ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

千葉県・野田市で「能を楽しむ会」能楽講座行って来ました。

2008-07-05 23:53:46 | 能楽

今日は千葉県・野田市の市民会館で能楽講座「能を楽しむ会」を催して参りました。

野田市市民会館はその固い名称に似合わない純和風建築の建物で、それもそのはず、当地に本社があるお醤油のキッコーマンの社長・茂木佐平治氏の古い邸宅を市に寄贈された由緒のある建物だからなのでした。

広い日本庭園には茶室も備え、その庭を眺めながらの広間での能楽講座はとっても雰囲気があります。。といいたいところですが、今日はとっても暑くて、冷房があまりよく効かず、障子を閉め切って、その雪見からわずかに庭を眺める程度だったのは惜しかった。ただ、前日まで雨の予想だったのが見事に晴れまして。暑い中を多くの参加者に恵まれたのはありがたいことでした。

今回は、能をご覧になったことのない方が参加しておられるのを大前提にして能楽講座を行ったのですが、ビデオで『井筒』(昨年の「ぬえの会」の際の ぬえの所演のもの)を、ダイジェストとはいいながら1曲を通してご覧頂き、なあんにもないガランとした舞台に無言のまま囃子方と地謡が登場し、また能が終わるとなにもない舞台に戻っていく、という能の独特の上演形態を知って頂くところからスタートしました。楽屋話も交えながらの上演の進行の解説は ぬえ自身でも楽しかったですが、お客さまも退屈された様子はなかったと思います。1曲がどのように組み立てられていくのか、という話は、なぜシテが動かないのか、という解説にも通じて、その意味を理解していただけたんではないかと自負しています。

やっぱり能は、このスピード社会の中では、お客さまがチラッとご覧になって「なんだ動かないじゃないか。つまらない」と思われてしまいがちなのが非常に悔しいと思いますね。動かない演技の中では、動いているよりもよっぽど大きな演技をシテはしておりますし、先日の『歌占』では まばたきをしない、とか、この『井筒』では居グセの間は呼吸していることさえもお客さまに気取られないように注意していて、その佇まいとか雰囲気で演技をしているところまで、注意してご覧頂けたら、こんなに深い芸能だということが理解して頂けると思うのです。

お話は「能面が演技をする」という事に及び、また参加者にモデルを務めて頂いて装束の着付の実演をしたり、あまつさえ扇を持つのも初めての参加者に、いきなり「序之舞」を舞う体験をして頂いたり。ぬえ、無謀にして やりたい放題。(^◇^;) でもお客さまには喜んで頂いたのではないかと思います。

今回の能楽講座を行ってみて、こういう企画をして能を理解して頂くのは演者側の責務だと思いました。野田市ではこれからも「和のおけいこ講座」を開いたり、積極的に活動して行こうと思っております。今回ご参加頂きました方々には大変お世話になりました。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます~ m(__)m

さて明日は伊豆の国市での薪能のお稽古です。しかも明日は「子ども創作能」の主人公・北条義時のお墓を出演者の小学生一同とお参りする日でもあり、また今回初めて チビぬえも参加して綸子ちゃんと『嵐山』の稽古を行います。同じ ぬえが指導している二人なのですが、東京と伊豆の2カ所での同時進行の稽古。明日はそれがうまくシンクロするかどうか、ぬえもドキドキのお稽古なのでした。がんばれ~みんな!

珍しい曲『三笑』の仕舞を勤めてきました。

2008-07-04 02:58:21 | 能楽
お休みモードも終わって、これからまた忙しく、とくに8月の『狩野川薪能』とその翌月の研能会9月公演にシテが連続しているので、稽古三昧の夏になりそう。。

ちなみに3日間の休暇では夕方には茨城県の鹿島港の防波堤で釣りをしていました。釣果は、初日=メゴチ×2匹・アイナメ×1匹。二日目はメバル×2匹・スズキ×1匹でした。それぞれ2時間程度だから大漁でした~!


