これで、いぶし銀人間製造からから解放される?
納屋の囲炉裏で火を焚く、遠赤効果や炎の揺らぎによる癒し効果?もあって、誰も席を立ちたくないようなのですが、只煙だけはというのがあり、、、
イベントの後、すぐに買いに行ったのが小屋裏に取り付けようと思った換気扇、その他の道具なども買いそろえての作業、取り付け場所の観察不足から、想定外もあって時間は余分にかかったけど、無事に取り付けが完了しました!
いらっしゃる皆さんに喜んでもらえるかなあ。
現場主義は政治に必須じゃ?
現場主義ってことばがありますが、現場をよく見る、よく知っておくって、とかく頭でっかちになりがちな政治の世界では絶対条件だろうと思います。
そうでないと、それでなくても見放されがちなのに、住民の感覚から遊離してしまうことになり、政治不信をさらに増幅させる原因になるんじゃないでしょうか。
今朝の地元紙の三面記事に「増員国会決議案 維新反対で見送り」との記事があり、反対理由の一つが「学校司書AIで代替可能」だったのだとか。
決議案に反対したのは維新だけだったと書かれていました。
維新反対はさておき、学校図書館の問題に取り組み続けた僕としては、正直、よくぞここまで漕ぎつけられたものだと、関係者の努力には感動すら覚えるものでした。
それにしても・・寂し~~い維新
それにしても、維新は取材に対して「人件費増に直結する『司書配置増』は『改革』の名に値しない」「国語力向上に資する学校図書館の機能強化」が必要だと答え、「生徒が望む書物取り出しは、必ずしも『人』が担うべきものではない」とは(@@
一体、学校図書館の現場をつぶさに見た維新の国会議員はあるのだろうか、と思えてならない反対理由であり、取材に対する答えです。
日夜子どもたちと接する学校図書館司書と、貸出やレファレンスが主となる公共図書館の司書の仕事は大きく異なるだろうと思いますが、全く見ようとしていない。
学力至上主義やAIで代替可能とする見識が、学校現場へのパッドの導入であり、小学生にプログラミングを教えるという発想につながっているんじゃないか?
今の子どもたち、もちろん学力も必要だと思いますが、それ以上に豊かな人間性を育むことこそが、学校などのいわゆる教育現場に求められているのではないでしょうか。