「人は死なない」、ずいぶん人騒がせとも思えるタイトルの本ですね。
寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私はそう考えている、と著者は最後に書いています。
東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授、医学部付属病院救急部・集中治療部部長、ずいぶん長い肩書ですが、著者の矢作直樹先生の前職(昨年退官)です。
体と心は簡単じゃない
矢作直樹、最初に知ったのは理論物理学者の保江邦夫先生との対談本。
以来、何冊かの本を読み、最初に上梓され話題となった本書を読んどかなきゃと手に取りました。
この本の写真をネットで探す中で、この本の感想を書いた何人かのブログを読みましたが、科学絶体主義はここまで社会を席巻しているのかと驚きながらも、そうなんだろうなあと心寂しいものがありました。
僕は、学生時代から仏法を学んできましたし、10年も前になりますか、妹の死を通して生と死、そして人の生き方を考える機会に恵まれました。
自分の体と心(脳と魂)が、一つのこととしてとらえることは簡単じゃないと思いましたが、それは、脳による自我が情や直観力を認めたがらないということかもしれませんね。
矢作先生は、臨床現場を経験してきた話として、例えば手術をしてどんなに手術の結果が良くても亡くなる方もあるし、絶対に助からないだろうと思われる方でも元気になることがあると書き、それは、医学の理論や医療技術や薬効などでは説明しつくせぬものであると書かれています。
思ったことしか実現しないと言われますが、意識次第でどっちにでも転ぶのかもしれませんね。
医者や薬が病を治してくれると思うのか、自分の治癒力が病を治すのだと思うのか、違うんでしょうね。
ずいぶん科学で解明されてきたように思える心と身体ですが、深遠ですよね。
貪瞋痴の三毒
今日、あるフォーラムに参加し、体験を聞きながら会場にいたたまれなくなりました。
聞いたのはお二人の体験でしたが、お一人は悲嘆に囚われて生き、もう一人の方は怒りに囚われて生きていらっしゃるように映りました。
怒りの原因はとても良く理解でき、同情もできる。そして、仰ることは正しいことだろうと思いますが、お話は最初から最後まで怒りと恨みの言葉で綴られていました。
仏法では、最も根源的な不幸の原因を貪瞋痴(とんじんち~むさぼり・いかり・おろか)の三毒と表し、人が克服すべきものと教えられています。
悲嘆にくれる、囚われることは“痴”でありましょうし、怒りや恨みは“瞋”であります。
今日、会場に居合わせるだけで、エネルギーが吸い取られて生命が縮んで行くように感じたのですが、人の意識・生命の働きは、自分だけにとどまらず、周りにも大きな影響を与えるように思います。
悲嘆に囚われたり怒りや恨みに囚われて生きることは、決して周りの人を幸せにしないように思いました。
斎藤一人さんは、人生の目的は幸せになることだと言っていましたが、そう考えた方が絶対にいよなあと思います。悲嘆や怒りや恨みを感謝や喜びに変えるって簡単じゃないかもしれないけど、そうあって欲しいなあ。
僕も、全てに感謝できる生き方、喜びにあふれた生き方をしたいものだと思いました。