『三笑』。。残念ながら ぬえはまだこの能の実際のお舞台を拝見したことさえない。。それぐらい珍しい曲です。その珍しい曲の仕舞を、ぬえは先週の日曜に開催された同門の先輩の主宰会「青木一郎能の会」で勤めさせて頂く機会に恵まれました。

能『三笑』は次のようなあらすじの曲です。
昔、中国の廬山の虎渓に三十余年山居する慧遠禅師(シテ)のもとに陶淵明・陸修静(ともにツレ)が訪れ、三人で滝を愛でながら酒を酌み交わし、淵明や修静の身の上などを語り合ったところで感興が増し、三人は連れ立って舞を舞う。やがて別れの時が来て慧遠は二人を見送るが、ついつい酒が過ぎて足元が覚束なくなった慧遠は苔むす橋をよろめき、淵明・修静の二人はこれを介抱しながら歩んでゆくところ、ふと淵明は気がついて虎渓を出でじという自らに課した禁足の戒めをお破りなさったか、と慧遠に問うと、慧遠もようやくそれに気がついて、三人でどっと笑ったのだった。

ん~、おじいさん三人だけが登場し(舞台の冒頭に間狂言の口開けはあるらしい)、およそ事件というものの起こらない能。地味といってしまえばそれまでですが、こんな曲も能にはあるのです。

現代ではこの三人の中で名前が知られているのはツレの一人の『帰去来辞』で有名な詩人の陶淵明(365-427)ぐらいのものでしょうが、シテの慧遠(えおん)禅師(334-416)はまさに中国の仏教の礎を築いた著名人です。仏道の師匠・道安(312?-385)は中国仏教の開拓者といわれ、さらにその道安の師・仏図澄(ぶっとちょう ?-348)は西域から戦乱の洛陽に渡って仏教の普及に努めた人。まさに中国仏教の黎明期の偉人たち。

どうも『三笑』の舞台づらは(ぬえは写真でしか見たことがないのですが。。)、白い髭をたくわえて山中に隠遁する孤高の聖人たち or 哲学者の物語、という風情ですが、じつは慧遠が廬山に居を構えたのは、彼が率いる一大教団の本拠地として廬山を定めたからなのでした。慧遠は能では「禅師」とされていますが、実際には浄土宗の祖師で、鳩摩羅什とも親交を結んで、のちに廬山に東林寺を建立し白蓮社(びゃくれんしゃ)という念仏結社をつくりました。その規模は謡曲『三笑』本文に「十八の賢あり。その外数百人世を捨て栄を忘れて共に西方を修し六字を礼してこの草庵に遊止す」とあるのは大げさとしても、相当であったでしょう。そして廬山の慧遠は「影 山を出でず、迹 俗に入らず」として、来訪した客人を見送るにも廬山精舎の境界にあたる虎渓の橋を超えることをせず、亡くなるまで三十余年をこの地で過ごしたとされます。

ところが後世、陶淵明と陸修静が慧遠を訪ねた折に彼らと清談しながら見送る際につい虎渓を越え、虎が鳴く声を聞いてそれと気づいた三人が大笑する、という「虎渓三笑」と呼ばれる伝説が生まれ、とくに仏教(慧遠)・儒教(淵明)・道教(修静)の儒仏道の三教一致を象徴する題材として水墨画に好まれて描かれたのでした。

それがこれ。 →曽我蕭白「虎渓三笑図」

。。た、楽しそう。。ま、蕭白さんですから仕方ないが。

めくるめく蕭白ワールドへトリップしたい方はこちらへどうぞ → 曽我蕭白の世界
  。。注意! グロ画像。閲覧は自己責任で(笑)

能『三笑』は、この水墨画の三笑図の世界をそのまま舞台化した曲だといえるでしょう。ぬえは今回は仕舞でこの曲のシテを勤めさせて頂きましたが、三人も舞台に登場する仕舞はこの『三笑』ただ1曲だけ。しかも上演が稀な曲目なのに、そのシテを勤めさせて頂いたのは幸運でした。

実際に演じてみて感じたことは、まずは三人も登場して舞う舞台の狭いこと! そして今回は仕舞だから舞台の中だけで舞うのですが、能ではキリの途中で虎渓の橋に見立てた橋掛りに三人が移動して、そこで「どっと」笑って曲は終わるのです。これは文句の長さから考えると相当に型が忙しいようですね。面装束を着けて、ゆったりと見送る風情で橋掛りまで行き着けるのかしらん。難しい曲だなあ、と思いました。

ま、『三笑』を舞う機会なんてなかなか巡ってこないので、この度は良いチャンスに恵まれました。今回はそのご報告まで。

ちなみに廬山は中国の景勝地で、近代では毛沢東の「廬山会議」の舞台ともなり、現代では世界遺産に登録されています。いくつもの峰が湖水に映え、その峰の一つが香炉峰。白居易の詩と、それに基づいた『枕草子』のウィットに富んだ280段のエピソードも同じ場所のお話なんですよね。一度は行ってみたいな~