へえ、こんなに毛色の変わった名所旧跡案内があるんだ~!
いつの頃からか、出雲に生まれ、育ったことに特別の感慨を持つようになりました。
それは、幕末から明治期、日本を垣間見た西洋人が残した記録を渉猟した渡辺京二の「逝きし世の面影」、そこに記された心豊かな地がこの出雲には残こり、受け継ぐ我々の姿勢次第で世界の民の範たる地域になるとの確信に端を発しています。
大陸の玄関口であった日本海側の地域にはそのようなところが多そうですが、僕は、出雲こそという思いを特に強く感じているのかなあ?
なぜなのか?自分でもわかりませんでしたが、昔日の出雲がとっても気になりだし、出雲のルーツのようなことにアンテナが反応しだしました。
最初のきっかけは何だったのか?古事記1300年で何冊かの本を手に取ったこと?いや、もっと思い当たる節もありますが、次に訪れた決定的なことは“カタカムナ”に出会ったことじゃないかと思います。
そして、なぜか、紀元前2~3世紀ごろから栄えたと言われる出雲国のことを知り、全く興味のなかった記紀との齟齬に興味を覚え、何人かの人や出会いそうもない本との出会いもありました。
聞けば聞くほど、知れば知るほど、行き詰った世界のタグボートたる地域・出雲、そんな確信が強くなっているこの頃ですが、そんな時にもっと深く知ろうと思って何冊かの本を注文しました。
かなり待ったかな?やっと届いた中で、注文した時には一番手に取りそうもないと思っていたこの本が、なぜか呼ぶんですね。
あっち読み、こっち読みしているのに手放せない、で、冒頭の一言。
例えば、美保関神社って拝殿はとても開放的で、本殿の千木は左が大社式の縦削ぎ、右が九州物部式の横削ぎが備わっているというのですが、それって、かつての恩讐を超えて手を取り合おうとのメッセージが込められているとか。
その本は、勝友彦著「山陰の名所旧跡」ですが、2000年も前のことでこの地の人の間にも未だに心の奥底で尾を引いているものがあることが随所に垣間見える。
ただ、その本から伝わってくるメッセージは、美保神社の千木などに込められた思い、恩讐を超えて和合し本当に豊かな日本の国を作り行こうということ。
知っておくって、とても大切なことかもしれません。