黒雲がひと叢立ち来たって御殿の上を覆う。頼政は八幡神に祈誓を込め黒雲を目掛けて矢を射ると、果たして手応えがあった。この日は八幡宮さまの祭典の日ということで境内はごった返して、本来は頼政は矢を本当に射る型をつけてあったのですが、この状況ではお客さまに当たって怪我をさせてしまう危険性があったので、今回は射ることは禁止にしました~



と、俄に大地が震動し、稲妻が天を走ると、やがて 鵺の一群が現れる。



頼政は鵺と対決し、ついに早太が九刀刺し通して鵺を退治する。弓箭の道の誉れとなったのだった。





終わって再び舞台に登場してお客さまにご挨拶。



やがて控室に戻ってアイスクリームのごほうびをもらいました。





最後に集合写真を。いつも何枚かオーソドックスな構図で写真を撮ってから、指先を頬にあてて小首をかしげて「おすまし」ポーズで写真を撮るのですが。。



最近はあまり子どもたちにも あきれられてやってくれない。。で今回は 新開発の決メポーズだっ!
名付けて「ゾンビ集合」!!!!



。。え? 誰もついてきてない?? (・_・、)


(撮影:山口宏子/子ども能参加児童の保護者)