ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その1)

2013-10-28 01:40:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、やっとのこと、先週行った活動についてのご報告ができます。周回遅れのランナーみたいじゃね。

今回の活動は東松島市と岩手県の陸前高田市の2カ所、1泊足かけ3日の、短い日数とはいえやや強行スケジュールだった割には公演回数は少ない催しでした。考えてみると、せっかく現地に行くのだから、と欲張って、いつも1日に2カ所程度の公演は行っているのですが、今回は移動距離の大きい活動だったと思います。もともと東京でのスケジュールの合間を縫っての活動でしたので、そういう制約もあったのですが、それよりも、活動内容が準備に時間の掛かるような濃いものだったために、上演回数が限られた、というのが実情であると思います。それほどに今回は印象深い活動となったと自負しております。

さて今回の活動の特色は。。いろいろありすぎてご報告に困るほどですが、まずは東松島市での活動。東松島市は震災で、とくに野蒜地区や大曲地区に壊滅的な被害を受けた街です。お隣の松島町が比較的被害が軽微だったのと比べるとまさに対照的で、震災3ヶ月後に当地を訪れた ぬえは、ここで初めて甚大な被害の状況を見て戦慄しました。

その後プロジェクトとしての活動を東松島市で始めたのは震災後 最初に年が明けた直後の冬でしたね。2カ所の仮設住宅で活動させて頂いたほか、1カ所の仮設住宅に ぬえが指導する 伊豆の国市の子ども創作能の参加者のご家庭からの支援物資をお届けする活動も行いました。また能面を打つことを趣味としている市民の方と知己を得て、上記仮設住宅での活動にご一緒して頂き、能面の展示も同時に行いました。これは ぬえらプロジェクトが市民と一緒に活動した最初の例になっています。ところがその後 東松島市での活動はなぜか途絶えてしまって。。今回お邪魔させて頂いた グリーンタウンやもと仮設住宅での活動は、それ以来1年半ぶりの活動となりました。

二つ目の特色としては、その東松島市での上演にはじめてフルート演奏家を入れて「能とピアノの夕べ」公演を行ったこと。それは先日 気仙沼・地福寺さんでの「送り火の集い」をご覧になっていた内野さんで、もとより笛のTさんの知人だから地福寺にも見えたのですが、終演後 控室にご挨拶に見えたときにフルート演奏家と聞いた ぬえは、これは「能とピアノの夕べ」のロマンチックな公演に大きな力になる、と直感し、その場で次回。。つまり今回の公演での共演をお願いしたのでした。

。。まあ、考えてみれば ぬえがフルートに合わせて舞うわけではなく、「能とピアノの夕べ」、のうち「ピアノ」の部分に共演頂くわけなので、ピアニストの御子柴さんの了解も得ずにフルートの出演をお願いするのはフライングなのですけれども。。結局御子柴さんも ぬえのアイデアにすぐに了承くださって、かなり離れた場所に住むお二人なのですけれども、ご一緒に練習もしてくださって、東松島での「能とピアノの夕べ」公演は、それはそれは ぬえが予想していた以上の素晴らしい効果を上げたのでした。

それから三番目の特色は、プロジェクトとして初めて岩手県の陸前高田市で活動ができたことですね。しかもそれが「奇跡の一本松」の前での奉納上演だったということ。。「震災遺構」。。とはこれは呼ぶべきではないかもしれませんが、ともあれ被災地の随一の知名度を持つこの松ですが、意外なことにどうもここではイベントらしいものはこれまで行われていないみたいです。。いえ、よく調べたわけではないのですが、ぬえがここで奉納上演をさせて頂くことになったので ちょっと検索してみた限りではなにも見つからなかったし、ぬえ自身もそういう話を聞いたことがなかったもので。。いずれにせよプロジェクトのこれまでの活動とは一線を画すような活動が始まりました。

それというのも、この春から活動をご一緒させて頂いているNPO団体 JIN'S PROJECTさんのお力に負うところが大きいです。今回の活動では東松島市と陸前高田市の2カ所での活動でしたが、東松島市の活動は当プロジェクトの企画ながら、陸前高田市の活動は、これはプロジェクトの活動が始まって以来 初めてのことですが、完全にJIN'S PROJECTさんにすべてのプロデュースをお任せしての活動になりました。それは我々 能楽師のプロジェクトでは考えつかないようなアイデアと人脈をつぎ込んでの計画で、同じボランティア団体でありながら、こうも発想が違うのかと毎度驚かされもしますし、我々プロジェクトよりも大きな理想を持っていることに信頼も持っています。この場合、理想の大小は優劣に直結するものではありませんで、ぬえたちのように小さく 小さく、仮設住宅の住民さんに寄り添っていてあげたい、と思う活動と、地域や市のような大きな単位で復興の一助になろうとしているかの、その視点の違いであろうかと思います。でも、発想が大きければ活動の規模も大きくなるわけで、その大きさには、避難所での掃除から活動を始めた ぬえは ただただ茫然と見上げることしかできないわけで。。

ぬえたちの活動も2年半近くに渡って、いま大きな岐路に立っているような気もします。そんな、いろいろな感慨を持つ活動となりました。