ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

陸奥への想い…『融』(その15)

2013-10-02 03:13:42 | 能楽
世阿弥の和歌への傾倒。。それは市井の芸能者に過ぎなかった観阿弥・世阿弥父子を政治・文化の中心部にまで引き上げてくれた義満の寵愛に報いるため、と考えられるわけですが、もっと正確に言えば、それは義満を取り巻く人々。。義満の寵愛に不満を持つ貴人の趣味に合致した能を作り、彼らに認められるために世阿弥が選んだ道でした。

それが『高砂』『融』に共通して現れる、和歌への偏重ではないか、という印象を ぬえは持っています。言葉は悪いかもしれないけれど、また脚本の構成の見事さとはまた別次元の問題として、この2曲に現れる和歌はあまりに分量が多く、そうして羅列に近い状態です。考えすぎかもしれないけれど、ぬえはここに世阿弥の和歌の知識の未消化を考えるのでした。これは『松風』のように「立ち別れ。。」1首をテーマとして月下に立ち現れる姉妹の美しさと孤独を視覚化した優れた脚本とは一線を画すように ぬえには思われるのです。

。。あれ? ここまで書いてきてはじめて『松風』の汐汲みの型と『融』のそれとの間にモチーフとしての関連に気がついた。。これまた言い過ぎかもしれませんが、世阿弥にとって『融』が『松風』よりも先行して書かれた能なのだとすれば、この汐汲みの場面もまた世阿弥がこれら2つの能を書く間に作能の技術が成熟・深化した ひとつの現れなのかも。

『融』に現れる前シテの汐汲みの尉という登場人物は、源融が生前に召し使った人足のひとりなのであって、それは荒れ果てた河原院にいまだに居残っているのに違和感のない人物として設定されたのだと思います。それと同時に、融をはじめ中古の貴族にとって田舎の侘び住まいは憧れであったし、夕暮れに潮を焼く煙が立ち上る光景は、なんというかその憧れのひとつの理想であったようで、実際に汐汲みの労働をする尉は、すでに鬼籍にある融が化身として現れる姿としては、これまた違和感のない設定でしょう。

ところが『融』の前シテの尉が汐を汲む姿は、侘びた美しさではあっても、やっぱり卑賤なお爺さんのそれでしかないのですよね。『松風』にも月下に現れる姉妹が汐を汲む場面がありますが、彼女たちが登場してから汐を汲む場面までが異常に長大です。ほかの能ではワキ僧が登場した前シテと言葉を交わすのに、せいぜい数分程度のところ、『松風』ではその前シテの登場~汐汲みの場面で20分くらいは掛かっているのではないかしら。そうして何より、その場面は美しい。これを『融』で描いた汐汲みの場面を、作者の世阿弥がさらに美的に深化させて、またそこに焦点を当てた結果の偏重と考えることも不可能ではないのではないか?

『松風』には先行する能として古曲『汐汲』があり、世阿弥は『松風』について、観阿弥が『汐汲』を改作したのだ、と『申楽談儀』の中で述べています。しかし文体や能の構成などから ぬえは『松風』は世阿弥の作品だとずっと考えていまして、それはドナルド・キーン先生があるテレビ番組で同じ意見を断言しておられるのを見て確信となりました。妄想を逞しくすれば、まず古曲『汐汲』があり、つぎにそれを観阿弥が改作した『松風』という曲がある。世阿弥には父が残したこれだけの資料が手元にあったのです。世阿弥はこれを見て、『融』と同じ汐汲みの場面がある『松風』に着目し、行平に愛された若い姉妹が登場するこの能に、より美しい汐汲みの場面を、父の作った『松風』の中で増幅させた。。こういう経緯も考えられるかも。

いずれにしても証拠となる資料が発見されていない現状では、どこまでいっても想像の域を出ないのですけれども、『融』は主人公・源融が陸奥に対して持った強い憧れが舞台化された能でありましょう。今回の上演にあたっては、その「こだわり」が、義満に見いだされてまるっきりそれまでとは違う境遇に引き上げられた世阿弥が、義満を取り巻く貴人に自分の存在価値を認めてもらうために必死に和歌文学に傾倒した、その世阿弥の努力の証しのように、ぬえには思えたのでした。

人間の成長とともに『融』は『松風』へと深化し、その深化は和歌文学の享受にとどまらず人間そのものへの視点の深化となって、ついに晩年の『砧』に到った。。そう考えると世阿弥という天才もずっと身近な存在に感じられた、そんなことを ぬえは考えておりました。


                                   【この項 了】