昨日は書道のお稽古、ないことに、予習というか、今月の課題の練習はしていったのですが、、、
臨書ですので、結構似て書けているかなあ?などと不遜にも思って行ったものの、やはり!そう簡単には近づかせてくれません。
というか、師匠の房仙先生が凄すぎるのか?ひょっとしたら、王義之以上に王義之らしいのかもしれません。
だって、この字のここは、酔っ払って書いたから、さもなくば疲れていて腕を机に置いて書いたのか、などと解説しながら手を取ってくれるんです。
また、ここのこの部分は、石版の彫り師が彫り忘れているはず、とか、、、
きっと、今まさに眼前で王義之が書いている、それとも、書いている王義之に同化しているようにも思えてしまう房仙先生の一挙手一投足です。
集字聖教序
書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として書聖と称される王義之なので、王義之の書を基本にしたうえで個性を発揮して欲しい、というのが房仙先生の願いなんでしょうね。
さすれば、どんな個性的な展開も可能になり、素晴らしい作品となるってことかな?
お稽古の際、毎月の課題の出典となっている王義之の作品「東晋・王姜之 集字聖教序」が話題となりました。
そういえば、それって、錦織さんがくださったあの本!?と思って新庄の棚を見てみると、やはり!1959年初版、1981年51刷のもので、当然、先月と今月の課題も。
すると、来月の課題は、「山川〇煙霞」?ところが、〇の漢字がわからない(^^;;
お手本集は、新庄において来ちゃったし、、、
お稽古の後は、房仙会の和気あいあいの房年会でした。
房仙会のお稽古が始まって5年目とのこと、それぞれの皆さんが房仙先生との出会いとお稽古などを通して、大きく変わって来ている様子、これって凄くないですか?
かくいう自分も1年半弱ですが、書の道以上に教わったことが多く、一生お付き合いさせてほしいものだと思っています。
山羊の毛で作る筆、やはり自然放牧
そうそう、書道の筆で面白い話がありました。
中国では、書道の筆は山羊のの毛で作られるとのことで、日本にもそれが輸入されている。
その毛、食肉用に飼育された山羊で作ったものはすぐダメになる、そこで、いい筆の毛は自然放牧で育てて使うようになったのだとか。
山羊の毛でこうなる、ってことは、やはりお肉もその延長にあるということかな?
食肉用に肥育されている動物の現場をあちこち見た末に、基本的に肉は食べないことに決めましたが、これって正解?